読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

老後とピアノ

2023年06月18日 | クラシック音楽
老後とピアノ
 
稲垣えみ子
ポプラ社
 
 あー、あのアフロの髪型した新聞記者だ。いまは新聞社を退職してコラムニストとして独立しているそうだ。
 その著者が齢50才にしてピアノのレッスンを再開したという話である。
 
 著者は子どものころはピアノをならっていたようで、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」までは行ったらしい。そこそこテクニカルな曲である。しかしついにレッスンをやめてしまう。そして40年後、退職を契機に再開したとのことである。その動機には、ドビュッシーのピアノ曲「月の光」を弾きたいという目標があったそうだ。
 
 
 著者とぼくは同じ年代である。だから著者の言わんとすることはいちいちよくわかる。と同時に、こういう大人は実はいま日本にとても多いと思う。要するに団塊Jr世代。この世代が小学生のころ、空前のピアノ習い事ブームが日本に起こったのだ。あちこちの家庭でアップライトピアノが搬入され、ヤマハ音楽教室から町の個人ピアノ教室まで、当時のこどもたち就中女の子たちはピアノのお稽古に通ったのだった。国民ひとりあたりピアノの台数がぶっちぎりで世界一だったという。
 だけど、多くは小学生を終えるときには、長くても高校受験前にはその習い事は卒業する。タケモトピアノがビジネスとして長く成立しているのは、各ご家庭に弾かれなくなったアップライトピアノがたくさん眠っているからである。
 
 たいていの子どもたちにとってピアノのレッスンは苦痛であった。もちろん、カッコいい曲をさっそうと弾くのは快感には違いないが、そうなる以前として子どもたちの前に立ちはだかったのは実に実にクソ面白くない練習であった。ハノン、バイエル、チェルニー。それらの多くは非音楽的な音符の反復であって、野球やサッカーの前にひたすら基礎体力のためのトレーニングをするのと同様であった。
 また、子どもたちに与えられる学習用の楽曲も、決して子供心に面白いものではなかった。バッハの小曲、モーツァルトのソナタ、クレメンティやクーラウのソナチネといったたぐいである。これらの様式美を芸術的に感じ取るには、子どもはあまりにも幼すぎる。子どもたちの感覚にもあう学習曲といえばブルミギュラーくらいだろう。
 
 本当はこれらを我慢して凌ぐと、やがてシューベルトやショパンといった多少なりとも色気のあるメロディを持った曲に突入する。勇ましくカッコいいベートーヴェンのソナタにも挑戦することになる。
 だけど、これらの曲はこれはこれでやはり厳しい壁に直面する。なんといってもピアノの先生の罵詈雑言、ひたすらダメ出しの洗礼を浴びるのだ。なぜか昭和のピアノの先生と自動車運転教習所の教官はそれが特権のようにとにかく人格を否定してくるのだった。
 
 そういう辛いピアノお稽古時代を経験した子供たちがいま年齢にして50代以上にけっこういるはずなのである。そして、練習は嫌いで習うのは途中でやめちゃったけど、でもピアノを弾けること自体は「アリかも」という心を抱えている。アコガレのあの曲を自分でも弾けたら、と。
 
 そして、子育ても一段落して、あるいはばりばりの仕事人生もちょっと疲れて、あるいは年齢的にいろいろ思うことがあって、いま改めて白黒の鍵盤の前に座ってみる。目の前に楽譜が開いてある。子どものころあれだけ練習したのだから、ひょっとするとまたいけるんじゃないかーー
 
 
 はい。私はこの著者とまったく同じなのである。小学3年生のときに著者同様「きらきら星変奏曲」までいって、ついにレッスンに根を上げた。もっと正確に言うとあまりにも抵抗して逃げ出そうとする僕に、とうとうというやっとというか、親が根負けしたのである。僕は最後までモーツァルトもバッハも嫌いだった。
 
 ところがそこから何年か経ってピアノを弾いてみようと思ったのである。きっかけがなんと著者と同じくドビュッシーの「月の光」だ。ひょっとしてこれよくあるパターンなのか? 僕の場合はこれが中学3年生のときにきた。学校の音楽の授業で、鑑賞の時間というのがあってこの曲を教室で聞いて、そして衝撃を受けたのである。
 「月の光」は、ピアノのお稽古でさらわされた楽曲の常識を根底から覆すハーモニーと構成をもった曲だった。こんな摩訶不思議な美しい響きをピアノから本当に出せるの? 
 つまり、子どものお稽古で練習する曲というのはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンあるいはその同時代の作曲家の様式ということで、実に折り目正しい古典的なドミソの和音の世界なのだ。ところが「月の光」は違う。近代フランスの革命的響きを持ち、その後の坂本龍一や久石譲のピアノ曲にそのままつながるような新鮮な和音が特徴なのだ。
 町の楽器屋さんにいって「月の光」の楽譜を探した。久しぶりに鍵盤の前に座っておそるおそる楽譜のおたまじゃくしを数えたのが中学3年。そこから僕はピアノの虜になった。毎日のようにピアノにむかうので、あまりにもうるさくて親が受験勉強が終わるまで禁止令をだしたほどだ。独学だったので今思うに正確性については噴飯物であっただろうが、大学生のころまで僕はけっこう暇さえあれば自宅のアップライトピアノや電子ピアノを弾いてそれなりに指が動くようになった。そしてクラシック音楽はぼくの一大趣味となった。
 
 しかし、大学を卒業して社会人になると日々多忙な会社生活になり、まったく弾くことがなくなった。結婚して子どもも生まれてますますそれどころではなくなってしまった。クラシック音楽を聴くことはずっと好きなままで、中でもピアノ曲を聞くことは大好きだったが、自分で弾くようなことは稀の稀となった。唯一の例外は学生時代の友人の結婚式でポピュラー曲を弾いたくらいである。
 
 数年前、40代後半になって我が家に新しい電子ピアノがきた。少しばかり趣味に時間をさいてもいいだろうという頃合いだったのである。電子ピアノの前に座り、死蔵していた楽譜を段ボールから引っ張り出して開いてみた。
 はい。ここから先、本書とまっっっっったく同じなのである。これが「老化」というやつなのだ、ということに愕然とする。
 
 まず、指が開かない。若いころは鍵盤をいちいち眺めなくても、楽譜に書いてある和音の形をみれば、どんな具合の指の構えになるかさっと脳が判断し、適切に指を鍵盤におろすことができた。それがぜんぜんできない。指の付け根や関節がこちこちに固まっている。そもそも1オクターブの幅はどのくらいのものなのかを手のひらが覚えていない。適当な感覚で指をおろすとぐちゃっと不協和音が鳴る。
 左手の動かなさぶりといったらひどいものである。指はもつれて細部ぶっつぶれとなる。若いころは1オクターブを越す跳躍だってやってのけたのに、もうまったくあたりがつかめない。
 
 そもそも、脳が想定しているように指や腕が動いていないのだ。頭の中では10センチ指を移動させているつもりが実際は8センチしか動いていない。さいきん、階段や段差でけつまずくことが増えた。これも頭の中で思っているよりも足が上がっていないことに起因する。老化とは脳神経と筋肉が乖離していくことなのだなという事実を知る。
 
 だいたい、楽譜が良く見えない。老眼である。眉間にしわを寄せてようやく該当箇所のおたまじゃくしの輪郭が顕わになってくるが、でもその隣の小節はぼんやりとかすんでしまっている。本当は次の小節くらいまでは視野にはいっていないと先の展開が想定できず、楽譜見ながらの演奏ははかどらないのだが。
 
 そして、とにかく曲が覚えられない。かつては数回フレーズを繰り返せば指が覚えた。頭にも入った。
 それがいまや、何度やっても覚えられないのだ。1小節先も闇どころか、楽譜を見ないと、曲の冒頭の音がドミソのどれだったかさえいつまでたっても覚えていない。
 
 こんなはずはなかったのに、ととまどいながら一心不乱に楽譜と鍵盤にむかいあってがちゃがちゃやってると、今度はあろうことか首と肩と腰が痛くなって悲鳴を上げる。若い頃は一晩中だって弾いていたのだが、もう頸の後ろがばりばりになって整体のお世話になる始末である。
 
 そんなぐちゃぐちゃでも何度も悪戦苦闘していれば自宅の練習ではそれとなく形になったような気がしてくる。でもこれが何かの調子で人前で弾くようなことになったとき、それは友人宅でもストリートピアノでもいいのだが、その非常空間では頭はパニックをおこし、筋肉は硬直し、指先はぶるぶるで、自宅で弾いていた感覚も頭のなかの記憶もすべてふっとぶ。老化とはプレッシャーにも弱くなるのだ。日頃いくら念頭においても、こうしてオレオレ詐欺にかかるのだななどと変なところで納得する。
 
 ・・・・・つまり、本書で書かれていることと全く同じなのである。本書のエピソードいちいちがマジでその通り。著者がそうで僕がそうだということは、同様の50代が日本中に存在するということだろう。「大人のピアノあるある」としか言いようがない。ピアノを通じておのれの身体と精神の老化をこれ以上ないくらいの残酷さで味わうのである。自信喪失、お先真っ暗、もう夢も希望もない。
 
