読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

プロデュースの基本

2021年01月02日 | サブカルチャー・現代芸能
プロデュースの基本
 
木﨑賢治
集英社インターナショナル新書
 
 
 著者は大御所音楽プロデューサーである。有名どころだと沢田研二や大沢誉志幸や槇原敬之のプロデュースをしている。
 
 秋元康や小室哲哉、あるいはJYパークによって「音楽プロデューサー」なるものの存在というか、この職業も有名になったが、著者の場合は、秋元康や小室哲哉とは異なり、自らは作詞も作曲もアレンジもしていない。作詞家も作曲家も編曲家も毎回調達する。つまり、音楽プロデューサーとはどういう存在かかといえば、本人が作曲や作詞をするかどうかはあまり関係なくて、監督総指揮者みたいなのと言えるだろうか。アーティストのポテンシャルと世の中のニーズを見極めて、どのような音楽をつくっていくかをとりまとめていく。だから、ボカロの作曲をする人をP(プロデューサー)と言うけど、作曲者を別に調達してもプロデューサーを名乗ることはできるわけだ。
 音楽プロデューサーというのは、もっぱら人を動かすのが仕事だと言える。メインアーティストもバックコーラスも、バンドも作詞家も作曲家も編曲家も。さらにはレコード会社や芸能事務所も、音楽プロデューサーがアレンジして動かさなければならないわけだ。
 
 ある意味で、それは極めて強い権力の座にいることを意味する。口先ひとつで指先ひとつで人を動かすという立場は君臨を意味する。
 だけれど、実際において威張り散らして偉そうにしているだけでは仕事にはならないだろう。
 しっかり結果を出さなければならないし、しかも一発屋ではなくてヒットを出し続けなければならない。それはつまり、長期間にわたってその立場で人を動かし続けなければならない。
 となれば、単に権力の座に胡坐をかいていていいわけではないだろう。それどころか、相手にする連中はいわゆるアーティストだ。ワガママも言うときあれば怠けるときもあるし、締め切りを守らないときもあるし、調子に乗ったり意気消沈したりする人たちをどうなだめすかしていい仕事をしてもらうかに腐心しなければならない。山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」これこそがプロデュース業の原理なのではないかと思う。
 
 
 人を動かすのが仕事となれば、一般の企業でいえば管理職である。
 管理職といえばマネジメントであり、管理者のことをマネージャーという。
 マネージャーとプロデューサーは違う。コトバは違うが、あらためて考えてみると、最近のマネジメント論はむしろプロデュース論といってよいような気がする。昨今はやりのサーバント・リーダーシップなんてのはまさにプロデュースであるし、むしろ部下をプロデュースするという観点がなければ、優秀なマネージャーとは言えないということかもしれない。
 
 マネージャーという単語をさらに横に連想させていくと、芸能人にもマネージャーなる人が一般的にはついているとされる。多くは芸能プロダクションの社員である。テレビ局にはプロデューサーがいて、タレントにはマネージャーがいることになる。
 芸能人のマネージャーというと、おもに担当タレントのスケジュール管理や移動の手配などをしている印象が強いが、基本的には彼らの仕事は自分の担当するタレントの仕事をとってくることである。
 
 オーケストラ指揮者の故・岩城宏之はとあるエッセイで、新人アーティストがどんなマネージャーにつくかの重要性を書いている。
 
 “よいマネージャーにつくことは、新人にとってもっとも重要なことであり、しかも非常に難しい。三流のと組むと、仕事を沢山作ってはくれる。三流自身が稼ぎたいからだ。しかしそうなると世界中、三流どうしのシンジケートの、たらいまわしにされてしまう。一流のマネージャーも厄介である。ヨシヨシおいでと言われ、傘下に入って喜んでいると、とんでもないことになる。名前リストに載っているけれど、何もしてくれない。”(岩城宏之「回転扉の向こう側」集英社文庫)より
 
 したがって、かけだしのアーティストは熱心に育ててくれるマネージャーのもとにつくことがきわめて大事なのであるとのことだ。
 
 
 今日の管理職観にしても、一流のマネージャー論にしても、共通するのは部下や担当アーティストの日々のシノギを消化すればよいというのではなく、担当する彼らのポテンシャルを見極め、未来へどう成長させるべきかという視点で仕事を探し、仕事をさせることにあるといえるだろう。
 
