読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

東京藝大美術学部 究極の思考

2024年10月17日 | 芸術
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東京藝大美術学部 究極の思考

増村岳史
クロスメディア・パブリッシング

 久々に面白い本を読んだ。東京藝大美術学部すなわち「美校」の関係者をインタビューして考察した内容の本だが、やっぱりアーティストの思考回路を追跡する話は面白い。自分がそんなものを持ち合わせてない凡人ゆえのコンプレックスなのか、あやかりたいのか物珍しさなのか。いずれも思い当たる。こういうのをアンビバレントな感情と言うのかもしれない。
 だいたい「アーティスト」なんていうと、なんとなく自分勝手で世間様を舐めていて髪型や衣装も変にツッコミどころがあって、そのくせ傷つきやすいメンタルを持っている、という先入観イメージがある。我ら世俗に生きる者とは心の置き場所が違う仕様でできているように感じてしまう。
 しかし、本書は藝大美校生の思考を追跡することで、アーティストの思考が本来はアーティストではない我々の生活やビジネスにも敷衍できることも狙っているようだ。実際のところ僕は本書を大型書店のビジネス本コーナーで見つけたのである。

 本書に登場する美校関係者は油絵科、日本画科、彫刻科、建築科に及び、語られる内容は、そのユニークな入試のありようや彼らの受験時のハプニング、在学中の過ごし方から卒業後の意外な進路までと幅広い。そういった中から収束するように見えてきたのは、彼らの3つの特徴である。

 ①「ビジョン」というものを持ち合わせている
 ②「観察力」が徹底している
 ③「やり切る力」がある

 アーティストは、なかんずく美校生は、これらがいわゆる「アーティストではない人」と比べてきわめて研ぎ澄まされている、ということのようだ。

 ①「ビジョン」というものを持ち合わせている 
 アーティストが作品を制作するにあたっては、何かを具体的に作り出す前に、そもそもビジョンやアイデアを持っていなければならない。つねに「ビジョン」は頭の上を浮遊している。この「ビジョン」なるものは北極星のごとくにぶれず、創り出す作品群の根底を流れる思想である。芸風とかテーマと言ってもよさそうだ。
 一作品ごとに全然違うテーマやアイデアを繰り出すアーティストとか、いつも出まかせのアーティストというのはあまり存在しなくて(いるとすれば「でまかせ」がビジョンなのである)、奈良美智はいつもコワい目の子どもを描くし、草間彌生といえば水玉模様である。坂本龍一の音楽は東洋音階に特徴があったし、支持されているJ-POPアーティストはみんな一聴すればわかる芸風がある。これらはみんな彼らが「ビジョン」と言うものを持っていて、それにしたがって諸作品を創り出していると言えるだろう。生涯に作風が何度も変化したピカソやストラヴィンスキーも、その「ビジョン」が掲げられていた期間には集中してそのビジョンに沿った作品を発表し続けた。それに、一見作風が変遷したようでも根底には何かしら一貫した思想があったのかもしれない。

 彼らが持ち合わせるこのビジョンが、世の中にどう受け止められるかで、そのアーティストの人気は大きく左右される。単に「わたしはこのようなビジョンを持ってます」ということをわからせるだけでは不十分だ。そこに見る人聴く人の心をざわざわと動かすような何かが求められる。鑑賞者をうならせたり、泣かせたり、畏れさせられるほどのビジョンがあれば、その人はアートをやっていく強い礎を持っていることになるだろう。
 とはいっても「ビジョン」は正論や善なものとは限らない。背徳、邪悪、危険、いびつなもののほうが鑑賞者の心をざわつかせたりすることだってある。藝大では入試の際に実技が求められるが、単に上手に描くのではなく、審査員になんであれ「さあ、あなたはこれについてどう思う?」という問題を投げかけるような「問うた」作品が望まれるのだそうである。

 ところが、アーティストでない我々(というか僕)は、「ビジョン」なるものを持って人生を送っているのかと問われると急に自信が無くなってくる。「貯金を1000万円貯める」「社長になる」「いつか世界一周してやる」「貧しい人を助ける」「自然を大事にする」などと、絵空事ふくめていくつか挙げてみても、特にぴんと来ない。自分の仕事に関して「社会に役立つ仕事をする」「地域の人が喜ぶ仕事をする」「未来に残る仕事をする」と言えばどれもそうありたいはずなんだけれど、じゃあそれが日々の自分の仕事の諸生産に反映しているかというとまったくそんな気がしない。我々の仕事はアーティストにおけるビジョンと作品の関係のようにはならない。
 そりゃ、アートと普通の人の仕事とは違うよ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、本書には彫刻科出身でソニー生命のライフプランナーに就職した人物が登場する。彼いわく「彫刻のノミが保険証券に変わっただけだよ」。つまり、彫刻のノミと保険証券をアウフヘーベンしたものがあって、そこが彼の「ビジョン」の位置なのである。これはなかなか凄いことを言うなと思った。この「●●が××に変わっただけで、○○であることには変わらない」というのは思考フォーマットとしてなかなか使えると思ったけど(○○に何を置くかがポイント)、ちょっと思考実験してみたらこれはなかなか簡単なことではなかった。

 ②「観察力」が徹底している
 とはいえ「ビジョン」とは寝転がっていれば浮かび上がるものでもない。ビジョンが定まるのも、ビジョンに基づいて具体的な作品をつくるのも、まずはインプットが必要で、そのもとになる力が「観察力」である。アーティストは一般人に比べて観察力が鋭いことが本書ではしばしば指摘される。

 じゃあアーティストの観察力は具体的に何が凄いのか。それは
 ・「非言野」で観察する
 ・「バイアス無し」で観察をする
というのが本書の解答である。どうも一般人であるところの我々は、物事や事象を観察して把握するとき、本人の意識無意識に関わらずに脳みその「言語野」というところで情報を整理するそうだ。要するにコトバとして事象を把握しているのである。ヨハネの福音書が「はじめにことばありき」という冒頭で始まるとか、寒い国では雪や氷を表す言葉が何十種類もあるとか、言語による認識こそが世の中の認識という見立てはわりとハバを効かせている。
 しかし言うまでもなく森羅万象は人間様が言語化しようがしまいが絶対的にそこに存在する。それは風の囁きのように聴覚で把握できるものもあるし、黄昏時の空模様のように色覚で取り込めるものもある。いわば世の中は多次元で情報を発信しているわけで、そんな事象を言語という一次元情報に圧縮するということはそこにかなりの情報の簡略化や取りこぼしが発生するということである。

 アーティストは、事象を観察するときのこの取りこぼしが一般人よりもずっと少ない。その秘訣は脳みその「非言語野」を活性させながら観察してるのよん、ということだそうだ。一般人の観察力が音声メモアプリならば、アーティストのそれはマルチトラックレコーダーということだろうか。非言語野、つまり視覚聴覚嗅覚触覚すべてをそのまんま開いて事象を把握する。

 ただし、一般人ががんばって非言語野の脳みそを動かして観察しようとしても、その事象の把握はバイアス、つまり自分自身が持っている知識や経験というフィルター越しに事象を把握してしまう。雲をみればその色は白色と早合点し、赤ちゃんはよちよち歩くものという認識が先に出来上がっており、フォークの先は3本に分かれている、という先入観で事象を見てしまうのだ。バイアスというのは脳みそのショートカットであって、そうやって情報処理を合理化しながら裁くことで人間の脳は生存能力を磨いていったのだろう。
 しかしその結果、実際の事象とはずいぶん違う形で物事をとらえてしまうことが多いのだそうである。実はそのフォークは4本に分かれているのだが、そのことに気づく人はほぼいない。素人になんの手ほどきもなくスケッチをさせると、実態と本人の認識のずれがよく出るのだそうである。

 観察力を身に付けるには、自分自身が本来もつ知識・経験・先入観を排して、そして非言語野を解放して、つまり無我の境地で対象のあるがままを見る必要がある、ということだそうだ。観察力の鋭いアーティストはこの能力が備わっているらしい。
 ここに学ぶものがあるとすれば、我々も物事を観察するときは、サバンナの動物のようなつもりで、ぼーっと瞳孔を開きながら、だけどちょっとした異変にも気付く覚醒気分で挑めということになる。
 そうやって観察力が研ぎ澄まされると、そこにビジョンのタネが宿るようだ。

 ③「やり切る力」がある
 「観察力」がなければ強い「ビジョン」も持つことはできない。では「ビジョン」を持たないで生きていくとどうなるか。
 短視眼な生き方になってしまうのである。
 人生の大目的がたいへん希薄になり、とにかく目の前の雑事・些事・仕事を無事にケガ無くこなすことが目的の日々になっていく。いろいろなことに一喜一憂しながら毎日を過ごす。処世術には長けていくが、次第に目の前のクリアすべき課題に対し、最小限の労力と時間で最大の効果がはかれるようなバックキャストを繰り返す日々になっていく。想定不能なものに対して忌避していく態度になっていくし、冒険もしなくなる。
 ビジョンのない人生を無事に生きていくためには生存本能的にそのように脳みそが行動決定されていくんではないかという気がする。