 
 しかし。本書のタイトルは「老後とピアノ」であって「老化とピアノ」ではない。
 著者は、意のままにならない身体と精神に悪戦苦闘しながらピアノの練習を続ける。
 そんな縮退する己自身を見つめながら、著者は壮大な老後の期待を語る。今一瞬の輝き、楽しみを大事にする。あまりにも豊穣なクラシック音楽の世界。そこには数多な作曲家がいて数多な作品があり、数多な演奏家がそれを数多な解釈で演奏する。それらに分け入り、これならば自分でもちょっとは弾けるかも、この演奏家の弾き方をマネしたいかもとたぐりよせ、ふるふると鍵盤に指をおく。ピアノは脱力して弾くものである。こんな楽しくて奥が深くて果てしない趣味が他にあるだろうか、と著者は喝破する。100回もさらっていればちゃんと0.1歩は前進している。それでいいのである。そして巻末のリスト「これまで挑戦した曲」をみて衝撃的だったのが、著者はちゃんと次々と新たな曲を克服できているのだ。「月の光」は早々にクリアしており、次々と新曲、それもけっこうな難易度の曲が並んでいてびっくりする。そういう「老後」に挑戦しているのだ。
 そうだった。「老化」は避けられない。それでも「老後」は確実に過ごさなければならない。若い人は遠い目標に向かって頑張ればいいが、年寄りはいま目の前のことを楽しむのだ。それでいいのである。
 本書を読んで、僕は本当に勇気をもらった。いまだってピアノの前に座るのは好きである。好きなだけに俺のピアノはもうダメだと打ちひしがれていたのだが、それでいいのだ。人生後半戦もこの趣味を続けようと、ガチで勇気づけられた。

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ホロヴィッツと巨匠たち

2020年03月06日 | クラシック音楽
ホロヴィッツと巨匠たち
 
吉田秀和
河出書房新社
 
 ウラディミール・ホロヴィッツは20世紀のピアニストだ。帝政時代のロシアはウクライナに生まれ、革命で亡命してその後はアメリカに定住した。クラシック音楽におけるピアノ史において空前絶後というか、ピアノの魔人と呼ばれるピアニストであった。1989年に83才で亡くなったが、没後30年経つ今でも崇拝者やエピゴーネンが後を絶たない。
 ホロヴィッツのピアニズムは、個性的なピアノの音色コントロールの巧みさと、当時にあっては神業とされた超絶技巧にある。ピアノの音色はペダル操作に加え、指の角度、ひじの位置、腕や肩の力の入れ具合その他でいくらでも変わる。調律でもかわる。ホールの広さやステージ上のピアノの位置でも変わる。ピアノとは猫が踏んでも鳴る楽器だが、ここまで音に違いが出るのかというのをホロヴィッツの演奏は証明した。超絶技巧については、今日ではホロヴィッツよりも指がまわって正確に鍵盤を上げ下ろしするサイボーグみたいなピアニストがいくらでも出ているが、ホロヴィッツが活躍していた20世紀においては、彼の超絶技巧はミラクルとされた。超轟音でかけあがるオクターブの和音や、超高速でかけまわる音の戯れ、いくつもの声部を弾き分けるさまはサーカスのようでもあった。
 この独特の音色と超絶技巧で、ホロヴィッツは聴衆だけでなく、音楽評論家もプロのピアニストも虜にしたといってよい。
 
 吉田秀和は、日本を代表する20世紀の音楽批評家である。彼は2012年に98才で亡くなった。彼の批評の本拠地はクラシック音楽ではあったが、とはいえ、西洋倫理や芸術全般、文化全般に通じる深く広い教養を持っていた。彼の人徳と教養と文才はちょっと凄すぎて、当時もいまも彼の目線まで立てた音楽批評家はいなかったように思う。
 
 その吉田秀和の音楽批評には、ホロヴィッツに関するものもたくさんあった。
 世紀の名手といわれたピアニストである、評論を書く機会は多かっただろう。ところが、生前ホロヴィッツはなかなか来日しなかった。それどころか本拠地アメリカでもコンサートをひらくのは稀だった。この人くらいの大物になると1回コンサートを開けばあとは何年も寝て暮らせるくらいのギャラが入るのである。精神的な不調をきたして10年以上一度もコンサートを開かないこともあった。したがって評論の対象はおのずとレコードということになる。つまり吉田秀和はなかなかホロヴィッツの実演を聴けずに批評の仕事をした。「実演を聴いたことがないピアニストを、レコードだけで判断して批評するのは僕は苦手である」というようなことをこぼしながら、吉田秀和はホロヴィッツに関しての評論やエッセーを書いていた。
 
 吉田秀和がホロヴィッツに関する批評で現在確認できる最初のものは、1970年の「こういうシューマンを引く人は」という短文である。しかし吉田秀和は1950年代後半から批評活動をしていたし、そのころはホロヴィッツは名声のど真ん中にいたから、先のものよりもそのずっと前からいろいろ書いていたのではないかとは思う。一方、ホロヴィッツに関する最後の批評は2012年の「ある絶対的なもののために」で、これは吉田秀和の没後に発表された遺稿となった。
 つまり、吉田秀和のホロヴィッツに関する批評は少なくみても40年分くらいはあるということである。本書はその40年分のホロヴィッツの批評を再編集している。といってもその収録数は全部12編、実際はもっともっとあったに違いない。
 しかし、その12編にわたる40年を通して読むとわかることがある。それは、一級の批評家としてプライドと責任を背負う吉田秀和が、ホロヴィッツという規格外の名ピアニストをどう批評するかという格闘の記録なのであった。
 
 
 ホロヴィッツのピアノ演奏は、聞くものを狂わせる妖しい美にあふれたものだ。それはレコードからでもよくわかる。しかし、吉田秀和は良識ある批評家としてこの音の魔力に抗った。
 たしかに美しい。すばらしい。およそ音の魅惑という点でここまできかせるピアニストはいたであろうか、と驚嘆し、絶賛する。しかし、ホロヴィッツの演奏に致命的に欠けていたのは、知性的あるいは西洋倫理と西洋論理としての一面だ。それは欧米の評論家にも指摘されていたことである。なぜそこでその音が鳴るのか、なぜここで大きい音が鳴るのか。クラシック音楽は規定演技というか論理の構築という面も重要な芸術行為だが、ホロヴィッツはそこのところがどうしても感覚的な処理であり、ロジックが弱いことがよくある。とくにモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトといったドイツ古典派と呼ばれるジャンルで彼の弱点は露見しやすい。
 吉田秀和は、そのホロヴィッツの奇蹟的なピアニズムに驚嘆をかくさず手放しに絶賛するも、その論理性の弱さをたびたび突いてきた。時代の様式や
作曲者の様式との矛盾、全体の構築性といったもののいいかげんさに彼は騙されなかった。簡単にくみされてたまるものかという意地みたいなものが吉田のホロヴィッツ論にはあった。それも重箱の隅とか批判のための批判ではない。論理武装と芸術的行為をする以上あるべき美的素養を総動員させた建設的批評であった。
 若いころの僕はホロヴィッツ信者だったので、吉田秀和のホロヴィッツ評は不満だったが、今読み返せばなるほど確かにそうだと納得することだらけである。
 
 1983年。ついにホロヴィッツが初来日をした。このときの彼は79才だった。S席で50000円という、ひとりのピアニストのためのチケットとしては破格の値段がついたが、即売で完了したという。
 吉田秀和は、ここで初めて彼の音を生で聴いた。彼に限らず、このコンサートにいた聴衆のほとんどが初めてだっただろう。
 このときのエピソードは、クラシック音楽界ではもう伝説といってよい有名な事件になっている。
 
 79才のホロヴィッツの演奏はボロボロだった。ミスタッチだらけで、テンポもグダグダで、痴ほう症の演奏のようだった。音楽として体を成してないと言ってよい(このときの演奏記録は長らく幻だったが現在はYoutubeで確認できる)。
 この演奏会の吉田秀和の批評は悲痛にまみれていた。四半世紀にわたってレコードを頼りに彼の評論を書いてきた吉田秀和にとって、自分が格闘してきたつもりの相手がこんなことになっていたとは夢にも思わなかったのだろう。このときの彼の形容「ひび割れた骨董品」は、そのあまりにも言い得て妙に世界にまで知れ渡ったという。
 この1983年の演奏批評「ホロヴィッツをきいて」は名文である。きわめて言葉が吟味され、抽象と具体を同時に体現させている。酷評であるには違いないが、節度を保ち、折り目正しく、ホロヴィッツに対しても尊重の態度をとっている。ホロヴィッツが空前絶後の大ピアニストであり、この世界に君臨していたことは周知の事実だった。その事実は、この惨憺たる演奏会に接しても消えない事実であった。吉田秀和は、そのことを鎮魂歌のようにして次のような文章で結んでいる。
 
 ”一体、この人はどんな高みからピアノ演奏の芸術を支配していたのか。このことは、今度の実演をきいた後も、きく前とほとんど変わらないくらい、伝説の遠い霧の彼方に残ったままだった。”
 
 
 初の日本公演で大失敗したホロヴィッツは、その3年後の1986年にまた来日した。ホロヴィッツは81才になっていた。
 この二度目の来日は、吉田秀和の酷評を知ったホロヴィッツが、日本での評判を取り戻すために、体調を整え、今の自分に合うプログラムを用意し、ホロヴィッツ側から日本の招聘会社にアプローチして来日を実現させたのだという。
 この演奏会がよかった。実にすばらしかった。このときの演奏は僕もラジオ放送で聴いていた。もちろんエアチェックもした。静寂の中にころころと澄んだ音が転がるような美しさがある演奏だ。
 
 この二度目の公演に寄せた吉田秀和の批評がこれまた感動的なのである。こういう冒頭で始まる。
 
 ”三年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が、その演奏は私たちの期待を満たすにはほど遠く、苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼は一人のピアノをひく人間として来た。彼は前よりまた少し年老いて見えた。
 が、その彼はなんたるピアノひきだったろう!!”
 
