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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

はじまりは名作で…

2023年04月30日 | 絵本
 火曜から、いよいよこども園の読み聞かせが始まる。
 春に書店で見つけた2冊をメニューに入れた。どちらも園児にふさわしいと思う。


『あか あお ふたりで』
 (U・G・サトー/作 福音館書店 1996.8)

   


 実に印象的な表紙に惹かれてめくってみると、二色の線描で作り出す世界がとても楽しい。赤・青二つの線が並行したり交わったり、対称的な動きを見せたり、イメージはフィギュアスケートのペアのよう。描かれる線によって動物の形が示され、それが姿を変えていく。終末は細かく沢山になり黒いバックができて…


 版型は大きくないのでPPTで取り入れてモニターに写したいが、映像ならアニメーションにするだろうから、中途半端なことはやめ通常のめくる形にする。一枚の白紙から、空、海、陸そして森と世界をめぐってペンが旅していくような読みができるだろうか。お絵描きの時間に思い出せるような語りにしたい。



『きみなんか だいきらいさ』
 (ジャニス・M・ドリー/作  モーリス・センダック/絵
  こだまともこ訳 冨山房 1975.5)

  

 ずいぶんと歴史のある小型絵本だ。なかよしだった「ジェームス」と「ぼく」が何かのきっかけで仲たがいをし、ぼくは腹が立って、ジェームスに文句を言いに行くのだが…。実に子どもらしく、あたたかい結末になる。なんといっても表情や動き、アングルが素晴らしく、「センダックの絵本」が頭に刻み込まれる。


 元男の子(笑)としては、読みは自然にできる気がする。強弱や緩急など読み込めば身に付くだろう。ポイントは最後に振り向いて声をかける場面か。ここは十分な間が必要だ。時代が変わってもこうしたシチュエーションは毎日のようにあるだろうから、共感してくれる子も多いはずだ。聴き手を見つつ、語りだそう。

「かべ」に阻まれた一冊

2023年03月27日 | 絵本
 読み聞かせは、通常期に教室で行う場合と放課後子ども教室等の時とは勝手が違う。集まっている子ども層の雰囲気があるし、担当者の考え方も左右する。自由度が高かった(つまり関心を示さない子が複数)今回、なんとか語りで惹きつけようとしたが「壁」を感じ、準備したが読むのを控えたのがこれ。


『かべの むこうに なにが ある?』
(B・テッケントラップ/作 風木一人/訳) BL出版 2018.3



 中表紙に、ある一節がある。「勇気ある人たちに そして、壁のない世界に」。こうした箇所の文章はよく「○○へ捧ぐ」のような形が多い。そう考えると、勇気ある人たちに捧ぐと考えられなくもないが、少しニュアンスが違うのではないか。個人的には「勇気ある人になれ、壁のない世界にしよう」の提言に見える。


 「おおきなあかいかべがありました」から物語は始まる。その中に住む者たちは誰も外の世界を知ろうとしないが、ねずみだけは違っていた。「かべのむこうになにがあるんだろう」と考え、むこうの世界を見るために、現れた鳥と一緒に飛び越えていき、「かべ」とはいったい何なのか知ることになる。戻ったねずみは…





 登場する「らいおん」「くま」「ねこ」「きつね」は、人格や世代層の象徴や代表のように設定されていると思えた。その誰もが壁の存在を許容したり、見ないふりをしたりして、現状維持に甘んじている。明らかに人間社会の縮図を意識している。またそれは、個人の身近な暮らしの中に湧き出る感情、思考でもある。


 印象的な色遣い、シンプルなセリフ、一年生でも聴き入ってくれるだろう。しかし、数年前の高学年課題図書になっているように主題は深い。ほんの少しでも届けたいと放課後教室に持ち込んだが、そこに現れた「かべ」。これは…提示や語りだけでは越えられない。もう一つ踏み込む気力がいる。いい本に出合った。

今年度の読み納め一冊

2023年03月25日 | 絵本
 今年度、読み聞かせをした中で印象深い一冊を挙げるとしたら、これだろうか。岩崎書店が出している「恋の絵本」シリーズで、この本以外の著者は桜庭一樹、辻村深月、白石一文、村田沙耶香というラインナップである。小説好きなら興味が湧くだろう。そうでない自分もたまたま書架から見つけて読み入ってしまった。


『まっくろいたちのレストラン』
  (島本理生/作 平岡瞳/絵)岩崎書店 2020.5




 一人きりで暮らすまっくろいたちが始めたレストラン。ある日、川向うから訪れたうさぎのおじょうさまに恋をする。しかし婚約しているうさぎの王子様が現われ、食事を終えた帰りにワシに襲われるところを…という展開の末に…。筋に若干飛躍があり、大人なら容易にわかるが…と少し迷いつつ練習を続けた。


