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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

『悪い本』を悪く読むには…

2021年07月05日 | 絵本
 「悪い」という語を広辞苑で調べる。10項目あり、「①みっともない。見た目が良くない」「②劣っている。上等でない」と続くのだが、絵本のタイトルとして『悪い本』とあれば、これはおそらく「③正しくない。好ましくない」か「⑥不吉」「⑨不快」だと思う。その「悪」さとは何か、題一つで想像をかき立てられる。


『悪い本』(宮部みゆき・作 吉田尚令・絵  岩崎書店) 



 出版社による「怪談えほん」シリーズの第一巻らしい。宮部みゆき以外にも文学畑の作家たちが名を連ねている。象徴性が高い文章が並んでいるイメージがある。この本の冒頭は、クマのぬいぐるみが椅子に座っている絵、そして見開きで「はじめまして わたしは 悪い本です」と記される。漢字にはルビがある。


 部屋に並べられたぬいぐるみたちが、女の子を外の世界へ誘いながら、人間の「悪」の部分について語りかけてくる、といった展開。西洋画的なタッチやセピア系の色合いが、白昼夢のような雰囲気を漂わせている。読み進めると直接的な怖さが増していくというより、じわりじわりと沁みこんでくるように感じる。


 どう読み語るか、考える。人形が語る形なので、極端な感情表現はないにしろ、抑揚・強弱をどの程度入れるか、無感情をねらった平坦な読みも考えられる。例えば狭い空間での少人数対象なら、それが効果的かもしれない。しかし大勢だと伝わりにくい気がする。そこで個性的な(癖のある)読み方が…と結論付けた。

蚊の季節が始まりそう

2021年07月04日 | 絵本
 これは「テッパン」の一冊と言えるだろう。自宅で3歳の孫に読んだら大喜びだったし、2度、読み聞かせをしたが本当にウケがいい。きっと大人でもヘェーと感心したり、クスっとわらったりすること間違いなしだ。ページをめくる動作そのものが展開をつくっていくパターン。絵本を作る時も楽しかっただろうな。


『カ どこいった?』(鈴木のりたけ 小学館) 




 表紙をめくると、手の甲に蚊がいる。「あ カ いた!」「おもいきり ページをめくって はさんで やっつけよう」と始まっていく。この蚊がどんどん逃げ回り、部屋のなかから外へ、そして…、止まる所も身の周りからどんどん広がり…大きな場所へ読み手を誘っていく。最後のオチはよくある形だが、納得する。


 20人程度なら絵に目が届くと思うが、今回は少し人数が多いので、思い切って写真に取り込みPPTでやってみる。もちろん、実際にめくるほどインパクトはない。しかし、いずれにしても虚構の世界。そこにどう誘い込むかは読み手の力量でもある。おっと自らハードルを上げてはいけない。まずは一緒に楽しむこと。

うしのうしろ、うっしっし

2021年06月20日 | 絵本
 年明けの頃に「うし年」でもあるしその題材で何かないかと館内の本を探してみたが、今一つぴんとこなかった。ネット検索をしたら、内田麟太郎の「うし」という絵本を見つけた。Youtubeで詩人自身が読み、絵を描いた人がインタビューを公開している。これは面白いと思い、他館へ借りにいく。その後に購入した。


『うし』(内田麟太郎・詩 高畠純・絵 アリス館) 



 いわゆるナンセンス絵本と呼んでもいい内容だ。重なっていく繰り返しの結びにオチがつく。小さい子から大人まで、ニヤリとしてくれるに違いない。家庭内で一人を相手に読むときは、きっと二度目からは一緒に声を揃えたりするのも楽しいだろう。そしてもしかすれば、牛のまだら模様にも気がつくかもしれない。


 さて、集団を相手にする場合は、年齢層にもよるが二通り考えられるように思う。一つは作家が読んだように淡々、坦々と読んでいく。聞き手自身が次を予想し心が高まっていくはずだからそれが自然か。ただもう一つ、始めは平板に徐々に緩急などをつけ盛り上げることも可能だ。読み手も一緒に驚きをみせていい。


