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「控える」「しない」で身につくか

2020年12月17日 | 雑記帳
 所属組織の発行する文集の巻頭言を依頼されていた。去年は大会挨拶で喋った原稿をもとに、「当たり前」という応募作文にあったキーワードで書いていた。今年は、入選作文の部分紹介に時間を割いた原稿だったのでそうもいかない。さて、どうする。やはり、コロナ禍には関わらざるを得ない、と思い出したのが…。



 あの大震災のときの卒業式のことだった。あの時、新聞に載った養老孟司の言葉は今も強く心にある。それは震災の前も、そして震災後も変わらず、災害や犯罪や鳥獣被害まで含めて「安全・安心」が絶えず強調された現場に居たからだ。そして、だんだんと確実に「控える」「しない」が多くなった現実を見てきた。

 「安全・安心な環境の中では本当の学ぶ態度は身につかない」

 些細な目前のことからいえば、赤ん坊の動き一つとってもそれは感じる。以前書いたが「子どもはいたずらをしている時に一番能力が発達する」という説がある。やらせないのは安全のため、怖い思いをさせては後々引きずるだろう…といった言辞は、実は親や保護者の安全・安心のためであることに気づいている。


 今回の感染症拡大予防に関する大きな決定については当然従うが、今自分が任せられている仕事において「控える」「しない」という選択は、安易に決めたくない。出来るだけの配慮、注意を払いながら実現しようという方向を見るべきではないか。それが「当たり前は変化する」「変化するのが当たり前」に沿うことだ。


 このまま止めればいい、無くなってもいいのだ、という思考に慣れてはいけない。新しい動きの促進はいい。しかし、それをうみ出す精神は何か明確にしないと次代へ伝わらない。子どもたちの「学ぶ態度」を保障するのは、やはり大人だと思う。安全・安心な環境づくりは受け身では出来ないことを、まず教えたい。