博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

福岡と博多 2

2012年11月05日 | 九州の風物

(昨日の続き)

では福岡と博多の境界をなす那珂川の中洲にある大歓楽街のある中洲地区はどちらに属しているのでしょうか?

wikipediaの福岡市を閲覧すると、「…なお、歓楽街として有名な中洲は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。どちらにも属しているようで、どちらにも属さないという曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる・・・」という記述がありました。

 また中洲観光協会のホームページには、「福岡藩が福岡と、博多をつなぐため那珂川に土砂を積んでできたデルタ地帯が中洲の始まり。明治時代には、東中洲に電灯会社や電話局などが開設され、また劇場や映画館も開場し博多の演劇界の中心として発展していきました。大正初期からカフェ、バーが流行し一躍博多の盛り場として栄え、一大歓楽街地として今日に至っています。」という記述がありました。

 上の写真は江戸時代の天保5年に、風紀取締りで江戸を追われた七代目市川団十郎の、博多公演の記念碑です。中州の先端にあります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。