写真は「大庫裏」といい、瑞龍寺の台所です。同寺院のホームページには次のように解説されています。調理配膳や寺務運営を行う堂で、山門を入り右手に位置し僧堂と相対して並ぶ。建物は桁行十間(一九・七m)・梁間六間一三・九m)で、外観は僧堂と同じ切妻造りこけら葺で向拝型玄開を付ける。平面は前面一間通りを回廊延長の土廊とし、正面中央に「香積堂」の額を掲げ、韋駄天像を祀り、右手は竈や流し・調理台を置く炊事土間で、左手は寺務運営を司る畳敷きの大広間と板の問としている。
三十センチ角の太く力強い柱と防火対策を考慮した大変珍しい真っ白な土天井がひときわ目を引き、また、向拝の蟇股や唐破風懸魚の彫刻、および隅柱を太くし安定感を出すなど江戸初期の匠の技と冴えがみられる。万治年間(一六五八~一六六○年)の建立だが、幕末から明治初年にかけ撤去された。しかし昭和六十三年の解体修理に伴う調査で、詳細な寸法の書き込まれた古図面や向拝と主屋の部材の発見、および発掘調査などから当初の姿が明らかとなり復元されたということです。
三十センチ角の太く力強い柱と防火対策を考慮した大変珍しい真っ白な土天井がひときわ目を引き、また、向拝の蟇股や唐破風懸魚の彫刻、および隅柱を太くし安定感を出すなど江戸初期の匠の技と冴えがみられる。万治年間(一六五八~一六六○年)の建立だが、幕末から明治初年にかけ撤去された。しかし昭和六十三年の解体修理に伴う調査で、詳細な寸法の書き込まれた古図面や向拝と主屋の部材の発見、および発掘調査などから当初の姿が明らかとなり復元されたということです。