「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法
早野龍五
新潮社
浅学にして著者の名前を知らなかったが、科学者としていろいろ知られた人のようである。福島原発事故のときはTwitterで中立的なデータ情報を発表し続けてたというから、僕も目にはしていたのかもしれない。
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「科学的」とは何かーーいろいろな人がいろいろなことを言ってきたように思う。数字で証明できれば「科学的」なのか、再現性を担保することが「科学的」なのか。
本書では「科学的」という言葉を、役に立つことを前提に結果から逆算して取り組むのではなく、どうなるかわからない、何に役に立つかわからないけれど、ただ仕組みや仕掛けの解明に追求したいという気持ちでの取り組みを「科学的」としている。科学的態度といったほうがいいのかもしれない。過去の偉大なる科学的発明発見の多くは、当初の目的から外れたところでなかば偶然に見つかったものだったり、とにかく無暗矢鱈にトライ&エラーを繰り返すその行き当たりばったりの中でなぜかよくわからないけど一つだけ成功したものだったりすることが多い。
であるから、目標定めて最短距離で最大成果に到達させるようなコスパタイパ思考の持ち主は「科学的」とは言えないわけである。どうなるかわからないし、何の役に立つのかわからないけど、なんか面白そうだからとにかくあれこれやってみる。このモチベーションが実はイノベーションのとっかかりになる。このあたりの考えは「役に立たない研究の未来」も別の角度から同様の主張が為されていた。
実は、このような概念はよく言われてはいるのである。セレンディビティピティやブリコラージュといった思考にも通じるし、スティーブ・ジョブズの名言のひとつ「stay foolish」はこれに通じるように思う。寺田寅彦は「科学者とあたま」というエッセイで、あまり先が読めてしまう賢い人は無駄撃ちや遠回りを避けるから偉大な科学者にむかないということも言っている。
これを計画的に経営に取り入れるとチャールズ・オライリーの「両利きの経営」になる。
これだけ言説があるのに、現実の世の中はなかなかどうして「科学的態度」を許してくれない。目論見と勝算を尋ねられ、結果のコミットを求められる。我々だって自分の税金が国のなにかの研究や開発に使われるとき、どうなるかわからないけれど面白そうなのでいろいろやらせてください、では納得できないだろう。
つまり、「どうなるかよくわからないけれどなにかおもしろそうだからとにかくいろいろやってみよう」という科学的態度は、誰もが思うものすごく魅力的なユートピアでありながら、でも、誰だって自分の負担で他人にそれをやらせるには抵抗がある、という極めて難しい理想なのである。
思うに、「科学的態度」を貫くには庇護者が必要ということではないか。サントリーの創業者である鳥井信治郎の矜持は「やってみなはれ」であったことは有名で、これは今でもサントリーの社訓になっているという。(これに対し「見ておくんなはれ」と返すことでワンセットになるのだと、同社の人が言っていた)。
科学的態度が必要なのは、科学者ではなくてマネージャーやスポンサーの立場の人なんだよなー。昔の芸術家のパトロンは偉かったんだなーと思う。
荒井浩道
新泉社
ここ数年前ほどから「ナラティブ」という言葉を聞くようになった。もともとは文化人類学あたりからの用語のような気もするが、カウンセリングとかコミュニケーション論においても注目されている。
日本語でいうと「物語」ということになるが、「ストーリー」と違うところは、「ナラティブ」にはとつとつとしたとりとめもない口述というニュアンスがある。つまり再編集される前の、思いつくまま気のままくに口から出てくる語り。これが「ナラティブ」である。
なぜ、このナラティブが注目されるかというと、これがもっとも語り手=対象のオリジナルに近いからである。考えを整理してもらって上でしゃべってもらったり、あるいは文章に書いてもらったり、あるいは聞き手が刈り込んで編集してしまったものは、もはやオリジナルではない。後知恵やバイアスや恣意的なものが入り込んでくる。そうなってしまうと、そもそも対象が持っていた真理はもう見えなくなってしまうのである。