 高学年へは機会がなくドーカナアと思いつつ3年生で語ってみた。PPTに取り込む際に時間経過等を表わす工夫を試みた。読み込んだのでそれなりに表現できたようだ。以前記したが「メッチャいい話じゃん」と一人の男子が言ってくれたことが嬉しく、今度は1年生が多い放課後教室で再読。達成率は85%(笑)か。


 地の文は全体的に落ち着いた調子で語る。間が十分に必要な箇所が多い。さらに「恋」を意識させるため「にっこり」「ぎゅっとだきしめる」「じっとみつめて」の部分に特に留意したい。当たり前のことだが短い絵本ゆえに一語の重さが際立つことを感じさせてくれた。女性の読み手なら、またイメージが違うだろう。

うさぎを探して館内を歩く

2022年12月29日 | 絵本
 今年の読み聞かせが終わり、ゆっくりする暇なく来年のことが浮かんだ。館内の読書案内展示がすでに「うさぎモード」に入っていることもあるからだろう。今はこども園の方が回数が多いので、紙芝居で何かないかと探してみたら、『うさぎなぜなぜみみながい』というタイトルがあった。ちょっと絵が気に入らず却下。


 では、絵本へ。まず浮かんだのがレオ・レオニのコーナーだった。面白いと記憶している一冊が『うさぎをつくろう ほんものになったうさぎのはなし』がある。はさみと紙で作られた「うさぎ」が、本物の人参を食べて、本物のうさぎになってしまう愉快な話だ。短いがなんとなく味があるなあと感じる。候補だ。

 


 レオ・レオニが並んでいるなかで、『うさぎたちのにわ』という一冊があった。冒頭「人参は幾ら食べてもいいが、木の上のりんごに手を出すな。狼にやられるぞ」と年寄りうさぎが二匹の子うさぎに言う件はパターンとしてよくある。しかし、その後の展開にヘビが絡んできてなかなか楽しい。2年生でどうだろうか。


 ちょっと素敵な絵本を見つけた。「恋の絵本」シリーズで作家の島本理生が書いている『まっくろいたちのレストラン』。うさぎのお嬢さんが登場するのだが、なかなかキュンとするストーリー。語ってみたいが、オッサンいやオジイサンが読むには少しキツイかな。いやいや、森本レオだって十分年寄りだろう。えっ(笑)


 絵本コーナー展示にあった『うさぎになったゆめがみたいの』。うさぎの夢を見たいために前歯を出して寝る「みーちゃん」。それだけで可愛らしい。もう一冊『ウィルとふゆのおきゃくさん』。これは森の一軒家に住むウィルの部屋に次々に訪ねてくる動物たち。ウクライナ民話「てぶくろ」の現代版のよう…魅力がある。

歳末大読み聞かせ

2022年12月18日 | 絵本
 天気予報通りに雪が降り続いて、結構な量となった。湿り気が強いのか、玄関前の木々の枝がずいぶんと垂れ下がる。いよいよ、本格的な冬。そして歳末だなあと気がしてくる。今年はずいぶんと読み聞かせの回数が多かった。その振り返りはいずれしたいが、あと3回残しているので、丁寧に締め括りたいと思う。


 今日金曜は某小学校の一年生。上旬に他校の一年生で選書した本を使おうと考えていたが、思い直して次の2冊を選んだ。一つは「おそろしいよる」、3年前に見つけた時に気に入って何度か読んだ本だ。PPTを使っていなかった頃で、今回は大きな画面でやったら栄えるのではないか。画面変換も付けられるし、楽しみだ。


 もう一冊は「ちいさなもみのき」。クリスマスネタであり、この時期にはふさわしい。昨年のブックフェスタで「絵本クイズ」で取り上げたが、自分で読んではいない。1年ぶりに取り上げようと読んでみたら、意外に朗読として難しい部分もあることに気付く。間を置く、ゆっくり読む部分の生かし方…基本ですね。


 来週はこども園二か所の予定。モニターを使うPPTの初めに「とんかつのぼうけん」という新しい絵本を使い、次にクリスマス週なので「あのね、サンタの国ではね…」を扱う。サンタクロース国?の一年を描く話で、興味を持って聞いてくれるだろう。残る一つは、最初に扱う大型絵本か紙芝居だ。さて、どうする。
 