 この2回目の来日演奏を客席で聴いていた吉田秀和は「幸福の涙」を落としたことを告白している。しかし彼は批評家として彼の演奏を努めて公平に批評する。スカルラッティとリストの小品でみせた弱音のコントロールの見事さ、ラフマニノフやスクリャービンで見せた夢幻的な演出を余人に替えられぬものと認める一方で、シューマンやショパンの大曲でみられるほころび、モーツァルトやシューベルトの芸術様式上の違和感を指摘する。
 
 そして最後にこう締めた。
 
 ”この人が先年の不調を自分でもはっきり認めて、なんとかして自分の真の姿を残しておきたいと考えて、遠路はるばる再訪してくれたことに、心から感謝せずにいられない。”
 
 この2回目の来日公演の批評には「ホロヴィッツの魔法の花園」というタイトルがつけられている。
 
 
 本書に出てくる吉田秀和のホロヴィッツに関する批評は、いずれも再録や再再録ばかりである。各編はこれまで随所に散る形で所収されていたが、本書のようにほぼ1冊にまとまる形で編集されたのは初めてではないか。これら12編を俯瞰することで、吉田秀和のホロヴィッツに対しての「格闘」があらわになった。僕が編集だったら、もう少し順番を入れ替えるなとも思ったが、批評というものがもつドラマツルギーがわかる良企画本だと思う。
 

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指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語

2019年01月17日 | クラシック音楽
指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語
 
中野雄
新潮社
 
 
 オーケストラの指揮者というのは、オーケストラの中でもっとも目立つ。演奏会で我々が眺めているのはたいてい指揮者の後ろ姿だし、演奏会情報やポスターなどで情報として大きく扱われるのは指揮者であることが多い。一般的にはオーケストラの楽団員よりギャラもよいとされる。
 
 しかし、指揮者というのはオーケストラの中で唯一音を出していない存在でもある。それなのにオーケストラの誰よりも目立って誰よりも賞賛を浴びる位置にいて誰よりも稼いでいることになる。今も昔も指揮者とは憧れとやっかみの対象である。
 
 日本を代表するオーケストラ指揮者の故・岩城宏之氏は、そんな指揮者という職業に似たものとして、プロ野球チームの監督を挙げていた。なるほど、憧れとやっかみの対象であろう。しかし、それとは引き換えするに余りある辛苦がそこにある。自分はプレイをしないがしかし監督の采配が勝負の行方を左右する。それも一試合一試合に勝てばよいというものではない。ペナントレース全体を見通しての戦略観がいる。オフシーズンの過ごし方も考えなければならないし、チームの補強も必要だし、ひとりひとりの選手のことも気にかけなければならない。ワガママな外人選手をなだめ、得意げの4番選手を諫めなければならない。それでいて戦績がよくなければあっという間にお客さんに叩かれ、スポンサーから首を切られる。指揮者もしかり。たいへん気苦労が多い商売なのである。
 
 素人的には、指揮者がさっそうと指揮棒をふって、オーケストラが唯々諾々とそれに従っているような、そんな印象があるが、人間同士の営みである限り、そんな簡単なわけにはいかない。むしろ指揮者というのはオーケストラの楽員たちの言うことをきかせてようやく指揮者足りえるということだ。いくら楽曲解釈が優れていても、暗譜の才能があっても、楽員たちの言うことを聞かせて自分の望みの通りの音を引き出せる手腕がなければ「指揮者」ではないのである。名選手が名監督足り得ないことと通じるものがある。
 
 つまり、指揮者というのは音楽的才能とは別に人心把握術というかリーダーシップというかコミュニケーション能力というか、そういう「人を動かす力」を必要とする。ある意味「音楽」とまったく関係がないように思えるが、オーケストラという「音作り装置」をつかって人々に音楽を届けるためには、この能力が必要ということである。
 
 まして、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団とか、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団とか、ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団とか、超ド級のオーケストラ団員を動かすのはまことに至難の技であろう。これくらいのオーケストラになると楽員ひとりひとりがソリストとしても十分通用する技術を持ち、古今東西あまたの指揮者を経験してきた百戦錬磨のつわものである。そんなこわーい人たちの集まりの中に飛び込んで指示を出し、言うことをきかせ、まとめ上げなければならない。経験不足の若い客演指揮者なんか縮み上がるのではないかと思う。
 つまり、カラヤンとかバーンスタインとかシャイーとかムーティとかブーレーズとかゲルギエフとか小澤征爾とかは、音楽の才能云々とは別に、この「人を動かす力」が超人的だということになる。
 
 本書は三大オーケストラ。ウィーンフィル、ベルリンフィル、そしてロイヤルコンセルトヘボウという3つのオーケストラについて著者なりの分析と所感でまとめたものだ。著者は音楽家ではないが、レコード会社の上役に勤務していたこともあってあまたのアーティストと交流があり、そのドキュメンタリーはなかなか興味深い。
 この3つのオーケストラの中で、ウィーンフィルは常任指揮者を置かないことで知られている。いわば、監督がいないプロ野球チームみたいなものだ。試合ごとにゲスト監督を呼ぶのがウィーンフィルである。岩城宏之氏にもウィーンフィルに関してのエッセイがあって、指揮者からすればウィーンフィルというのはたいへん恐れられたオーケストラということらしい。誰を指揮者に呼ぶかはウィーンフィルの投票によって決まるとされる。要するに「誰にオレたちを指揮させるか」という態度なのだ。ウィーンフィルに招聘されるというのは指揮者にとって大いなるステイタスになるそうである。それでいてウィーンフィル客演そのもののギャラはたいして高くはないそうだ。まさに名誉のための仕事だが、一度ウィーンフィルの前にたつと市場での彼のギャラは5倍に上がるというから恐しい。しかもせっかく招聘されてもうまくいかなければ二度と呼ばれない。クラシック音楽の本場たる本場ウィーンフィルのメンバーに言うことをきかせることは並大抵のことではないそうだ。
 
 一方のベルリンフィルといえば、帝王ことヘルベルト•フォン•カラヤンである。カラヤンが亡くなってもう30年以上経つのだが、それでいて彼のブランド力が未だ健在で、著者が言うようにカラヤンが亡くなってこのクラシック音楽業界、とくにレコード業界は衰退がはじまったといっても過言ではない。カラヤンは30年にわたってベルリンフィルに君臨した。最後は喧嘩別れをしたかっこうになったが、30年というのはこの業界において極めて長い。カラヤンのマネジメントは、実際「帝王」というくらいだからさぞ高圧的にしぼりあげるものだったようなイメージがあるが、そばで観察していた岩城宏之氏によると、きわめて団員に気を使い、人前で恥をかかないようにするナイーブなものであったそうだ。岩城宏之に言わせれば、本来指揮者とオーケストラというのは「天敵」同士の関係であり、それが30年にわたって維持されたのは奇蹟的ということだ。しかも相手はベルリンフィルである。本書の著者の観察によると、リハーサルではかなり細かく指示するが実際の本番のここぞというところで団員の自由度に任せる絶妙な手綱さばきがあり、これがカラヤンとベルリンフィルのハーモニーの信頼関係のポイントとのことである。
 
 オランダの名門オーケストラ、ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団は、戦後にカリスマ的な常任指揮者を背負わなかった。このオーケストラに27年間常任に就いたのはベルナルト・ハイティンクという堅実な職人気質の指揮者だった。この楽団は彼をむかえるにあたってオイゲン・ヨッフムというドイツの巨匠をサポート替わりに「もう一人の常任」として短期間のあいだ招聘したり、ヘルマン・クレッバースというたいへん人のできたヴァイオリニストをコンサート・マスターに就けたりして、みんなでハイティンクを支えたようである。そこまで一致団結して頑張ったのは、第2次世界大戦で辛酸をなめたオランダの復興のための使命感のなせるわざというのが本書の主張だが、ハイティンクに他人をしてそうさせたくなる人徳もあったのだろう。彼はカラヤンやバーンスタインのようなオーラやカリスマ性はなかったが、それでも27年間このオーケストラの常任を勤め上げたのだから立派である。温厚で情にあつい人だったようである。
 
 実際、指揮者にもいろいろなタイプがいるようだ。オーラを放つカリスマで団員の尊敬を勝ち取るタイプや、団員の人事権を完全に握って恐怖政治を敷く絶対君主タイプ、グレート!やビューティフル!を連発してとにかく褒め殺しにして団員をその気にさせちゃうキャバ嬢タイプ、とことん理詰めと圧倒的な知識で有無を言わせないプロフィッサータイプ、団員に高額なギャラを約束させて言うことを効かせる成金社長タイプ、さらにはなんとなくみんなにしょうがないなあなどとかわいがられるという小悪魔タイプというのもいる。本書に出てくる下野竜介なんかこの小悪魔タイプなのだろう。ハイティンクもそうだったのかもしれない。
 
 こうしてみると、指揮者の顔ぶれというのはマネジメントタイプの見本市のようだ。よく戦争の指揮官とかスポーツチームの監督を題材にしたマネジメントのビジネス本なんてのを見かけるが、実は指揮者でこの手の本を企画すればそうとう面白いものができるのではないかと思う。急に矮小的な話になるが、実は僕は職場のマネージャーや経営者、あるいは他所でも部長さんや課長さんをみてそのマネジメントぶり、リーダーシップぶりをよく指揮者になぞらえるのである。そして僕自身が憧れるリーダー像は、ほとんど仕事しないで、少ないレパートリーをちょこっとだっけやって、でもそれはもう世界中からやんやの大喝采を浴びて膨大なギャラをかせぎ、そしてまたほとんど遊んで暮らしていたカルロス・クライバーその人である。
 

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革命前夜

2018年04月04日 | クラシック音楽
革命前夜
 
須賀しのぶ
文芸春秋
 
 ふんだんにクラシック音楽のことや演奏風景が出てくる。クラシック音楽が好きな人ならば、この小説は音楽映画のような没入感を味わえる。しかもでてくる作曲家の名前がすごい。バッハやベートーヴェンやメンデルスゾーンならまだしも、フランクやヤナーチェクといった渋いところまで登場し、さらにはラインベルガーまで出てくる。ラインベルガーなんて本国ドイツ以外では忘れられた作曲家だが、彼のオルガンソナタの演奏シーンなんかがてらいなく登場するのだ。
 しかし、この小説は「蜜蜂と遠雷」のようにクラシック音楽がメインテーマの小説かと言われれば、必ずしもそうではない。
 
