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「インディアン」を守ろう

2017年04月14日 | 雑記帳
 昨日「キニナルキ」として紹介した文章の中に「食」と関わることがあった。

 それもぼんやり思いながら、「たべびと」の本ブログ移籍後(笑)の第一稿に何を取り上げてみようか、と考えて浮かんだのが、これだ。

 「ボダッコ」

 県内在住で地元紙を購読している方なら、ああと思い出す方もいるかもしれない。
 「郷(きょう)」という冊子が毎月発刊されているが、その中に「あきたの自慢っこグルメ」というコーナーがあり、今月号で 「ボダッコ」が取り上げられた。

 実は、先月中旬から何度か昼食に「塩鮭」をおかずとしていただく機会があった。
 その折も「ボダッコ」と口にされた方がいたが、もはやそれはボダッコとは言えない別物で…つまり、塩辛度がソフトになってしまった鮭であり、その点は大方が認めていることではあろう。

 今回の「郷」の記事は、ふだん私たちが口にしている塩鮭が、もはや「ボダッコ」と呼べない理由について、味だけではなく別の視点からも語っていたように思う。

 それは「ボダッコ」という言い方の由来である。
 手元にある『秋田のことば』(無明舎出版)の中にはこう記されている。

 「この魚肉の赤みの強い色を『牡丹』の花の色になぞられたものだろうか」

 私自身以前にこの記述は読んでいたし、「ボダ(ッコ)」の由来は「ボタンの花」もしくは「ボタン肉(イノシシ)」だろうなと考えていた。
 しかし「郷」では、秋田市民市場の方々からの情報として、別解釈があることを伝えていた。

 「いろりやかまどで火をたく時にくべる木切れの榾木(ほだぎ)に似ているから、ホダ→ボダとなったとも言うね」

 なるほどの解釈である。
 そして、極め付きは「ボダ切り」「ボダッコ切り」である。



 確かにこの斬り方は、木切れの形に見える。
 そしてこの切り方を、市場では「秋田切り」と呼んでいるというではないか。

 現在、我々が口にすることの多い、サケの身を背も腹も含めて羽根型に切る切り方は「羽根切り」「東京切り」と呼び、区別されると言う。
 そうかあ、結局秋田はいつも東京カブレかよおっ。それはともかく…。


 秋田切り、超激辛のボダッコには、もはや郷愁に近いものを感じる。
 市場では、なぜか「超激辛」を「インディアン」と呼んでいるそうである。
 今も「インディアン」を買い求めてくる人が足を運ぶという。
 
 そうだ、インディアンつまり先住民は守ることは、多様性を担保し、人類を救うことでもある。

 よって、超激辛のボダッコは、ぜひ世界遺産の登録を目指してほしい。県民運動を起こそうではないか。大げさか(和食がユネスコの無形文化遺産になっているから、もうなっているのか?)。

 ともあれ、いいなあインディアン入りのおにぎり。
 
 無性に食べたくなる時がある。
 
…しかし、血圧高めではね(泣)ととたんに弱腰だ。

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