  
  作: 嘉納 純子  絵: 黒井 健  出版社: 偕成社

 と、思いついたのがあの「てぶくろ」。時期的にぴったりだろうし、今年をある意味象徴するウクライナ民話である。大型絵本も借りている。現職時代にどこかで読んだ気もするが、少なくとも十年以上前だ。一つの手袋に同居していく動物たちの心持ちをどんな声で表現したらいいのか。今年一番の大勝負となるか(笑)。

オオカミは様々な場に…

2022年11月03日 | 絵本
 オオカミの登場する絵本はずいぶんと読んでいる。いわゆる西洋ものに割合として多くあるのだろう。ハロウィンという意識も多少持ちながら、月末と11月一週目で4つの子ども園をまわり4冊ずつ読んだ。オオカミの出てくる本がそのうち3冊。バラエティに富んでいるなあと改めて思う。

 紹介は図書館ブログの方で⇒https://ugotosyokan.hatenablog.com/entry/2022/11/03/083720



 最初は「おおかみだあ」。これは、「しかけ絵本」で本を傾けたり、ひっくり返したりして、楽しませる類だ。小さい版だがデータ取り込みしてモニターに映せるものではない。だから結構練習した。本をまるごと使って読み聞かせるのはタイミングが肝心だし、間のとり方なども工夫がいる。緩急を声と手と目で行う。


 次はなんとグリム童話「おおかみと七ひきのこやぎ」。名作であるが、今読むと結構残酷な気もしてくる。食べられたこやぎを救うだけでなく、石までお腹に入れてオオカミに復讐する母親、いやこれは天罰と受けとめるのか。素朴に受け止められるのはどの程度の年齢なのか…と語る側は思わず考えてしまうのだが…。


 それでも、こども園初の紙芝居ということもあってか、子どもたちはほとんど真剣に見入ってくれていた。こういう童話の持つ、明快な筋の力があるのかもしれない。とかく新作に飛びつきがちな自分を振り返り、もっと昔の作品を読み込んでみたらどうか…そこから今の作家たちのアプローチの気づきもあるだろう。


 最後は、宮西達也の2019年の作品。「やきいもとおにぎり」。これはオオカミが主人公ではないが、やはり(少し)悪者として存在する。発端とオチの一つ手前を担う。中心は他の動物たちのドタバタ劇である。声の変化に迷いつつ語ったが、これはキャラクターではなく、勘違いという筋の面白さで十分楽しめる。

抽象度の塩梅がいい本

2022年10月09日 | 絵本
 図書館では小さい子向けの書架に収められてしまうが、ヨシタケシンスケの絵本には「これはどちらかと言えば…」と思うものが結構ある。例えば『もしものせかい』などもそうだ。同じ出版社から発刊され、同サイズのこの絵本もそうだ。紹介されているサイトには「4歳/5歳/6歳/7歳以上」とある。「以上」だからいいのだが、幼児向けを意味している。しかしなあ、と思う。




 左ページに文章、右ページに絵が中心なスタイルで進む。その1ページ目が、「よのなかには、いろんなひとがいる。」描かれている絵は全員が後ろ姿。これは4歳ならば4歳なりに、18歳ならば18歳なりに受け取るに違いない。もちろん80歳であっても。結局「読む」もしくは「与える」者が何を期待するか、ということになるのかな。これは絵本全般に言えるのかもしれない。

 
 パッとみて小学校高学年かなと思ってしまったのは、やはり教師稼業をしてきたからだろう。この抽象度の塩梅がいいように思う。授業として取り上げるのなら、最初の絵の意味を考えさせたくなる。「顔が見えない」ことは意図的である。それを導入に、人の類型を「顔」ではなく図形で表している点もイメージが拡がる。絵のシンプルさはいかにもヨシタケ、言葉も単純明快だ。


 さて、どう読む。「逃げずに戦うことの大事さを説くお話」がある一方で、「逃げることで新しい可能性に出会うお話」という教訓的な内容は、力んでは駄目だろう。作家が表現したいことの半分以上は絵にあるのだから…。淡々と読んでいくこと。つまり、声の大小や強弱を駆使するよりも、緩急と間で表現した方がいい。最終ページの絵の象徴性もお見事。いい絵本だ。

「ちきゅうちゃん。」を読む

2022年09月25日 | 絵本
 いつか読み聞かせに取り上げたいと思っていた一冊。どんなタイミングがいいのか迷っていて、『海のおっちゃんになったぼく』が、「飼う」「世話をする」と結びつくので、その流れでどうかなと思いついた。どちらも動物を飼うわけではなく、いわば「実は人間が世話になっている存在」と向き合うのがテーマだ。


