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「うたを歌って帰る道」は忘れてはいけない

2007年06月16日 | 教育ノート
 来校者の話を聞いて思い浮かんだ「うたを歌って帰る道」というフレーズが、頭から離れないので書き出した文章だった。
 たくさんの気持ちがうごめいて、なかなかまとまらず少し苦労したのだが、結局学校から出すものは自分たちのやっていることが中心でなければと思い、こんなまとめ方になったが、少し収まりの悪いような文章だなとも思う。
 それでも、このフレーズは忘れられない、忘れてはいけない…


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 7日木曜日のことです。本市のスクールガードリーダーであるSさんがお見えになりました。昨年度から子どもの安全を守る県の事業として市町村ごとに配置され、月に1,2回のペースで下校時など巡回してくださる方です。通学路の安全や地域の方々の活動に対してもいろいろとアドバイスをいただいております。
 その日は今年度初めてだったのでK地区方面へ向かう一年生と一緒に歩いてみたとのこと、様子をお聞きしてみたら、Sさんは
「きちんと帰っていますよ。家の側で働いている人にもあいさつするし…」
という言葉に続けて、笑顔でこんなことを教えてくれたのです。
              
 「Kくんが『うたを歌おう』と言い出して、他の子たちと一緒に歌いながら歩いていくんですよ。最初に『校歌』、次に『若い力』、そして~~~」
 いいなあと思いました。元気のよいKくんが目をくりくりさせながら、他の子たちと一緒に声をだしている姿が思い浮かびました。
 「うたを歌って帰る道」…世の中に幸せな風景は数多くあると思いますが、この下校の様子は文句なくその一つだろうなと思いました。
 もしかしたら自分が小学生の時にもあったかもしれない、いやきっとあったに違いないとそんな気持ちにさせられました。
                
 「うたを歌って帰る道」がなぜ幸せなのか考えてみると、それは充実した時間を過ごしたこと、安全な空間に支えられていることの一つの証明のような気がするのです。
 心に留まる出来事やうたがあり、身近な人と一日の帰りにそれを話し合ったり唱和してみたりする、そしてそういう様子を何気なく見つめ聞いている周囲の環境がある…平凡で些細にみえるその風景は「人間」を形づくっていくうえでもっとも温かな部分を担っているのではないでしょうか。

 今「うたを歌って帰る道」に何か郷愁に似た思いを抱いてしまうのは、時間と空間が少しずつ変わってきたからです。言うまでもなくこの変化は人間が作ったものですが、逆にそうした時代の流れによって「人間」が少しずつ変えられてしまっている印象を持つのは私だけではないでしょう。
                
 「この郷を 創るはわれら」…校歌の二番の歌詞にそうあります。何事も私たちが共に考え、作っていくのだという社会の基本は忘れてはならないと思います。「若い力」に一番に宿らせたいのはそういう心だとも言えます。

 本校では、今年の重点の一つとして学級活動を取り上げました。中心として「話合い活動」があります。一人一人が声を出して、それを受け止めあいながら、実行できる結論をだしていく…それは、形を教え、言葉を教え、そして何よりみんなで決める大切さをしっかりと感じ取らせる、未来を作っていくための学習です、と言ってもまんざら大げさではない気がします。
(6/15)
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