読書の記録

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1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法

2019年05月28日 | 生き方・育て方・教え方
1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法
山口揚平
プレジデント社
 
 
 本書が触れている「信用社会」について、僕も僕なりに似たようなことをぼんやり考えていたので、これを機に整理してみる。


 現代社会は「お金」を中心に成り立っている。そんなことない! という声が聞こえてきそうだが、原則的に我々の生活は「お金」がないと生きていくのがたいへんに難しい。少なくとも日本はそうである。生活保護だって行政から「お金」をもらうのである。直接、住宅や食料や衣服を支給されるわけではない(刑務所は現物支給である)。
 「お金」とは何か。経済学的な答え、社会学的な答え、哲学的な答え、色々あるが、仕組み論っぽく言えば「『信用』を定量化して可視化したもの」である。
 ここに日本の「1000円札」があれば、この紙きれは1000円相当のものと交換できる、という相互の信用で成り立っている。
 だから、海外で日本の1000円札を出しても、ただの紙切れとして信用されないだろう。アメリカのどこかのスーパーマーケットで、仮に1ドル=100円の為替だとして、10ドルのものを1000円札で買おうとしても断られる。「1000円札」に「10ドル」の価値があると信用されないからだ。逆の立場を考えればすぐにわかる。
 しかし、引き受けてくれる店もある。海外旅行者むけの土産物屋なんかだと日本円をそのまま引き受ける店がある。アメリカでは少ないかもしれないが、アジア諸国なんかでは日本円OKの店をよく見かける。つまり日本の1000円札を信用してくれているのだ。
 それどころか、自国のお札は信用していないが他国のお札なら信用する、なんて例もある。ガバナンスの悪いアフリカの途上国なんかでみられる。自国のお金は誰も使おうとせず、米ドルで商売したりする。
 「お金」の発見(発明?)は社会の仕組みを変えた。物々交換の社会から、「お金」というものを仲介させることで、社会の共通言語になるとともに、取引における空間的な長距離移動や時間差にも耐えられるようになったのである。そんな時代が長く続いた。

 だけれど。
 ここにきて「『信用』を定量化・可視化して社会で共通言語として共有できるもの」であれば「お金」ーーキャッシュマネーでなくてもよいのではないかということにみんな気づきだした。この背後には情報技術の進展がある。で、ビットコインやキャッシュレスやポイント交換や地域通貨など、いろいろな取引単位が出てきている。
 これらの共通項は「信用」すなわち「クレジット」である。「クレジット」が担保できるのならば、キャッシュマネーでもビットコインでもQRコード決済でも楽天ポイントでも地域通貨でもよい。なにはともあれ「クレジット」が必要なのである。ここがまず留意である。

 さて。
 人生100年時代とか言われ、行政の社会保障制度も信用できない今日、いかにして生活していくために「お金」を稼いでいかなければならないかが大問題となっている。
 昔は、人並みに働き、社会保険料を納めれば、やがて年金が支給され、人生をちゃんと全うできるだけの「お金」が担保された。
 その雲行きが怪しくなっている。人生100年をあるていど幸福に生きていくためには、なんと「お金」が足りなそうな気配である。

 その結果、目下の収入源以外で「お金」を稼ぐ方法を見つけなければならなくなった。
 その代表的なものが「資産」の運用である。確定拠出年金なんかがそうである。かつて勝間和代が「私の代わりにお金に働いてもらう」と言っていたあれである。株式や債券以外にも、マンション経営など自分が持っている資産ならなんでも資産運用だ。
 UberとかAirBみたいに、自分が持っている車の空き時間。自分が持っている住宅の空きスペースを「お金」を稼ぐ手段に使うもの。これも資産運用の新形態といってよいだろう。
 こうして自分の身体から拡張されたすべては資産とみなされ「お金」を稼ぐことに使われる。金融業界では資産のことをアセットとかキャピタルとか言ったりする。

 さらに。自分の身体もばら売りするようになる。
 企業の副業解禁がそれだ。終身雇用制の崩壊ともつながって、ひとつの会社との契約でずっとサラリーをもらうビジネスモデルは、雇用する側もされる側ももはや信じられなくなっている。バイトの掛け持ちみたいな生活は、アメリカのミレニアム世代あたりでは特に珍しくない。
 だいたい人生100年時代に、ひとつの企業が長い間元気である保証はどこにもない。それに自分が得たビジネススキルだって100年持つわけがない。企業も個人も常に同時代のスキルを学び続けなければならなくなっている。これはけっこう大変なことである。

 そうなってくると、人生100年時代において、真に必要なのは個人の信用力すなわち「クレジット」力ということに尽きるな、などと考える。UberもAirBもつまりはオーナーの信用力が大事だ。資産運用も副業解禁も、個人と企業の「クレジット」次第と言える。その企業が信用できるかどうかはさておき、個人の「クレジット」は確保しておかなければならないのが人生100年時代と言える。


 ではどうやって個人の「クレジット」を確保していくか。
 これまで個人の信用は、その所得や資産量、つまり「お金」の量で測られていた。しかもそのほとんどはキャッシュマネーだ。ところが「クレジット」というのは必ずしも「お金」に限らないのである。「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」という概念が生まれたり、SNSでいいねやフォロワーの数で、その人の信用力が査定されたりする。社会関係資本がしっかりしていれば、その人に仕事を頼もうという話にだってなるだろう。
 つまり、「お金」は、「クレジット」を稼ぐための手段のひとつ、とみなすこともできるのである。

 要するにこういうことだ。
 人生100年時代にあっては、「お金」を稼ぐための「仕事」だけでは人生を幸福に全うできない、のである。
 幸福な人生を全うさせるには、あらためて上位概念である「クレジット」まで戻る必要がある。「お金」は「クレジット」獲得の一手段である。「クレジット」を得るには、「アセット」でもいいし、「リソース」でもよい(「ソーシャル・キャピタル」は、キャピタルを名乗っているけれど、概念的にはリソースに近いだろう)」。

 そうすると、「クレジット」を得るための活動も、「お金を得るための仕事」だけではないということになる。たとえば社会関係資本をかせぐための活動は、「仕事」と言えるだろうか。これは「ワーク」とは言えても「ジョブ」ではない、なんてニュアンスになる。
 「仕事」には「Work」「Job」「Business」「Labor」などいくつかの英語がある。さらにスキルを学んでおくための「Learning」も、活動に加えていいだろう。これらは、すべて「マネー(お金)」「アセット」「リソース」「キャピタル」「スキル」といったものを獲得し、最終的には個人の「クレジット」というものに収れんされるのだ。
 そうやって360度の同時多発で「クレジット」をつくりあげていくことが、人生100年時代を幸福に生きていくためには必要なのだよな、などとぼんやり考えていた。短期間で次々と切り替えていく「ジョブ」もやれば、長期間つづける「ライフ・ワーク」もやってよいのである。明日のおカネのための「レイバー」もやれば、数年先を見越した「ラーニング」をやってもよいのである。


 この話。まだまだ生煮えだが、もしかすると何かに化けるかもしれないなともう少し思案してみることにする。「ジョブ」×「マネー」の時代は後景に去り、これからやってくるのは「ワーク」「ジョブ」「ビジネス」「レイバー」「ラーニング」×「マネー(キャッシュからポイントまでいろいろな単位がある)」「アセット」「リソース」「キャピタル」「スキル」のポートフォリオである。おお。なんかハッタリかました自己啓発書みたいだ!

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