 一方で、ビジョンを追いかけて生きる人は、毎日発生する雑事・些事・仕事も、どうやって「ビジョン」につなげようかという意思が働く。ビジョンに絡まない平穏な些事より、ビジョンにかこつけた無骨な些事のほうが人生は面白いという発想になる。ここにあるもので何が生まれちゃうかか考えてみようというトリガーキャストの発想になる。「死ぬこと以外かすり傷」という名言があるが、こう言えてしまう人は人生にビジョンがあって、些事の失敗なんかかすり傷ということなんだろう。ビジョンがないと、些事のひとつひとつの失敗があたかも人生上の大ケガになるような大ダメージの錯覚があってついつい安全運転してしまう。

 とはいえ「ビジョン」をただ掲げ続けるだけではただのホラ吹きである。その実現のために石にかじりつくおもいで実践をチャンレジし続ける。金が尽きようがひと様に指をさされようがチャレンジを続ける。一作つくって満足ということはまずない。一作で満足できるビジョンなんてのはたかが知れているビジョンだ。
 したがってそのビジョンが求めるものを何作も何作もチャレンジすることになる。ここで心が折れるか折れないかがアーティスト人生の分かれ道だ。諸事情によって道半ばでビジョンを捨てる元アーティストはごまんといるだろう。
 ということで、「やり切る」というのは一種の才能なんだなというのが本書を読むとよくわかる。アーティストというとひ弱なイメージがつきまとうこともあるが、いやいやどうしてアーティストは頑強でなければ務まらないのだ。このあたりはアスリートの精神に通じるものがある。

 ただし、面白くもおかしくもない日常の雑事・些事・仕事を、have to(やらされ)なものとして片付けず、何がしかのビジョンの体現にするのだとmust(使命感)なものとしてこだわることができれば、「やり切る力」はずいぶんつくのではないかと思った。細部のこだわりを大事にするいわゆる「ていねいな暮らし」なんてのも同じ話なのかもしれない。このあたりはアーティストではない我々も一聴できる思想だろう。
 もちろん、会社でこんなことやってると、お前のこだわりなんかどうでもいいからちゃっちゃとその仕事を仕上げろと叱られること必至である。くだんのソニー生命に就職した元彫刻科生は恩師から「やりたいことをできる環境に身を置くのを才能という」と教えられたそうだ。

 上記の通り、藝大に集うようなアーティストは並大抵ではないわけだが、この「やり切る力」に関連するところで言うと、以前「アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方 」という本を読んだ。「アーティスト・ハンドブック」によれば、このアーティスト足れというプレッシャーそのものにどう負けないか、ということがとにかく大事なのだということである。アーティストであり続けるには自分を信じて作品づくりを続けるしかない。本当にそれは優れたビジョンなのかとか、自分には観察力があるのか、というよりも、自分はいいビジョンを持っている、自分の観察力は大丈夫である、そして自分はやり切れる、という自分への信頼だけがアーティストのエンジンなのである。まして技術技法のうまい下手なんてのはさらにその次なのである。
 要するにアーティストを名乗れるかどうかというのは、売れているとか人気があるとかではなく、自分の主張する作品を生み出し続けることができるか、と言う気力を持ち続けらえるかということに尽きるようだ。彼らの「究極の思考」をぜひ我が日常に取れられたらと思ったものだがこれはこれで日々是修行なのだな。


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ビジネス戦略から読む美術史

2021年07月05日 | 芸術
ビジネス戦略から読む美術史
 
西岡文彦
新潮社
 
 
 西岡文彦の著書は久しぶりな気がする。
 
 著者の現在のキャリアは多摩美大の教授だけど、そのスタートは、徒弟制度の下で版画を学んでいたという異色種である。その後、松岡正剛率いる工作舎のメンバーに入って頭角を現した。1990年代前後と著書である「ジャパネスクの見方」とか「デザインの読み方」とかはユニークながらもわかりやすくて大変に興味深い内容で、当時の僕はずいぶん影響を受けた。他にも「編集の学校」とか「図解発想法」など、美術以外の分野でも本を出していた。今はもう美術関係の本をたまに出すだけになったが、彼の著作はおそらく100%おさえているつもりの僕の見立てでは、彼の本質は芸術論というよりは、編集術とか情報伝達技法のようなところにあるのではないかと思う。いったん美術を離れてこのレイヤーで何か新しい著作を手掛けてくれないかなどとずっと思っていた。
 
 そんな中で、久々の新著である「ビジネス戦略から読む美術史」は、彼らしい仕掛けの本であった。「インスタ映え」「リモートワーク」「クラウドファンディング」「インフルエンサー」といった現代用語を当時の美術事情に敷衍する形であてはめていくところはちょっとあざとすぎやしないかとも感じたが、新書で出しているあたりも含めて一般ウケを意識してのことなのだろうか。
 本書のポイントは、美術における地政学とでもいうか、画家の作品やその評価というものを、考える際に、画家の芸術性や主観的センスと同じくらいの影響因子として、当時の社会世相、技術動向、経済状況がある、という着眼点である。彼のこのスタンスは今に始まったことではなくて、出世作である90年代著作の「絵画の読み方」でも既に触れていた。このときは印象派の台頭にチューブ入り絵具の開発が欠かせなかったことを指摘している。
 
 本書でも、油絵具や布地キャンパスの開発といったものが、ルネサンス期の美術に影響を与えたこと(ダヴィンチが意外にもその流れに乗り損ねていること)などに触れている。テクノロジーとしての絵画論である。
 一方で、より強い歴史的視点として、宗教改革によるローマ法王の権威の失墜や、フランスの王制樹立や市民革命による人びとの価値観の変容、それ以上に影響を与えたパトロンの交代や顧客の交代によって、書かれる絵のニーズが変わっていったことを指摘している。こちらはマーケットニーズとしての絵画論である。
 
 つまり、「技術」×「マーケットニーズ」の絵画論である。必要は発明の母というが、それで言うならばテクノロジーは父であろうか。絵画作品にも父母がいて、必要(マーケットニーズ)としての母、テクノロジーとしての父があってこそ、子であるアーティストの美意識や技術もその範疇で活かされることになる。
 
 
 著者は、この「マーケットニーズ」×「テクノロジー」の背景をどう追い風にするかを「戦略」と称している。美術に限らず、「マーケットニーズ」と「テクノロジー」の父母こそは、たしかにビジネス戦略の根幹であろう。
 
 ところで。「マーケットニーズ」と「テクノロジー」は相反しやすい。よく言われることとして、AppleのiPhoneはマーケットニーズなんかなくて、完全にテクノロジー主導でこの世に登場し、爆発的な創発によって市場をつくりあげた。だから技術は既にマーケットに先行する。とはいえ、実はあの手のものは決してiphoneが史上初なわけでもなかったのである。サプライチェーンを巻き込んで究極に洗練させたのがiphoneなのである。そういう意味ではジョブズはやはり天才的な目でマーケットニーズ(人は何に欲望するか)を読んでいたようにも思う。かつてのソニー成功譚の代名詞ウォークマンも技術先行で開発されたとして有名だが、社内の技術者が似たようなガシェットを自前でつくって楽しんでいるのを当時の井深会長が目撃してピンときたとされている。そういう意味では「ニーズをもった人物」を彼は見たのである。
 
 であれば、母である「マーケットニーズ」と父である「テクノロジー」があったとして、蛙の子は蛙となるかトンビが鷹を生むとなるのかはやはりアーティスト本人の才覚が重要になるだろう。彼をしてなぜダ・ヴィンチがダ・ヴィンチになりえたのか、フェルメールがフェルメールになりえたのか。いかにしてナポレオンは美術のプレゼンテーション力に気づいたのか。いかにしてデュラン・リュエルは印象派の売り出し方を編み出したのか。そのあたりも是非掘り下げてもらいたいところである。著者のことだから絶対に「天才だから」では済まさず、そこになんらかの因果を見出すはずである。

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藤子・F・不二雄のまんが技法

2020年03月04日 | 芸術
藤子・F・不二雄のまんが技法
 
藤子・F・不二雄
小学館
 
 
 気晴らしに読んでみたらかなり面白いのである。
 
 つまりは藤子先生の手による「マンガの描き方」だが、それをマンガではなく、挿絵と文章で書いている(挿絵は既存の藤子マンガを実例的に用いている)。これ、藤子・F・不二雄ご本人の文章なのだとしたら、そこそこ珍しいものなのではないか。で、その文章からはマンガと同じように藤子・F・不二雄特有の非常に冷静沈着で奥ゆかしく、優しさに満ちていて、しかし自信と情熱と少しばかりの狂気がちらちら見え隠れする。そんな文章である。
 