 これは詩が先に出来て、あとから絵をつけたという。しかし「絵本」として完成形になった気がする作品だ。絵本には「文でわかることは絵にしない。絵で分かることは文にしない」という大きな前提もある。しかしこの場合は詩の「文」はページをめくっていく進行役のイメージが大半だ。めくる時間にも配慮が欲しい。

人間やめるやとはなかなか…

2021年06月17日 | 絵本
 先日取り上げた『とんでもない』もそうだが、この手の絵本が好みだと分かってきた。既成概念崩しから始まる設定、それから人物のキャラクターが立つ会話中心の流れ、といったところか。読み手としての自分の個性を生かせれば演じるのは楽しい。たしか訳者である小林は、コントも書いて演じていたと思う。


『オレ、カエルやめるや』
 (デヴ・ぺティ・文  マイク・ボルト・絵  小林賢太郎・訳 マイクロマガジン社) 



 「あのさ、おとうさん。オレ、ネコになることにするや。」生意気な(?)素直な(?)カエルの子の一言から始まる、ユーモア絵本。そもそも、おたまじゃくしからカエルになったのだから、次に何になるか想像して当然かもしれない。その決定権がないこと、いや、その思いの質し方を表した絵本というべきか。


 父カエルは、子カエルが訊く要望をことごとく退けるのだが、様々な動物の特性を挙げつつ、最終的な結論は「カエルはカエルだから」というもの。これは表面上、日本のことわざ「蛙の子は蛙」と似ているが、アメリカの作家とカナダのイラストレーターが作った絵本は、「存在の肯定」というふうに締め括られる。


 オオカミが登場し、カエルのなりたい動物らは自分の好物で、カエルだけは食べられないと語る。嫌がっていた特性が襲われない理由と知ることでカエルは自分を認めるが、サラリとした口調が雰囲気を出している。裏表紙にある「きみは何になる?」という問いかけをどう使うか。読んで、にこっと笑うだけでいいか。

「雨がしくしく、ふった日は」

2021年06月14日 | 絵本
 図書館ブログのネタにならないかと思い、検索システムで「6月」を入れてみたら、「講談社のおはなしシリーズ」のなかの「6月のおはなし」がヒットした。月ごとに異なる作家が書き下ろしていて、6月は森絵都。ページごとに絵はあるが、絵本というより「幼年童話」である。たまには、こんな本に浸るのもいい。


『雨がしくしく、ふった日は』(森 絵都・ たかおゆうこ・絵  講談社) 




 クマのマーくんは、雨がふるとその音が「しくしく、しくしく」と聞こえてしまう。泣きぬしをさがしに出かけ、最初に会うのは、緑色をした「あじさい」。マーくんは、そのあじさいがみんなと同じように青くなりたいと言うので、青い絵の具を持ってきて塗るが、雨のせいでみんな流され…今度は自分が泣き出す。


 周りのあじさいからある事を聞いたマーくんは…。こんなふうに泣きぬしを探しに出かけたマーくんが、一緒に問題を解決していく形で続いていく。登場するのは「ナメクジ」「人間の女の子」そして「空」と、変化のある設定が楽しい。でんぐりがえりが好きなマーくんの素直さ、共感性が読者を元気づけるようだ。


 最後に梅雨が明けてこの話は閉じるが、「つゆあけのうた」のシンプルさがいい。「つゆが あけた/つゆが あけた/なつが くるよ/なつの あとは/なつの あとは/あきが くるよ」。自然の移り変わりには訳がある。自然に逆らわない、いや自然に生かされていることを祝いたい心が芽生える。季節を言祝ぐ話だ。


 巻末にある月ごとの「まめちしき」にも頷いた。「天泣(てんきゅう)」という語を初めて知った。いわゆる「天気雨」のこと。雨の国だね日本は、と思う。

とんでもないと言ったふり

2021年06月11日 | 絵本
 「とんでもない」という語は、どことなく「飛(跳)んでも」を連想しそうだが、語源としては「途でもない」からの転とされている。つまり「道、すじみちでない」という意味から発している。日常語だがそんなに使わないか。ただ、大げさな言い方、つぶやくような発し方、緩急のつけ方等々、表現の工夫できる語だ。


『とんでもない』(鈴木のりたけ アリス館) 



