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どんな「型」をいくつ身につけさせたか

2007年07月21日 | 教育ノート
 小学校は「型」の教育と割り切って進めたらどうだろう、などと思うことがある。きわめて限定されたいくつかの型を徹底する、そんなことができないものかと考えたりする。
 学期末に何か、と思って書き始め少しまとまりのない文となったが、自分の思いが書いているうちに滲み出てきた。

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縷述 「つながる授業」21

 PTA講演会の「食」をテーマにした内容で、フィンランドのことが出てくるとは思いませんでした。様々な面から検討してみることも大切だなあと感じました。
 さて、いわゆる「フィンランド・メソッド」については、かなり多数の出版物が出回っていますが、私も昨年二冊ほど読んだ記憶があります。PISA調査に基づいた「読解力」に焦点があてられ、その指導法が注目を集めているわけですが、入門書的な本を読んだ印象として、一見自由に見えるフィンランドの教育とはいえ、明らかに「型」を重視していることがわかります。

 「子供たちはどのような意見を言うのも自由ですが、必ず理由付けをしなければいけない。理由付けをしなければ、意見として認められない」のです。つまり「意見+理由」という型が徹底しているわけです。
 もちろん日常の授業における下地づくりが肝心なわけで、教室でもっとも聞かれる言葉は「ミクシ?(どうして)」だと言われています。常に担任の「ミクシ」攻撃にさらされていることで、子供たちは短絡的な思いつき発言では通用しないことを知っていくのです。

 考えてみると、私たちの実践にも、「型」を身につけさせるという言葉に置き換えられる面がたくさんあります。「知識・理解」とは異なる「思考」や「技能」といった視点と重なる気がします。
 また各学級の担任によってしか身につけさせられないのが「型」であるとも言えます。それは、意図的・継続的な指導によって身につくものだからです。(なかには意図的でない場合もあるでしょうが)この一学期どんな「型」を身につけさせたか数えることも、いい自己評価の一つではないでしょうか。

 「型」は授業場面だけでなく、学級での活動全般にあるはずです。朝の会の進め方、掃除・給食でのルール、そして家庭学習の仕方なども含まれるでしょう。「全員がある程度安定した形で運用できている」という基準で身についたかどうか判断してみると見えてくると思います。
 一旦覚えた泳ぎ方は大人になっても忘れないものですが、そんなふうに考え方や話し方が身についているとすれば素晴らしいことです。難しい面も感じながらそうありたいと思っています。
(7/20)
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