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非正規生物としての生き方

2019年07月27日 | 読書
 もう少し『生物学的文明論』(本川達雄 新潮新書)の感想を続ける。


 恒温動物と変温動物との使うエネルギーの差についても考えさせられた。人間が、自分の身体をそして生活を維持するためにいかにエネルギーを使わなくてはいけないか。単純には「便利さ」のためと言い換えられるのだが、結局はサイズがだんだん大きくなり、その便利さの維持のために忙しく働きまわっている


 第八章「生物の時間と絶対時間」以降は、本当に読み応えがあった。名著『ゾウの時間 ネズミの時間』にもあるように、動物が一生に打つ心臓の拍数15億回。エネルギーの量は30億ジュール。それを使う物理的な時間が寿命とされる。ゾウは約70年、ネズミは3年程度だ。そしてヒトの場合は約41年である。


 老いの兆候が出始めるのは平均40歳程度と考えると頷けないこともない。平均寿命が延びているのは、人類史的にはごく最近(ここ数十年)なのだから、著者が言う「還暦を過ぎた人間は、技術の作りだした『人工生命体』なんです」には説得力を感じる。生物としての正規の部分は過ぎているという自覚が必要だ。


 生物としての正規の部分とは、つまり「生殖行為」のこと。職場で口にしたらセクハラと指摘されるだろうが、著者はあっけらかんと「生物は、子供を産んでなんぼ、というものです」という。そして「私」とはこの体だけでなく、「子供という私を作り、次に孫という私を作り…」と個体を超えた広がりを強調する。


 寿命が伸びた人間の身の処し方について、著者の結論はひどく真っ当なことだ。「広い意味での生殖活動」として「次世代のために働くこと」に老後の意味をみつけたいと語る。生物としてエネルギーの使い方を間違えず、便利さに支配された価値観からほんの少しずつでも脱け出す…そんな生き方を示すことに尽きる。


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