 「どこにでもいるふつうのこ」のぼくが、「さいはいいなあ よろいのようなりっぱなかわが かっこいい」とつぶやくことから始まるこのお話は、評価された動物たちが、次々にリレー的に登場する。それぞれの持ち味と嘆きがテンポよく繰り返されて面白い。また絵の描写の精密さが、とぼけた感じを強調するようだ。


 隣の芝生が青く見えるように、誰しも自分にないものはよく見える。しかし、実際うらやましいと言われた相手はそう思っていないことが多い。「あったらあったでいろいろたいへん」は身に沁みる一節だ。自己の価値に気づかず、ないものねだりをするのは、生きとし生ける者の定めか。いや、違う。人間だけだろう。


 様々な動物たちが登場してくるので、読み方に変化をつけた方が面白い。キャラクタータイプの声ができる者なら、ぴったりだ。特に「とんでもない」の言い方一つで展開にめりはりが出てくるだろう。最後のオチは、「ふつう」の子の「ふつう」らしさを出して、安心の気持ちを持たせたい。幅広い世代に合う絵本だ。

オオカミ話、本物篇

2021年05月29日 | 絵本
 オオカミの絵本を手にしながら、では本物のオオカミの話はないかと思った。動物学のような本ではなく、絵本として…。2冊見つけた。この国にかつて生息していた「ニホンオオカミ」「エゾオオカミ」。その存在は、いまだに時々話題になったりする。子供たち向けに物語を知らせることは意味があるだろう。


『むかし日本狼がいた』(菊池日出夫 福音館書店) 



 信濃弁?のばあちゃんによる昔語りの形で始まり、昔のオオカミの生態を描いている。人間がオオカミを「大神」と崇めていた頃、動物たち同士や人間との関わりをわかりやすい話に仕立てた。人間による開発のために絶滅することになるオオカミは、自然保護・環境保護の一つのシンボル的な存在といっていいだう。

 ばあちゃんの話の収めは、「(原文はひらがな)昔、人も狼も熊も猿も猪も鹿も兎も鳥も、みんな山の恵みで生きていたもんだ」という言葉。どちらかといえば淡い色彩でやさしいタッチ、可愛い表情や動きで描かれるオオカミや他の動物。怖いイメージはなく、年少の子どもたちに読んで聞かせるには、手頃に思える。



『エゾオオカミ物語』(あべ弘士 講談社) 



 こちらは「ふくろうおじさん」がモモンガに聞かせる形で始まる。オオカミの誕生から狩りの仕方、えものになるエゾシカのこと、そして自然の生態系のこと。アイヌの人々との関係は「”こわい”というより、尊敬しあっていたのかもしれない」と表現する。そして気候変動や開拓事業による、絶滅の結末が語られる。

 上の本とは対照的に、黒、紺、紫、白などを基調とした色遣いで荒いタッチがオオカミの強さと同時に、絶滅に至るまでの苛酷さを表している気がする。文章の語り口は平易だが、重みのある言葉で北海道の大きな森をイメージさせる。小学校の上学年以上ならば筋と絵を絡めて印象深く受け止めてくれるかもしれない。

オオカミに決めたので

2021年05月28日 | 絵本
 昨年は「クマ」を取り上げ数冊続けて読んだことがあった。今回はこの一冊に触発されて、「オオカミ」を拾ってみたい。オオカミに対するイメージは絵本であれば「赤ずきん」に象徴されるだろうが、それを思い出しただけで、つくづく面白いキャラが一般的だと想像される。この話のオオカミも、ある意味トンマだ。


『おおかみの おなかの なかで』
(マック・バーネット文 ジョン・クラッセン絵 なかがわちひろ訳)
 



 ある朝、出会いがしらにオオカミに食べられてしまったネズミ。おなかで泣いていると、静かにしろと怒鳴られる。そこにはアヒルが住んでいて…お腹の中の二匹は仲良くなって楽しく暮らすが、そうとは知らないオオカミには迷惑な話。ある日、オオカミが森に来た狩人に鉄砲を撃たれ、ねらわれる。話は急展開し…。


