(昨日の続きです)
さて8月4日に本ブログでご紹介いたしました、1970年代末から80年代初めにかけて、日本共産党・民主青年同盟の皆さんが、統一教会・原理研究会に対して「韓国へ帰れ!」という右翼的なスローガンを投げつけていた件について、当時私が思ったことは次のようなことでした。
①日本で活動している統一教会・原理研究会の信者の大半は日本人でしょうから韓国に帰る場所はないです。もちろん日共・民青の皆さんの言いたいことは「統一教会は韓国の宗教団体なのだから韓国へ帰れ」と言いたいのだろうと察しはしますが、実際に日本国内で教会の活動を担っているのは日本人ですから、やっぱり不適当です。
②問題なのは統一教会が霊感商法などの反社会的行動を行っていることであり、同教会が自身の犯罪行為を認め、被害者に謝罪し、その被害を弁償し、日本の刑法・民法の裁きに服して、二度と犯罪行為を行わないと誓うのであれば、別に「韓国に帰らせる」必要もないはずです。
したがいまして、統一教会に対しては「韓国に帰らせる」のではなく「日本での犯罪行為を認め罪を償え」と呼びかけるべきだ・・・このように当時の私は考えました。この私の認識は、つくづく甘かったと後に私は痛感することになります。もうこの時点(1979年~1980年)で統一教会は岸信介ら自民党と完全に癒着し日本社会に深く深く浸透していたからです。
統一教会が本格的に日本で布教活動を始めたのは1959年(昭和34年)で、ブログ主の私がこの世に生まれる1年前でした。この時点の内閣総理大臣が岸信介氏であり、同教会の本部は都内渋谷にあった岸氏の私邸の隣に設置されたのだそうです。この時から同教会と岸氏の繋がりができたのだとすると、1980年までに既に20年にわたって岸氏を媒介として同協会と自民党を結ぶ人脈が構成されていたことになります。その証拠に同協会のバックについていた韓国の朴正煕大統領と配下のKCIA(韓国中央情報部 現国家情報院)は、70年代の日本社会で何の制約もなく跳梁跋扈できたのです。その象徴が1973年(昭和48年)8月8日、朴正煕の政敵である民主活動家・大統領候補で、韓国民主化後に大統領になった金大中氏が、KCIA によって東京飯田橋のホテルグランドパレスから拉致されソウルに連行された、いわゆる「金大中事件」でした。KCIAの工作員らは同日の午後1時過ぎ、つまり白昼堂々と日本の首都から金大中氏を韓国に誘拐し去った訳で、これには私も開いた口がふさがりませんでした。日本の主権などあってなきがごとしでした。既にKCIAや統一教会の日本での行動を糾すには手遅れであったのかもしれません。
(注)上の写真は金大中事件の国民法廷の記録を描いたルポルタージュ『告発 金大中事件 国民法廷の記録』(藤島宇内 編 晩声社 1977年)です。