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麗老の方々に学ぶ

2017年11月26日 | 読書
 「麗老」とは辞書には載っていない。書家相田みつをの造語である。
 読書の醍醐味の一つは、人生の諸先輩まさに麗老とも呼ぶべき方々の言に触れることにある。この冬もじっくり読みたい。



2017読了116
 『いま、こころを育むとは』(山折哲雄 小学館101新書)


 10年ほど前に開催された「こころを育む総合フォーラム」での各地の基調講演をまとめたもの。若干重なっている内容はあるが、開催地に即した話題もあって興味深かった。
 「個・個性・個の自立は翻訳語だ」という項は納得して読んだ。ヨーロッパの市民社会がつくり出した価値観は、たしかに「正しかった」に違いないが、そのまま適用できるほど私達の国は成熟していなかったのだろう。
 著者は、それに代わる大和言葉「ひとり」が、様々な歌や思想に表れていることを指摘し次のように記している。

 輸入語としての「個性」の中身を、この「ひとり」という、日本人が千年以上培ってきた伝統的な価値観によって埋めていく必要があったのではないか。



2017読了117
 『男のおばあさん』(永六輔  大和書房)

 
 パーキンソン病を患ってからの著者の姿は、テレビを通して何度か見かけたに過ぎない。しかしその間もライフワークであったろうラジオ番組は続けており、その実況的な語りがまとめられた一冊だ。
 例の口調なので文章では伝わりにくいが、圧倒的に面白いエピソードと信念は「さすが」と思わせる。

 原発問題のデモに参加したとき、人混みの中で瀬戸内寂聴と会う。どちらも車椅子。混雑の中、呼んでも話しても聞き取れない二人の話を、デモに参加した人たちが伝言して伝えてくれたそうである。「市民デモはこうでなければ(笑)」という結びには頷ける。
 昔、「ゆく年くる年」で銀座四丁目の交差点でグランドピアノを中村八大が弾く企画を立てた。そのピアノを運ぶために、道路交通法をもとに移動用車輪がついているので「諸車」という扱いにして、警察を押し切ったというのは痛快であり、良き時代を感じさせてくれる一コマだ。

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