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1121 大工さんの日と聖徳太子

2012-11-22 00:21:57 | 雑記

1.大工さんの日

11月は国の技能尊重月間であること。22日は大工の神様といわれる聖徳太子のゆかりの日に

あたるとされること。また、11は2本の柱をあらわし、二十二のそれぞれの二は土台と梁または桁

をあらわすことなどから、社団法人日本建築大工技能士会が1999(平成9)年に制定。建築大工

業界の発展と木造住宅の振興などが目的。

2.ペットたちに感謝する日(Thanks Pets Day)

私たちと生活を共にし、喜びや悲しみ、生きがいを与えてくれるペットたちに感謝し、人と動物の正

しい関係を考える日。すべてのペットが幸せになれるように、また野生動物や自然環境のことを多

くの人に考えてもらいたいとの願いから、福岡県志免町のペット関連の事業を行うピーツーアンドア

ソシエイツ株式会社が制定。日付はペットの代表の犬の鳴き声「ワンワン」と猫の鳴き声「ニャンニ

ャン」の語呂合わせから。

3.いい夫婦の日

11・22で「いい夫婦。11月の「ゆとり創造月間」の一環として、余暇やゆとりの大切さをアピール

する目的に、通商産業省管轄の財団法人余暇開発センター(現在の財団法人日本生産性本部余

暇創研)が1988(昭和63)年に制定。ゆくゆくは翌日の勤労感謝の日と連休にしようとする動き

もある。1998年に「いい夫婦の日」をすすめる会を設立し、1999年からは毎年「パートナー・オ

ブ・ザ・イヤー」を有名人などから選出している。2000年代から一般に認知されるようになり、11

月22日に入籍する有名人なども増えている。

4.長野県りんごの日

全国農業協同組合連合会長野県本部(JA全農長野)が1999(平成11)年に制定。全国第2位の

生産量を誇る長野県産りんごの美味しさをアピールするのが目的。日付は長野県産りんごの代表

的な品種「ふじ」の最盛期でであることと、11と22を「いいふじ」と読む語呂合わせと、「いい(11)