 
 この小説の見どころは、「末期の東ドイツを体験した日本人留学生の物語」というものだろう。舞台は1989年前半の東ドイツである。現代史に詳しい人ならばこれだけで十分にピンとくる。
 
 西ドイツ・東ドイツというのもだいぶ歴史の世界になってきた。現在のドイツはメルケル首相がリーダーシップを発揮してEU全体を引っ張っているが、1990年までは東西に分裂した国だった。東ドイツは社会主義国だった。東ドイツの国民が資本主義国の西ドイツを訪問することは許されなかった。
 
 東西統一後、東ドイツ時代の情報公開が進み、そこが異常なまでの監視国家であったことが広く知られるようになった。この監視は、シュタージ(秘密警察)と呼ばれる監視者およびIMと呼ばれる密告者による仕組みだった。国家を批判するもの、資本主義に触れるもの、西側諸国に近づくものはすべて危険人物とされた。
 
 シュタージもIMも、自分がシュタージやIMであることを他人に漏らしてはならない。家族同士でも秘密である。だから、誰がシュタージやIMなのかはわからなかった。そして実は国民の大半がそうだったのではないかとされている。お互いにお互いが監視員だと知らずに監視しながら生活を送っているような、そういう社会だった。監視し密告する人間が実はべつの誰かに監視され、密告される世界だった。NHKの「映像の世紀」では、市民の隠し撮り映像や、留守宅に忍び込んで手紙をチェックする密告者の記録映像が紹介されていた(なんでこんな記録が残っているのか。これこそIMを監視したIMの記録ということか)。
 
 この小説は、そんな東ドイツの音楽大学に留学した眞山柊史を主人公にした物語である。東ドイツは国の体制としてはそういうダークなところであったが、一方で文化芸術の面において、特にクラシック音楽においてはたしかに聖地だった。なにしろ「音楽の父」バッハがいたところだ。だから音楽留学生は多い。ここには、ハンガリーやベトナム、北朝鮮からの留学生も現れる。そして東ドイツに生まれ育った音楽を専攻する学生が登場する。こんなクラシック音楽の群像青春ドラマの道具立てが揃っているのに、ここは監視と密告の国であり、国中を疑心暗鬼が覆っており、つねに警戒と不穏の空気が絶えない。このあたりの不気味さは「1984年」に通じる。
 
 そんな東ドイツにも民主化運動の波がくる。物語後半は、登場人物たちもこの民主化運動の渦中となる。小説のタイトル「革命前夜」。まさに社会主義瓦解前夜の物語である。
 
 
 物語を追うに従って緊迫が増してくる末期の東ドイツにあって、主人公眞山君も、他の登場人物も、つまり作者が克明に描いたのは音楽の力である。この暗い世相にあって人々は、バッハに、ベートーヴェンに、ラインベルガーに希望を見出し、安寧を取り戻し、精神を高揚させる。音楽のときだけ、イデオロギーは霧散する。監視するものもされるものも、音楽の共有だけは純真だ。むしろ、東ドイツという社会空間だからこそ、音楽は純化された存在となったのかもしれない。宗教に厳しい共産圏の国にあって、音楽は東ドイツ国民の宗教的支えだったのだろう。カラヤン率いるベルリンフィルの西ドイツ的黄金の響きとは無縁な、厳粛で崇高な東ドイツの響きが、文字からも聞こえてくるかのようだ。当時の東ドイツにはクルト・ザンテルリンクやフランツ・コンヴィチュニーといった指揮者、シュターツカペレ・ドレスデンやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といった交響楽団があって通に好まれていた。表面的にはきらびやかではないが、いかにも内側から抉り出すような音を出す。魂の叫びといったら陳腐だが、文字通り東ドイツから抉り出した音だったんだなと思う。ベルリンの壁の崩壊は1989年11月、今年で29年目になる。
 
 
 

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春のソナタ

2017年11月30日 | クラシック音楽

春のソナタ

三田誠広

集英社

クラシック音楽を題材にした小説というのはけっこうある。

最近だと直木賞をとった恩田睦「蜜蜂と遠雷」が大ヒットした。同年に本屋大賞を受賞した宮下奈都の「羊と鋼の森」もピアノの調律師の話だ。推理小説だと、中山千里の「さよならドビュッシー」にはじまる一連のシリーズがある。

 

僕が好きだった小説は藤谷治の「舟に乗れ!」だ。これは高校生が主人公の単行本全3巻。なにかの賞をとったとは聞かないが、佳作だと思う。高校生たちの青春音楽ものだが、登場人物たちの役割分担(?)がけっこう巧みで、舞台かドラマを見てるみたいだし、物語の展開もなかなか切ない。

 

クラシック音楽が出てくる小説としてむかしからよく知られたものでは、三田誠広の「いちご同盟」がある。映画化もしたようだ。ヒットしたマンガ「四月は君の嘘」でも引用されていた。引用どころか「四月は君の嘘」は「いちご同盟」のオマージュなんではないか、というくらい、通底に似たものを感じる。

 

三田誠広にはもうひとつ「春のソナタ」という似たような小説がある。「いちご同盟」の主要登場人物はみんな中学生だが、「春のソナタ」の主人公は高校生。そして周辺に出てくる人物は大人たちである。「いちご同盟」に比べると、「春のソナタ」のほうが鬱屈度が強いというか、重ためであるが、その差は「大人たち」にあるのは言うまでもない。オトナになるということは鬱屈になるということだ。そのためか「春のソナタ」は飲酒のシーンが多い。それも美味い酒ではなく、現実逃避の酒、自分を奮い立たせるための酒、そして慰めの酒ばかりである。

 

主人公の直樹くんは高校生だからもちろんお酒は飲まない(ちょっと飲むシーンはあるが)。酒に逃げ、酒から逃げられないオトナたちを見ていくことで,彼は真理をつかんでいく。

 

ところで、「蜜蜂と遠雷」も、「舟に乗れ!」も「いちご同盟」も「春のソナタ」もみんな主人公は若い。10代だったり20代の前半だったり。これにマンガの助けも借りると「四月は君の嘘」も「のだめカンタービレ」も「神童」も「ピアノの森」も、みんなみんな登場人物は若い。

クラシック音楽というと、趣味性が強いというか、高尚なイメージもあってまるでオトナの嗜みのようにも見えるが、実はクラシック音楽は青春ものと相性がよい(これがジャズだとそうはいかないのがミソ)。

クラシック音楽というのは、とくに演奏者にとっては身体能力がものをいう世界なので必然的に若くなる、とか、部活動や学校行事に結び付きやすいというのもあるが、クラシック音楽というものが妙に頭でっかちで中二病を誘発しやすいというのも多いにあると思う。

 

 


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神童

2017年02月17日 | クラシック音楽

神童

作:さそうあきら
双葉社


 久しぶりに読み直して感動しまくった。

 「蜜蜂と遠雷」も「四月は君の嘘」も「のだめカンタービレ」もいいけれど、やはり真の傑作はこれじゃないかと思った次第である。

 

 「蜜蜂と遠雷」「四月は君の嘘」「のだめカンタービレ」に共通するものとして「好きな曲を好きなように弾いて何が悪い」という問題提起があったように思う。なぜクラシック音楽はそれが許されないのか、あるいは許されるときというのはどういうときか、というせめぎあいがこの3作にはあった。

 

 「神童」は、意図的にそれを避けたのか、あるいはそこに価値を見出さなかったのか、この観点をめぐることはない。

 「神童」は、天才アーティストの栄光と挫折と復活をメインテーマにしている。
 これが実にドラマチックなのである。

 そう。クラシック音楽において、「天才」は、はなから「好きなように弾いて、しかもそれがクラシック音楽としての美学を逸脱していない」のである。実存した巨匠である、ルービンシュタインもリヒテルもグールドもポリーニもミケランジェリもアシュケナージもアルゲリッチもそうだった。唯一の例外はホロヴィッツくらいかもしれない。(そのホロヴィッツをモデルにした人物が「神童」には出てくるのも面白いところだが。)

 しかし、それだけに「天才」にとって最大のリスクはおのれの身体である。

 指回りの身体能力や耳の感受性と音楽全体を見通す論理構築力と、聴衆とのコミュニケーション力みたいなものがぎりぎりのところで高度にあわさって天才の音楽は体現するから、ちょっとした不調が全体の破滅につながる。

 まして、深刻な不調となると、これはアーティスト生命全体を終わらすものとなる。

 

 「神童」に出てくる天才少女の成瀬うたは、この破滅を経験する。

 そして、主人公である和音は、そんなうたの栄光と挫折、そして復活に並走することで、決して天才ではない自分の音楽の生きる道を見出す。

 

 そうなのだ。クラシック音楽の世界は、一部の天才以外に、「天才」になれなかったごまんのアーティストがいるのだ。「神童」のすごいところは、タイトルのように神童である成瀬うたの起伏を描きながら、主人公である決して天才でなかった和音が、それでも音楽を着地させるところを描いた傑作なのである。

 そこには「好きなように弾いて何が悪い」という、クラシック音楽をあつかう話においてある意味語り尽くされたような問題提起はもはや捨象されており、むしろそんな葛藤はとっくに克服したアーティストたちの、それでも天才と凡才の絶望的なまでの格差、それぞれの苦悩、挫折、そして希望が描かれている。

 やはり次元がひとつ違うと思うのである。


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不機嫌な姫とブルックナー団 (ネタバレなし ただし、ブルックナー好きは要注意)

2016年12月18日 | クラシック音楽
不機嫌な姫とブルックナー団
 
高原英理
講談社
 
 
 なかなかオタク全開な小説である。
 
 クラシック音楽好きの中でもブルックナー好きをこじらせたブルックナーオタク、いわゆる「ブルオタ」は有名(?)なのだが、この小説は、そんなブルオタによるブルオタのためのブルオタの小説である。
  これ、どれくらい読者の間口があるのだろう。
 

