読書の記録

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庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭

2024年06月22日 | 生き方・育て方・教え方
庭仕事の真髄 老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭
 
スー・スチュアート・スミス 訳:和田佐規子
築地書館
 
 
 けっこうなボリュームの内容だが、言っていることはほぼ一貫していて冒頭で大意をつかめば、あとの大半はその補強情報といったところである。つまり、園芸や家庭菜園は、心身のために非常によく、心の治療や、利他精神の発露、対人症の克服、筋肉や内臓の健康回復と維持などに役立つ。
 現代社会における生活に少しでも悩みやストレスがあれば、これはなにはなんとも庭仕事をするのがよいのだ。
 
 庭というものを己の心身から離れた対象物ではなく、心身の一部あるいは心身が拡張された領域として扱えることができるという観点が、ガーデンニングの国イギリスでベストセラーになったポイントだろう。心理療法のひとつに、箱庭療法というのがある。庭と身体はボーダーレスなのだ。園芸という行為は、自分自身を整え育むことなのである。
 
 われわれ人類は、庭のような適度な広さで安全が保証されている自然空間に強い心の安寧をいだく。
 人類史20000年の中で、人間の身体は遺伝的に植物が放つさまざまな緑色や樹木が持つ非定型な輪郭、花の香り・土の匂いに好感と安寧を持つようになったのだ。人類にとってむき出しの大自然は脅威ではあるが、安全が確保されている庭ならばむしろ、自然とのほどよい相互作用の中に身を委ねることができる。園芸をしたことがある人ならば誰しも心当たりがあると思うが、農作物を育てるにも樹木草花を育てるにも、なかなか思うようにはいかない。かといってまったくコントロール不能かというとそうではない。自然の摂理の先を読み、雑草の駆除や新芽の間引きなど攻撃的なことをすることもあれば、風雪を避けたり水をあげたりと防御的な行為をする。継続的にケアをしていけば、大筋で当初想定していたような結果の庭になっていく。園芸とは、思い通り半分想定外半分のほどよい難易度の作業である。この適度な塩梅が心の平安を作り出すのだ。
 
 いちど庭仕事を開始するとやがて没頭して、日常の些事や悩みが頭から離れていく。手足を動かし、指先の感触に敏感になる。やがて少しずつ変化する自然のうつろいに気が向くようになり、現代生活をとりまく規則的・直線的・定形的な圧力を忘れていく。つまり、古来から人類が身体にもっていた感覚を取り戻す。人類史20000年を宿す身体のDNAにおいて、現代生活がもたらす刺激はどうしたってストレスを蓄積させるのである。園芸こそが現代社会を健康に渡り歩くための大事なエクセサイズなのだ。
 
 
 とはいうものの、本書は園芸大国イギリスの話だ。
 
 我が日本も、その自然観からすればここに書かれることは大いに共感するし、寺社の庭園なんかはそもそもが精神の一体化を前提としているところからすると、このような思想はむしろ先行していたのではないかとさえ思うが、実際のところ日本の住宅事情では必ずしもみんながみんな庭を持てるわけではない。本書のような日々を送ることは日本の都市部に住む人ではなかなか難しい。
 それでも、マンションのベランダにおけるプランター菜園とか玄関や路地裏の小路に置かれた鉢植え、宅内に飾られる季節の一輪、盆栽や観葉植物。なんとかして植物を置こうと希求する姿は、単に対象物を愛でたいというだけではなく、防衛本能とでも言いたくなるような突き動かされる何かがあるのだろうと思う。疲れたサラリーマンがやたら老後の自足自給生活を夢想するのも、そこに安らぎを求める何かを理屈抜きで本能的に感じ取っているからかもしれない。
 
 まずは室内に飾る鉢植えでも物色してみようか。

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