 もちろん、そのためには部下やアーティストのことだけでなく、市場が、つまり世の中が何を求め、何に価値を感じるかをどう見定めるかという観点が必要になる。
 
 で、本書の話に戻ると、この「プロデュースの基本」はまさにマネジメントの基本でもあるということだ。
 著者のプロデュースの仕方も、まるでアーティストに対してのサーバント・リーダーシップである。プロデュースすることになったアーティストの持ち味をまずは肯定する。彼らがどうなりたいかという話をじっくり聞く。その上で、アーティストの可能性が最大限生きることを考える。
 
 "アーティスト、歌詞、曲で三角形をつくります。するとそれぞれの距離が離れているほど大きな三角形になります。大きな三角形には、たくさんの人=リスナーが入ることができるんです。
 セクシーなアーティストに、セクシーな詩とセクシーな曲をつくっても三角形は小さい。だからセクシーなアーティストには、たとえばワイルドで男っぽい詩をつくる。そこに男らしいメロディをつけるのではなく、今度は女性らしい繊細なメロディを乗せてみる。相反するテーマをぶつけていくのです。"
 
 "その時代時代のヒットゾーンというのは確かにあるんです。ポップミュージックのメインストリームはヒットチャート上に必ず見えていて、まずはそのど真ん中にいるアーティストを把握することが大事。そこと比較して、自分がプロデュースするアーティストの今の立ち位置がどこなのかを確認してから、やっぱりメインストリームの先を行くつもりで制作に入ります。"
 
 プロデュースという華やかなコトバが目隠ししやすいが、本来的には他人の人生を預かる極めて責任の重い立場である。よほどの人徳者でなければ持続可能なプロデュース業はできないだろう。すなわちマネージャーもしかり、管理職もしかりである。
 

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イントロの法則80s 沢田研二から大滝詠一まで

2018年11月23日 | サブカルチャー・現代芸能

イントロの法則80s 沢田研二から大滝詠一まで

スージー鈴木
文芸春秋

 スマホ片手に、Youtubeでいちいち確認しながら読んでいたらまた徹夜になってしまった。こういう本は麻薬的な中毒性がある。

 僕が普段きいている音楽はクラシック音楽なのだが、世の中にある音楽の中でクラシック音楽の最大の特徴のひとつは「歌詞がない」ということだと本気で思っている(もちろんクラシック音楽の中には歌曲もオペラもありますが)。
 だから、ぼくの音楽に対しての鑑賞態度は「メロディやリズムや和声や音色の進行」を味わっているということになる。

 なので、クラシック音楽以外のジャンルの音楽を聴いている時も、原則として「曲」を味わっている。「歌詞」は頭に入っていないのである。
 だから、洋楽なんかは完全にインスタルメンタルのようなつもりで聴いている。僕は英語のヒアリングはからきしダメなので、歌詞の意味なんて聞き取れず、英語のボーカルに関しては「ああいう音がする楽器」として聴いているに等しい。

 問題なのはJ-POPなどの邦楽を聴くときだ。
 邦楽の場合でも僕は「曲」を聴いている。もちろん日本語だから「歌詞」が何を言っているのかわかるのだけれど、鑑賞として味わっているのは曲の進行の方であって、歌詞が何をどう言っているのか意味をたどることにはほとんど注意を払っていない。なんかもうそういう鑑賞態度で耳が出来上がってしまって、いまさら歌詞に集中することができない体になってしまっている。(したがって著者が前書で指摘した稲垣潤一「ドラマティック・レイン」にみる作詞家秋元康の革新性なんてのはまったく目ウロコだった)