 ブルックナーの音楽は、どうも真性オタクな人に好まれやすいところがある、というのは僕の私見ないし偏見だ。
 これからそれがどういう意味かという説明を試みてみる。

 ブルックナーの音楽はわかりやすさとわかりにくさが同居している。
 メロディや響きはわかりやすい。それもなかなか崇高というか恍惚というか、俗にオルガンの響きと言われていて、まことに美しい。後期ロマン派ならではだ。神が降臨したかのような劇的効果がある。
 リズムや休符のうちかたにも特徴があり、これもドラマチックな効果を持つ。カタルシス抜群である。
 
 一方でわかりにくいのは楽曲の構成だ。ブルックナーの交響曲はどれもこれもやたらに長大である。長い曲となると80分くらいに達する。ベートーヴェンの交響曲の2倍かかる。しかも主題となるメロディがいくつも出てくるし、それぞれがみせる展開も極めて複雑でややこしい。聴いているほうはなにがどうなっているのかわからなくなり、鬱蒼とした樹海で迷子になったような気分になる。一聴するだけではこの曲の見通しはまず計れない。
 
 さらに弟子たちの改訂版(ブルオタの間では改悪版と言われるが)がいくつもあり、どの版を選択するかというのも曲を鑑賞する上での問題になる。
 

 つまり、ひとつひとつの響きやメロディはなんともカタルシスを刺激する美味しさがあるし、最後まで頑張れば、ちとダサいところはあるものの感動的で虚脱感いっぱいのフィナーレに立ち会えるのだけれど、そこまでやたらに情報量が多くてひたすら彷徨する長時間につき合わせられるのだ。
 すなわち、キャラの造形はどれも魅惑的だけれど、ストーリーは複雑で情報過多、しかもどこか鬱展開、さらにいくつものディレクターズカット版があるという、実にオタク好みになるわけである。
 
 しかもブルックナー自身が、非モテの極みというか、煮え切らないというか、人と合わせるのが下手というか、一説によると生涯童貞だったという、そういう人間であった。
 
 
 本小説は、そんなブルオタの男性3人と関わることになった、ブルックナー好きの女性(本人曰くブルオタではない)を主人公とした物語である。
 
 ブルックナーの交響曲はとにかく紆余曲折するが、本小説は明快なソナタ形式である、と断言してしまおう。
 ブルックナー好きの女性による語りの部分が第1主題、ブルオタの男性が書く小説内小説のブルックナー伝が第2主題である。提示部ではこの2つの主題が並走する。
 これが展開部になると、主人公の日々の逡巡や過去の思い出がクローズアップされ、それがブルオタ男性の書くブルックナー伝に干渉するようになる。その影響を受け、ブルックナー伝も提示部の頃よりずっと深みを増したものに変容していく。苦悩と試練に満たされながらこの展開部は話が進んでいく。
 しかしその結果、2つの主題はそれぞれに新たな心境に到達する。再現部では、両主題とも何やら希望を感じさせて終わる。しかも、この再現部はかなり簡潔に詰めてあってダラダラしていない。
 
 実になんともよくできているのではないか。
 
 

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蜜蜂と遠雷 (ネタバレ)

2016年09月30日 | クラシック音楽
蜜蜂と遠雷 (ネタバレ)
 
恩田睦
幻冬舎
 
タイトルからはわかりにくいのだが国際ピアノコンクールを舞台とした小説である。もう徹頭徹尾コンクールである。第一次予選、第二次予選、第三次予選、そして本選と進んでいく。このコンクールを舞台として、とある4名の参加者を中心に群像劇がくりひろげられる。
大長編であるから、ピアノコンクールというものにどっぷりとひたるにはこれとない小説である。しかし、あまりこの世界になじみがないと、あまりの長丁場にダレるかもしれない。なにしろ、500ページにして2段組という分量なのだ。
 
言わば本作は国際ピアノコンクール追体験小説であり、コンクールに挑む主要登場人物の誰に肩入れするかも、読み手の好みがいかせて楽しい。あえて主人公をあげるとすると、元天才少女であるところの栄伝亜矢ということになるだろうが、歳のせいか、僕は最年長の高島明石をひいきしてしまいたくなる。
素直に小説の世界にひたってしまってもちろんよいわけだが、せっかくなので、ここはあえて本作品から、隠された文学的主題を読み取ってみようと思う。
 
というのは、この小説のタイトル「蜜蜂と遠雷」というのが気になったからである。

なぜ、これが国際ピアノコンクール小説のタイトルになるのか。

 
 
 
 
このタイトルがコンクール参加者のひとり、「蜜蜂王子」こと風間塵にちなんでいることは想像に難くない。
 
この物語では、風間塵はトリックスターとしての立場で登場する。それ以外の参加者たち、亜矢もマサルも明石も、コンクールを通じてそのピアノの出来具合から人徳に至るまで、目覚ましい成長を遂げていくが、風間塵だけは彼らの成長の触媒であり続け、彼自身は一見すると、初めから終わりまで何も変わっていないように見える。天衣無縫のまま走り抜けたように思える。
 
しかし、風間塵もまた実は変容したのである。それこそがこの小説の奥底にある文学的主題だ、と僕は断定してみる。
 
風間塵こそは本小説の問題提起的存在であるが、ではいったい彼の何がそんなに問題提起なのかは、わかるようでわかりにくい。なぜ審査員はあんなに葛藤するのか。あれだけまわりを熱狂させておいて優勝でも準優勝でもなく、第3位という結果は何を意味しているのか。
 
もちろん、このピアノコンクールという世界のことをよく知っている人ならば、なぜ彼のピアノが聴衆をあれだけ熱狂させながらつねに審査の場では賛否真っ二つとなり、ついには第3位で終わったのかについて、まあそんなところだろうなと非常にリアリティを感じられる。しかし、普通の物語的カタルシスでいえば、彼こそが優勝であろう。むしろ、優勝者であるマサルは「フラグ的」には優勝を逃すようにさえ思える。
しかし、クラシック音楽におけるピアノコンクールという場ではやはり、優等生マサルのタイプが優勝をするのだ。風間塵は優勝できない。公算としては本選進出さえ危ないはずなのである。
 
なぜならば、彼の音楽の由来は、「蜜蜂」にあるからだ。
風間塵が「蜜蜂王子」と呼ばれるのは、彼の家が蜜蜂農家であるからなのだが、彼に音楽的才能を与えた由来が「蜜蜂」を象徴とする自然世界の音と律動にあったからでもある。ここから導かれるテーゼは、美しい音楽は「初めからそこにある」とあう哲学である。彼の神に見初められたといってもよい、音に対しての繊細な神経と指先の身体能力は、すべて自然の森羅万象と接点をもつ日々から生まれた。
しかし、クラシック音楽という世界はそれだけでもない。インスピレーションとはむしろ遠いところにあり、本能的才覚だけで、クラシック音楽は完成しないのである。
 
西洋音楽であるところのクラシック音楽というものは徹底的な考察と考証を重ね、前人の検討と様式を踏まえ、人智と信仰までも包摂させた規定演技の芸術の世界にあると言ってよい。極端な言い方をすれば、風間塵のピアノは「芸」ではあっても「芸術」ではない。それがどんなに人の心をとらえ、狂わせようとも。それだけではイージーリスニングとみられてしまうのである。
 
しかし、初めから天才少年のように現れた風間塵は、物語の中で一度だけ変容をする。
それが「遠雷」に関わってくる。
実はこの物語。「蜜蜂」は何度も登場するが、「遠雷」という言葉は一度も登場しない。ただ一度だけ、第3次予選のまえ、風間塵はコンサートホールを出て、冬の雨が降る街の中を彷徨う。その空間は蜜蜂の音など聞こえない、寒々しい空の下だった。風間塵は孤独を感じる。亡き師匠の不在を強く意識する。このとき「遠いところで低く雷が鳴っている」。
この、雨の中の孤独の彷徨を経て、風間塵は覚醒するのだ。彼は亡き師匠のもとに音を届けようと思い至るのである。
 
 
「蜜蜂」に象徴される自然の律動の申し子、風間塵は遠雷のシーンを経て覚醒する。この覚醒の意味は、音楽を奏でることの、単なる喜びの発露ではなく、それを「誰かに聞かせたい」というメッセージ化にある。
もともと風間塵は「観客が誰もいなくても、無人島にピアノがあれば、楽しんでそれを弾く」人であった。美しい音楽は初めからそこにある。しかし、遠雷で覚醒した彼は、その音楽を誰かの元に届けたいと思うようになる。
彼が「3次予選」を通過し、「本選」へ進めたのはこのステップアップがあったからだ、というのが僕の仮説である。この覚醒がなければ、審査員を屈服させることはできず、彼は3次予選で終わっていただろう。
 
3次予選で彼が「何度も」弾く曲がエリック・サティの「ジュ・デ・ヴ」、すなわち「あなたがほしい」である。
風間塵のキャラクターからすれば、人を欲するタイプではないだろう。しかし、3次予選以降の彼の演奏は、人に対してつながろうとしている。一次予選、二次予選はたんに自分に対し戯れているだけであったが(そのレベルが半端なくて聴衆のほうが注目するが)、3次予選の演奏は自分を、自分の音楽を聞き手に差し出している。それも何度も弾くのである。(通常、コンクールで同じ曲を2度弾くことはない。この物語でもそのことが物議を醸しだすことになる)。
 
