読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

あわいの力 「心の時代」の次を生きる

2014年01月23日 | 哲学・宗教・思想

あわいの力 「心の時代」の次を生きる

安田登

いろいろ示唆に満ちている本だったが、個人的に得たキーワードは 「皮膚感覚」と「異界」である。

 

「心(こころ)」というのは、心臓とか胃とかと異なり、具体的なブツが存在するわけではない。自分自身で触ることも、取り出すこともできない。

つまり、「心」というのは脳内で生成された概念でしかないのである。

もっというと、人間が後天的に作り出したものである。

著者は、人間が「文字」というものを発明するまで、「心」というものはなかったとしている。

「文字」の発明からさらに数百年たってようやく、「心」という概念が導入された、というのが彼が甲骨文字など、古代文字を研究して得た結論である。

で、そこから幾星霜、現代は「心」が肥大化して、その副作用もなかなかたいへんなことになっているわけである。

「心」は「心」として、「頭」で考え、納得しようとするのが、現代である。

それに対し、いや「心」というのは、身体の刺激――皮膚の刺激でも変わることができる、と本書では述べる。

たとえば、どしゃぶりの大雨で傘もなく、びしょびしょになりながらみじめに歩いていると、ある時点でなんというかぐはははは、と笑いたくなるような、開き直りに近い快感が生まれる。ぐっしょり濡れた肌、びちびちあたる雨粒そういったものがある時点から高揚感を促すのである。

運動をしたあとに、妙に気分がすっきりして、物事が前向きに考えられるような気がする。逆に、運動不足はイライラの元、とも経験上よく言われている。

これは養老孟司が何かのエッセイで書いていたことだが、オウム真理教の信者に多数の東大生が入っていたことがわかって世間に驚愕を与えたとき、大学の研究室でうだつの上がらない日々をおくっていた学生がオウムが実践するヨガ体系の中で、身体がほぐれ、血流が豊かになり、それが気分としてのスッキリ感を味わい、それを神秘体験と誤解したのだろう、というこの話、これもヨガという身体的刺激が「心」を動かしたという話である。

確かに、現代生活はこういう身体の刺激を鈍化する方向で進歩している。衣服の機能や風合いはますます進化し、空調設備は完備され、施設は全天候型になっていく。我々は普段の生活で肌を通じた刺激や触感に鈍くなっている。

本書が刺激するように、我々の日常生活で、露骨に肌の刺激が全身を覆うのは、ハダカで抱き合い、愛し合うときくらいになった。

で、たしかに性的快感とはべつに、この行為は一種の「心」の高揚をもたらし、ひいては精神状態の向上と安定に寄与する。

ananのSEX特集はそういう意味では正しいのである。

そうでなくても、自然の中を散歩したり、露天風呂につかったり、風にあたったり、草場に寝転んだりして、身体に自然からの刺激を受けることが「心」の改善につながることは、まあ確かだろう。「頭」でロジックを組みなおしながら「心」の平安を探すよりはよっぽど脳生理学的に効果があるに違いない。

明治時代の文学者、北村透谷は異常に頭でっかちというか考え過ぎなところがあってしまいにはノイローゼになってしまったが、晩年彼が行きついたのは、湘南の波間にゆらゆら浮かびながら夜空を眺めることで、自然の一体化を体験し、精神の究極の安定をみる行為だった。

こうした皮膚感覚の刺激は、いわば、日常界から、「異界」へいざなうのである。

人は「異界」に憧れる。「異界」に導く人に抗いがたく惹かれる。

「異界」というのは、日常界を支配するセオリーとは、違うセオリーで成り立つ世界のことである。

そんなのってアリ? と思えることを臆面もなくやる人、しかもそこになんらかの「美」があると、どうしようもなく惹かれてしまう。

皮膚を通して――目や耳や匂いや味覚でももちろんいいのだけれど、つまり左脳的な情報処理を通さずに直截的にそれを示す人や物にコロっとやられてしまう。

そのとき、「心」の閉塞感は反転し、カタルシスに満ちた解放感を得ることになる。

たいがいカリスマ性を持つ人というのは、この日常界から異界に導く人である。この持っていき方が非常に上手な人である。

それから、トリックスターと呼ばれる立場の人もこれができる人だ。著者は能のシテをやる人だが、シテもこのトリックスター的なところがある。

 

というわけで、閉塞感を感じるとすればそれは異界を覗く機会を最近喪失しているからであり、喪失しているのは、皮膚感覚を使う機会を失っているからである。

まずは皮膚をさらすところから始めなければならない。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京女子高制服図鑑 (昭和60... | トップ | 101年目の孤独 希望の場... »