 だから、この歌詞がいいんだよね! とか、勇気をもらって泣きそうになりました、という話はどうも共感が薄い。昔からそうで、80年代バンドブームのときも、原稿用紙に創作の歌詞を書くような同級生が何人もいて、文集に載せたりしていたが、はてさて、曲もないのに歌詞だけ書いてどうするんだ、などと斜めに観ていた当時の自分がいたのである。
 したがって、80年代のヒット曲でいうと、歌詞に特徴があるブルーハーツや爆風スランプよりも、X JAPAN(当時は単に”X”だった)とか聖飢魔Ⅱのほうが好きだった。曲の美しさや構成が圧倒的に違ったからである。プリンセスプリンセスやTMネットワークは確かに「曲」だけでも聴かせるだけのメロディとリズムを要していた。BOOWYやユニコーンは、当時一世を風靡していて同級生からCDを借りて聞いてみたりしたが、曲としては単調に思えてしまい、あまり気に入らなかった。本書によるとユニコーンのアレンジはそうとう技巧派のそれだったそうだ。気がつかなかったなあ。
 そしていつの時代でもサザン・オールスターズはたいへん聞きやすかった。何かの本で桑田佳祐は曲先詞後という作曲の仕方をする、というのを読んでやっぱりそうだったのかと納得した。本書でも指摘があるように、メロディやリズムが先にあって、歌詞をそれにのりやすいように押し込むのである。


 というわけで、僕が好きな邦楽は昔も今も「曲」がいいことが大前提で、となると必然的にイントロがすばらしい。本書の趣旨である「イントロがすばらしい80年代の邦楽」となると、これはもう僕の年代と嗜好にどんぴしゃりであって、書店で見つけて即購入。あくまで音作りの技術的側面にフォーカスしながら「イントロ」という極めて短い時間芸術に切り込むというコンセプトに多いに共感した。

 「ルビーの指輪」の、チャッチャッ、チャララーラ、ッチャチャッとか、「ギザギザハートの子守唄」の、チャラッラッラ、チャーラッとか、「そして僕は途方にくれる」の、ズチャチャッ、チャチャチャチャッ、「ワインドレッドの心」のチャーー、チャラーー、チャララー、チャラーラララーなど、音の数はミニマムなのにリズムの打ち方、コードの変容で、圧倒的な印象を残す。さらに音色の当て方にもいろいろな技法があり、80年代にはシンセサイザーとデジタルミキシングで可能性は無限に広がったから、様々なチャレンジがあって、この時代のイントロは、確かにご指摘のとおり、強く印象にのこる傑作が多い。本書ではニューミュージック的なものだけでなく、斉藤由貴の「卒業」や、松田聖子の「青い珊瑚礁」のようなアイドル曲もとりあげていて、なるほど確かに野心的な試みがされていたのであった。出色のものはあれから30年たった今でも記憶にこびりつき、イントロ一発でその曲どころか、当時よく聞いていたころの時代の空気、当時の自分の生活までいっきに惹起させる。イントロとは恐ろしい力である。(邦楽で最も好きなイントロは何かと聞かれた何と答えようか。レベッカの「friends」、Xの「Unfinished」、森昌子の「越冬つばめ」、YenTownBandの「スワロー・テイル」あたりか。)

 これらイントロのクオリティを左右するのが編曲家だということを僕は本書で初めて知った。
 というより、僕は編曲者というものが邦楽の世界においてそんなに重要な存在だったのか、というのをまったく知らなかったのである。作曲者の名前をチラ見するだけで、編曲者の仕事に注目したことがなかった。
 というのは、先に書いたように僕は普段はクラシック音楽を聞いているのだけれど、クラシック音楽というのは作曲家と演奏者しかいないのである。まれに編曲家が介在する場合もあるのだがむしろ例外といってよい。クラシック音楽では、どんな音色の楽器をあてるかとか、どんな序奏や経過句をつけるかも全部作曲家がひとりでやる。

 80年代の頃の僕は、歌謡曲なら歌い手に、バンドならせいぜいが楽器メンバーくらいまでしか関心が及ばず、作詞作曲は誰がやったのか、まして編曲家は誰なのかは関心を払ってこなかった。「曲」を主体に聴いていたのにその「曲」を誰が手掛けたのかは心及ばなかったのは、当時のこととはいえ大変な片手落ちであった。当時それに気づいていれば、さらに面白く音楽が楽しめたのに、といまさらながら思う。


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出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

2018年05月01日 | サブカルチャー・現代芸能
出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと
花田 菜々子
河出書房新社
 
