
(昨日の続きです)
昨日の本ブログで「スターリングラード」復活への危惧についてご紹介いたしました。1991年末のソ連邦崩壊の前後、ロシア国内の多くの都市が旧都市名に戻りました。典型的な事例がレニングラードからサンクトペテルブルクへの復帰でした。それはソ連崩壊直前の1991年9月6日の住民投票によるものでしたが、この時ブログ主は少し不思議に思いました。旧都市名への復帰であれば「ペトログラード」ではないかと思ったのでした。そもそもサンクトペテルブルクという都市名の意味は「聖ペテロの町」という意味です。サンクトペテル=聖ペテロはイエス・キリストの使徒のことです、この都市を1703年に建都したピョートル大帝(上の写真です ウィキペディアより引用)が命名したのですが、ペテロのロシア語名はピョートルになるので、つまり自分の名前にかけたことになります。ブルクはドイツ語で城壁に囲まれた都市という意味です(元来は丘の上の都市という意味でした)。ですからサンクトペテルブルクはドイツ語なのです。わざわざ自国の首都名を外国語にしたのはなぜでしょうか。ピョートル大帝は、ドイツやフランスなどの西欧諸国と比べて遅れたロシアの近代化のために尽力した君主です。ロシアの近代化のためにありとあらゆる手を打ったのですが、1724年に科学アカデミーを創設しています。しかしこのアカデミーのメンバーはほとんどドイツ人、スイス人、フランス人などの西欧諸国の外国人科学者ばかりでアカデミー内の共通語はドイツ語だったそうです。サンクトペテルブルクはバルト海につながるフィンランド湾に面した港湾都市として設計されました。西欧諸国への窓であり、高度な文化や科学技術を取り入れるための取り入れ口として建都されたという事情があるので、わざわざドイツ語の都市名にしたのかもしれません。英語表記であれば「セイント・ピーターズバーグ」となります。
しかし1914年8月1日にドイツ帝国との間で戦端が開かれ第一次世界大戦が勃発すると、さすがにロシア語名の「ペトログラード」に変更されました。
(明日に続きます)