M先生の葬儀に参列した。
ちょうど一年前まで市の教育長をしておられた。直接教えを受けたわけではないが、高校生のときに同学年の学級担任もなさっていた縁もある。
昨年4月、年度初めの会でお会いすることがあった。
着任の挨拶をしたら、「どうですか」と感想を求められた。
職場内外のセレモニー的な挨拶の多さに少し辟易していた自分は、こんなことを言った。
「ええ、挨拶挨拶でたいへんです。こんなに何度もしなくてはいけないと思うと…」
その言葉を遮るように、M先生はこうおっしゃった。
「挨拶は、しっかりやらなくてはいけません。それが仕事です。」
トレードマークともいうべき大きく太い眼鏡の奥の目が鋭かった。
すぐに柔らかな表情にもどり、「じゃ、がんばって」と席を離れたM先生。
思えば、それが私にとっては最後の姿となった。
自分の役割を全うせよ、と諭された気がする。仕事の価値を考えることに早くも慣れ始めた心を戒められたのだ。
M先生のご専門が社会教育であることは知っていたが、若い自分にも県庁にお勤めになられ、全国に先駆けて生涯学習センターの設立に奔走なされたことを、弔辞によって初めて知った。
当時の同志による別れの言葉が心に沁みた。
合掌。
ちょうど一年前まで市の教育長をしておられた。直接教えを受けたわけではないが、高校生のときに同学年の学級担任もなさっていた縁もある。
昨年4月、年度初めの会でお会いすることがあった。
着任の挨拶をしたら、「どうですか」と感想を求められた。
職場内外のセレモニー的な挨拶の多さに少し辟易していた自分は、こんなことを言った。
「ええ、挨拶挨拶でたいへんです。こんなに何度もしなくてはいけないと思うと…」
その言葉を遮るように、M先生はこうおっしゃった。
「挨拶は、しっかりやらなくてはいけません。それが仕事です。」
トレードマークともいうべき大きく太い眼鏡の奥の目が鋭かった。
すぐに柔らかな表情にもどり、「じゃ、がんばって」と席を離れたM先生。
思えば、それが私にとっては最後の姿となった。
自分の役割を全うせよ、と諭された気がする。仕事の価値を考えることに早くも慣れ始めた心を戒められたのだ。
M先生のご専門が社会教育であることは知っていたが、若い自分にも県庁にお勤めになられ、全国に先駆けて生涯学習センターの設立に奔走なされたことを、弔辞によって初めて知った。
当時の同志による別れの言葉が心に沁みた。
合掌。