そして本選で彼が選んだ曲は、ハンガリーの作曲家バルトークのピアノ協奏曲第3番。この曲は、自分の命がもはや長くないことを知ったバルトークが、自分が亡きあとも愛する妻(ピアニスト)が仕事を失わないように、妻にあわせてつくった曲だ。バルトーク特有の暴力性は影をひそめ、全編にわたって格調とつつしみが溢れている名曲中の名曲である。それまでのバルトークのつくった曲は、バルトーク自身の美学のプレゼンテーションであり、極めて野心的なものが多かった。しかし、このピアノ協奏曲第3番は、純粋に「妻のために」つくった曲だ。第2楽章の美しさは絶品である。
風間塵はそんな「他人のために」つくられた曲を共感こめて弾く。彼は着地したのだ。
 
 
以上のことは、この長大な小説のどこにも書かれていない。完全に僕の深読み的お遊びである。
この深読みの根拠は、一度しか現れない「遠雷」のシーンが彼に何を作用させたのかということ、通常のコンクール演奏ではありえない「何度も弾く」サティの「お前がほしい」が意味する含み、そして本選の曲として選ばれた「バルトークのピアノ協奏曲第3番」である(さそうあきらの傑作「神童」でも、この曲は重要な場所で出てくる)。
音楽というのは、ことにクラシック音楽というのは西洋倫理の一形態であり、そこには形式や秩序があり、絶対的な時間芸術であり、そこで要求されるものはかなり窮屈なものであるが、‬いっぽうで音楽というのは必ず「誰かに聞かせよう」としているものである。聞き手を無視した音楽というのは原則的にはありえない。神にきかせる曲もあれば、パトロンにきかせる曲もあれば、愛する人に聞かせる曲もある。音楽は必ずコミュニケーション性をまとっている。そして、逆説めくが特定の誰かでない、全人類への祝福として音楽はその威力を発揮できる。風間塵が到達した境地はここである。
美しい音楽はたしかに人間などいなくても、初めから自然にそこにあるかもしれない。しかし、天衣無縫だった風間塵の演奏が、誰かに届けるために弾かれたとき、この上ない幸福な「音楽のある人間の世界」が実現するのだ。
 
 

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大東亜共栄圏とTPP  ラジオ・カタヤマ【存亡篇】

2015年11月28日 | クラシック音楽

大東亜共栄圏とTPP ラジオ・カタヤマ【存亡篇】

片山杜秀 
アルテスパブリッシング

 「現代音楽と現代政治」「線量計と機関銃」に続く第3段。

 しかし時事放談の色がどんどん強くなって、音楽のほうが付けたしになってきた。近現代の日本史世界史知識を背景に、異なるテーマをアウフヘーベンさせていく様は手品のように痛快。「隕石」と「体罰」なんてどうやって話をつなげるのかと思ったら、「隕石」→「発生するくらい大きな国」→「ロシア」→「こんな国と戦争しなきゃならない日本」→「時短で皆兵して鍛え上げらないといけない」→「体で覚えさせる」→「そういう原体験のある人が人を指導する年齢につく」→「体罰」ということ。これをちゃんといつごろから体罰が文献上に現れるかを検証した上でやってるんだからおそれいる。寺小屋時代に体罰はなかったんですね。

 池上彰や佐藤優が面白い人はこちらもいけると思う。斜めにみている分だけより賢げかもしれん。


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四月は君の嘘

2014年05月30日 | クラシック音楽

四月は君の嘘

新川直司

 コミックでクラシック音楽ものといえばストーリーの展開、キャラの案配、描写、音楽の造詣、絵柄などなど総合して例の「のだめカンタービレ」が最高傑作ではないかとみており(さそうあきらの「神童」も一目おいているけれど)、これを凌駕するものはなかなか出ないのではないか、と思っていた。

 だから「四月は君の嘘」はかなり衝撃的だった。

 実をいうと、最初の1巻、2巻くらいまではまあまあかな、という印象だった。

 だが、この作品は、巻を追うごとにどんどん洗練と深みが増してきており、5巻あたりから先は大向こうをうならす出来になっていった。


 まず、選曲がかなり凝っている。
 主人公の有馬公生が選んだショパンのエチュードが作品25-5。24曲あるショパンのエチュードの中ではむしろ地味なほうに属するが、ショパンならではの繊細な変容と巧みな奏法技術がブレンドされた玄人好みの曲で、プロのピアニストでこの曲を愛奏する人は多い。大巨匠ホロヴィッツが生前最後に録音したアルバムにも、この曲が選ばれている。(ライバルの井川絵見が選んだ疾風怒濤の超有名曲「木枯らしのエチュード(作品25-11)」との対比もにくいほどうますぎる)

 それから、クライスラーのヴァイオリン曲「愛の悲しみ」のラフマニノフによるピアノ編曲版。ヒロインであるヴァイオリニストの宮園かをりがクライスラー「愛の悲しみ」を持ちだしたときは、えらく陳腐な曲を選んだもんだ、と思ったのだが、そういう伏線か、と感服した(ここから先はネタばれ領域)。

 さらにそこから、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」のラフマニノフピアノ連弾編曲版となると、これはもうむしろマニアックといってよい。実は2台のピアノのための曲や連弾曲は、クラシック音楽におけるピアノの世界でもわりとマイナーというかイロモノのジャンルだったりするのだが、しかしその亜流分野においてラフマニノフのものは異彩を放つと評価されている。


 もうひとつの特色は、演奏シーンの引っ張り方だ。わずか数分間の楽曲の演奏に2話3話と費やすところは、地平線のむこうにゴールポストがみえるキャプテン翼を思い出すが、この拡大された時間と、そこにたっぷりつめこまれた登場人物たちの背景描写や心理描写が実に圧巻である。
 実は「のだめ」において唯一の弱点がこの演奏シーンではあった。なにしろ、マンガというのは「音が出ない」表現形態なので、演奏シーンをひっぱるのはけっこう至難なことだと思う。表現手法もわりと類型的になりがちだ。

 だから、ここまで引き延ばしてみせたのは驚異的で、邦画屈指の名シーンとされる「砂の器」の、コンサートの場面を彷彿させる。


 また、メインの登場人物が中学生という設定も、音楽家の成長を語る上でポイントだ。
 いまや世界に通用する一流音楽家になるには小学生から中学生にかけての心身ともの成長期にどこまで熟達するかにかかっている。高校や大学から本格的に先生につくようではとても間に合わないのだ。

 しかし、この重要な時期にキャリアを積むにはコンクールでどんどん入賞していかなければならず、だがコンクールで勝つには、この作品でも重要なテーマとなっているように「楽譜に忠実」でなければならない。ことに日本国内はそうである。
 この徹底的に「楽譜の鏡」になることを厳しく叩き込まれ、いくつかのコンクールの入賞歴を重ね、それでいてけっきょく誰も知らない無名のピアニストやヴァイオリニスト、あるいはプロ演奏家としては食えずに学校や教室で教えながら過ごしていく人は、実に実に多い。
 かといって、海外に出て好き勝手弾いてウケればそれでOKかというと、そういう世界でもない。ある意味、クラシック音楽という分野は、もはや遺物といってもよいくらい、ヨーロッパ伝統文化芸術の権化であって、保守的なことにはかわりないのである。「楽譜の鏡」以上のものを求められながら、なおかつ楽譜の逸脱は許されない、という極めて難しい様式美の上にある。
 だから、国内で泣かず飛ばずだったのが海外で大絶賛されて凱旋帰国、というのは実はそうあることではない。


 というわけで、今まで出ているのは第9巻までだが、このあと主人公の公正くんとライバルたちがどう成長していくのか、海外に留学するのか、どういう曲を取り出していくのかはたいへん楽しみである。
そしてもちろん、いやに暗いフラグが立ちまくりのヒロインかをりと、どこでどういう形で再び共演を果たすのか(最終回までおあずけってことないだろうな)も注目ポイントである。ピーナッツ・シリーズからの名セリフの引用や、三田誠広「いちご同盟」からの拝借など、読者を試すところも痛快である。

 また、音楽テーマを縦糸に、いわゆる青春ストーリーとしての横糸があり、音楽家でないもう一人のヒロイン椿も気になるところである。


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現代政治と現代音楽  ・ 線量計と機関銃

2013年12月24日 | クラシック音楽

現代政治と現代音楽 ・ 線量計と機関銃

片山杜秀

 すごいタイトルの本だが、実はラジオ番組の書き起こし本である。

 TOKYOFMの関連会社であるミュージックバードがやっているCSデジタル音声放送のスペースディーバという音楽放送チャンネル群のなかのひとつのクラシック音楽専門チャンネルの中のさらに「THE CLASSIC」というチャンネルの中の1コンテンツである「片山杜秀のパンドラの箱」という番組の書き起こしである。

 「現代政治と現代音楽」が3.11前まで。「線量計と機関銃」が3.11後を扱っている。

 いずれも政治や経済をはじめとする時事放談に、それにからめて色々な音楽を強引(?)に音楽をあてはめて紹介している。音楽といってもJ-POPとかではなく、チャンネルの筋が表すようにクラシック音楽が主である。とはいえ、戦前の歌謡曲とか、どこかの国の民謡とか、音楽の選択にあたってはかなりアナーキーであり、またそこがこの番組の特徴であろう。対する時事テーマのほうも、なかなか硬派で、政治や外交を頻繁に肴にしており、「線量計と機関銃」では原発事故と日本の原発国策がほとんどを占めるようになる。これらと音楽をどう噺として結びつけるかが、当番組のミソともいえる。

 しかし、音楽と時事を関係づけて話をつくる、というのが実に「コンテンポラリー=現代的」だと思うのである。

 正直に言って、これはやはり音楽の宗教性が喪失したことと無縁と考えずにはいられない。
 宗教性というのは、もちろん音楽のことの起こりのシャーマニズムとか、あるいはグレゴリオ聖歌このかたキリスト教との関係だとかいうのも意味するのではあるが、もっとマイルドに人々の心のよりどころ、浄化装置、熱狂の対象みたいなものも含めての「宗教性」である。宗教性という言い方が大げさならば「福音的効果」と言ってもよい。