 
 ある年齢以下の日本人の多くがそうであると思うのだが、僕も藤子・F・不二雄のマンガは、物心ついたときには既にそこにあった。最初の藤子・F・不二雄はやはりドラえもんだった。(このころはFもAも一緒の藤子不二雄だった)
 
 したがって、「マンガ」とはこういうものだとすりこまれたわけである。いわば「基本形」だ。
 そこから応用・発展的なものとして、鳥山明みたいなのがあったり、大友克洋みたいなのがあったり、高橋留美子みたいなのがあったり、武論尊と原哲夫みたいなのがあったり、もちろん、ちばてつやとか松本零士とか本宮ひろしとか秋本治とか、ひろいひろいマンガの世界を知ったのである。
 
 だけれど、これは大きな観点が抜け落ちている。
 それはマンガ家の力量としての藤子・F・不二雄だ。実は、藤子・F・不二雄の作品は、あれで既にそうとうに研ぎ澄まされたハイレベルの職人芸なのである。あまりにもあれがスタンダードになりすぎて、まるで「入門編」のように思えてしまい、藤子不二雄のマンガがどれだけ至芸の極みなのかかえって気が付かなくなってしまった。藤子・F・不二雄のマンガは超絶技巧のナチュラルメイクみたいなものである。
 
 ストーリーのつけかた、緩急のつけ方、キャラクターの造形、性格づけ、表情のつけ方、体の動かし方、コマわり、アングル、こういったものが、いまやマンガの教科書的なスタンダードに見えるかもしれないが、あれは藤子不二雄(および同年代のマンガ家)の間の苦心と試行錯誤の末に生まれたものだ。。
 「机の引き出しがタイムマシンの入り口になっている設定」というアイデアも、あれは藤子不二雄に権利があるといってよい(榎本俊二のマンガに「机の引き出しからタイムマシン」をもろパクリしたシーンがあって「もはや公共財みたいなもんじゃないか」と開き直ったギャグがあり、思わずうなづいた)。
 
 藤子・F・不二雄自身が公言してはばからないように、彼のまんが技法の影響源には手塚治虫がある。
 
 
 あるマンガ家が、とある芸術系の大学で外部講師としてまんがの講義を行った。その記事によると、現代の学生たちに往年のマンガ家のすごさを説明しようとしてももう通じないのだそうだ。赤塚不二夫、石ノ森章太郎はもう何がすごいのかわからない。絵柄もキャラクターの魅力もストーリーも古臭さから逃れられない。藤子不二雄Aももうだいぶキツイとのことだ。この感触はなんとなくわかる。骨董品としての価値はわかるけれど、現代の実用性という観点からは歴史のほころびが見えているということだろう。彼ら学生は物心ついた時には井上雄彦や青山剛昌や尾田栄一郎がいた世代である。歴史とは残酷なものだ。
 
 それでも、手塚治虫と藤子・F・不二雄はなんとかまだいけるという。
 手塚治虫も藤子・F・不二雄も、絵柄の古臭さを指摘されれば否定できないだろう。しかし一方で、キャラクター設定の魅力、ストーリーの緩急めりはり、ダレないコマ割りとアングルといったものは、時代を超えて普遍的に人をひきつけるものがあるのだろう。ドラえもんの神回とされる「さようならドラえもん」のストーリーをすべて簡易なアスキーアートで再現しているものをだいぶ以前に見たことがある。それでも泣けるのである。眼鏡を吹き飛ばされてボロボロになりながらも「勝ったよ、ぼく」とドラえもんに告げるのび太によせる感動の嵐は究極の省略画とも言えるアスキーアートになってもまったく失せない。これが意味するのは緻密に計算された運びがあれにはあるということだ。それが時代を超えてみなに共感されるということはそれだけの人間観察力と、それをマンガにしてみせる技術が藤子・F・不二雄にあったということである。
 
 
 本書を読むと、藤子・F・不二雄のまんがの描き方は、ひたすら「映画」になぞらえているんだなということがよくわかった。あれは映画を紙面でやっているのだ。おそらく手塚治虫がそうだったのだろうと思う。キャラ設定、ストーリーのつけ方、アングル、コマ割り、クライマックスの盛り上げ方、小道具大道具舞台背景。あれはもともとは映画の技法なのである。藤子・F・不二雄に限らず、同世代の仲間たちを描いたトキワ荘物語などをよむと、彼らはとにかく映画を見に行っては研究したらしい。
 それから、本書で藤子・F・不二雄がひたすら重要と言っているのが「省略」である。どこまで不必要なものを抜くか、それがメッセージを際立たせ、時間の推移をはっきりさせ、存在を浮かび上がらせ、クライマックスを盛り上げ、余韻を残すか。この「省略の美学」こそが藤子・F・不二雄だったんだなとつくづく思う。
 

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アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方

2019年03月12日 | 芸術

アーティストのためのハンドブック 制作につきまとう不安との付き合い方

デイヴィッド・ベイルズ テッド・オーランド 訳:野崎武夫
フィルムアート社


 この本はアーティストの自己啓発書とでもいうべきものである。アーティストーー画家であれ、音楽家であれ、写真家であれ、パフォーマーであれ、その他ジャンルによらない何であれ、芸術家を自称する人が幸福に生きるための心構えを説いている。”幸福”というのがポイントで、”社会的成功”するための指南書ではない。

 つまり、金銭的成功や社会的名声はあくまで”場合によっては最終的に副産物としてついてくる”ものであり、そんなものとは縁がないままに一生を終わるアーティストは多い。本人の死後に名声を得る例も多いが、生前も死後も無名のままにおわるアーティストはもっと多い。

 さらにもっと多いのは、芽が出ず、社会的な評価もされず、無視され続けた結果、アート活動を辞めてしまうという場合だろう。アート活動を辞めてしまった人はもはやアーティストではない。(本書でも出てくるが、社会的に猛烈な批判を浴びるアーティストは、黙殺されるよりもはるかに「アート」している)。

 本書は、そんな挫折感に苛まされそうなアーティスト、それに怯えるアーティストのための本と言えよう。金銭的成功や社会的名声にたどり着くよりもずっとずっと手前のところの心構え。つまり「アーティストでい続ける」ための本である。

 

 そのココロは、究極的には「自分の制作プロセスを信じ、とにかく取り組み続ける」ということに尽きる。

 アートというのは制作物そのものだけれど、それをアート足らしめているのは制作の過程(プロセス)そのものにある。したがって制作の過程にウソがない限り、制作物はアートだし、制作の担い手はアーティストなのだ。なにやら禅問答のようだけれど、本書の強調はほとんどこれである。それもひとつの作品の制作過程に限らない。ひとつの作品すなわち制作物は次につくる制作物の礎になり、次につくる制作物はそのまた次につくる制作物の糧になる。あのときの失敗作はつぎの作品に経験値として取り込まれ、若いころに次々と場当たり的に手を出した技法は将来においてなんらかのかたちで収斂し、本人さえ気づかないところでカタチに現れていたりする。制作のプロセスに無駄な回り道も余計な寄り道もない。だから大事なのは途中で挫折したり諦めたりせず、作品を制作し続けるということなのである。

 

 そして、そのとき制作している作品というのは、決して理想的なゴール像が掲げてあってそこをめがけて逆算して制作プロセスを算段して着手するーーつまりビルを建てる工程表とプロジェクトマネジメントのようなものでもない。なんとなくあいまいなままの見切り発車、成り行き任せなのである。つくっている最中にいろいろ思い至ることがあったり、考えを変えたりすることもある。どこがゴールなのかもわからない。むしろアートに「完成」や「完璧」はない。そのプロセス自体がアートなのだ。アートとはプロセスなのである。とにかく中断せずに手を動かし、ひたすらその中で手探りしながら次に進む。どうしてもその作品が前に進まなくなったら、また新しい次の作品に挑む。

 しかし、そんな見切り発車で本当にいいのか。いいのである。そのとき、自分が何の衝動や誘惑に駆られて着手したのか。ここにウソがなければよい。

 

 その誘惑の誘い手は何か。「ウソ」のない着手とは何か。

 それはアーティスト本人がかかえるところの社会性、時代性ということと、アーティスト本人が固有に抱える感受性とでもいったことになる。こう書くとなんだかよくわからないが、自分のよく知らないことはアートにできないということだ。自分の知らない社会、時代、あるいは誰にでも通用しそうな普遍的な美をモチーフにしたところで、理屈っぽくなったり頭でっかちになったり借り物のままになったりしたままであり、そんな制作はけっきょく長続きしないということだ。長続きしなければプロセスが続行できないから、アーティストを続けられない。アーティストを続けるためには何がなくとも「自分がよく知っていること」「自分がよく感じること」をモチーフにし、方法論にしていく(これが転じて習慣となり、さらには芸風となる)ということなのである。