このとつとつとした問わず語りを受けることで、対象者が内包する世界観の真理に迫るのを「ナラティブ・アプローチ」という。
「ナラティブ・アプローチ」に似たようなものとして、カウンセリングの現場では「傾聴」というものがあった。とにかく口をはさまずに相手の言うことに耳をかたむけるのである。早急なアドバイスなどはせず、真摯に話をきく。これが悩める対象者にとってはもっとも効果的とされる。これが転じて会社での上司部下のコミュニケーションとか、コーチングの世界でも「傾聴」は導入されることになった。
本書によれば、「傾聴」と「ナラティブ・アプローチ」はやや異なるようだ。「傾聴」がひたすら話をきくことで対象者の溜飲を下げることを目的とするのに対し、「ナラティブ・アプローチ」はその語りの中から解決の糸口を見つけるのである。つまり「ナラティブ・アプローチ」のほうが真理解明に踏み込むということになる。
カウンセリングにおいて「ナラティブ・アプローチ」で解決の糸口を見つけるにあたって、本書にはいくつかキーワードがある。「社会構成主義」「無知の姿勢」「分厚い語り」。そして「『こだわっている物語』と『例外の物語』」。
「社会構成主義」というのは、「われわれが日常生活を送るうえで「常識」だと思っている事柄は、実は社会的に作られている」という考えである。学校に行った方がよいとか、贅沢を言ってはいけない、というのはこれすべて外からの決めつけの価値観なのである。だから、カウンセリングで登校拒否者を再び通学させるために、「登校拒否」を「問題」として扱ってはいけない。登校拒否するその人をまずはそれでよい、とする。「AをAのままでよい」とする姿勢なのである。したがって、どうやってまずは学校に行こうかと話をもちかけるのはNGである。これは「AをBにする」行為だからだ。
しかし、それで登校拒否者が再び通学するようになるのだろうか。登校拒否を問題にしないのならば、このままずっと登校拒否を続けるだけではないのか。
ここからが面白い。登校拒否をしながら過ごす彼の生活に対してまずはカウンセラーはなんの解決手法ももちあわせていないつもりで対峙する。「無知の姿勢」である。一切の先入観・偏見・先行知識・専門知識を無用とする。そうすることで彼は語りだす。「厚い語り」を引き出すのだ。そういう彼の語りの中から「『こだわっている物語』と『例外の物語』」を見つけ出す。
興味深いことに、当事者が登校拒否や介護虐待のようなある種の「極端」な行動に出るときは、当人が何か「強くこだわっている物語」に起因していることが多い。そのこだわっている物語を融解させていくことがナラティブ・アプローチの真骨頂だ。こだわっている物語というのは、当事者を自縄自縛にするし、言霊としての影響力、あるいは予言の自己成就性にでも通じるような束縛力がある。その肥大化したこだわっている物語からわずかな「例外」の兆しをみつける。この「例外の物語」を育て、本人にもそれとなく自覚させ、彼にはこだわりも例外もある「複雑な物語」がある、という風にマインドセットをしていく。そうすると、最終的な「極端」な行動がなくなっていく(こともある)。
これはなかなかの離れ業というか名人芸で、本書で紹介されるエピソードは名探偵が困難な事態を鮮やかに解決していくかのような目覚ましさがある。そんなにうまくいくのかいなと思わないでもないが(うまくいった事例を載せているのだろうが)、勉強になる。
このナラティブ・アプローチに通底しているのは「AをAのままでよい」とする姿勢だ。「Aのままでいるのはよくない」という前提をまず無しにするし、「AをBにする」という態度は排除される。「AをBにする方法を伝授する」という権威姿勢も厳禁である。「AをAのままでよい」としながら、何がAをたらしめているのか、を「分厚く」語らせ、そこから彼を支配している「こだわっている物語」を見抜くのである。
思い起こすと、「AをBにする」ことの連続であった。新人教育とはそういうものであったし、上司やクライアントから怒られるときは「Aじゃない。Bだ」ということであった。「Aのままでいなさい」「Aで正解です」ということは本当に稀だった。そして世の中に出る商品やサービスはのほとんどみんな「AをBにする」といううたい文句で出来ている。
世の中はすべて「AをBにする」力学で動いているのだ。