 読書という自分にとってとっても馴染みのある世界の話と、出合い系というぼくにとってまったく縁のない未知の世界が同時並行した摩訶不思議な感覚の本。
 その人の悩みやそぶりから一冊の本を勧めるというやりかたは京極夏彦の小説でみたことがあるし、ほかでもみた記憶があるから、それなりに手堅いフォーマットと思われる。むしろカタルシス的な安心感まである。
  一方で「出会い系」という即ち知らない人と次々に出会っていくアドレナリン出っぱなしのこの感じは、圧巻を通り越してもう結構ですというくらいの気迫を感じる。狂気めいた一種の躁状態とでもいうべきか。
 出会う相手は男女問わずみんな個性的だ。著者によると出合い系に出没する人は、IT系、起業系、フリーランス系ということなので、いずれも属さない僕からみれば完全に異星人である。本書は開始後しばらくはこの出合い系の奇人変人(著者いわくはまともな人ちゃんとした人もいる、が、僕みたいなつまらない常識人からみるとやっぱりかっとんでるように思う)の遭遇記となる。もちろんその中には完全にエロ目的でやってくる人も含まれる。
 著者はそんな人々と会話し、ときに盛り上がり、ときにはいなしながら、本を薦めてみる。しかし、出会い系に出没する人というのは本質的にあまり本を読まない人種なようで、あまり噛み合っていない。ところが著者はそのうち「見知らぬ人に出会うこと」のエキサイティングさのほうにとりつかれ、やがて「本を薦める」という看板は自分の逆ナンの手段というまでに開き直って未知の人との出会いに邁進するようになる。
 こんな感じでこのまま70人との遭遇話になるのかと思ったら、さる人物との出会いを境に、そこから反転して結局、本の好きな人に、さらにその人が読んでなさそうな、それでいて気に入りそうな本をなんとか探し出して勧めるという王道に行き着く。ここにいたるまでの躁鬱の起伏はジェットコースターのようだが、この、やがていきつく最終章の後におとずれる読後感はなんだか単館上映系のロードムービーみたいであった。
 これは本という車に乗った人生探しの旅だったんだな。
 

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1984年の歌謡曲

2017年05月19日 | サブカルチャー・現代芸能

1984年の歌謡曲

スージー鈴木
イースト・プレス


 半ばバカにした気持ちで読み始めたのだが、いやはや完全に没入。脳内は完全にタイムスリップ。Youtubeで次から次へと再生してもはや中毒状態、徹夜になってしまった。

 1984年のヒット曲、といわれてもぱっと出てこないが、チェッカーズが大ブレイクした年と言われると、ああそうか、と、当時の歌番組の光景を思い出す。歌のトップテン、ベストテン、夜のヒットスタジオといった各種の歌番組で、若き藤井フミヤが、前髪チクチクさせながら妙にだぶついた恰好で歌い踊っていた。「涙のリクエスト」「悲しくてジェラシー」「星屑のステージ」「ギザギザハートの子守唄」これすべてが1984年。

 このころは松田聖子と中森明菜がシノギを削っていたが、1984年に限れば中森明菜のほうが当たっていたように思う。本書によれば、この年の明菜は「北ウィング」「サザンウインド」「十戒」「飾りじゃしゃないのよ涙は」。対する松田聖子は「ピンクのモーツァルト」「Rock'n Rouge」「瞳はダイアモンド」。当時、僕は昔も今も、ダンゼン明菜派なので、聖子に比して、その後の彼女の失速はまことに残念である。(近藤真彦の愚か者め!)

 この年は、まさにチェッカーズと中森明菜と松田聖子の時代のような印象があるが、本書によって安全地帯の「ワインレッドの心」、サザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」というその後、現在に至っても名曲として殿堂入りしている曲が出ていることを知る。これはすごい。当時の玉置浩二は単なる面長細目の兄ちゃんだった。後年あんなになるなんて誰が予想しただろうか。

 それから、松田聖子・中森明菜に後塵を排するところはあったものの、小泉今日子が「迷宮のアンドーラ」「渚のはいから人魚」「艶娘ナミダ娘」「ヤマトナデシコ七変化」とスマッシュヒットを続け、なかなか健闘していたのも1984年。その後、独特のアイドルポジションに育っていく。



