生き残る判断 生き残れない行動 災害・テロ・事故、極限状況下で心と体に何が起こるのか
アマンダ・リプリー 訳:岡真知子
筑摩書房
本書を読んで絶望的な気分になってしまった。なにか大災害に見舞われたり、テロに遭遇してしまったとき。たぶん僕は本書が指摘するように最初は「否認」状態で初動を遅らせ、「のろのろ」と行動してしまい、眼前に何か危険なことがおこったときは体が「麻痺」してしまい、誰かの大声にそのままついていってしまうに違いない。9.11のときは貿易センタービルの中にいた人は極度の緊張状態から一時的に視野狭窄して何も見えなくなってしまったそうだ。僕もきっとそうなってしまいそうな気がする。
本書は、9.11テロやハリケーン「カトリーナ」、その他有名無名の様々な災害や事故やテロに遭遇して無事に生還した人を研究したものである。何が生死を分けるのか? 生き残った人はどういう心と体を持っていたのか?
本書によると、このような大災害に遭遇したとき、まず人は「否認」から入るという。このへんはキューブラー・ロスの「死の受容」と同じだ。著者いわくはこの「否認」は正常性バイアスという生存本能のひとつなのだそうで、つまりよっぽど自覚的に意識しないとこの「否認」は取り除けないのである。
この「否認」を通過すると今度は「思考」のモードになる。このとき「恐怖」が襲ってくる。心拍数があがり、視野はせまくなり、通常の判断ができなくなる。「恐怖」が目前にあると心身がこうなってしまうのは、これも実は生存本能なのだそうだ。逆説的だがそうらしい。これは身体ダメージを少しでも減らすための体の反応だそうである。筋肉や循環器の防御力を強めるため、脳の働きを低下させてしまう仕組みが人体にはあるのだ(脳に使うエネルギーを筋肉にまわすということ)。
また、その場が集団であったりすると、誰かの指示を無批判的に仰ごうとする。自分のアタマでは考えられないから、誰かに誘導してほしいのである。これがデマや誤誘導の引き金になる。また、集団思考実験でよくあるように、みんながみんなで様子を見あって出遅れるなんて現象もおこりがちである。
しかし、その「恐怖」のなか、何か次のアクションを決定しなければならない。こういう集団下での「恐怖」ではパニックを連想しやすい。しかし、本書によれば「パニック」は実はそう起こるものではないとのことである。むしろ「麻痺」したり、「のろのろ」行動することのほうが圧倒的に多いのだそうだ。これもまた身体の反応なのである。
要するに、大惨事に遭遇すると、ふつうの人間はその生存本能や動物生理学的な問題から、心も体もまともに動かなくなるのである。本書によると、人は90デシベル以上の音を急に聴くと脳が「恐怖」を感じ、心拍数145を超すと運動機能が低下し(素人はすぐに200まであがるそうです)、水温が12度以下だと手足が動かなくなるのだ。
では、生還した人というのはどういう人か?
結論から言えばそれは「恐怖」を克服した人である。「否認」を短時間で退け、明晰な脳でまともに「思考」し、生存の道へと意思決定していくことができた人だ。とはいえ、どうやって心身を支配してしまう「恐怖」というものを克服するのか?
本書の答えは、「避難訓練」をしておくことに尽きているようだ。つまり、事前に経験しておくことの計り知れない効果である。避難訓練は、本当の災害に比べて臨場感はまるでないが「こういうことがあったとき自分は何をすべきか」を知ると知らないでは大違いなのだそうである。
たとえば、飛行機の火災事故などで脱出するとき、事前に避難口のありかが描かれているシートに目を通していた人としていない人ではその生存率に決定的な違いがあるという(これからは離陸前にちゃんと読んでおこう!)。ホテルやオフィスビルの避難口や避難経路の確認も同様である。9.11のときは、避難階段のありかを知っている人と知らない人でやはり違いが出たらしい。人はいざ災害があってから避難経路を冷静に探し出すことはできないのである。
アメリカでは、軍隊や警察はとにかく恐怖に心身が支配されないようにする訓練をするそうだ。思考がとまっても体が条件的に動くようにするためだ。訓練の中には、極度にひとつのものに視線を集中することのリスクを避けるため(視野狭窄になって周辺の状況変化に気づかなかったりする)、一定期間ごとに地平を左右に見つめるということを習慣づけるというのもあるとのことだ。
そして、次に自分は何をすべきかという選択肢シナリオ、あるいはチェックリストを頭に思い浮かべることの訓練をする。思考停止にならず、やみくもに何かに視点を集中するのではなく、選択肢を考える。Aを選べばBになる。Cを選べばDになる。ではCをしよう、という風に頭が働くようにするのそうである。よく映画なんかでみかけるオプションBというやつもこれの一環か。
「避難訓練」を受けていると、なにもしてないときよりは恐怖心が抑えられるから、思考停止リスクも下がり、選択肢シナリオにアタマを働かす余裕も出てくるのである。
つまり「避難訓練」は、逃げ道をあらかじめ知っておくためというよりは、そのことによっていざ災害が発生したときの恐怖心を抑えることに意味があるのだ。とりあえず、いつも使っているオフィスビルや駅ビルは、非常階段を使って外に出てみる実験をしておこう。
本書の示唆の中で、自分でもできそうなハックスを2つ見つけた。
1つは「深呼吸」である。何かアクシデントがあったらまずは深呼吸。これはけっこういいらしい。4秒吸って4秒とめて4秒はく。たしかに血圧、心拍数の抑制にはなる。脳がすっきりする。「深呼吸」をすることさえ忘れてしまってはおしまいだから、「何かあったら深呼吸すること」というのをスマホにでも書いておくか。
もうひとつは「頼りがいがある人」を見つけておくということである。肝心なのは「誰とあたふたするか」なのだ。ちなみに頼りがいがある人というのは、「訓練を受けている人」「事故にあったことがある人」「両親や地域社会から道徳的価値観をよく学んだ人」なのだそうだ。最後のはそういう人は「英雄的行為」に走りやすいのだそうである。