そんなとき、たまたま読んだ文化人類学の本で、文化人類学の真骨頂は絶対に観察相手を評価したり変容を迫ろうとしてはいけない。「AをAのまま尊重し、そこに価値を見出すのが文化人類学の基本中の基本である、ということが記され、僕は目鱗だった。この分野に通じている人からみれば当たりまえのテーゼだが、当時の僕にとってこれはコペルニクス的転回だったのである。それ以来、文化人類学や民俗学に興味が出ていくつか本を読んでみたりした。
しかし、この「AをAのままでよい」というこの思想をビジネスの現場に応用するとはどういうことか。それをずっと考えていた。そして管理職になったときにこれを部下や新人の指導・育成にあてはめることができるかどうか試みるにようになった。「AをBにする」のが指導ならば、「AをAのままでよい」とする指導は本当にあり得るのか。当然Bの人には「BをBのままでよい」とすることになる。つまり、この世の中にはAもBも正解となる。この世の中は多正解でできている。そんなことが職場で通用するのかどうか。そんな試行錯誤による部下との関わりを数年おこなっているのである。。
結論からいうとその効果はさまざまだ。他部署でまったく評価も成果もあげられなかった人がいい感じで活躍するようなこともあれば、まったく成長なしにマンネリなままの人もいる。すごく利益をあげることもあれば、まるでダメなときもある。
ただ、やってみて思うのは、「AをAのままでよいとする」「BをBのままでよいとする」マネジメントというのは、とてもヒューマン・ベースな考え方ということだ。これの対義語はタスク・ベースである。つくづく思うのは世の中はタスクベースでまわっている、ということを感じる。そりゃそうだろう。担当者が変わるたびにアウトプットのクオリティや方向性が変わってしまうようでは発注者側は納得できない。組織一岩となって一定水準のものを出し続けるにはヒューマン・ベースだけでは難しいところがある。
それでもぼくがヒューマン・ベースにこだわっているのは、自分自身を顧みて、タスクベースの硬直化がかえってアウトプットのクオリティを下げることが多々あったことを経験値的に知っているからだ。どうしてもそのタスクが性にあわない社員もたくさんいたし、しかしそれが担当である以上は役務をまぬがれるわけにはいかない。とうぜんその姿は幸福ではない。一方で、まったく冴えなかった人が別の仕事でめきめき頭角をあらわす、ということは実際によくあったし、こういうヒューマン・ベースの力をなんとかマネジメントできないか、というのは僕の管理職上の野望みたいなものであった。
ところが人事のほうから少々問題のあるやつはあいつのところにいれてやるといい、という変なルートができてしまったフシがある。引き受け手のいない人材がこちらにまわってくるのだ。
実際のところ、「問題」のある社員を成果に導くようにするというのはやはりけっこう骨が折れる。頭を使う。今まで何人か「問題」のある社員を預かってきた。前の上司からの評価が最低だった人なんかがやってくる。いちおう直属上司としては彼の評価が上がるように仕事をさせていかなければならない。
ただ、本当に無能という人はあまりいなくて(たまにいるが)、その多くは、前の上司とそりが合わない、与えられている仕事の内容がミスマッチングだったというのがほとんどだったことも確かなのである。「社会構成主義」風にいうと、彼の「問題」はすべて外部がつくりあげたものだったのだ。
最近もっとも気をつかうのが新入社員だ。毎年配属されるわけではないけれど、年々彼らの正体はわからなくなる。新入社員の奇行は例年Webなどでネタになるが、最近の彼らをみていると「AをAのまま生きてきた」人が増えてきた印象である。ご同慶の至りではあるが、これがいわゆるZ世代というやつか。この「AをAのまま生きてきた人」をそれさえも包摂してどう「成果」や「成長」につなげていくか。これはこれでまた難題である。
岐路の前にいる君たちに
鷲田清一 式辞集
朝日出版社
こちとらもうすぐ50に手がとどく年齢でありながら、なんだかじわーっとくる。
本書は、大阪大学と京都市立芸術大学の学長だった鷲田清一の入学式と卒業式における学生への式辞をまとめたものだ。二十歳前後のぼくがこういう式辞を聞いて果たしてどこまで感銘を受けるのかわからない。難しいコトバ回しはしていないが、そこで示す思想や世界は、まったく酸いも甘いも知り尽くし、思考と内省をはりめぐらせた哲人こそが示せたもので、ほぼ「無知の無知」状態であろう学生にどこまでこの人はすごいことを言っているかわかるはずもなさそうだが、全力で語る鷲田清一もすごいし、学生たちも贅沢な体験をしたということになる。