 自分がよく知っていること、よく感じることを信じて、ひたすら作品を作り続ける。これがアーティストでい続けられるための秘訣なのだ。

 

 ところで僕はアーティストであったことはこの人生で一度もない。普通の大学を出て普通の企業でデスクワークをする会社員である。業務においてデザインとかクリエーティブとかいうものとかにもほとんど縁がない。

 そんな会社員にとって本書は敷衍できる本かというと、それもけっこう微妙である。この本はやっぱりアーティストのための本だと思う。僕がこの本を手にしたのはどちらかというと厚顔無恥、傲岸不遜なアーティストかぶれの人間に最近手を焼くことが多く、彼らのインサイトを得ようと思ったからなのだが、彼らのコンプレックスを垣間見たようには思う。本書はアーティストに広く支持された本なのだそうである。

 

 それにしても翻訳が生硬というか、英語の教科書の直訳みたいで頭に入りにくいのが弱点。訳者のあとがきにはスタバで90分で読める本と書いてあるがそれは無茶である。



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ドビュッシーはワインを美味にするか?  音楽の心理学

2019年03月03日 | 芸術

ドビュッシーはワインを美味にするか?  音楽の心理学

ジョン・パウエル 訳:濱野大道
早川書房


 ずいぶん以前だが、モーツァルトを聴くとアタマがよくなるという都市伝説が出回った。

 それで胎教とか、勉強のBGMとかでモーツァルトがやたらに担ぎ出された。

 

 本書によるとべつにモーツァルトでなくてもよいそうである。

 つまり、自分の気分があがるものならば他の作曲家でもよいし、ロックやポップスでもよい。それどころか落語や朗読でもよいということだ。

 ただ、脳生理学的には、作業効率を高める、つまり脳みそがそれなりにやる気と集中力を出す分泌物を輩出するには「長調の音階を持っていて高めのピッチのメロディ」であることと、「比較的はやい速度のメロディ」があるとよいらしい。前者は気分を前向きにし、後者はアッパーとでも言おうか覚醒の効果がある。

 確かにモーツァルトにはこの両者の条件がそろっている曲が多い。しかしそうでない曲もあるので(有名な交響曲40番や「レクイエム」など)、モーツァルトならばすべて作業効率がよくなるわけでもない。

 そもそも西洋音楽の音階であるドレミファソラシド(平均律)になじんでいない人だと妙に聞こえてしまって落ち着かないだろう(民俗音楽や古楽にはドレミファソラシドとピッチが異なるものもある)。平安時代の日本人にモーツァルトを聴かせてもけったいな音の戯れ以外の何物でもなかっただろう。

 

 いずれにせよ、大方のヒトは音楽が好きである。もちろん個人の好きレベルは様々であり、さして興味のない人も多いに違いないが、人間というものは生理学的には音楽に心地よさをもつベースがあるらしい。それは世界中のどの民族にも音楽らしきものがあるし、古代の遺跡や遺物からも楽器らしきものが発見されるからだ。本書はダーウィンの進化論を引用しており、「特定の活動が非常に古くから広く普及しているとすれば、その活動が種の生存にとって役立つものだったから」という観点から音楽は人類の生存に好ましい影響を与えたものだったにちがいないと推測する。

 気分の覚醒だけでなく、ストレス解消とか、仲間内の団結力の向上とか、音楽にはさまざまな力がある。音楽を構成するメロディ、リズム、ハーモニーにその力が隠されていることを本書は説いているがたぶん因果関係は逆で、古代の人類社会には、気分を高めたり落ち着かせたりする必要が先にあって、音をつかってそれを行うことでメロディ、リズム、ハーモニーにあたるものが徐々に方法として確立していったということなのだろう。

 結果として音楽をたしなむ人は人間社会の機敏に敏感になるとも言える。また、そういう繊細な人がいい音楽をやるというのも納得しやすい。本書によれば音楽の訓練を受けた人は、受けていない人よりも「他者が表現する感情の機敏をみきわめるのがほかの人よりもやや得意」「言語能力のテストにおける成績がいい」「語彙を覚えるスピードが速い」「視空間能力に優れている」のだそうである。

 

 なお、今も昔も日本はピアノを習う子どもが多い。その上達はまちまちである。楽器の演奏や上達には人によって「才能」の差があるかないか。本書の研究結果によると”ほんの一部の天才”を除けばさして差はないとのことである。上達はすなわち「練習時間」に比例する。もし、才能やセンスというものが関係あるとすればどうやらここがポイントらしく、”長時間の練習に耐えるセンス、集中力”こそが才能の正体ということである。楽器演奏に限らず、すべてに通用しそうな話だ。

 また、かなりの腕前に上達した人に共通するのは「初めについた先生はとにかく楽しくフレンドリー」「次についた先生は厳しくとも技術を会得させるスキルがある人」なのだそうである。ここらあたりも習い事全般、あるいは学業全般、新入社員の教育なんかも含めてなんだか納得するものがある。



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なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

2018年11月11日 | 芸術

なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?

岡崎大輔
SBクリエイティブ


 さいきん、ビジネス本の領域でアートのことに触れたものが次々刊行されている。つまり、エリートビジネスマンたるものアートの素養が無くてはダメなのだ、という問題提起である。

 そのためか、美術館にスーツ姿の人が増えたとか、そのために混んできてしまい、もともとの美術ファンから「にわか」などと毛嫌いされているとか、そんな話も聞く。

 アートと言っても当初は主に絵画関係のことを指していたが、その余勢を買って最近はクラシック音楽についてのビジネスマン向けの本も出るようになった。AI隆盛の今日、人間様の最後の砦がアートということなんだろうか。

 

 幸いにも僕は中学生のころからクラシック音楽が好きで、クラシック音楽が好きだと自動的に西洋芸術全般に興味が広がりやすい。絵画と音楽は芸術史的には連動していることが多いし、いずれも人間の表現行為だから、絵画にも音楽にも、保守と革新、王道と邪道、若書きと老境、破壊と創造がある。

 

 なんて言っちゃってるけれど、大学生のときに一生懸命背伸びしたというのが本当のところである。クラシック音楽が好きだったのは本当だけれど絵画方面はさっぱりであった。モネとルノワールの違いもわからなかった。大学生になってできた異性の友人がアート関係に関心を持っている人間で、見くびられたくなくて僕は一生懸命美術史の本を読んでみたり(美術出版社から出ていた「抽象美術入門」「現代美術入門」「世界デザイン史」を虎の巻にしていた。印刷はきれいだがお値段は学生にはなかなか優しくなかった)、都内の美術館に通ってみたりしたのだった。所蔵品が良いというので青春18きっぷで富山県立近代美術館や滋賀近代美術館に繰り出してもみた。若いって大事だ。

 その子とは残念ながらそれ以上の関係にはなれなかった(今でも立ち直れない・・)のだが、でもあのとき無理しておいてよかったと思う。エリートビジネスマンかどうかはおいといて、たしかにアートの会話をナチュラルにできる人とできない人では、人としての面白さが全然違う、というのが社会人になって二十年以上も経ったいまは経験的にわかってきている。アートの話題というのは人を試すところがあって、むこうからさりげなくふってくることもある。いちおう僕も切り返すと相手はおっという顔をする。当時の彼女に感謝しなければなるまい。

 最近奨励されているのが、画家の名前や背景など、付帯情報がなくてもその作品を読み取るVTSと呼ばれる手法である。製作者が画面上に投げかけたなぞなぞを解くような鑑賞方法はルネサンスから現代まで通用する。
 それはそれで大事な審美眼だと思うけれど、けれどやっぱり付帯情報があるほうが美術鑑賞は楽しい。美術館の音声ガイドのような細かい情報まで勉強するのは大変だけれど、「国」と「時代」をおさえておくだけでもだいぶ違う。これくらいの情報はふつうの美術館であれば案内プレートに書いてある。「国」と「時代」の手がかりさえあれば、たとえそれが知らない作者のものだろうといろいろ想像できることが広がるし(たいへんだったんだろうなあ、とかそんな作者の心情に心よせることもできる)、過去に別の美術館でみた同時代の作品や、同国の作品との相違を思い出したりし、それこそ世界史や他の分野の芸術史との連動も相まって自分のデータベースも充実してくる。


 ということなので、今でも西洋美術についてはルネッサンスから現代アートまでとりあえず大丈夫というか、まあ最低限の鑑賞や会話はできると思っているが、さてまったく音痴なのが東洋美術である。彫像も陶芸も書画もさっぱりだ。海外の流派だけ勉強しておいて足元の自国の文化についてないがしろにしてきたわけで右の人から怒られること必至だ。そんなだから楽天もセブンドットコムも使わずにGAFAのカモにされちゃうんだ、と今さら反省。