 安全地帯やサザンオールスターズの例もあるが、多くの歌謡曲は、作詞作曲と、歌い手は別である。本書が面白いのは、作詞家作曲家編曲家の仕事に注目しているところだ。

 たとえば中森明菜の場合、

 ・北ウイング       作詞 康珍化    作曲 林哲司
 ・サザン・ウインド    作詞 来生えつこ  作曲 玉置浩二
 ・飾りじゃないのよ涙は  作詞 井上陽水   作曲 井上陽水
 ・十戒          作詞 売野雅勇   作曲 高中正義

 であり、松田聖子だと

 ・Rock'n Rouge      作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂(松任谷由実のこと)
 ・瞳はダイアモンド    作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂
 ・ピンクのモーツァルト  作詞 松本隆    作曲 細野晴臣

 ということになって、松田聖子が松本隆と松任谷由実という安定した豪華布陣だったのに対し、中森明菜は毎回陣容が異なる。
 チェッカーズの場合も、松田聖子と同じで、

 ・涙のリクエスト     作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・悲しくてジェラシー   作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・星屑のステージ     作詞 売野雅勇   作曲 芹澤廣明
 ・ギザギザハートの子守唄 作詞 康珍化    作曲 芹澤廣明

 という陣容だ。「十戒」と「ギザギザハートの子守唄」を担当した康珍化という作詞家は、この年のヒット曲としてさらに、高橋真梨子の「桃色吐息」、小泉今日子「渚のはいから人魚」、原田知世「愛情物語」、杉山清貴&オメガドライブ「君のハートはマリンブルー」と、幅広い芸風で八面六臂の大活躍だ。


 ところで、本書でとりあげられて初めて気づいたのが、この年、薬師丸ひろ子が健闘している。
 そう。このころの薬師丸ひろ子は、映画に歌手に大活躍の高校生だった。硬質で高音に伸びるその声は小学生のぼくのハートに突き刺さりまくっていた。

 ・メインテーマ      作詞 松本隆    作曲 南佳孝
 ・Woman                   作詞 松本隆    作曲 呉田軽穂

 本書では、薬師丸ひろ子が歌うこの二曲を、この時代の歌謡曲の最高峰としてその楽曲がいかに巧みにつくられているかを五線譜をつかって分析しており、なかなかマニアックで面白い。
 それにしても、松本隆の大物存在感は抜群だ。


 さらに1984年は、郷ひろみの「2億4000万の瞳」、吉川晃司「モニカ」、森進一「北の蛍」、わらべ「もしも、明日が…。」小林麻美「雨音はショパンの調べ」、杏里「悲しみがとまらない」、近藤真彦「ケジメなさい」、石川優子&チャゲ「ふたりの愛ランド」、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」、井上陽水「いっそセレナーデ」。キリがないが、わずか1年の間にこれだけ続々と出てくる時代というのはミラクルだ。
 
 作詞家にしても作曲家にしても、歌い手にしても、一流のアーティストであれば、時代の気分をとらえるのは凡人よりも敏感だろう。この年にこれだけの記憶に残る楽曲が出たということは、それだけ時代の空気に特徴があったと思う。
 1984年というのは、当時の代表的なテレビCMが「私は、コレで会社を辞めました」に「エリマキトカゲ」に「ガンバレ玄さん」に「ちゃっぷいちゃっぷいどんとっぽちぃ」。映画が「ゴジラ」。社会事件が「グリコ森永事件」と、なんだか浮ついている。バブル時代が本格化するのはその数年後だが、既に良くも悪くもふわふわした空気が漂いだしていたのだろうか。
 歌詞やメロディの"妙”が与える、なんとなくそれっぽい雰囲気みたいなものが、数ある歌番組を席巻し、それが麻薬的な快感で受容された時代ということだろうか。



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タモリ論 ・ 文藝別冊「タモリ」 ・ 愛の傾向と対策

2014年01月29日 | サブカルチャー・現代芸能

タモリ論 著:樋口 毅宏

タモリ 芸能史上、永遠に謎の人物 編:文藝別冊 

愛の傾向と対策 著(対談):タモリ・松岡正剛

 

 樋口毅宏のタモリ論はずいぶん売れたらしいが、それにしては非常に評判が悪い。
 ぼくもざざっと読んでみたが、要するに最近のタモリ、「いいとも」のタモリを中心に話を進めており、そこにさんまやたけしとの比較みたいなのを、完全に主観的にやった“手ぬるさ”が批判されているのである。

