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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

取り繕わない思想家

2014年01月11日 | 読書
 「2014読了」4冊目 ★★

 『吉本隆明のメディアを疑え』(吉本隆明  青春出版社)

 

 10年以上前の著作であり、世相の流れをつくづく感じさせる。
 小泉元首相に対する批判や要望は、そっくり現政権に照らしあわせられる面もあるけれど、もう既に固定化された事柄もあり、ちょっと遠目に動きを見たような気にさせられた。

 時事的な評論の内容について、あれこれ考えても虚しいので、著者の考えや姿勢がよく出ているなあと思った部分と感想を書き留めておこう。

 わたしは、戦争中は軍国主義一点張りで、その前の左翼運動は全然知らない。それだから「こんなあけっぴろげで、国民に開けたやり方をできる国とは、いくら戦争したって勝てねえよ」とおもったのだ。

 物量や施策そのものより、システムの持つ思想とその背景をとらえている。民へは戦況の事実さえ知らしめなかったこの国の本質を見抜いている。


 「価値量」を第一義に増加させるためには、ディスコミュニケーション、引きこもり、気も狂わんばかりの忍耐力がどうしても、必要になる。これは科学者から染め物職人まで一向に変わらない。

 価値とは沈黙の中に宿るものか、そんな気にさせられる。
 もっと長いスパンで「表現」を考えてみれば、子どもの行動一つ一つの意味づけが違ってくるはずだ。


 一生に一度ぐらい、本当のことを言ってみようと意志しているつもりだが、いままでのところできない。

 これは謙遜か。
 いや、実感として「まだ本当にたどり着いていない」という思いを、いつも抱いていたのだと思う。
 多くの信奉そして辛辣な批判に晒されながら、取り繕うとはせず、思想家はどこまでも自分の気持ちに正直であろうとした。

調える

2014年01月10日 | 雑記帳
 【調える】(ととのえる)

 相談・交渉などの全体をほどよくまとめる。
 何かをするのに必要となる、望ましい状態を作りだす。(角川類語大辞典)



 自分が書いた文章で、この「調える」を使ったときがあったろうか。

 「体調をととのえる」という場合は漢字の重なりがあるので、使いづらい。

 そのこととは関わりなく、この動詞は私達の仕事の核となる指導場面においてかなり重要な意味を持つ気がした。

 つまり何かを成立させる、それも全体の調和をとりながらまとめていく、という動きである。

 学級づくりの目標の一面を、一言で言いきっている。

拵える

2014年01月09日 | 雑記帳
 【拵える】(こしらえる)
 
 あれこれ手を加えて、思うようなものに仕上げる。ことばをもって、相手をこちらの思うようにさせる。(広辞苑)




 ネット辞書で検索してみると、この動詞の意味は、なかなか興味深い。


 「作る」という言葉と比較してみたとき、目的の明確さと同時にやや利己的なニュアンスが感じられる。


 そんなふうに想像していくと、無くなっても壊れてもあまりたいしたことがないような物事が対象になるのかもしれない。


 「拵え事」「拵え物」…どちらも印象がよくない。
 教育の場でもそんなことが往々にしてあるのではないか。
 心して、振り返ってみたい。


肌触り,息遣い,ごしごし磨く

2014年01月08日 | 読書
 「2014読了」4冊目 ★★★

 『ぽてんしゃる。』(糸井重里  東京糸井重里事務所)
  

 2007年から一冊ずつ発刊されている「小さいことば」シリーズ。昨年の分である。
 夏には手に入れていたのだが、ベッドの横に置いたままにしてあり、たまにぺらっとめくってみるだけだった。

 年が改まり、じっくりと手にとってみた。

 2013年版には当然その前年に書いたことが多く、糸井にとっておそらくかなり重要な「吉本隆明」について、何ページかが割かれている。

 二人のつながりについてはファンであれば、誰しも知っているわけだが、その深さを量るのはなかなか難しい。

 しかし糸井が書いたこの文章に驚くとともに、ある肌触りや息遣いが伝わってくるなあと思ったのだった。

 ぼくは、何年も前から
 吉本さんがこの世から亡くなることを惜しまないようにしようと、
 じぶんを慣らしていました。




 たぶん、見つめつづけ、寄り添いつづけ、求めつづけてきた者の独白だ。

 そして、この子どものような、おとなのような表現の仕方いやあり様といったらいいか、そんなところは、ほとんど詩集なのだと思う。

 メッセージは、対象の存在するありかを強く示していて、また吉本隆明を読んでみようと感じさせる。
 「戦争」のことも「原発」のことも、どこでつながっているか、新しい読みとりになるような気もする。



 さて、このシリーズは、とことん自分の理性や感情に向きあって、観念的にならず具体的であろうとしながら、世の中に放り出されている言葉を布でごしごし磨いていくような、そんな私の大好きな糸井の姿が見えるような構成になっている。

