すぷりんぐぶろぐ

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知性の不調を掘り起こす⑤

2019年12月16日 | 教育ノート
 相変わらず「僅かな努力の証し」が欲しかったのだろう。野口芳宏先生の個人誌に憧れ、平成7年「私の国語教室~すぷりんぐ」という冊子を作り、その後退職まで計9冊続けた。様々な思いからその作成を理由づけられるが、確実な一つは「研修」の強調であった。それが表裏を問わず仕事を支える矜持と信じた。


 教頭になって数年後、夏休み中のいわゆる「自宅研修」が取り沙汰された。それまで包括研修という形で認められていたが、周到な計画と報告を求められるようになった。当たり前のことをしなかったツケである。いつだったか「研修」と動静に表記した教頭は、全県でお前一人だと皮肉交じりに言われた年があった。


 平成18年校長になり、満を持して学校経営のキーワードを「つながる」とした。その後同様の語は近隣で乱発されたが、当時はまだ新鮮だった。ここに込めた「人・学び・仕事」の3要素は間違いないと考えるが、個々の自由度を上げたい願いは独りよがりだった感を否めない。策略を凝らす知恵が足りなかった。


 平成終盤、学校は露骨に暗黒化していった。それは学習状況調査の定着であり、いじめ・体罰といった調査の継続に象徴される。それらが揺さぶったのは明らかに「教師に対する信頼」という、教育の基盤である。数多くの論者が指摘しているはずだが、現場人は「なすがまま」の状況で、次第に筋力が失われていった。


 脈絡のないような文章を書きつつ感ずるのは、先取りをする力の無さである。言い訳をすれば目の前の仕事に没頭してきたと言えるが、実際はそれゆえに陥った視野狭窄である。学校現場に近い人々の集団的症状といえないか。それゆえ平成30年間に見失ったこと、手離したことの多さ、大きさを今嘆いているのだ。

 了~あとは読了篇で


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