すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

7月26日、「豊かさと長閑」

2022年07月27日 | 雑記帳
 『あの日の風景』(村上保)のあとがきで、著者は昭和と今の比較をこう締め括る。「昔祖父から聞いた『一つ得れば一つ失う』という言葉を借りれば、『豊かさ』を得て『長閑』を失ったのかもしれない。そんなことを考えながらの作業だった」。ごく普通に「のどか」という語は使われるが、改めて意味深く思えてくる。


 「長閑」を広辞苑で引くと、以下のような意味が記されている。
①のんびりと、おちついて静かなさま、ゆっくりとあわてないさま
②気にかからないさま。心配のないさま。
③天気がよくて穏やかなさま。
 こう書き写してみると、それらは「心の豊かさ」そのものだという気がしてくる。



 7月26日の県内トップニュースは、コロナ感染者が1284人と初の千人超を記録したこと。梅雨明けが発表されても晴れ晴れとした気持ちになる人は少ないだろう。全国版をみれば、あの秋葉原事件の犯人の死刑執行が大きく載った。人間の心の闇を暴れさせる社会のあり方を一層強く思い起こさせる事件だった。


 人が視るのはやはり興味・関心のある部分、もっと言えば自らの考え、思いに近いところになるのはやむを得ない。「豊かさと長閑さ」を頭に描けば、今のこの国や社会の状態が、結局のところ経済優先に舵をきってきたために、長閑さから遠ざかったことは明らかだろう。この危機的状況で起点とすべきは何かである。


 祭り、イベントが大事なのは百も承知だ。人間のエネルギーを燃やし文化を作り上げる一つの象徴にほかならない。ただ注意深く組み立てないと結局は他の欲望に取り込まれ、単なる消費的なふるまいにしかならない。長閑とは対照的な場があってよい。しかし、何が失われ損なわれるか、意識的になる姿勢が肝要だ。