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ピカソになりきった男

2018年07月21日 | 芸術

ピカソになりきった男

著:ギィ・リブ 訳:鳥取絹子
キノブックス


 著者は、近代絵画の多くの贋作を描いてきた画家である。シャガール、ブラック、ドラクロワ、ミロ、フジタ、デフォー、ピカソ・・ 
 贋作といっても、オリジナルの絵があってそれを模写するタイプの贋作ではない。実はこのタイプの贋作は非常に犯罪効率が悪いのである。なにしろ同じ絵がもう1枚あるのだから、必ずどちらかが偽物ということになるし、そうなれば鑑定家も黙っていない。
 作者が手掛けた「贋作」というのは、本来の画家が持つ、つまりシャガールやピカソが持つ画風で完全な新作を描くのである。つまり「未発見の作品」となるわけだ。
 しかも一人だけの画家の画風を徹底的に追求するのではなく、まったく画風の違う何人もの画風を同時並行でこなすというところが、作者の腕の凄いところといえるだろう。
 したがって、彼の手による「新作」は、ディーラーや鑑定家の目をパスし、美術館や画集にまで登場したらしい。本書によれば、彼が描いたシャガールやピカソの写真は1枚もないということだが、インターネットで検索したらいくつか出てきた。これらを一人の人間が描き分けたのだとすればやっぱりすごい。

 そんな作者もついには警察の御用となって足を洗い、そしてこんな手記を書いたわけだ。

 
 本書を読んで思ったことはふたつある。

 ひとつは、アート市場というのはけっこういいかげん、というかうさんくさいものなんだなということだ。
 そもそも美術品の相場というのはかなりオカルトといってよい。ピカソの絵1枚にウン十億円というなんであんな高額な金額がつくかといえば、けっきょく売り手と買い手のチキンレースがその金額をはじきだす、ということに尽きる。その金額で買ってしまう人がいるからそれが相場となる。
 じゃあ、その買い手はなににそんな超大金を支払っているのか。それはしばしば指摘されるように「ピカソ」というブランドへの大枚である。かりに実はその絵がピカソではなくて、そこらへんの小学生が実は書いたものだ、と種明かしをしたらその絵にウン十億円出すかといえば、出さないだろう。絵は全く変わっていないのに。
 ところが、画家の名前をふせておいて「この絵にいくら出す?」とやっても絶っっ対にウン十億は出さない。どんなに目をひいても数万円とか数十万円とかだ。そこで実はこれはピカソが描いたもので・・となると、いっきに価格は高騰する。絵は全く変わってないのに。
 だから、ピカソの書いたものならば、完成品に限らず、スケッチでも習作でも、あまつさえメモ書きでも高値で取引される、ということになる。
 そこでカギになるのは、「これはピカソの手によるものだ」と証明する人ーつまり、鑑定家の存在である。鑑定家がシロといえばシロであり、クロといえばクロである。
 ところが、鑑定家が真作贋作を判定する根拠というのは案外にいいかげんだ。もちろん科学的な鑑定もする。顔料に使われている成分の分析とか、キャンパスに使っている布地とか。
 しかし、贋作の作り手からすれば、そんなものは古い絵の具やしかるべき布地をはじめから用意すればいいということになる。肝心の絵筆の筆致そのものはどこかで必ず「主観的な判断」によって真贋つけることになる。

 そして、鑑定士も実はまたアート市場のステークホルダーの一人なのだ。要は、画家と鑑定士とブローカーは「ビジネス・パートナー」になりやすい。よく「医者と葬儀屋と警察が結託すれば人をひとりこの世から消すことができる」と言われるように、画家と鑑定士とブローカーが結託すれば、「この世に巨匠の未発見の新作を登場させる」ことができるのだ。それも巨額なマネー付で。
 なんでそういうことになるかというと、絵画というのは投機の商品だからなのだ。アート市場というのは投機ビジネスなのである。もちろん本当に芸術を愛し、手元にそれを置いておきたい、この貴重な人類遺産を未来に継承したいと思うまっすぐな人もいる。しかしそういう人は結局「カモ」にされてしまう。
 アート市場の多くの人間は、金もうけとして、転売ビジネスとして携わっている。そして、そういう鑑定家だっているのだ。で、アート市場というのは、少々真贋怪しくても、転がしておいてその差分の儲けをつくりこんでいくほうがハッピーな人のほうがずっと多いのである。贋作画家と鑑定士とディーラーの結託は、アート市場の活性化のためにはむしろ必要、とだって言えるだろう。そうしないと過去の巨匠の作品の数はもうこれ以上増えないわけだから、いずれ停滞してしまう。もちろん現役・新進の作家だっているわけだけれど、ウン十億円の高値をつけられる作家はほんのわずかだ。


 そして、思ったこと二つ目は、そんなウハウハなビジネスなのに、贋作作家は、「自分のオリジナルの絵」を描こうとすることだ。世の中のニーズはないのに「自分の絵」を書こうとする。

 こういう例えがいいのかどうかわからないが、ものまね芸人が自分自身の歌をライブやアルバムで取り上げるのを読かける。あのコロッケでさえ、ライブで自分の歌をうたったのを目撃した。青木隆治も自分の歌をうたっている。やっぱりものまね芸人としてどんなにちやほやされても、自分のオリジナルを歌いたくなるものなんだなあと思わずにいられない。切ないのは、市場はあまり本人オリジナルには興味がなくて、やっぱりものまねのほうに圧倒的なウケがあるということだ。

 作者ギィ・リブも、オリジナルの絵を描く。贋作の道を絶たれてからはいよいよ描く。だけれど、本人自身も認めているように市場はそれを求めていない。買い手はつかない。値段もつかない。ディーラーも引き受けない。
 釈放後に作者の作品で人気が出たのは、堂々とギィ・リブ本人のサインによる、シャガール風、ピカソ風、フジタ風、ルノワール風の「絵」である。つまり、偽物、パロディとして合法的に描かれた絵だ。作者本人自身の画風による絵ではない。
 しかし、作者は、プライドをもって今もオリジナルの絵を書いているそうだ。しかし今後も彼のオリジナルが市場に評価され、需要がおきることはないだろう。けっきょく、アート市場が画家の名前で需要が決まるように、「贋作作家」のラベルがついた画家の名前には「贋作」にしか需要がおきない。贋作ビジネスという巨額マネーゲームに参加するときに引き換えた呪いというべきか。


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最後の秘境 東京藝大  天才たちのカオスな日常

2016年10月26日 | 芸術
最後の秘境 東京藝大  天才たちのカオスな日常
二宮敦人
新潮社

 二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」や、羽海野チカ「ハチミツとクローバー」のように、音楽や美術といった芸術系の大学を舞台にした話は、決まって奇人変人が続々登場するし、それが群像劇となって様々なドラマが展開する。
 そういった音大美大において、我が国の頂点にあるのが東京藝術大学、略して藝大である。もちろん桐朋音大や金沢美工大など、独自のブランドをもつ芸術大学もあるわけだが、素直にいって日本の芸術大学の最高峰は東京藝大と言って良いと思う。それは、一般大学における東京大学みたいなものである。
 本書は、そんな藝大の奇人変人列伝である。もっとも著者の人柄か執筆の姿勢方針か、奇妙奇天烈オンステージというよりは、わりと抑制された描写で、基本的に「いい話」にまとめられている。
 下手に誇張されていない分、リアルに藝大生ってこんな感じなんだろうな、と思わせる。

 僕は音楽も美術も実技に関しては全くのど素人で、藝大はおろか他の音大美大もまるで縁のない人間だが、音楽を聞く分には、あるいは美術を観る分は大好きで、したがって音大美大というのは「アコガレ」であった。彼らに嫉妬しているといっていいくらいである。
 藝大の世界というものを描いた作品で僕が最初に触れたのは故・岩城宏之の「森のうた」だった。これを読んだのは高校生のとき、大学受験勉強の日々の傍らだった。当時、岩城宏之は、小澤征爾と並ぶ日本を代表するオーケストラ指揮者で、「森のうた」は岩城宏之の藝大時代の回想記である。一昔前の音楽事情ならびに藝大事情だから、今日とはまったく違うのだろうけれど、著者である岩城宏之に、作曲家の山本直純や林光、指揮者の渡辺暁雄などが登場してハチャメチャのドンチャン騒ぎをしながら一方でピュアな音楽活動をしていくその藝大生活に、僕は心底アコガレた。 
 僕は、一般の大学にむけた受験勉強者ではあったが、大学にいった暁にはこんな面白い生活が待っていると、受験勉強の励みになったのは本当である。この本はまだ僕の家の本棚に並んでいる。