プロというのは、他のプローー自分からすればアマチュアーーとうまく共同作業できる人のことであり、そういう意味でのアマチュアに自分がやろうとしていることの大事さを、そしてそれがいかにわくわくするものであるかを、きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることのできる人であり、つまりはノン・プロと「いい関係」をもてる人だということなのです。(大阪大学2010年度学位授与式)
「実学系の学びというのは、自分の身体にまさにそうした「正しい大きさの感覚」を呼び戻すためにあります。(中略)そういう伝承と刷新、保存と創造のダイナミズムに、それぞが身を晒してきたのです。それが実技の学びということです。(中略)さいわい、みなさんは演奏する曲ごとに、制作する作品ごとに、一つの行為の初めと終わりを、何度も、強い緊張のなかで経験してきた。(中略)初めと終わりのあるプロセスを何度も何度も歩み抜いたということ、これはほんとうに幸運なことなのです。(京都市立芸術大学2016年度卒業式)」
すでにわかっていることよりも、わからないこと、見通しのきかないことに、わからないまま、見通しのきかないまま、どう的確に処するかの知恵やスキルのほうが、ほんとうは大事だということです。(中略)「なんだか分からないけれど、凄そうなもの」と「言っていることは整合的なんだけれど、うさんくさいもの」とを直観的に識別する前‐知性的な能力とは、まさにそういうものなのです。(大阪大学2008年度入学式)
理解には枠組みがあるということです。これはこんなふうに見る、受けとめるという、それぞれが属している文化の枠です。同じ時代、同じ文化のなかで育ってきた人は、世界を、同じ言語を用いて、同じような仕方で理解します。だから自分たちが世界だと思っているものの外にもっと違った世界があるということに、なかなか想像が及びません。自分のなじんできた解釈のレパートリーのなかへ何でも押し込もうとする。理解できないこと、わからないことを、取るに足らないこととして無視するか、あるいはそれらを無理やり手持ちの枠のなかに押し込めようとするのです、そういうことをくり返しているうち、世界は歪んできます。しかも歪んでいることに、当の本人は気づきません。(京都市立芸術大学2018年度入学式)
二十歳前後の僕ならば、ここにあらわれた真理はまったくもってピンとこなかっただろう。この年齢になって読むと、自戒の意味も含めて本当にそうだなとしみじみ思うのである。そして若者むけにあてられたコトバだけれど、いまの自分を鼓舞する文章でもある。
高校や大学での名式辞が話題になることがある。ネットなどでとりあげるにちょうどいい温度感のネタとは思う。
2011年3月の立教高校の卒業式は、東日本大震災により中止となり、校長から卒業生にむけてメッセージが送られた。大学に行くとは「海を見る自由」を得るためなのではないか、という話は心の底から震えた。
2019年4月の東京大学での上野千鶴子の祝辞も話題になった。「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。」という挑戦的なものであったが、「これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。」と結んでいく下りは名演説だと思った。
式辞なんて通り一遍のきれいごとを並べるだけで退屈な儀式でしかないなどとも思う。自分の高校や大学時での式辞祝辞がどんなものであったかほとんどなんにも覚えていない。子どもの入学式や卒業式に立ち会っても、大半はちっともココロに刺さらない。こちらの心構えに負うところも多いにあるとは思うが、祝辞を述べる側にも、あちこちの学校をはしごする市会議員の祝辞なんかは、いつでもどこでも通用するコトバを並べただけのものであったりする。儀式とはそういうものである。
ところが本書のあとがきで鷲田先生はこう書いている。
