ある教育雑誌を読んでいて、ちょっと面白い文章を目にした。
「私」と「私達」
「Yes, We can」が流行語のようにもてはやされたこともあって、「私達」という言葉の持つ強さ?を改めて感じたが、そんな風潮に対して安易に使いすぎていないか、と筆者は訝っている。
確かに、反戦運動、学生運動で使われたイメージと比べれば、その重みは大きく違うのかもしれない。
個人的には、どうしても岡林信康の歌が思い出される。
歌詞
youtube
それはさておき、筆者が大学生相手のスピーチの授業で面白い試みをしている。「私」と「私達」の使い分けを意識させるための手立てと言っていいだろう。
最初「私の夢」といったテーマでスピーチさせ、そこでは「私達」を禁句とし、スピーチ後の討論を経て、再構成させる。そこで「私達」を使う場を取り入れていくというような概要だ。
これは流れのすっきりした、それでいて十分に思考を伴う組み立てだと感じた。
結局、個から出発するしかない、ということを強く意識づけるだろうし、討論の中で、私と私達とのかかわりや、私達とは何か、複数形を使うことの意味づけは何か、といったことに気づく要素が生まれてくるだろう。
小学生では無理かもしれないが、言葉にこだわって教材を組み立てるいい例だと思った。このパターンで何かできないかと考えている。
「私」と「私達」
「Yes, We can」が流行語のようにもてはやされたこともあって、「私達」という言葉の持つ強さ?を改めて感じたが、そんな風潮に対して安易に使いすぎていないか、と筆者は訝っている。
確かに、反戦運動、学生運動で使われたイメージと比べれば、その重みは大きく違うのかもしれない。
個人的には、どうしても岡林信康の歌が思い出される。
歌詞
youtube
それはさておき、筆者が大学生相手のスピーチの授業で面白い試みをしている。「私」と「私達」の使い分けを意識させるための手立てと言っていいだろう。
最初「私の夢」といったテーマでスピーチさせ、そこでは「私達」を禁句とし、スピーチ後の討論を経て、再構成させる。そこで「私達」を使う場を取り入れていくというような概要だ。
これは流れのすっきりした、それでいて十分に思考を伴う組み立てだと感じた。
結局、個から出発するしかない、ということを強く意識づけるだろうし、討論の中で、私と私達とのかかわりや、私達とは何か、複数形を使うことの意味づけは何か、といったことに気づく要素が生まれてくるだろう。
小学生では無理かもしれないが、言葉にこだわって教材を組み立てるいい例だと思った。このパターンで何かできないかと考えている。