 でも、どうも著者と編集部の確信犯な気がする。今日び、ちょっとネットでググれば、タモリの真に偉大で異様なところは80年代初期の芸にあり、そこに時の文化人たちが心酔したことはいくらでも情報として出てくる。わざわざそこをカットしたのである。
 

 逆に、「夜のタモリ」の時代を知っている人は、「いいとも」のタモリは毒抜きされたタモリでしかないと評する。「タモリ論」に不満を持った編者がつくりあげたのが文藝別冊「タモリ 芸能史上、永遠に謎の人物」で、ここでは「いいとも」以前のタモリがいかに凄かったかが語られる。もはや古事記の冒頭のごとく神話化されている九州のホテルでの山下洋輔トリオの宴会の乱入という幕開けから、新宿の「ジャックの豆の木」にカンパ金で呼ばれてそこで密室芸を披露し、赤塚不二夫に気に入られて居候し、黒柳徹子に発見され、そして「空飛ぶモンティパイソン」「今夜は最高」「タモリのオールナイトニッポン」と危険な番組を駆け抜けていった。

 確かに「昼のタモリ」は毒抜きされているのかもしれないが、しかしテレフォンショッピングを見ていても、他の番組を見ていても、やはり人を食った独特のテンションと間合いでいつのまにか「持っていってしまう」あのてらいのない運びが既に「至芸」だと思う。
 その「至芸」は伝説化されているタモリのさまざまなネタにも共通している。「四ヶ国語麻雀」も「ソバヤ」も「ハナモゲラ落語」も「思想模写」も恐ろしく完成度が高いが、通底しているのはあの奇妙に低いテンションと間合いでの「運び」である。
 まったくたいしたことしてませんよ、つまらない普通のことですよ、という脱力感の中で一寸先は闇の口八丁手八丁を繰り広げるこの感じは、夜のタモリも昼のタモリも同じである。

 このようなタモリの芸風にジャズのアドリブとセッションをみるのは、タモリを論じる際によくある話だが、なにしろタモリは自分の芸のことを自分自身で説明することがほとんどない。たぶん、さんまやたけしよりもない。世にあるタモリの本は、「タモリ論」も「文藝別冊」もすべて他人が書いて、他人が評しているものである。タモリ自身が書いたとされる「TOKYO坂道美学入門」は、タモリの趣味丸出しの本だけれど、ここにタモリ自身の思想が書いてあるかとすればそんなことはない。
 そもそも、タモリの芸風は、自分自身を語らないところにもある。

 そんなタモリが「笑い」とは何かとかおのれの芸風とかを語った貴重な本が1980年に刊行された「愛の傾向と対策」で、松岡正剛との対談本という、希少というよりもはや珍書である。なぜかこれがウチにある。

 ここで彼はいろんなことを述べているのだが、要するに彼は「予定調和」が大嫌いなのであった。そして、モノゴトの予定調和を助長させているものは「言葉」であるというのが彼の見立てなのである。
 「言葉」は、「意味」と「音声」の約束事で成り立っており、その「言葉」の連なりが、全体の世界をつくり、予定調和をつくる。本来はその世界を支配する約束事や予定調和が先にあって、言葉が後からついてくるように思えるのだが、どうも「言葉」が先にあるのではないか、という唯言論なのである。
 だから、牧師を牧師っぽくしているのは、あのへんなイントネーションの日本語とたまに挿入されるお約束の慣用句による「言葉」だし、ミュージカルがミュージカルっぽいのは、会話が突如歌いだすからである。タモリは、「言葉」がモノゴトにウソっぽさ、予定調和を与えていく違和感を覚え続けたのである。

 だから、彼の芸はこの言葉による破・予定調和なのである。予定調和を予定調和たらしめる「側(がわ)」だけを残して中身を思いっきり空虚にしてしまったのがハナモゲラやインチキ外国語やつぎはぎニュースやソバヤだし、言葉の中身である「意味」を大事に大事に崇めたてるわりに随所で定型句が顔を出す予定調和が支配する世界を笑いとばしたのが、ニューミュージック批判やセレモニー時のスピーチ嫌いだし、その嫌いなセレモニー・スピーチを破・予定調和でありながらしかも大団円という離れ業をやってみせたのが赤塚不二夫への弔辞なのである。

 

 そう考えると、彼のあの妙に低いテンション、「やる気のあるものは去れ」「座右の銘は適当」というあの感じも、すべていつでもすぐに破・予定調和にもっていけるための「構えの姿勢」のように見えてくる。どこかに力が入るとあらぬ方向にボールが飛んできたときにさっと体が反応しない。あれは達人が見せる「どこにもスキがない姿勢」なのかもしれない。

 


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平山夢明と京極夏彦のバッカみたい、読んでランナイ!

