すぷりんぐぶろぐ

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個人として主体的に

2008年04月08日 | 読書
 親たちが、それぞれ個人生活を全うし、子供を個人として主体的に生きさせる。親と子の関係をそうした目で洗い直すことが、いまわれわれの社会でも必要とされている

 気骨の作家、故城山三郎の文章である。

 城山の子育ては、言葉ではなかったらしい。
 「いきなり水をかける」「物置に入れる」「部屋に入れて外から鍵をしめる」…そうした体験を城山の子どもたちは語っている。
 
 「余計な説明もしないかわり、言い訳も一切聞こうとしない」
 「自分の頭で考えてごらんという、父のメッセージ」
そんなふうに子どもたちは語っている。
 
 それらの方法が効果を発揮できるのは、まさしく「親の背中」があるからであり、それが「個人生活を全う」するということと言えるだろう。
 自らの生き方、仕事への真摯さはやはり背中で語られるべきことか。

 そう考えると、「きちんと子供と向き合って」「わかるように説明する」姿は、自信のなさの裏返しに読み取れる場合もあるということだ。