 もちろん、藝大に合格したするのは難しい。東大より難しいと言われる。本書は藝大生の日々が描かれているけれど、実のところ、ここに出てくる人たちはいかなる取り組みによって藝大に合格したのだろうか。藝大に入るまでがまず様々なドラマがあったのだろうなと思う。
 そして、入学後の藝大というのは基本的にサバイバルである。通ってもいないのに断言するのは、数少ない藝大卒の知人にみるそのサバイバルのための努力と能力をみているからだ。とある年の入学式で、学長が居並ぶ新入生にむかい、「ここにいるみなさんは、ここにたった一人いるかもしれない誰かのための砥石です」と言ったとか言わなかったとか。似たようなエピソードは本書にも出てくるし、まあ実際そうなんだろうなあと思う。

 そういう厳しい厳しい世界であって、決して自由を謳歌しているわけでも適当人生を送っているわけでもないのは本書でもよくわかる。
 それに「森のうた」もそうだったし、本書でもそうなのだが、僕がいいなあと思えるのは、出てくる人々がみんな心底マジメであることだ。この時間を一時でも無駄にしまいと、一生懸命マジメに取り組んでいるのである。たとえ、その取り組みの方向性が他人からみてなんだかよくわからないものだとしても。
 心底うちこめるものがあるというのは本当にいいものだなあ、などと学生を卒業して20年以上経ってしまった僕はしみじみ思うのだ。
 

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建築家走る

2016年06月04日 | 芸術

建築家走る

隈研吾
新潮社

 可視化を商売にする人は、批判が宿命的についてくる、という指摘が面白い。意思決定とか行動が電子化によって、調達や資金がグローバルによって遍在することによって、見えないところで事態が進行し、そしていきなり建築物は可視化されて現れる、よって叩かれやすい。

 新国立競技場をめぐるゴタゴタは、あれに特有のものもあるのだけれど、この国のかたちというか、普遍的な課題を象徴したように思う。


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エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ

2016年04月03日 | 芸術
エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ

舘野仁美
中央公論新社


 著者は、あのスタジオジブリにいたアニメーターのひとりである。それも「となりのトトロ」から「風立ちぬ」までいたというから、相当な古参だ。

 アニメーション作成の現場というのは、今も昔も相当な集約労働型による過酷な日々とされており、しかもスタジオジブリにいるのは宮崎駿と高畑勲という、2人の超怪物と、鈴木敏夫という名プロデューサーである。はた目には日本アニメの聖地に他ならないが、そこで働く人々はなかなか凄まじい日々なんだろうなと思う。



 本書では、そういった現場の熱気や緊張感が伝わってくるエピソードがいろいろ紹介されているが、そんな中に新人採用の話が出てくる。
 僕はアニメーターの世界というのは基本的にフリーランスと契約の世界なのかと思っていたのだが、スタジオジブリは社員制なのだった。
 新人採用にあたっては、面接や実技や研修を通して候補を絞っていくそうなのだが、採用の基準が面白い。

  (1)線が引けること(引ける可能性があること)
  (2)テキパキと作業がこなせるでこと
  (3)協調性があり、コミュニケーション力があること。人の話を聞いて理解し、わからなければ質問できること。

 興味深いのは、専門的技術能力は(1)だけである。それも即戦力ではなくて、ポテンシャルでもOKというところだ。新人採用だから当然なのかもしれない。
 そして(2)(3)なのである。テキパキとしているかということと、人と一緒に仕事ができるかということ。

 職人の世界でさえそうなんだな、と思った。


 そんな感想をもったのは、たまたま僕が職場でとある新しいプロジェクトで、メンバーを誰にするかという会議に参加したとき、似たような場面に出くわしたからである。
 それはある種の専門性を必要とするプロジェクトではあったのだが、しかしそこであがってくる候補者の名前は、専門性というよりは、まさに、てきぱきと仕事をするタイプか、ということと、コミュニケーション力があるか、ということだったのである。
 なぜかというと、そこではもちろん専門的知識も要求はされるが、それよりは、いろいろな立場の人が複数参加する長丁場のプロジェクトであり、幾多の困難や回り道やクライアントの無茶な要求も当然予想されるものであり、それを乗り切っていかなければならない、ということで上記のような人材がいいね、ということになるのだ。

 さらに翻ってみれば、いちプロジェクトに限った話でなく、けっきょく「仕事ができると評される人」「他のメンバーから支持されやすい人」「まわりから指名されやすい人」というのは、こういう人のことなんだよな、ということである。
 専門に長けている人というよりは、混乱の中に乗り込んで行って、ちゃきちゃきとさばいて、ダメなものはダメ、やるものはやる、わからないものはその場で質問する、それをカラリとやってのけて、屈託を残さない人である。つまり「明朗活発な人」ということだ。

 だから、就職活動で「コミュニケーション力」という一見不可思議なものが求められる、というのは、実際の現場がそういうことだからなのである。(D・カーネギーの「こうすれば必ず人は動く」によると、カーネギー工科大学の研究結果で、ビジネスで成功するためには、ビジネスや職業の種類にかかわりなく、高度な知識がカバーする割合は15パーセントで、85パーセントはひとがらと人を扱う能力次第である、とか。)

 アニメーション・スタジオという、専門職人技がないと務まらないようなところでさえ、実はそうなんだ、と思った。



 ところで、著者は先に触れたようにスタジオジブリの古参である。その職種というのは「動画チェック」というものらしいのだが、現場の古参というのは教育係でもある。若手を厳しく叱ったり、励ましたり、悩んでいれば相談にのったり、心を鬼にしてダメ出ししたり、マネージャーと現場との間に入ったり、そっと若手にチャレンジがいのある仕事を差し込んでおいてあげたり、さりげなく手助けしておいたり。
 人が集団で何かを成すところ。スポーツチームとか建設現場とかオーケストラとか劇団とかに、こういう人が必ずいる。戦争映画とか任侠映画なんかでもたたき上げの鬼軍曹風にそんな人をみる。その集団にとっては宝となる存在である。

 アニメーターといっても、かなり色々な職種に分かれるらしく、またそこには見えないヒエラルキーみたいなものもあるようだ。また、宮崎駿とか高畑勲という超大物にして芸術家肌の人物が、スタッフにどう接し、どんな発言をしているかも本書では取り上げられている。
 そういった秩序とカオスがせめぎ合う中で、実はこういう著者みたいな人が、一見地味だが、実は組織を支え、活発化させているのだ。

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ヌードと愛国

2015年01月20日 | 芸術

ヌードと愛国

池川玲子

 あまり馴染みない切り口でとても面白かった。ここにあがった7つの事例、僕はほとんどしらない。本書を読むまで、こういう見方があることさえ気づかなったくらいである。(「nude」と「naked」は明確に違うこともこれで初めて知った)。

 なるほど、たしかに「女性観」というのは、近代と前近代が衝突するところに立ち上がる。女性というものをどう見るか、どう見られるかは、時代と社会の鏡なのである。
 そこに「ヌード」という西洋美学に前提を持つ見立てが加われば、ここに「日本」が現れる。つまり、この日本において「ヌード」が現われるところというのは、その当時の日本がたしかに抱え込んだ時代と立場の複雑な部分が顕在化したところといえるわけだ。画家や映画監督や写真家が、世に問うものとして、つまり問題意識をもってヌードを世に送り出したとき、そこには絶対に創作者の日本に対してのアンビバレントな思いが浮かび上がるのである。「愛国」であるほどそうなる。

 

 それぞれの事例のひもときは、なにしろこちらは門外漢なので拝聴するしかないのだけれど、それにしても、と思うのは、国策やプロパガンダとしての方法論が、今も昔もまったく変わらんということには愕然とする。

 本書では、満州への移住を勧めるためのプロパガンダ映画が紹介される。日本最初の女性映画監督である坂根田鶴子の『開拓の花嫁』という作品では、満州に渡った女性が、そこで安心して結婚ができて、周囲の協力もあって子どもを生み育つことができ、仕事があるというユートピアが描かれる。
 こういうプロパガンダ映画がつくられるということは、本書で指摘されているように、「女性が生きやすい」ことは、近代国家がその社会の成熟度を示す上でひとつの指標になるということが当時においてもあったということだ。満州の広大な農地には保育所があり、夫も育児に教育し、共同体の絆が描かれる。そんな牧歌的な光景がドキュメンタリー映画としてつくられる。
 しかし、実態はそんなことはなくて、この映像は「やらせ」であって、満州の女性はじつに悲惨な孤立無援であったらしい。しかも周知のように、最後は満州移民は国から棄民にされている。

 昨今、地方の市町村が人口減きわまって消滅するということで、安倍政権は地方の創生という名のもとに地方への移住を勧めている。そこで強調されているのが地方のほうが女性が結婚しやすく、子どもを育てやすく、働きやすい、ということである。そんな事例をとりあげようとしている。現実には年頃の女性が流出していることこそが地方人口減の原因であることからすると矛盾もいいとこだが、そうやってユートピアを描くところは、満州開拓団から70年以上たつのにいっこう変わらない。

