うまくできるようになるということは、その知識が頭の奥に入っているということです。表層からは消えるということです。専門家は専門家の見方をするから専門家なので素人とは違った見方をします。実はできない子どもも見ています。見ているものが違うだけなのです。しかし、すでにできるようになってしまった教師にはできない子の『気持ち』(見え方)を理解することはきわめて困難なことなのです。
西川純「授業づくりネットワーク 2005.7」(学事出版)
例えば「単位量あたりの大きさ」がどうしても理解できない子に
様々な説明をし、図をつかい、例を出しながら
教師が教えたとしても、どれほどの進展があるのか。
「身近な子どものわかり方を伝える」という考え方を
(もちろん、それはやってきたことなのだが)
授業運営に使っていく、いや核としていくと、どう変わるのだろう。
西川純「授業づくりネットワーク 2005.7」(学事出版)
例えば「単位量あたりの大きさ」がどうしても理解できない子に
様々な説明をし、図をつかい、例を出しながら
教師が教えたとしても、どれほどの進展があるのか。
「身近な子どものわかり方を伝える」という考え方を
(もちろん、それはやってきたことなのだが)
授業運営に使っていく、いや核としていくと、どう変わるのだろう。
子どもを理解しようとしても無理です。
仮に理解できたとしても、対応しきれません。
だから、子どもを理解するのは子どもに任せます。
教師が理解するべきなのは、そのような関係が成り立っているか、子ども集団を理解することだと考えています。
そういう関係が成立すると、
成績は上がるし、子どもたちの人間関係は良くなり、
そして、教師のいらいらがほとんど無くなり、
毎日、子どもたちから感動をもらえます。
それが、「どう変わるだろうか」に対する
我々の「応え」です。
ありがとうございます。
私が書いたのはかなり皮相的な部分でありますが
前日の授業の現実そのものでもありました。
「情報の三階層モデル」は非常に興味深く、アプローチの仕方はいろいろあると思いますが
学習集団を成立させるための強いキーワードになると考えています。
発想は違うかもしれませんが、
かつて齋藤孝氏の講演で聞いた「先生増殖方式」と
共通している部分があることも感じました。
我々が大事にするのは、どのようにするか、という方法のレベルに関しては学習者が主体者になるべきだと考えています。
例えば、何故二人組にならなければならないのでしょうか?
また、教え合う時間が5分なのでしょうか?
子どもたちは多様です。
その多様性にあった学び合いの形態を決められるのは彼ら自身しかありません。
そして、そのような主体性を引き出すには(正確には邪魔しないには)教師が一歩引く必要があります。
その当たりが違うように思います。
しかし「限られた時間・限られた空間」で行われる授業の中で
その考え方をどう具現化するのか、
まだイメージできない自分もいます。
学びの連続性を高めるために、学習者の主体性を重視することが重要なのはわかっています。
授業時の学習者の自由度をどのあたりに設定するのか。
学習内容によって、その自由度は変化するものなのか。
そのあたりをもうちょっと勉強してみたいと思います。
でも、実際に実践してみると、それほど難しくはなく、「子どもは有能だ」という確信を持ちつつ、教師の常識を働かせると、必ず成功します。
もし、何かあれば、お気軽にメールしてください。
私のメールアドレスは、グーグルで「西川純」を検索すれば出てくるHPで探してくださいね。