博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

LBJの失敗

2020年09月15日 | 読書・映画

(昨日の続きです)

 さて、ジョンソン大統領は公民権法を成立させることを決意すると、先ずケネディの死で士気を喪いかけていた閣僚や補佐役らに檄を飛ばし喝を入れ、反対勢力を切り崩しながら議会演説のクライマックスに向かいます。野党共和党の議員団には「百年前の奴隷解放宣言を行ったのは、あなた方共和党のリンカーン大統領だったことを思い出せ」とアッピールするなど、まさに鬼神の働きのようでした。実際にこの人物は力づくでものごとを進める粗暴さもあって嫌われる面もあったそうです。私は最初寝転がってこの映画を見ていたのですが、次第に正座して見るようになりました。議会演説の直前にリンカーンの銅像に向かって「あんたが遣り残した、この国のけつを拭く仕事を俺がやる」とつぶやく場面も忘れられません。

 このようにジョンソン大統領がすごい政治家だったことは間違いないのですが、一方この映画の中で描かれていない、ジョンソン大統領の負の側面もあったことを忘れてはならないでしょう。そもそも私達日本国民にとって、ジョンソン大統領とは北爆やトンキン湾事件などでベトナム戦争を泥沼化させた責任者であり、マイナスのイメージが強い政治家ではないでしょうか。54万人の米兵をベトナムに派遣し、そのうち1割が戦死、ベトナム人は兵員と民間人の死者を合計すると400万人以上という推定もあります。最終的に米軍はベトナムから撤退し、1975年に南ベトナム政府崩壊という惨憺たる結末となりました。ジョンソン大統領は国内外からの強烈な非難を浴び1968年に大統領再選をあきらめたのでした。

 もともとベトナムへの軍事介入はケネディ大統領が始めたことで、南ベトナムにアメリカ軍事顧問団を派遣するという形で徐々に介入を拡大していました。ジョンソンは、このケネディの南ベトナム介入政策をも引き継いで、それを拡大悪化させ、それがもとで政治家としての人生を終えることになったのでした。ケネディはもし存命であればベトナム介入を拡大しなかっただろうと私は思うので、このことは実に皮肉なことです。私がこのように思う根拠は、ケネディがキューバのカストロ政権を打倒するために反カストロ亡命キューバ人部隊1,400人をキューバへ軍事侵攻させ、それが失敗に終わると(1961年のピッグス湾事件)、それ以降はキューバへの直接の軍事介入を行わなかったという史実があるからです。南ベトナム政府首脳の国民への不人気ぶりを見れば介入の拡大は一層情勢を悪化させるだけだという判断をしたのではないかと思います。

 このようにジョンソン大統領の功罪について、実に多くのことを考えさせる映画でした。


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