 この音楽の人のココロをとらえて離さなチカラそのものが、いま弱くなっており、むしろ時事時勢の一アイテムとして片付けられる時代になっているように思うのである。、 

 たとえば、今ではもはや信じられないわけだが、90年代のJ-POPははっきりいってすごかった。小室哲哉プロデュースのアーティストがダブルミリオンセラーを放っていたし、ミスチルだ、ELTだ、ジュディマリだ、とさまざまなアーティストがヒットを出していた。2000年代になってもしばらくは宇多田ヒカルと浜崎あゆみがミリオン競争をくりひろげていた。今のような惨憺たる状況、オリコンのほとんどをAKBとジャニーズが占めてしまい、ボーカロイドの曲に人気が出てくるこの現代の傾向は、やはり考察の対象になると思うのである。
 ここで注目したいのはなぜAKBや初音ミクは人気があるのかということではなく、かつてのアーティストのようなものがなぜ流行らなくなってしまったのか、ということだ(かろうじていきものがかりとかミスチルがランキングのどこかにぶらさがっているくらいか)。

 2000年代も後半になって、音楽の歌詞やメロディによって魂をゆさぶられ、人生に少しでもモチベーションが生まれるという、すなわち音楽の力が、急速に無くなっていった。それは音楽みずからが力を失ったというより、聞く者が音楽を信じなくなったといったほうが正しいかもしれない。
 誰も信じない神は、奇蹟も祟りも起こせないのである。
 AKBも嵐も初音ミクも、音楽の力というよりは人そのもの(初音ミクは「人」かという問題はあるが)への参加感みたいなものが人気の根底(もしくは全体)にあり、「音楽」は副次的なものという印象が強い。(なにかパフォーマンスしないと体を成さないから音楽でもやっている、という感じ)。

 もちろん、これを悪とも嘆かわしいとも言っていない。これが同時代なのだということだ。
 つまり、「何か」よりも「誰か」が優先されているのである。日本人はもともとそうだ、という説もあるが、この格差がさらに拡大しているということだろう。「誰か」が魅惑的でさえあれば、「何を」していてもよい、いっそ何もしなくてもよい(「自分」の気分を害さなければ)、という時代になっている。かつては「何か」をする「誰か」は良いあるいは悪い、という判断順だったのだが、「誰か」がする「何か」は良い、悪い、ということだ。
 けっきょく、これはあまりにも「何か」が多すぎて似たものが氾濫し、そして氾濫するわりにはちっとも世の中は動かず(たまに「動く」ものがあるとなだれ式に大ヒットする)、それなら「誰か」の方をシグナルにしたほうが結果的にはずれが少ない、ということである。

 で、この「誰か」に全ての信頼性を託すところが、とっても今、コンテンポラリーなのである。安倍晋三が言っていることはすべて正しい(つい数年前は安倍晋三が言っていることはすべて間違いだった)、フジテレビが言っていることは全て揶揄の対象(数年前はフジテレビが言っていることは全てお手本だった)なのである。
 案外これはバカにならなくて、予言の自己成就性というか、一方で自信、他方で焦りが生まれるのか、前者はますます成功し、後者はますます自滅していくようなところがある。

 そうすると、音楽だって、誰かの意思表明を表すもの、あるいは誰かがその時代にやったことの傍証でしかなくなる。純粋にその歌詞やメロディに心を震わせる素朴な鑑賞は、むしろこの複雑な時代にあっては危険なことになってしまう。

 
 「片山杜秀のパンドラの箱」は音楽を絡めた辛口時事評論という触れ込みなわけだが、辛口なのは当番組の語り口ではなく、音楽に対する世の中の扱い方そのものだったりする。音楽受難の時代なのかもしれない。

 


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おやすみラフマニノフ

2010年11月09日 | クラシック音楽

 おやすみラフマニノフ(ネタばれなし)

 中山千里

 デビュー作「さよならドビュッシー」に続く第2段。

  話そのものは単独で成り立っているので、これだけ読んでも差支えはないが、登場人物が前作と被るので、「さよならドビュッシー」既読のほうが、本書の理解には早い。特に探偵役である岬洋介の出自情報は「さよならドビュッシー」のほうに詳しい。

  ミステリの仕掛けなんかは前作のほうが大がかりだったようにも思うが、本書「おやすみラフマニノフ」の白眉は、克明な演奏描写にあるのではと思う。特に、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の細部に渡る演奏描写は、どの曲も数ページを費やして描かれており、実際にレコードを聴きながらよめば、臨場感抜群である。

 もう一つの本書の特徴は、いわゆる「音大」の悲喜こもごもがテーマになっているところ。ここらへん「のだめカンタービレ」とかにも触れられているけれど、音大生の卒業後の進路というのは本当に厳しい。お話にならない、といってもよい。要するに、市場の人材ニーズと音大の絶対数のバランスがまったく狂っているのだ。しかも音楽教育というのはとにもかくにも金がかかる。医大よりもかかったりする。

  この「おやすみラフマニノフ」は、そんな卒業前の焦燥感をベースにしたとある音大で、時価2億円のストラディバリウスが密室で消失するという事件が起きるのである。

 

  え? ラフマニノフなのにストラディバリウス?

  そう。実は本書最大のミステリーはここだったりする。

 ストラディバリウスといえば、ヴァイオリンである。主人公の専門はヴァイオリンなのである。だが本書で消えたのはチェロのほうである。

 ヴァイオリン専攻の人を主人公にしながら、で、ストラディバリウスを引き合わせながら、消失したのはよりマイナーなチェロのほうである。

 だが、そもそもラフマニノフというのは、ピアノで有名な作曲家なのである。ヴァイオリンでもチェロでもなく、ショパンとならぶピアノ中のピアノ作曲家ラフマニノフがタイトルに掲げられているのだ。

  つまり、

 ・主人公はヴァイオリニスト志望の音大生
 ・事件はストラディバリウスのチェロの消失
 ・クライマックスの楽曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番

  この、居座りの悪さこそが本書最大のミステリーである。なぜ、こんな物語にしたのか?

  ここからは推理である。

 全部同じ楽器で統一するより、少しずついろんな楽器をちりばめたほうが、より広く感情移入を募れる、というマーケティング的な理由か? 作者がどうしてもラフマニノフで話をつくりたかったのだけれど、ピアノだけで話を作ってしまうと、前作と路線が同じになってしまうという編集部からの指導が入ったか? 主人公をチェロ弾きにする学園ものだと、「船に乗れ!」と同じになってしまう、という判断か? 学園もので話をつくろうとすると、いろいろな楽器を登場させないとうまくもたない、ということか?

  僕が思うには、この第2作でこれだけバラエティに散らせておくことによって、第3作以降のバリエーションがつくりやすくなる、という長期的展望に基づいているのではないか、という推理である。きっと第3作はあの楽器のあの人と、この楽器のこの人が出てくるな、なんて。


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シューマンの指

2010年11月02日 | クラシック音楽

 シューマンの指(未読な人に差し支えない程度のネタばれなし)

 奥泉光


 これまでのクラシック音楽小説を凌駕する読み手を選ぶ本である。
 幸いにも僕はクラシック音楽なかでもピアノが好きなので、ここに出てくる楽曲やピアニストの名前はほぼ知っていた(レコード等で聴いた)し、クラシック音楽が趣味な人であれば、出てくる楽曲もピアニストも決してマニアむけではなく、むしろ穏当なところが多いのだが、とはいえ、一般の読者からすれば、これはなかなか挑戦的である。

 そもそもシューマンってのが、どこまで人口に膾炙された人なのだろうか。
 同時代の生誕200周年のショパンは日本でも人気が高い。また、リストは、フジコヘミングの「ラ・カンパネラ」とか、やたらに超絶技巧な曲を書く人とか、まあそれなりにイメージがあるだろう。
 だけれどシューマンというと、どうなのだろう。
 たとえば「トロイメライ」という曲はメロディだけならだれもが知っているかもしれない。
 だけれど、それが「子供の情景」という組曲のなかの第7曲目にあたる曲、なんてのは一般では認知されてないに違いない。

 もちろんクラシック音楽好きであれば、シューマンは超ブランドの作曲家である。
 本書は、シューマンのピアノ曲がモチーフになっている。小説のストーリーが進むにしたがって、そこに出てくる楽曲も、作曲された順に登場する。
 若々しい技巧曲「トッカータ」、シューマンの性格が現れた「ダヴィッド同盟舞曲集」、最高傑作の誉れ高い「幻想曲」と「交響練習曲」、異形の大作「グランドソナタ」、後期の「森の歌」そして晩年の「天使の主題による変奏曲」。
 「クライスレリアーナ」や「幻想小曲集」あるいは「暁の歌」のように、あまりコミットしなかった曲もあるが、なかなか野心的なミステリー小説である。

 もっとも、ミステリー小説とはいえ、本書の楽しみは、耽美的かつ頽廃的な空気が見え隠れする文体と世界そのものに浸るところにあるだろう。
 なにしろ、本書はシューマンがテーマなのだから。

 シューマンというのは、変人が多いクラシック音楽の作曲家の中でも、とりわけ変人である。たぶんに多重人格的な精神疾患があったのだろうと思う。晩年、といっても45歳でライン川に投身自殺し、それは救助されたものの、そのまま精神病院に収容されて翌年そこで死んでいる。
 だが、シューマンの楽曲は、そのまま野放図かというとそうでもなく、なんというか「計算された自然体」とでもいうような、きわめて精神のほとばしりのような情熱と気まぐれを見せながら、一方で、周到に音符が書かれている。構成と分裂の極端なバランスでつくられ、いわば絶妙ぎりぎりの均衡なところで成り立っている感じだ。晩年の作品になると、本当にタガがはずれて、遺作となった「天使の主題による変奏曲」なんて、そもそも創作品として体をなさなくなるが、若いころの作品には天才と狂気の狭間をゆくような作品が並ぶ。
 こうした美学が作用してか、シューマンをレパートリーにいれるピアニストは多い。実はショパンを弾かない、あるいはベートーヴェンを弾かない、というピアニストはわりといるのだが、シューマンを弾かない、となるとこれはアーティストとしてもぐりのような状況になる。古今東西、一流と呼ばれるピアニストはみなみな内容は違えど、シューマンに関してヒトカドの演奏をする。あれだけロマン派をきらったグールドさえ、シューマンのピアノ五重奏曲を録音しているのだ。
 芸術家にはそれだけ、シューマンによせられる何かがあるということだろうか。