『ちきゅうちゃん。』(糸井重里・キューライス   小学館)




 ある日、お父さんが持ち帰った「ちきゅうちゃん」。どんなふうに飼うのか迷いがあり、よく見ると様々な発見があり、誰からも好かれる存在。宇宙の知識がある子には喩えだと分かるし、まだわからない子は一つの物語として見るのだろう。深く考えれば環境問題につながっていく。解釈は聞き手の年代によって違う。


 絵は漫画的で親しみやすい。地球を擬人化(擬動物化?)しているわけだから、月や他の天体も、同様に描かれる。幼い子には馴染みやすいイメージだ。地球とそこに住む者の関係を等しく考えていることが下地にある。「すきで いれば いいんじゃない?」が見開きで絵のないページで示されている。明らかにポイントだ。


 読み手として留意すべきことを考えてみる。「ぼく」の一人称だから、小学生(たぶん)の気持ちになって素直に読んでいく。そして、初めは珍しいだけだったものが、いつの間にか親しさを増し、また常に受け入れてくれる存在であることに気づく。情愛が深くなっていく…そんな調子を出そう。最後のオチはゆっくりと。

ハシビロコウとナマケモノ

2022年08月04日 | 絵本
 絵本にはシリーズものがよくある。同じように見えても、同じように扱っていいというわけではない。この二つの絵本で考えた。


『うごきません。』
  (大塚健太 柴田ケイ子 パイ・インターナショナル)




 ハシビロコウという鳥が主人公。池のほとりでじっと動かないまま、様々な(変な意匠をこらした)動物たちが傍にきてもいっこうに動ぜず、黙っているのだが、池の中に小魚が浮かんだのを見つけると…。「うごきません」というフレーズを一ページごとに繰り返していくパターン。どんな「オチ」になるか興味が高まる。


『なまけていません。』
  (大塚健太 柴田ケイ子 パイ・インターナショナル)




 同じコンビによる似たパターン。樹木にぶら下がっているナマケモノ。森の仲間たちに、注意されたり、様々な誘いをうけたりしても、「なまけていません」というフレーズを繰り返す。これも一ページごとに展開するので、聞き手はセリフを予想しながらも、どんな「オチ」になるだろうかと、期待を高めるだろう。



 「うごきません」の方が先に発刊されているのだが、そちらにナマケモノが速く走る!という登場の仕方をするので、二つ続けて取り上げるとしたら「なまけていません」の方を先に読む方法も考えられる。ただよく考えると、物語のつくり方が異なりそこは慎重にするべきだ。シリーズではあるが大きな違いがある。


 それは読み手として考える人称のことだ。「うごきません」はほぼ語り手の視点で構成される。それに比べて「なまけていません」は登場人物の会話が主になっている。説明的か、物語的かといった違いにもなる。従って、似たようなトーンで読んでは魅力が伝わりにくいだろう。2冊続けて楽しむには意識すべきだ。

海を見に行きたくなる話

2022年07月18日 | 絵本
 7月の読み聞かせは「海」を取り上げたいと、書架を探していて見つけた一冊。一読してすぐに「やりたい」と感じた久々の作品だ。発行がクレヨンハウスというのも珍しい。カバーに付記している説明をみると「1992・第2回 海のメルヘン大賞」の大賞受賞作。作者は当時高校2年だったとある。瑞々しい感性だ。


『海のおっちゃんになったぼく』(なみかわさき・文 黒井健・絵)
    2006.6 クレヨンハウス


    


 自宅裏に広がる浜辺で、青いビー玉を拾った「ぼく」。コップに入れたら「しょっぱい水」になり、その「海」はどんどんと広がってくる。入れ物を替えて世話をしていてもだんだん大きくなり、どうしようもなくなって「すててしまお」と捨てようとするが、父に見つかってしまい…発想、展開、決着、皆納得できた


 ふだん「飼う」となるとそれは家畜やペットを指すが、物語の世界では様々なものが対象となる。多様な動物や植物はもちろん、無生物さえも取り上げられることがあるはずだ。これは「ビー玉⇒海水」という設定が何よりユニークで、しかも膨張してくるという。途中まではオカルト風と思いきや、温かい終末となる。


 カバー裏に椎名誠が文を寄せている。「スケールのでっかい話」で「あったらすばらしいなあと感心して海を見に行きたくなった」と記す。まさに、そんな読後感だ。抑えた色調の絵も素敵だ。読み聞かせのポイントはなんといっても関西弁。TVを通して聴きなれている子は多いだろうし、なんとか読み伝えてみたい。