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あと数話で「まんぷく」になるか

2019年03月26日 | 雑記帳
 NHK朝ドラ『まんぷく』もあと数話となった。もともと安藤百福には興味があったので、習慣的に(笑)楽しく視聴した。しかしドラマとしての出来がどうかと言えば、繰り返しの展開が多く、変化には乏しかった気がする。ステレオタイプと言っていいかもしれない。それも朝ドラの特徴であることは承知しているが。


 前半の頃、糸井重里が『まんぷく』のキーワードを「信じる」だと書いていた。萬平・福子の夫婦の絆が一番だろうが、周囲の者もその熱量に引き寄せられるように「信じる」力を高めてゆく。それに対照的な存在なのが福子の母と友人である世良。二人の言動が香辛料となり結果的に「信じる」が強調される形だ。


 ただ、前半の進駐軍のような強力な敵がその後あまり現れなかった。ゆえに成功物語が平凡に映った気がする。ここ数年見続けていて残念なのは長丁場の着地のさせ方だ。残り数回に、期待する高揚感が描かれるか。さて、先日『あまちゃん』前半のみの再放送を懐かしく観た。そしてあの頃のある感情を思い出した。


 震災の翌々年の放送、舞台が三陸、物語の始まりが2008年だったこともあり、脚本の宮藤官九郎があの震災をどう取り入れるかが話題になっていた。結局、直接的に災害を描かないが、展開の大きなきっかけとなる形をとった。あの時、当日の回を迎えるまで少し心が騒めいていた日々が続いていたことを思い出したのだった。


 登場する人物たちへの思い入れがあったのだろう。この人たちもあの津波を受けるのだろうかと心配になった。ドタバタ感のあるドラマだっただけに余計考えたのかもしれない。キャラクターへの共感とともに事実の重みが残っていた要素が大きい。視聴者とは勝手なもので、自分の中の「本当」しか心配していない。

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