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祈り続けられる資質

2013年12月28日 | 読書
 『人は何のために「祈る」のか』(村上和雄・棚次正和 祥伝社黄金文庫)

 書名からは「祈りの目的」と思えるが,内容の多くは「祈りには効果があるのか」「祈りは科学として実証可能なのか」ということである。二人の高名な学者がその命題について肯定的な姿勢で語る。自分が先日書き留めたことが少し深まった気がする。引用されているエピソードと相まって説得力のある文章が続く。


 祈りを単なる自己暗示と割り切り,ピグマリオン効果やプラシーボ効果といった括りで処理することもできるだろう。また波動などと聞くと,何かあやしげなスピリチュアルな面を連想するかもしれない。しかしそれらを踏まえてもなお,人々が太古の昔からずっと祈り続けてきた事実は揺るがない。それは何故か。


 祈りによって問題が全て解決してきたことはなかった。しかし祈り続けるには訳がある。「祈りにはふたとおりあった」。一つは自分の思いを叶えてほしい祈り,もう一つは心を安定させるための祈り。多くは宗教に吸収されているが,いずれ「サムシング・グレート」とのコミュニケーションであることには違いない。


 日本語の「いのり」の語源は「生宣り」とされている。「生」とは「生命」のことであり,「のり」の祝詞や詔と同じで宣言を意味しているという。いわば「生命の宣言」。様々な障害,難題がある日々の暮らしのなかにあって,それでもがんばって生きるぞという宣言なのである。それが遺伝子に働きかけるという。


 本書に記されている,いわば「奇跡」「珍事」と呼んでいい事象をどう解釈するか。それが全てだ。いかに遺伝子研究のエキスパートの言葉であっても,俄かに賛同できない人は多いはず。ただ,ふだん小さく祈られた身の周りの出来事を「最適解」として位置づけられる人なら,祈り続けられる資質はあるように思う。

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