 今回の一冊では、かなり個人的な好みで、面白いなと思ったのはこの一行。

 汚れちまった悲しみにとは言わないよ。おとうさんだから。

 どんなふうに解釈すればいいのか、ちょっと迷っている。おとうさんだから。

生業

2014年01月07日 | 雑記帳
 【生業】(なりわい)

 五穀が生るように務めるわざ。農作。生産の業。また,その作物。
 世わたりの仕事。(広辞苑)



 「私は長年,物理学を生業として~~」という文章を目にした。
 取り立てて問題とすべき表現ではないかもしれないが,どことなくすっきり落ちてこない。

 生業は「生計を立てる」意味があるので,結局は「仕事」「稼業」そして「職業」と置き換えてもいい。「生」があるので,少し生臭い感じか。いや「稼」の方がよりダイレクトか。

 そういう表現に「学」を重ねることが,ひっかかりの原因だろう。
 「○○学」が「学者」や「研究者」を指すこともわかるにはわかる。
 しかし,他の選択,組み合わせが豊富にあったのに,なぜ「物理学」と「生業」なのか。

 こう書いている自分が,生業という言葉を使えないことに気づく。

偽装

2014年01月06日 | 雑記帳
 【偽装】(ぎそう)

 ほかの物とよく似た色や形にして人目をあざむくこと。また,そのもの。特に戦場などで敵の攻撃を避けるために用いる(広辞苑)



 偽装という言葉を耳にしてから久しい気がするが,実際に自分に影響があっただろうか,と考えてみた。

 一番身近な食品の問題で考えると,もしかしたら知らないうちに偽装された物を口にしていたという可能性はあるだろう。

 欺いて利を得ようとした者の道義的問題を正すことは当然とはいえ,消費者として一方的に責め立てるだけで解決する問題なのだろうか。

 ブランドや,イメージや,アピールや,そして権威などにどっぷりつかって信じて安心していることは,気づかぬまま自分を偽装しているとは言えまいか。

系譜学的思考

2014年01月05日 | 雑記帳
 【系譜学的思考】(けいふがくてきしこう)

 現在から過去に向かって遡行しながら、歴史の各時点において、「どうしてこの出来事が起こらなかったのだろう」と考えるアプローチ(資料より要約)



 社会であっても個人であっても,その歴史に「もしも」を言い出したら確かにきりがない。

 しかしまた,世の中また自分は,実現されない無数の「もしも」によって形づくられていると言っていいかもしれない。

 「今,ここ,わたし」という思考のちっぽけさに気づき,調和の道しか見えないようでは困る。

 可能性の尽きない吟味こそ想像力。


 
 「2014読了」3冊目★

 『「全球」教育論』(中嶋嶺雄 西村書店)

表出

2014年01月04日 | 雑記帳
 【表出】(ひょうしゅつ)

 心の中の動きが外にあらわれでること。また,外にあらわしだすこと(明鏡国語辞典)



 広辞苑には②として「表現と同じ」という意味が載せられているが,教育に携わる者としては明確に区別したい。

 赤ん坊の泣き声は表出であり,表現ではない。

 内面を「客観化し」「外面的な形として表す」…それが表現である。

 言語環境の整備とは,表現の自由を尊重しながら,表出の制限を教えることでもある。



 「2014読了」2冊目★★★

 『教育3.0 誰が教育を再生するのか?』(宮川俊彦・寺脇研 ディスカバー携書)

桎梏

2014年01月03日 | 雑記帳
 【桎梏】(しっこく)

  足かせと手かせ。厳しく自由を束縛するもの(広辞苑)


 発想や着眼の貧困さは,実は目に見えない何かに縛られているからではないか。

 時々そんなふうに思って立ち止まり,「そもそも」とか「もしも」とかを使って,可動の範囲を見通してみることも大事だ。

 多くの場合,桎梏は具体的な環境や関係のように見えるけれど,実は心理そのものに他ならないのではないか。

 しかし心を解き放つためには,具体的な足かせ,手かせと見えるものを一つ一つほぐしていく作業も必要になるだろうな。



 「2014読了」 1冊目 ★★

 『99歳一日一言』(むのたけじ 岩波新書)


止能止衆止

2014年01月02日 | 雑記帳
【止能止衆止】(しのみよくしゅうしをとどむ)

 止まった水のように静かに澄んだ心でいれば、社会の真の姿をとらえ、きちんと判断ができるという意(「荘子」より)


 人の今は絶えず流れていると言っていい。

 その意味では「止」の境地は理想だが、困難であることも認めなくてはいけない。

 急な激しい流れにあっても、これだけはぶれないという芯を維持していくことが大切だ。

 そのために、繰り返し確かめること、何度も何度も口にしたり字にしたり、言語化することによって強くしていく必要がある。