すぷりんぐぶろぐ

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起こったことしかわからない

2009年05月23日 | 雑記帳
 昨日出席したある会で、知り合いと雑談をしていたとき、齢相応に健康のことなどが話題になった。

 脳ドッグに行く予定があることを話したら、その方がこんなことを云う。

 「私の知っている医者は、脳ドックなんて何もならないと言っていた」

 それはまたどうして?と問うと、このようなことを。

 「脳ドックは起こったことしかわからない。血管が詰まったあとならわかるけど。」

 医学的にどうなのか全くわからないままだが、それにしても少し変な感じもする。
 すべての検査だって起こったことしかわからないのではないか。分析の精度とか信頼性とか検査の種類によって異なるものなのだろうが、結局いずれにしても見えるのは、起こったことでしかない。
 
 その見えるものから傾向、兆候、前兆といったものを読み取る…それが医者や技士の技能だろうし、仕事そのものだろう。
 とごく当たり前のことを考える。
 
 「何もならない」と話した医師は、脳ドッグ検査の限界や費用対効果を語ったのもしれない。その意味でそれが大勢ならばなぜ常識にならない…そんなことも思い浮かぶ。
 しかしそう考えてくると、私自身も自分の仕事に対して安易な言葉や決めつけを言っていないだろうか、という気になる。

 どれだけの尺度で「起こったことしかわからない」と言うのか、いつもいつも問われている。