読書の記録

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増補普及版 日本の最終講義

2022年07月24日 | サイエンス

増補普及版 日本の最終講義

鈴木大拙 宇野弘蔵 梅棹忠夫 江藤淳 他
KADOKAWA

 ここのところしばらく、読書と記録付け意欲が減退中で、当ブログも停滞している。
まったく読書を絶やしているわけではなく、つねになんらかの本が読みかけであるにはあるが、読むスピードや集中力に欠けているし、何よりも読後に感想がまとまらない。断片的なエピソードとしては覚えていても、本の全体像が頭に入っていないといったほうがよい。

 要するに脳が老化している、ということにつきる。40代を境に急速に転げ落ちているかのようだ。このまま自分は認知症になっていくのではないか、という気にさせられる。

 しかし、そんな危うい脳みそにおいても、この本は読み甲斐があった。脳みそにじっくりと染み渡る。名高い研究者の大学での最終講義を集めたものである。古くは小泉八雲や鈴木大拙から始まり、最近だと阿部謹也や日野原重明のものがおさまっている。人文から科学まで網羅されている。増補普及版とはいってもなかなか分厚くて778ページあり、モビリティにきついものがあるが、それでもカバンにいれてちょいちょい読んできた。

 冒頭を飾るのは鈴木大拙だ。禅問答(公案)の重厚な解説にまず面食らうがそれでも禅の境地とは何かの一端を知ることはできる。何かに解釈や存在意義や確認を委ねようとする限り(つまり問いかけて答えを期待するうちは)、まだまだ未熟なのである。すなわち問答しているうちは絶対に禅の境地には到達しない、という鈴木大拙の語り口にうなされる。

 さらにいくつか個人的に感銘を受けたものをひろってみると、まず猪木正道の独裁論。独裁の定義と特徴--独裁の本来とは、従来のガバナンスでは立ち行かなくなったときに臨時に許される非常事態的ガバナンスであり、期限付である限り有効なのだが、人間はその地位を得ると濫用したくなる。そしてその人(国)は孤立し、最終的には周囲によって崩壊させられるという話ーーからは、プーチン大統領の成り行きのむべなるかなを知る思いがする。
 河合隼雄のコンステレーション論では、心療や心の相談において、相手の発言を額面通りに受けとるのではなく、何が彼をこんな発言させているのかに思いをはせ、こちらからは解決策を言わず、本人の中にあるであろう文脈や因果が表面に出てきてそれを本人が気づくようにすることに徹する旨が書かれている。今日の傾聴メソッドの基本であるが、こんなところから派生してきているのかと思う。
 江藤淳の最終講義はエンターテイメントとしても面白い。題して「SFCと漱石と私」。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに教授として招かれたいきさつと、ライフワークとなった漱石の研究と、自分自身の矜持みたいなものを、実に凛と語っているのだが、非常に迫力と緩急がある語り口で講談みたいだ。最後に拍手が鳴りやまなかったとあるが、さぞかし現場の興奮はすごかったに違いないと思う。僕は生前の江藤淳の講演をいちど聞いたことがあるのだが、古めかしいコトバ使いにもかかわらず、ちっとも弛緩しないその組み立てと語りのスキルに舌を巻いたことがある。

 しかし、この分厚い本で最も琴線に響いたのは、日野原重明が聖路加看護大学で行った最終講義である。ここでは看護師へのたむけが語られる。よく比較される医者と看護師について、世間は医者のほうが看護師よりも偉いように語られるがそんなことはない。医者はサイエンスで看護師はケア。しかし我々が見なければいけないのは人間であって、人間の相手をするというのはサイエンスではなくてケアである。とくに終末医療。この患者はどうしても助からないとなったとき、医者はもう何もすることはできない。サイエンスの限界である。しかし、看護師の仕事はここから始まる。その患者の人生を全うさせるためのケアは、医者にはできず、看護師に託された特権である。この話は非常に胸をうつ。昨今、ブルシットジョブなどで「ケア」という言葉は再注目されているが、その神髄がこの日野原重明の短い最終講義に凝縮されているといってもよい。

 象牙の塔とか、アカデミズムの閉鎖性と有用性などがよくいわれる研究界だが、彼らの信念と情熱をみると、人間や社会や世界の真理を彼らなりの角度でいかに照射し、そして多くの人にその光明を与えていくということで彼らの仕事は決して閉じたものではないことをしみじみと感じる。プロフェッショナルとしての矜持とはなにかを、本書の何人もが語っている。


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