 それにしてもこの本、面白いテーマだけに、わざとであろう妙にやさぐれた文章がもったいない気もする。最近こういう文体のものよく見かけるけど、流行ってるのかな。

 


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風姿花伝

2013年05月07日 | 芸術

風姿花伝

世阿弥

 

思うことあって、「風姿花伝」を読む。

「風姿花伝」は、本来は「能楽」の指南書であるが、能楽に限らず、広く芸術美学において、あるいは人生訓ともいうべきものの普遍性を示すものとして尊重されている古典である。

そのもっとも有名なところは「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」であるが、このたび改めて読み返したのは「年来稽古条々」の箇所である。

 

「年来稽古条々」は、年齢ごとの心得で、こんなことが書いてある。

 

1)能楽の稽古は7才からはじめるとよい。このころは、変に型や作法にしばられず、何でも当人が気に入っている部分をやりたいように、好きにさせるがよい。いちいち「良い」「悪い」と指導してはならない。

2)12、3才になると、いろいろ演目を教えていってよい。このころは見た目も愛らしいし、歌声もかわいいし、なかなか魅力的に見える。ただ、所詮子どもなので手のこんだものや本格的なものは逆に不釣り合いなので、簡単にできる芸のほうがより子どもならではの魅力を発揮できる。ただし、この時期の魅力は所詮「時分の花」に助けられた、その時限りの魅力であり、これを本来の能力と思ってはならない。

3)17、8才は、苦悩の時期になる。子どもらしさがとれてかつてのような愛嬌が通用しなくなるし、かといって一人前の大人ほど芸がこなれているわけでもない。つまり、今まで通りのやり方が通用しなくなって壁にぶちあたる。この時期の稽古は、ひたすら、人さまに笑われようともそんなことは気にせずに、粛々と稽古をし、意志を強く持つしかない。

4)24、5才は、最初に成功する年齢である。この時期は声もよく、姿勢もよく、若いエネルギーが切れ味よく発揮できて、しばしば年配ベテランの役者を打ち負かす。ただし、これもまた「時分の花」である。いわばちょうど勢いに乗ったところで、観客も新鮮を感じるという好条件がそろいやすい時分なのである。実はここで自分の才能を過大評価してしまったり、独善的になったりしやすい。たとえ周囲が賞賛し、年配の名役者に勝ったとしても、これは一時期的なマジックであって、稽古はなおいっそう精進しなければならない。

5)34、5才が絶頂期である。ちゃんと稽古をしていけば、きっと天下に認められて、名声をはくしているはずである。もしもこの時期に人気や名声がいまひとつであれば、才能がないと見切るべきである。というのはこれから40代以降になると原則的に芸は下がっていくからである。この時期にいわゆる「まことの花」を咲かせていなければ、この後、天下に認められることは非常にむつかしい。

6)44、5才になると、名声を博し、芸の奥義を身に着けていたとしても、すぐれた控えの役者をそばに置いておいたほうがよい。なぜなら、芸は下がらなくても、次第に年齢が高くなることから姿の魅力、観客のもてはやしも失せていく。この年あたりからはあまり手の込んだ能をしてはならず、年齢相応の能を、らくらくと無理なく、二番手の役者に多くの演目をゆずり、自分は控え目に出演するのがよい。この年頃までなくならない芸があったら、それこそが「まことの花」になっていくはずである。

7)50才以上は、なにもしないのが一番よい。「麒麟も老いては駄馬に劣る」ともいう。しかし、本当に奥義に達した名人ならば、できる演目はほとんどなくなっても、わずかに残る芸の中に、魅力がみえるはずである。これこそ「まことの花」なのである。

 

いかがだろうか。

僕がこれをもういちど読み返したのは、会社で人事マネジメントのプロジェクトにかかわったからである。そこで、あらためて会社の新人、若手、中堅、先輩の人を眺めながら、或いは自分のこれまでをふりかえりながら、いろいろ気づくことがあったからである。

それはいちいち、上の「風姿花伝 年来稽古条々」の通りだなあと思ったからだ。

 

僕は途中で転職しているのでそのままの条件にはならないが、社会人になってから通しで考えてみると、社会人8、9年目くらいに非常に勢いにのったことがある。難しい案件の仕事をとってきたり、大きなライバル会社に競り勝ったこともある。だけど、そのあと非常に伸び悩んでしまった。

やがてそのうち、いくつか自分ならではの領域というか方法みたいなのをなんとかみつけて、ほぼそれを踏襲しながら山あり谷ありで今に至っているという感じだ。

 

改めて、会社を見渡すと、このパターン多いなと思うのだ。

新人というのはきわめてどんくさいわけだが、たしかにかわいがられるし、ある部分的な領域を試しに任せてみると、何回に一回かは意外にいいものをつくってきたりする。そうやって新人は育っていく。このへんは上の(1)に相当する。

やがて、小さな仕事、あるいは失敗してもあまり損がない仕事だと任せてみたりする。まわりもフォローしたりするから、あてがった仕事が彼の力量にあった適切なものであれば、ちゃんと成果もだす。これが(2)だ。

ところが、所詮それはまだまだ守られた中での活躍であり、ちょっと支援経路が途切れたり、変化球になる、つまり実際の仕事では非常によくある局面になるとまだまだ未熟さが露呈され、壁にぶちあたってしまうのである。ここで転職したり、配置換えを希望する人も多い。僕もここで転職してしまった。これが(3)である。

さて、「年来稽古条々」の白眉は実は(4)の指摘だと思うのだが、やがて10年目前後あたりの社員で若手ホープとなって注目されるような人が出てくる。が、ここの過ごし方いかんでその後の命運が決まってくるななどと、今や社会人◯◯年目の自分はかえりみる。最新のトレンドをつかむアンテナやリテラシー、徹夜作業をものともしない体力、探求心や怖いもの知らずな面もここではよく働いて最大加速化される。

思うに僕の好調期もこれだったんだろうなあ、と思う。「時分の花」だったのだ。

僕自身はその後、なんとなく失速し、最新テクノロジーの知見に遅れをとったり、徹夜作業がきつくなったり、プライベートで守るものが増えたりしながら、一進一退でようやく「この領域はオマエの仕事だ。」などと言われるものを「小さな花」として見つけながら、もしくはおしつけられながら、一方で後輩や部下の育成にミッションがわりあてられるようになっていって、けっきょく幅広い芸の「花」はつけられずに(5)を過ぎてしまい、小さな花のまま管理職として(6)をむかえてしまったようにも思う。

ただ、仕事のできる人は、(5)あたりに相当する40代くらいの代貸しあたりで絶好調となって売れっ子となる。守備範囲の広さと、それなのに奇妙に自分のものにしてしまうすべみたいなのが(5)ができている人にはあるが、こういう人は(4)の段階で、独善に陥らず、問題意識を持って、広く人の意見や世の中の状況を観察してきた人だった。

 

だから、スキルアップという点では、まずは(4)の状況までいかにもっていき、そして(4)を体験させながら、この時期をいかにすごすかが、重要ということになる。ここをうまく通過すれば、会社にとって有能な人材であり、資産ともいえる(5)がやってくる。(5)のあとは、管理職の(6)となって、後継をつくっていく。

で、(4)の状態にもっていくには、(3)の経験が不可欠だし、(3)に至るには、(2)が必要であり、(2)の手前には(1)がなくてはならない。けっきょくこういったプロセスにどうのせていくかが人事マネジメントとしての要諦なんだろうな、と思う。

 

 


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ピカソは本当に偉いのか

2012年10月25日 | 芸術

ピカソは本当に偉いのか

 
西岡文彦
 
 
 著者にしては珍しい人選だと思ったけど、前書「恋愛美術館」で1章を割いているし、執筆意欲がわいたのかもしれない。
 
 ただ一方で、著者がピカソの解題に入るのは必然だとも言える。
 もともと著者は「わからないもの」をわからないゆえに尊ぶというものを嫌う人であった。出世作「絵画の読み方」は、抽象的で難解な言い回しの多い美術論に対するアンチテーゼとして書かれたものであったし、またとある著書では「わからないもの」が実は自分が理解できるもの、知っているものの組み合わせでできていたことを知った時の知的興奮こそ筆舌に尽くしがたいことを語っている。
 そんな著者にとって、わからないものの代名詞であるピカソは、言わばラスボスみたいなものであろう。
 
 
 たしかにピカソは「わからない」。なのに「尊ばれる」。ものすごい高価で取引される。それはなぜなのか?
 あれは本当に美しいのか。ピカソって上手いのか? なんで絵画はあんなわけわからんもんになってしまったのか? なんであんなわけわからんものにみんな大枚はたいて買おうとするのか。
 