 動物のお腹の中の話という設定は、他の絵本でも見られることがある。この話はネズミとアヒルの会話が愉快だし、狩人が登場してからの展開に、人物に共感できる要素が強い。ジョン・クラッセンのとぼけた味わいの絵がマッチしていて、とてもいい一冊に仕上がっている。一読して、読み聞かせたいと感じた。


 この本はかなり間を意識したい。冒頭の食べられる場面、朝から昼への時間経過、オオカミが「おなかのこえ」を信じる場面、アヒルとネズミが決意し、飛び出す場面、そしてラスト。十分に立ち止まってページをめくりたい。痛快な文章と対照的に落ち着いたトーンなので絵を把握するにも時間がかかるかもしれない。


 オオカミといえば、お気に入りの一冊としてこの本を挙げたい。本格的に読み聞かせを始めた2年前から、自分の一つのレパートリーとしたい(まだ未消化ではある)と考えている。この絵本については以前書いているので詳しくは書かない。絵本を読む者にとっては素敵なテーマだし、表現の仕方も個人的に合う。

ちょっと懐かしくちょっと難しく

2021年05月23日 | 絵本
 谷川俊太郎の詩を授業で扱ったのは、言葉遊びの類が多かった。それ以外はなんといっても6年生の『生きる』。読解、そして群読など、少し懐かしい。そう言えば『生きる』は小室等が曲をつけて歌っていた。あのアルバムは、もうとうの昔に手元にはない。久しぶりにじっくり読んだので、そんなことを思い出した。


『ほしにむすばれて』(谷川俊太郎・文 えびなみつる・絵) 


 「ゆうやけは よるの はじまり」と文が書き出され、中表紙には夕焼けと電線の絵が描かれている。あとのページは星空や月の絵が並び、「ぼく」による語りが展開される。内容の中心は星好きな「おじいちゃん」のエピソード、そしてその家族に継がれていく思い。すべてひらがなで記されていることも意味深い。


 よく「星空を見ていると人間がちっぽけな存在に思えてくる」といった表現を見かけることがある。現実に心からそうだと認識できる時間をいかに多く持つか…それが結構、生き方に関わるのではないかと考えた。天文に限らず、大いなる自然に対して、素直に向き合う大切さが迫ってくる話だ。素朴なタッチの絵が合う。


 「俊太郎特集」(笑)で最終候補に残った一冊。時間的な点と3年生には難易度が高いと感じたから取り上げなかった。やはりこれは高学年以上だ。それにしたってこの分量の言葉でストーリーをイメージさせるには、読みの説得力が要求される。明瞭な発音、語の押さえ、間のとり方、改めて意識させられる一冊だ。

「ともだち」を真正面から読む

2021年05月22日 | 絵本
 谷川俊太郎という「しばり」をかけて読み聞かせ用の本を探したが、実際なかなか難しい。絵本の翻訳もレオレオニ以外は数が少ない。3年生が相手だということもあり、「ともだち」という題材が目に付いた。小学校の中でその言葉を意識し始める頃だ。真正面にその題を挙げて展開させるには、詩人の言葉が頼りだ。


『ともだち』
 (谷川俊太郎・文  和田誠・絵) 玉川大学出版部 2002.11



 全72ページ。文章が右ページにある見開き。一行か二行で簡潔に記され、それに合う和田誠の独特なイラストが描かれている。「ともだちって」「ともだちなら」「ひとりでは」「どんなきもちかな」「けんか」「ともだちはともだち」と小さいテーマが並ぶ。最後に「あったことがなくても」と広がりあるテーマで結ぶ。


 出版先もテーマもなんとなく「道徳」に使われそうだなと思ったので、検索してみたら、ネット上にいくつか実践が載っていた。いくつかの字句をチョイスして使えば、教材としては有効だろう。しかしまた、まるごと読んでいくという形も必要ではないか。「ともだち」とは、それだけの多様性をもつテーマであろう。


 読み聞かせる場合のコツは何か。くり返しの語をどう読むか…同じ調子か変化をつけるか。全体的な流れのなかで強弱・緩急をどうつけるか、この2点か。その視点で読むとまた心に刻まれることもある。いずれ、最後の写真6枚のめくりは落ち着いてやりたい。一つの字句でも残ったら、読み聞かせる価値はある。