哲学をやっていると断言というのを控える習性があります。ここでいま何が言えて何が言えないかに、とても敏感だからです。そういう研究・教育現場の日常とは反対に、卒業式・入学式ではそれぞれ終わりの挨拶、始まりの挨拶なので、どうしても明確なメッセージを送る必要があり、コトバもつい伝えるべき確言と訴えに重きを置くことになります。
“ここでいま何が言えて何が言えないか”に敏感な人がメッセージとしていまここで断言できることに心を砕いたものがこれらの式辞である。思うに、ひとの心を動かす演説というのはこういうことなのではないか。
僕がこれまで体験してきた式辞の中にも、ここは一発がつんとみんなの心を動かしてやろうと気概を持つ人間もいたのだとは思う。さきほどちっともココロに刺さってこなかったと書いたが、例外がひとつある。僕がもう30年前になる自分の大学の入学式でのひとりの教授の言葉だ。入学式の会場になった施設を指して「ここにはもう用はない。●●(キャンパス名)にはやく帰りましょう」と言いのけた。あれは誰だったのかまったく覚えていない。その発言で会場の空気をどうなったのかも覚えていない。ただこの教授の一言は、大学で学ぶということの具体的なイメージがまったくなかった18才の僕に、「学ぶところは楽しいところだ」という、これまで考えたこともなかったすさまじいインパクトを与えたのだった。
劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか
山口周
光文社新書
数量データやケーススタディではなく、哲学知を用いた社会インサイトあるいはコンサルティングといったところか。
歴史的な哲人だけでなく、浅田彰・山本七平・中根千枝といった著名な日本の社会思想家、さらには反脆弱性のナシム・タレブ、ライフシフトのリンダ・グラットンといった売れっ子も引き合いに出してカッコよくまとめてみせるのはもはや著者の定番芸である。
最初彼の本を読んだときは、なるほどこういうやり方があったのかと素直に関心してしまった。
教養を学ぶことがその人の資質を育てることは斎藤孝や池上彰や佐藤優なんかもずっと繰り返していたわけで、著者もその一派と言えるわけだが読者ターゲットを明確にビジネスマンにしていることが特徴だろう。彼の前職が電通やボストンコンサルティングという、いわば様々な企業を相手に情報サービス的な商売をしてきたことも関係していると思う。ビジネスマンのコンプレックスを見抜いてうまいとこ突いたと言える。
この“哲学を用いたコンサルティング”というフレームは小説やマンガにもなりそうだ。週刊モーニングやビッグコミックオリジナルあたりでどうかね。
そういうことでいくと“歴史を用いたコンサルティング”なんてのもできるかもしれない。よく孫子に学ぶビジネスとか、織田信長に学ぶビジネスなんてのを書店のビジネス書コーナーで見かけるけれど、古今東西の歴史データベースをケーススタディにおこなえばそれなりに成立しそうである。とはいえ、これは発想としては順当なので、すでにあるのかもしれない。
では“文化人類学を用いたコンサルティング”なんてのもどうだろうか。ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」なんかを読む限り、いろいろいけそうな気もする。ブリコラージュなんて最近とみにキーワードになっているがもともとは文化人類学でよく用いられていた用語だ。民俗学的な観点まで加えていけば、まったく違うコミュニティの本質が浮かび上がってくるかもしれない。
生き残る判断 生き残れない行動 災害・テロ・事故、極限状況下で心と体に何が起こるのか
アマンダ・リプリー 訳:岡真知子
筑摩書房
本書を読んで絶望的な気分になってしまった。なにか大災害に見舞われたり、テロに遭遇してしまったとき。たぶん僕は本書が指摘するように最初は「否認」状態で初動を遅らせ、「のろのろ」と行動してしまい、眼前に何か危険なことがおこったときは体が「麻痺」してしまい、誰かの大声にそのままついていってしまうに違いない。9.11のときは貿易センタービルの中にいた人は極度の緊張状態から一時的に視野狭窄して何も見えなくなってしまったそうだ。僕もきっとそうなってしまいそうな気がする。
本書は、9.11テロやハリケーン「カトリーナ」、その他有名無名の様々な災害や事故やテロに遭遇して無事に生還した人を研究したものである。何が生死を分けるのか? 生き残った人はどういう心と体を持っていたのか?