 本書は著者の考えをていねいに伝えている。まさしく、自分たちに理解できる話の組み合わせで、上記の疑問に答えており、なるほど!と納得できることも多い。
 詳しくは本書に委ねるが、僕なりの結論を書くと、3分の1は本人の芸術的天性(と個性)、3分の1は時代のせい、そして残り3分の1は、その時代を味方につける才能である。
 それが、ピカソを空前絶後のステイタスにしたてあげた。
 
 
 意外と大事なのは、最後の3分の1、「時代を味方につける力」である。「売り込み力」と言ってもよい。、いわばマーケティングの能力である。
 芸術家は売り込みなんかしない。するのは画商だろう、と思う。が、実際は創作者と売り込み者は、想像以上に密接である。
 作家と編集者、技術者と営業マン、芸人とマネージャー、これらはひとつの作品の光と影みたいなものであって、どちらが欠けていても世の中には出ない。(浦沢直樹と長崎尚志、ジョブズとウォズニアック・・・)。両者は密接に相談しあいながらひとつの作品をつくりあげていく。
 ピカソの場合、ヴォラールというフランスの辣腕画商がそのポジションにいた。そしてピカソも、まず自分自身にそのマーケティングの才があり、また、その要請にしたがって絵を描き分けるだけの天賦の才能があった。
 
だが、これだけではあくまで「ピカソの作品は良い」という価値観を社会につくらせた、言わば初速の確保だけであり、あの破天荒な値付けがされるには至らない。
 
 この初速を圧倒的に加速させたのがオークションという売買制度であることを本書は指摘している。
 ピカソの作品が億単位の極端な値付けがされるのは、このオークションに負うところが大きい。
 
 美術品の値段というのはどうやってつくのか、というのは簡単に言えば需要と供給の関係以外のなにものでもない。うまいから高いとか、下手だから安いということではなく、その絵を欲しい人がいくらなら買うか、である。
 定価や単価があるわけではない。
 
 ただ、オークションというのは、ゲーム理論や行動経済学でもよく示されるように、極端な結果になりやすい。
 本来「いくらなら買うか」だったものが、競争原理によって「いくらまで出せるか」の世界になる。目の前の美術品の値踏みよりも隣の競り相手との競争にすりかわりやすい。
 村上隆のフィギュアが16億円で落札されたのも、マリリンモンローの風でめくれたドレスが3億7000万円になったのもみんなオークションである。
 
 かくしてピカソの絵画は100億円で落札され、それが伝説化に拍車をかける。
 
 こうしてロックオンされていく、と著者はうまく表現している。
 集団催眠みたいなものなのである。
 
 たぶんにオークションではなく、画商がひとりひとりと交渉を重ねていけば、時間はかかってもここまでの価格にはならないのではないかと思う。
 
 
 だからオークションは危険である。美術品に限らず、素人は絶対に手を出さない方がよいと僕は思っているのだが、ヤフオクによってオークションは身近にもなってきている。大きなお世話だけど、あれ絶対に体に悪いと思うんだけどなあ。多くは出品者みずからが出品している害のないものだけれど、ヴォラールのような知恵者が横についていると、あっという間に必要以上の出費にのみこまれると思う。
 

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不思議の国のアリス

2009年09月04日 | 芸術
不思議の国のアリス ---著:ルイス・キャロル 訳:村山由佳 画:トーベ ヤンソン

 ルイス・キャロルの「不思議な国のアリス」といえば、ジョン・テニエルによる挿絵が有名で、これでなければアリスではない、というくらい人口に膾炙されている。日本で角川から和田誠による挿絵のものが刊行されていたのを、中学生のときに読んだが、どうにも違和感があって仕方がなかった。唯一対抗しているのは、力技マーケティングで浸透させたディズニー版のそれ、くらいだろうか。
 実際、テニエルの描くキャラクターのユニークさが、さらにキャロルのアリスの世界観を増強させており、もはや両者は分かちがたくなっている。

 あるブログで、トーベ・ヤンソンの挿絵による不思議な国のアリスがある、という情報をもらったときは、それは是非とも見てみたい! と思った。凡夫な挿絵なら見る気もないが、ヤンソンの手によるものなら見てみたかった。
 断っておくと、ヤンソンってのは、あのムーミンの生みの親であるヤンソンである。コミック版とかキャラクターグッズではわかりにくいが、9冊の小説版ムーミンシリーズに挿入されているものからは、禁欲的でラフな筆致で北欧の自然を表現したヤンソンの不思議な絵の世界が見られる。自然の光景だけでなく、木箱とかぬいぐるみとかガラス瓶なんかの小物の描かれ方や、人物の後姿を遠景から描くところの妙とか、挿絵を抜きにして単独に鑑賞しても耐えられる。

入手が難しいと聞いていたが、先日それをヴィレッジ・バンガードで発見した。さすが「遊べる本屋」である。 テニエルのでもディズニーでもない、ヤンソンのアリスは、妙に手足がやせこけていて服も質素だ。髪もざんばらに近い(それはハプニングだらけの旅の結果そうなったのかもしれないけれど)。何よりも主人公としての体をなしていないほどシンプルで特色がなく、そういやムーミンの挿絵の背景で、通行人Aのような感じでこんなのいたかも、という造形だ。 だが、それがネガティブなことかというとまったくそうではなく、ヤンソンの着想は、アリスという人物をたたせることよりも、「不思議な国」そのものを描くところにこだわりを見せている。そう。「不思議な国」にあって、アリスは唯一「不思議でないもの」であり、その凡庸な姿がむしろ「不思議な国」のミステリーとファンタジーに溢れた世界を引き出している。 まず、アリス以外のキャラクターの描写、有名なうさぎやチェシャ猫やスペードの女王や帽子屋や芋虫や海亀といった面々は、テニエルの描いたものとはまったく異なる造形を見せ、アリスがシンプルなだけに彼らのほうは凄みがある。

 ただ、何よりも全体を支配している独特の雰囲気というのは、その「不思議な国」の風土の描写だろう。
 たとえば、ディズニーが描くアリスの不思議な国は、色とりどりの花が溢れ、緑はさわやかでかつこんもりとしている。どちらかといえば温帯気候のそれ、である。テニエルのは、エッチング風の描写ということもあって、ディズニーに比べればはるかにとげとげしいが、草の丈の高さや、その形状をみるに、それなりに草木に溢れた世界になっている。
 が、ヤンソンによる「不思議な国」は実に荒涼としている。はげ山のような素寒貧とした背景、ちょぼちょぼとした植生、はえていてもそれは細い熊笹のようであり、水面はどんよりと黒く、空は憂鬱な曇り空で、太陽は薄く弱く、しらじらしく天に輝く。これこそが、ヤンソンの住むフィンランドの光景なのか。
 ムーミンにおいても、自然というのは鑑賞の対象でもなければ、安寧のふるさとでもたく、たいがいは人々を不安と孤独に陥れ、自分をちっぽけな存在に感じさせるものだ。これこそがヤンソンの自然観かもしれず、アリスの不思議な世界においても異彩を放つ結果となっている。

 なるほど。たかが挿絵というなかれ。その画家を通すだけで、同じ物語がここまで異なるのだ。中学生のときはとんとピンとこなかった和田誠バージョンも、いま見れば、まったく別の感想があるかもしれない。

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絶頂美術館---西岡文彦

2009年01月17日 | 芸術
 絶頂美術館---西岡文彦

 ヌードの泰西名画をひもとく試み。たしか、むかし別冊宝島でも同じコンセプトの本を出していた。

 これまで、彼の美術解説本はほとんど読んだと思うが、その中で圧倒的な登場回数を誇るのはダ・ヴィンチの「モナ・リザ」かと思っていたのだが、それと同じくらい頻度よく登場するのが、マネの「草上の昼食」と「オランピア」だ。よほど琴線に触れるものがあるに違いない。

 本書を読んでいてうなづくのは、まさしく「ヌード」というのは多弁であって、誘惑であったとしても、口実であったとしても、はたまた反骨であったとしても、そのすべての記号足りうるということだ。つまり、「ヌード」というのは徹底的に非日常であって、そこに「ヌード」がある以上、何事もなかったというわけにはいかない、という徹底的な自己主張を伴うということだ。

 で、その「ヌード」が語らせる自己主張の極北とも言えるのが、マネの「草上の昼食」と「オランピア」だろう。単なる「当時スキャンダラスを巻き起こしたいわくつきの絵」というだけでなく、黙して実は多弁な「ヌード」の力を最大限味方につけた作品がこの2作品とも言える。

 また、マネが、アカデミズムに反骨しようという気が一切なかったにもかかわらず、こういう作品をつくったのかという逆説には、これこそが「ヌード」が放つ魔力に逆らえない芸術精神なのだろうかとも思う。

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