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消費化社会の斑として

2024年05月12日 | 読書
 大胆な書名である。Re38『「消費」をやめる』(平川克美 ミシマ社)。根本的に考えれば無理なことだと誰しもわかる。ここで著者が提言するのは「消費を変える」こと。つまり「消費しない」ということではなく、「賢い消費」の実践である。そしてそれは、例えば「いいものを安く買う」という意味での賢さではない。


 副題に「銭湯経済のすすめ」と記してあり、「半径3㎞圏内でめぐる経済」の重要性を説いている。銭湯が半世紀も前に姿を消している地方にあってもその比喩的な表現は通用するかもしれない。つまりは地元に昔から根付いてきた商店や産業に目を向け、できるだけお金をそこで廻す、それが生き方と直結するという。




 そうした指摘は以前からあったが、膨れ上がった消費者マインドに慣れきってしまい、なかなか実践できないでいる。その結果が地域の疲弊、空洞化につながり、少子化、人口減と重なるのは明らかだ…やはり「賢さ」が足りないのだ。経済合理性を求めてきたツケで身動きできない姿を、もっと見つめる必要がある。


 一般人であれば、電気や水道があり、実際に1円も使わない生活はあり得ない。しかしそれ以外で今日使ったお金もしくは行動が何のためか、問うてみる。まず「食」。そこに顔が見えるか。その顔につながる次の顔が身近で、シンプルであればあるほど良い。自給自足を一つの頂点として、何段階先にそれが見えるかだ。


 かなり極端な話だ。ただ「衣」であれ「住」であれ、少し調べ知識を使えば「位置」がわかるはず。一歩ずつ一歩ずつ「地縁」や「贈与」の割合を増やしていきたい。もちろん、例えば通販や百均などに頼るのをすぐ止めることはできないだろう。しかし、慎重に内面を見つめれば、消費化社会の斑の一つにはなれるか。