2010年11月10日 | サブカルチャー・現代芸能

 平山夢明と京極夏彦のバッカみたい、読んでランナイ!

 平山夢明・京極夏彦

 いったい本書は何かと言うと、TOKYO FMでオンエアされていた謎の番組「バッカみたい、聴いてランナイ!」のトークの書籍化である。

 僕はこの番組ついぞ聴いたことがなく、というか存在さえ知らなかったわけで、もし知っていたらこれはもう万難を排して拝聴したに違いない。というか、まだやっているというので、次はぜひともチェックせねばと思っている。

 僕の目的は、京極夏彦にある。

  京極夏彦という人は、デビュー以来非常に気になる人で、僕は、彼の創作姿勢に非常に興味がある。それは、あれだけ濃密かつ長大、ストーリー構成としてもキャラ造型にしても超エンタメのツボを抑えていて、しかも文章力が抜群、そして例の博覧強記ぶりは、いったいあれは何の奇蹟なのだろう、と解明したくてしょうがないのである。しかもバカ話までもが異常に手慣れているというか、プロ級のオモシロさなのである。誤解を恐れずにぶっちゃけちゃえば、なぜ僕は彼のような才能に恵まれなかったのだろうと絶望的な気分になったりするのだ。おいおい。

 周知のように、この人の作品は異常に分厚いことがひとつのブランドになっているわけだが、デビューして数年経った頃にとある本で、「いかなる長大な作品でも4コマ漫画のように思いつく」とインタビューで述べたようなことが書いてあり、膝を叩いたものだった。そう。4コマ漫画のように発想するから、あれだけの仕事ができるのである。

 

 その話を聞いて以来、どんなに事情が複雑で長大なハナシであろうとも、4コマまんがのごとくシンプルな骨格があるはずだ、ということを信念に僕は日々の仕事をしている。浮世の仕事は、あちらを立たせればこちらが立たずの矛盾の連鎖でどう折り合いをつけるかばかりが目につき、そんなプロジェクトを毎日イヤでも遂行しなければならないわけだが、僕はこの支離滅裂ではちゃめちゃな事態の中心にある「4コマ漫画」を見つけろ、と己に言い聞かせ、その「芯」の部分を追及するのだ。たしかに、そこさえ外さなければ、あるいはその「芯」さえ発見できれば、どうにかなったりする。ありがとう京極夏彦先生!

 そして本書では、驚愕の事実が語られている。あのディープな超過密作品群、なんと「ドリフの大爆笑」など見ながら、ほぼ一気にひとまず書いてしまうらしい。そして、推敲にたいへんな時間をかけるのだ、ということをさりげなく語っている。

 そうか。そうなのか。京極夏彦作品は、とにかく細部のち密な描写と蘊蓄をはじめとする凄まじき情報量にあり、でありながら、ぐいぐい読ませる牽引力があるのだが、その「先を読みたくなる」力は、プロットを見失わせないところにあるのだ。その秘訣は、とにかく一気に最後まで書いてしまうということらしい。とにかく一気に最後まで書いてしまって、あとからゆっくり細部を修正していこう。この方法、豊臣秀吉若かりし頃の墨俣城建設の話とも思い出させる。

 ちなみに、この人、小説ではかならず見開きいっぱいに文章がちゃんと入っていて、次のページに文章がまたがないようにしている、という凝りようである(つまり、単行本、ノベルズ版、文庫版でわざわざ文章を直している)。プロ根性と言わざるを得ない。

 

 こういうラジオトークって、昔はよく聴いていた。タモリのオールナイトニッポンとか、デーモン小暮のオールナイトニッポンあたりは僕の原点でもある。テロップとCGが乱用されるテレビ番組よりよっぽどセンスが磨かれると思うんだけどな。

