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よたよた生き残ること

2024年05月08日 | 読書
 Re37『んだんだ 無明舎出版よたよた半世紀』(あんばいこう)を読んだ。一度は話を聞いてみたいと思っていた県内人。高校の同窓でもある。ホームページ等で多少生き様に触れ、もしかしたら自分にもこんな人生があったかなあと、漠然と感じていた。しかし、この著で詳しくその半生?を知るとやはり差は大きい。



 7歳という年齢差つまり団塊世代の最後である著者との違いは、大学が置かれた時代的環境が直接的と言えるかもしれない。自分も学生の時にミニコミ誌や劇団との関わりを持ち、少し手を引っ張られた経験もあるのだが、引っ込めて「安住」を求めたのは事実だし、結局、度胸なしの怖がりだったという結論かな。


 それを踏まえて、あえて共通項を求めれば「持続力」なのかもしれない。むろん、地方出版の継続の難儀さとはレベルが違うだろう。しかし、一つの生業をあれこれ模索しながら諦めなかったことに強く共感する。趣味的な範疇への首の突っ込み方も少し似ている。「んだ」は我が国語実践の中でも印象に残る語と言える。


 三章構成で一章が「後半の三十年ものがたり」、二章が「前半の二十年ものがたり」である。こうした組み立ても面白い、二章で語りの人称を変えたのは工夫だ。「私」から「安倍」になったのは、より客観的にとの意図だが、次第に同化してしまった印象も残る。ノンフィクションを綴るうえでは難しい点かもしれない。


 三章の略年表には1972(昭和47年から2022(令和4年)までの事項と年間刊行書籍が残されている。それをさらりと見ても、無明舎が果たしてきた秋田への文化貢献度は大きい。個人的にも数冊読み込んだ書籍がある。「よたよた」と「半世紀」生き残ることは、私のような者にも強く影響を与えていることを実感した。