読書の記録

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悩まずにはいられない人

2016年06月21日 | 生き方・育て方・教え方

悩まずにはいられない人

加藤 諦三
PHP研究所


 悩んでいる人は、悩んでいるほうが楽だから悩んでいる。ということを、念仏のように全編にわたって繰り返されている書。
 だから、本書のさわりを知りたければ、以上で十分であったりする。

 ただ、この本を特異たらしめているのは、著者がラジオ番組「テレフォン人生相談室」を半世紀にわたって担当してきた人で、つまり「悩む人」を相手してきた経験知から言えば、これ以上説得力ある人はない。そういう権威ある人の結論が「悩んでいる人は、悩みたいから悩んでいる」と看破してしまっているのならば、こちらは、ははあとうなづくしかない。
 (だから、そうではない生半可な人が、悩んでいる人を前に「あなたのは悩みたくて悩んでいるだけだ」などと言ったところで、恨みしか買わないだろう。ゆめゆめ注意されたい)



 というわけで、本書の核心部分は中身を読まずとも、表紙の見返しにも書いてあるし、amazonの内容紹介にも書いてあってそれで十分な気もするのだが、せっかくなので「悩み」とは何かを考えてみたい。


 そもそも「悩み」って。
 何か自分のこれからにとって障害があってその障害を取り除くにはどうしたらよいか「わからない」、というのがおおかたの「悩み」だろう。

では「悩まない人」というのはどういう人か。「障害」がない人のことか。いや、この世の人である限り、生きていく上で「障害」は多かれ少なかれおこるのである。
ということは、「悩まない人」とは、「障害がない」人ではなくて、「障害に対してうじうじしない」人ということになる。その障害を取り除くにはなにを犠牲にすればいいか(人間関係の割り切りか、夜逃げか、離婚か、辞職か、転校かなどの極論も含む)のトレードオフを冷静に考えられる人だ。その障害を取り除くにあたっての犠牲の程度が割が合わないと判断すれば、その障害を「やむなきもの」と許容できる精神の人だ。


 
 つまり「悩まない人」というのは、「悩み」がないのではなく、その事態を「悩み」とみなさないのである。反対にいつも悩み深い人というのは、目の前の事態の解決にあたってのトレードオフを受け入れられない人ということである。

 目の前の事態を、要はトレードオフを突きつけられているのだと冷静に受け止め、その選択を何を捨てて何を得るのかを冷静に分析するようになれば、それは「悩み」ではなくて「課題」であるということもできるだろう。本書の主題である「悩んでいるほうが楽だから悩んでいる」は、そういうトレードオフを考えてどちらかを選択し、その人生を生きていくという気概がめんどうくさく、だったら悩んでいるままのほうがいい。ということらしい。

 ここらへんの気概がある人とない人は何が違うかというと、本書によれば、自己肯定感とか承認欲求とか幼少期の記憶とか当世教育心理学のキーワードが存分に出てくるのだが、まあそういうことなのかもしれない。

 いずれにしても、「障害」は誰しも出くわすのである。肝心なのはその事態の受け止め方であり、それを「悩み」とみなすか「課題」とみなすかの心持ちだけでもだいぶ違うのではないかと思う。 僕は渡部和子の書いた「面倒だから、しよう」という逆説的な本のタイトルを見かけたとき、えらく納得したのであった。







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