本書によると、このような大災害に遭遇したとき、まず人は「否認」から入るという。このへんはキューブラー・ロスの「死の受容」と同じだ。著者いわくはこの「否認」は正常性バイアスという生存本能のひとつなのだそうで、つまりよっぽど自覚的に意識しないとこの「否認」は取り除けないのである。
この「否認」を通過すると今度は「思考」のモードになる。このとき「恐怖」が襲ってくる。心拍数があがり、視野はせまくなり、通常の判断ができなくなる。「恐怖」が目前にあると心身がこうなってしまうのは、これも実は生存本能なのだそうだ。逆説的だがそうらしい。これは身体ダメージを少しでも減らすための体の反応だそうである。筋肉や循環器の防御力を強めるため、脳の働きを低下させてしまう仕組みが人体にはあるのだ(脳に使うエネルギーを筋肉にまわすということ)。
また、その場が集団であったりすると、誰かの指示を無批判的に仰ごうとする。自分のアタマでは考えられないから、誰かに誘導してほしいのである。これがデマや誤誘導の引き金になる。また、集団思考実験でよくあるように、みんながみんなで様子を見あって出遅れるなんて現象もおこりがちである。
しかし、その「恐怖」のなか、何か次のアクションを決定しなければならない。こういう集団下での「恐怖」ではパニックを連想しやすい。しかし、本書によれば「パニック」は実はそう起こるものではないとのことである。むしろ「麻痺」したり、「のろのろ」行動することのほうが圧倒的に多いのだそうだ。これもまた身体の反応なのである。
要するに、大惨事に遭遇すると、ふつうの人間はその生存本能や動物生理学的な問題から、心も体もまともに動かなくなるのである。本書によると、人は90デシベル以上の音を急に聴くと脳が「恐怖」を感じ、心拍数145を超すと運動機能が低下し(素人はすぐに200まであがるそうです)、水温が12度以下だと手足が動かなくなるのだ。
では、生還した人というのはどういう人か?
結論から言えばそれは「恐怖」を克服した人である。「否認」を短時間で退け、明晰な脳でまともに「思考」し、生存の道へと意思決定していくことができた人だ。とはいえ、どうやって心身を支配してしまう「恐怖」というものを克服するのか?