 本書も、シューマンというそういうアブナイ、しかし人をひき付けてやまない「ひととなり」が全体を支配する。むしろこの小説の世界そのものがシューマン的とさえいえるのだ。
 現実と妄想の境界があいまいになったり、どこまでものぼりつめていくような感興の上昇があったり、突然後ろ側の世界がぼうっと手前に出てそして消えていったり。だが、あの話はけっきょくどうなったというような破綻は見せずに、統一感を持って。

 というわけで、クラシック好きにはたまらない小説で、随所に出てくるシューマンの楽曲に関する指摘や解釈なんかも実におもしろいのだが(シューマンの曲はみんな途中から始まったように聞こえる、というのはなるほどなあと思った)、あまりクラシック音楽になじんでない人が読むとどういう感想を持つのかしら。やたら大仰で夢遊病的な印象になったりしないのかな。





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ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは

2010年05月26日 | クラシック音楽
ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは

青柳いづみこ

著者はクラシック音楽のピアニストである。特にドビュッシーの演奏と研究で知られており、博士号ももっているはずだ。一方、非常に筆が立つ人で、ずいぶん前から音楽エッセイ集などを出していたが、最近は新聞の書評委員をやったり、新書を出したり、文筆家としても活躍している。音楽だけでなく、ミステリー小説なんかもお好きなようで、こちらのほうも書評やエッセイがある。

そのセンスが爆発したのが本書だ。実に面白い。なぜ「あのピアニストはあんな風にピアノを弾くのか」というのを、さまざまな資料や証言を糧に、まさしく推理小説のように解題していく。そして、巷間とは真逆のような結論を推す。たとえば「なぜリヒテルは楽譜を見ながら弾くようになったのか?」「なぜミケランジェリはあんなに完璧主義だったのか?」「なぜアルゲリッチはデュオしか弾かなくなったのか?」「なぜフランソワはあんなに“ゆれた”演奏をするのか?」「なぜバルビゼは伴奏ピアニストとして名が通ってしまったのか?」「なぜハイドシェックはあんなに宇野功芳が絶賛したのか?」。

ここに出てくるピアニストの名や、そのピアニストの演奏にある程度のイメージがある人ならば、本書は間違いなく面白いはずである。ことに僕は「リヒテル」と「ミケランジェリ」の章のまことにショッキングな結論に、これは下手な推理小説の何倍も面白いのではないか、とうなってしまった。続編をぜひ期待したい。

さて、本書に出てくるピアニストは前述の6人だが、もちろん、本文中には引き合いとして、さまざまな演奏家が出てくる。
その中で、70年代に登場したマウリツォ・ポリーニが、やはりピアノ界においてひとつのセンセーショナルとパラダイムシフトをつくってしまった、という話がことに興味深かった。
ポリーニのデビュー盤「ストラヴィンスキーのペトリューシュカからの3楽章(「のだめ」でお馴染みになった)」と、セカンドレコードとなった「ショパンの練習曲集」が、“聴き手”にとってすさまじいインパクトを与えたことは事実だが、聴き手や批評家だけでなく、同業者であるピアニストにも強烈な影響、というよりも戦慄を与えたらしい。リヒテルやアラウやミケランジェリを警戒させ、ハイドシェックにあたってはもろに「被害」を被った。ポリーニの「超スーパーテクニック」と「完璧なまでの楽譜主義」が融合した結果現れた新しい世界は、それまでのピアニストのスタイルをすべて、旧世代の遺物にしてしまったようである。ホロヴィッツとかリヒテルのように、超ド級の名声を得ていたピアニストはそれでもよかったわけだが、地味めの存在だったピアニストは完全に忘れ去られてしまった。最近は超情報社会の例にもれず、この業界も物凄い数のCDが毎月出ていて、70年以前に“そこそこ知られていた”ピアニストの録音(LP用)が次々CDとしてリリースされるようになったが、確かに80年代のCD普及期は、ポリーニ以前の世代のピアニストとなると、本当に「巨匠」級のピアニストの録音がメジャーレーベルで出ているだけだった。フランソワだって、祖国フランスと日本以外ではもう半ば忘れ去られている、という話も聞いたことがある。

つまり、クラシック音楽のピアニストだって、人気商売の芸人なのであり、そこには時代の趨勢とか、時代の好み、みたいなものがやはり反映する。ブーム現象ともなったフジコ・ヘミングの人気に、中村紘子がかみついた文章を見たことがあるが、いくら芸術の神の使徒をきどっていても、芸人である以上、自分を偽ってもステージに立たなければならない。観客の期待に答えなければならない。前回成功したのなら、、今回も成功しなければならない。成功するのは当たり前で、もっと成功しなければ、観客の満足にはこたえられない。これがずっと続く人生なのである。どれだけプレッシャーになって返ってくるかは、音楽家でも芸人でもない人でも、日々のサラリーマン生活で多少は心当たりあるだろうし、そんなときに、自分のスタイルを全否定するような新人がさっそうと現れたときの動揺は想像に難くない。

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のだめカンタービレ 最終楽章 後編

2010年04月28日 | クラシック音楽
のだめカンタービレ 最終楽章 後編(特に演奏ぶりについてネタばれ)


 というわけで、激務の間隙をぬって、「のだめカンタービレ 最終楽章 後編.」を見たのだった。ちなみに、コミックにおける同部分は、ここ(第20・21巻)ここ(連載最終回)、映画前編は、ここに、感想その他を書いている。


 「前編」と違って「後編」はのだめが主役ということもあって、さまざまなピアノ曲が登場する。ラヴェルのピアノ協奏曲、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番、ショパンのピアノ協奏曲第1番、そしてモーツァルトの2台のためのピアノソナタの4曲は重要なモチーフとなる。僕は、クラシック音楽の中でも特にピアノが好きなので、やはり曲と演奏には注目する。

 ラヴェルのピアノ協奏曲が持つ楽曲としての特異性は、コミックのときにも記したが、映画での演奏は特に低音にドライブをかけた極めてヴィルトゥオーゾに満ちた演奏で、孫ルイの面目躍如といったところだった。かなり技巧的な難曲ではあるが、あまりこういう風にメカニックを誇示するようには弾かれない曲なので、むしろ個性的な演奏といってよい。

 それに比べると、のだめがシュトレーゼマンとやったショパンのピアノ協奏曲第1番は、「独創的な解釈の名演」と映画上では扱われたが、それほど際立ったものではなく、むしろ模範・正統の範囲内だったように思う。
 現実の世界では、この曲で「独創的な解釈の名演」といえば1999年のクリスチャン・ツィンマーマンとポーランド祝祭管弦楽団によるものが出色とされている。往年のピアニストだと、1954年にサンソン・フランソワが指揮ジョルジュ・ツィピーヌ、オケがパリ音楽院管弦楽団とやったものが、都はるみもハダシで逃げ出す演歌節ショパンということで、好事家に珍重されていた(これにくらべればのだめの演奏はずっと優等生である)。
 また、この曲でセンセーショナルな登場をした人といえば、エフゲニー・キーシンである。1983年、巨匠ドミトリー・キタエンコの指揮、モスクワフィルハーモニー管弦楽団のオケの下でのライブ演奏が堂々たるレコード・デビューとなり、一気に世界中に知られることになった。このときのキーシン君なんと12歳! 神童伝説の始まりとなった。このときの録音は今でも現役で売られているが、天才児というよりは強烈に大人びた子どもという印象で、今聞いても十分に鑑賞に耐えられる。のだめのセンセーショナルなデビューはこのへんがモデルになっていそうだ。


 さて、クラシックの様式美の中でひとつの「大成功」をおさめたのだめは、再び「好きなように弾いて何が悪い」というアンチテーゼに引き裂かれていく。この分裂はこの物語の中で何度も訪れてきたものだが、一番深刻なものである。その解消が、映画ではちょっと描写しきれていない気もしたが、これはもう永遠の課題だ。
 現実に、この引き裂かれた二つの命題を抱え込んだピアニストも何人か実在している。いちばん有名なのは数年前に亡くなったフリードリヒ・グルダというオーストリアのピアニストだろう。クラシック音楽の完成された美学の中で圧倒的な水準に達しながら、なお、その制約に嫌気を感じ、いっぽうで羽目を外すことこそ音楽の原動力と見切って活動し、ベートーヴェンのピアノリサイタルをすばらしい名演を行った同じ晩に、同じ町のライブハウスでジャズを弾いていた。彼の自作の曲は、ジャジーなものだったり、ウィンダム・ヒル風だったりする。晩年のリサイタルはなんでもありで、モーツァルトの後に自作のジャズを弾いたり、グランドピアノと電子ピアノを交互に弾いたりするプログラムだった。

 というわけで、最終楽章後編でみせたのだめの栄光と迷走は、カリカチュアこそされ、現実のピアニストの世界で実際にある夢と現実、希望と絶望なのである。


 ちなみに僕は意外にもシュトレーゼマン、つまり竹中直人の「指揮ぶり」にやるじゃないか、と思った。たぶん、千秋すなわち玉木宏とは違うトレーナーが指揮の指導役についたのではないかと思うくらい、指揮のスタイルが違ったのだが、むしろ千秋以上に本物に見えた(あのふざけたヅラで)。


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