ふうふ(22)」の(いい夫婦)→「アダムとイブ」→「りんご」との連想から。

5.和歌山県・ふるさと誕生日

1871(明治4)年のこの日、和歌山県の現在の県域が定まったことから、1989(平成元)年に県

がふるさと誕生日条例を制定、決定したもの。

6.回転寿司の日

回転寿司の考案者である白石義明氏の誕生日(1913年11月22日)にちなみ、回転寿司の生

みの親企業である大阪府東大阪市に本社を置く元禄産業株式会社が制定。白石氏の努力で19

58年4月、東大阪市に回転寿司の1号店がオープンした。

7.ボタンの日

日本釦協会・全国ボタン工業連合会などが1987(昭和62)年に制定。1870(明治3)年のこの

日、金地に桜と錨の模様の国産のボタンが海軍の制服に採用された。

8.小雪

二十四節季のひとつ。このころから寒くなり雨が雪へと変わり初雪が舞い始める。

***毎月22日が記念日***

9.禁煙の日

タバコの害や禁煙の重要性に関する知識の普及を図り、禁煙を促して受動喫煙の防止を含む社

会的な禁煙を図ろうと禁煙推進学術ネットワークが制定。日付は数字の2を白鳥(スワン=吸わ

ん)に見立てて、毎月22日をスワンスワン=吸わん吸わんの「禁煙の日」にという語呂合わせか

ら。禁煙推進学術ネットワークには日本癌学会、日本口腔衛生学会、日本口腔外科学会、日本公

衆衛生学会、日本呼吸器学会、日本産科婦人科学会、日本歯周病学会、日本循環器学会、日本

小児科学会、日本心臓病学会、日本肺癌学会、日本麻酔科学会、日本人間ドック学会、日本口腔

インプラント学会、日本頭頸部癌学会、日本歯科人間ドック学会、日本動脈硬化学会、日本産業

衛生学会の18の学会が参加している。

10.ショートケーキの日

仙台の洋菓子店カウベルが2007(平成19)年に制定。日付はカレンダーで22日の真上には15

日があり、ショートケーキの上にも苺(15)が乗っていることから。

11.夫婦の日

毎日新聞社、味の素株式会社などが1987(昭和62)年に制定。

12.デルちゃんの誕生の日

関東地方に店舗を多数構えるパチンコ・パチスロ店チェーンのジャンジャングループが制定。ジャ

ンジャングループのマスコットキャラクターの「デルちゃん」の誕生日4月22日にちなみ、毎月22日

はパチンコ・パチスロの楽しさ、面白さをより多くのお客様に伝えようとホール全体で盛り上げるの

が目的。

 大工

大工(だいく)とは、木造建築物を建てたり、修理を行う職人のことである。かつては右官と呼んで

いた。古代造寺司においては、建築に限らず工匠の長を「大工」、副を「少工」と呼んでいた。

1.大工の歴史

飛鳥時代】

○右官

「さしがね」を考案した聖徳太子が組織した職位で、建築の「木」に関わる職を「右官(うかん)」、

「土」に関わる職を「左官(さかん)」と呼んでいた。建築技術者の職階を示し、木工に限らず各職人

を統率する長、又は麴全体の長となる人物を指していた。

○宮大工

飛鳥時代に朝鮮から渡来した慧滋(えじ)と慧聡(えそう)が始まりといわれている。奈良の明日香

村に飛鳥寺を建設した。 聖徳太子は、彼らから建築技術の教えを受け、法隆寺を建立した。この

ことにより、聖徳太子は「大工の神様」といわれている。

【奈良時代】

○大工

「大工」とは、奈良時代の律令に定められた木工寮の最上位者の官名である。越前国足羽郡出身

の益田縄手(ますだのなわて)は、東大寺大仏殿建立に大工(棟梁)のひとりとして活躍し、連(む

らじ)の姓(かばね)を賜った。

【平安時代】

大寺社専属の建築集団「座」、「木工座」

平安時代になると、建築需要の変化により、朝廷に属さない建築職人が出てきた。建築職人は

「座」、「木工座」という集団を結成した。「木工座」は、大工、権大工(ごんのだいく:引頭いんどう)、

長(おとな)、連の4階層に分かれ、大工は「大工職」としてこれらの集団を組織した。大工は世襲

が認めとられ、大寺社は専属の木工座を持った。

棟梁

朝廷の役人としての長、「木工職」「座」「木工座」の長、工事全体の長となる人物のこと。

【鎌倉時代】

大工職

鎌倉時代になると、朝廷の木工寮・修理職に大工が所属して活躍していた。鎌倉中期以降次第に

その数は減少した。京都在住の大工のほとんどが両賀茂神社・法成寺・建仁など社寺の「座」、「

木工座」に所属していた。

【室町時代】 

大工職の分化

社寺付属の大工座衆の中から、社寺の行事に使用する神具、道具や家具などを専門に製作する

大工が発生して、大工職から分化して、曲物師、宮殿(くうでん)師、建具職(指物師)などの職種が

できた。

【安土桃山時代】

大工職の独立

戦国時代になると、城郭の造営や城下町の建設という大規模建設が必要となり、社寺付属の大工

座衆だけでは、その膨大な工事に対応しきれなくなり、「座」が崩壊した。このため、社寺の座から

離れて、新たんあ大工の集団を組織させ、その長に集団の統率権を与え、建設労働者の確保に

あたった。これが、朝廷、社寺から離脱した棟梁の発生である。

【江戸時代】

民間職業としての大工

江戸時代頃から、建築に携わる職人を大工と呼び、統率者に対しては、棟梁と呼ぶようになった。

棟梁

日本建築の屋根の重要部材は、親方が墨付けし、棟上式の長であることからそう呼ばれた。

大工の職長・親方

木造建築物の采配を行う責任者のこと。

11月22日と聖徳太子のゆかり

聖徳太子の没年は、日本書紀では推古29年2月5日と記載されているが、『上宮聖徳法王帝説』

では、「推古30(622)年2月22日」が正当とされている。つまり、11月22日は聖徳太子の月

命日である(2月22日は旧暦で、太陽暦だと4月8日になる)。

※聖徳太子の本名:聖徳太子という名称は没後100年以上経てから呼ばれるようになった称号

で、本当の名は厩戸皇子(うまやとのみこ・うまやどのみこ)で厩戸の前で生まれたからとされて

いるが、地名からとったともいわれている。

以下に歴史の資料の中で呼ばれている名前をあげる。

1.日本書紀

*厩戸皇子(うまやとのみこ)/厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)/豊聡耳法王(とよと

みみののりのおはきみ)/法主王(のりのぬしのおほきみ) ※豊聡耳(とよさとみみ)とも読む。

2.古事記

上宮之厩戸豊聡耳命(うへのみやのうまやとのとよとみみのみこと)

3.法隆寺金堂(薬師像の光背にある名)

東宮聖王(まけのきみひじりのきみ)

4.法王帝説

厩戸豊聡耳聖徳法王(うまやとのとよとみみのしゃうとくのりのおほきみ)/上宮厩戸豊聡耳命(う

へのみやのうまやとのとよとみみのみこと)/厩戸豊聡八耳命(うまやとのとよやつみみのみこと)/

上宮王(うへのみやのみこ)

■和紙は聖徳太子が発明した

聖徳太子は帰国した遣隋使の報告を聴き、大陸の優れた文化を活かすためには、それを記して

伝える大量の紙が必要と痛感した。7世紀初頭の日本にも紙は存在していた。ただ麻や楮(こう

ぞ)の繊維を腐敗させてから紙にすく方法で、紙の質は脆く色も黒ずんでいた。

そこで「繊維を腐らせるのではなく、灰汁(あく)で煮る」というアイデアを考えついたのが聖徳太子

であった。それまでになかった白くて丈夫な紙が誕生し。やがて表面にノリを張る製法も開発され

、和紙は人々の暮らしに浸透していったのである。 

 

 


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