本書の答えは、「避難訓練」をしておくことに尽きているようだ。つまり、事前に経験しておくことの計り知れない効果である。避難訓練は、本当の災害に比べて臨場感はまるでないが「こういうことがあったとき自分は何をすべきか」を知ると知らないでは大違いなのだそうである。
たとえば、飛行機の火災事故などで脱出するとき、事前に避難口のありかが描かれているシートに目を通していた人としていない人ではその生存率に決定的な違いがあるという(これからは離陸前にちゃんと読んでおこう!)。ホテルやオフィスビルの避難口や避難経路の確認も同様である。9.11のときは、避難階段のありかを知っている人と知らない人でやはり違いが出たらしい。人はいざ災害があってから避難経路を冷静に探し出すことはできないのである。
アメリカでは、軍隊や警察はとにかく恐怖に心身が支配されないようにする訓練をするそうだ。思考がとまっても体が条件的に動くようにするためだ。訓練の中には、極度にひとつのものに視線を集中することのリスクを避けるため(視野狭窄になって周辺の状況変化に気づかなかったりする)、一定期間ごとに地平を左右に見つめるということを習慣づけるというのもあるとのことだ。
そして、次に自分は何をすべきかという選択肢シナリオ、あるいはチェックリストを頭に思い浮かべることの訓練をする。思考停止にならず、やみくもに何かに視点を集中するのではなく、選択肢を考える。Aを選べばBになる。Cを選べばDになる。ではCをしよう、という風に頭が働くようにするのそうである。よく映画なんかでみかけるオプションBというやつもこれの一環か。
「避難訓練」を受けていると、なにもしてないときよりは恐怖心が抑えられるから、思考停止リスクも下がり、選択肢シナリオにアタマを働かす余裕も出てくるのである。
つまり「避難訓練」は、逃げ道をあらかじめ知っておくためというよりは、そのことによっていざ災害が発生したときの恐怖心を抑えることに意味があるのだ。とりあえず、いつも使っているオフィスビルや駅ビルは、非常階段を使って外に出てみる実験をしておこう。
本書の示唆の中で、自分でもできそうなハックスを2つ見つけた。
1つは「深呼吸」である。何かアクシデントがあったらまずは深呼吸。これはけっこういいらしい。4秒吸って4秒とめて4秒はく。たしかに血圧、心拍数の抑制にはなる。脳がすっきりする。「深呼吸」をすることさえ忘れてしまってはおしまいだから、「何かあったら深呼吸すること」というのをスマホにでも書いておくか。
もうひとつは「頼りがいがある人」を見つけておくということである。肝心なのは「誰とあたふたするか」なのだ。ちなみに頼りがいがある人というのは、「訓練を受けている人」「事故にあったことがある人」「両親や地域社会から道徳的価値観をよく学んだ人」なのだそうだ。最後のはそういう人は「英雄的行為」に走りやすいのだそうである。
「無理」の構造
細谷功
dZERO
「アタマが来てもアホとは戦うな」と似たようなことをより真面目に語っているという感じか。
ここでの大事なテーゼは「無知の知」である。「世の中には2種類の人がいる」という言い方があるが、それを借りると、世の中には「無知の知」に気づいている人と、気づいていない人の2種類がいる、と言ってもいいくらいだ。もちろん戦ってはいけない「アホ」というのは、「無知の知に気づいていない人=無知の無知の人」のことである。
「無知の知」というのは、”自分に知らないことがあることを知っている”という状態だ。この概念の起源はソクラテスにまでさかのぼるが、西洋思想の礎のひとつになった。「サピエンス全史」によれば、欧州は「無知の知」に気づき、それがあくなき探求心や冒険心を駆り出でたのに対し、大中華帝国は”自分に知らないこど何一つない”という思想に至ってしまったため、進歩や進化をとめてしまったと見立てている。大航海時代からアヘン戦争、その後の世界史に至る西洋列強の拡大と中国の停滞・没落の背後にあるのは「無知の知」に気づいていたかどうかだ。
まあ、西洋と中国の話は極論といってしまえばそれまでだが、ある種の真理を含んではいるだろう。「自分はすべてを知っている」という考えほど、自滅リスクが高いものはないと言っていいくらいだ。
ただ「無知の無知」バイアスはけっこう侮れない。行動経済学的には人はほっとくと「無知の無知」になるといってもよさそうだ。ロジック的には「無知の無知」は齢をとるほどそうなりやすい。文化習俗から社会制度まで、「無知の無知」がハバを利かせそうなことはいっぱいある。
”実るほどこうべを垂れる稲穂かな”
肝に銘じないといけないと思う。