 

 

 


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キャラクターメーカー-6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」

2009年08月16日 | サブカルチャー・現代芸能
 キャラクターメーカー-6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」---大塚英志


 著者はわりと毀誉褒貶の激しい人で、確かになんというか大学生が深夜酒を飲みながら討論しているような、もっともらしさとコジツケと主観と客観の泥酔状態みたいなところも少なからずあるような気もしているのが、一方でいろいろ面白い気づきも与えてくれるので、これまでいくつか読んできた。

 その中で、手塚治虫由来の記号化させた「属性」というやつと、田山花袋「蒲団」以降に見る私小説の系統の両局面から、キャラクターメイキングを見るという観点は、前作「キャラクター小説のつくり方」のときからなるほどと思ったものだった。
 ただ前作と違うのは、「キャラクター小説のつくり方」では、そういったキャラクター小説の粗製乱造に、作り手の怠慢を指摘していたのだが、本作ではそのこと自体にいいも悪いもない、という立場に微妙にかわっていることだ。大学でのゼミを元にしているという事情もあるのかもしれない。
 
 個人的には、いまどきのキャラクター群、その類型的な属性(著者曰く、その「属性」で検索タグがつくれるという)を消費することのカタルシスが主目的でありながら、それを言い訳するように私小説的な分別くさい衣をまとわせる昨今の氾濫ぶりはやはり怠慢というか、退廃ではないかという気もする。このような、ある意味「主人公の気持ちになって読みましょう」的な読書鑑賞の方法でもある主要人物への感情移入で読ませる(あるいは書く)ことに反旗を翻したのが今から四半世紀前に発表された筒井康隆の「虚航船団」であったように思うのだが、結局のところ時代は“キャラ立ち”や“萌え”に至ってしまった。

 記号の消費の心地よさに安住している限り間違いはないという安楽さにむしろ目覚めてしまったということだろうか。
 しかし、こういった「脱・物語」(昔っぽく言うと「ポスト構造主義」ですな)こそ真骨頂とするのが、Googleをはじめとする検索エンジンであり、「人は見た目で9割」「企画書は1枚」「つかみ」で「すべらない」時代であろう。つまり、「物語」という舞台となる世界があって前後の関係があって伏線とか駆け引きとかが用意されているようなしちめんどくさいものに関わる気力も時間もなく、その瞬間の快楽的な消費こそが優先される現実に我々は生きている。

 芸術は時代の先を行くとかつて言われていたが、昨今のキャラクター大氾濫は明らかに時代の落とし子であろう。

 では、次に何の時代がやってくるのか。

 それがいま、とても興味のあることだ。

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対談集 妖怪大談義

2008年08月28日 | サブカルチャー・現代芸能
 対談集 妖怪大談義---京極夏彦

 「妖怪」の懐の深さを知る一冊。対談相手には、民俗学者、歴史学者、脳科学者、歴史小説家、宗教学者、文芸評論家、蒐集家・・・

 「境界」が面白い、というのは僕がわりと以前から持っている信念で、どっちの分類に入るのかわからないようなものに、面白いというものが多い。
 いつもそれで苦労するのが本探し。ネットや伝聞で面白そうと思った本を書店で探すとき、はたしてどのコーナーに行くべきか悩んだりする。たとえば、いしいひさいちの「現代思想の遭難者たち」。似非科学研究会の「魅惑の似非科学」。パオロ・マッツァリーノの「反社会学講座」(今は文庫化されている)。榎本俊二の「カリスマ育児」。松岡正剛の「17歳のための世界と日本の見方」などなど。

 で、「妖怪」というものも、実はこの「境界」を跳梁跋扈しているように思う。それぞれのアカデミーの中枢から最も離れた国境地帯を彼らはベドウィンのように生きている。歴史学からも民俗学からも宗教からも認知心理学からもマイナー扱いされ、にもかかわらず、この得体のしれないものを忘れたことはなかった。だから、みんなが自分のテリトリーから「妖怪」を語る。あいつらはこういう連中だと。しかし、その説明はみんな違う。みんな違うから、全部を集合させると「なんとも説明のつかないモノ・コト」に戻ってしまう。

 この「境界線」に現れるもの特有の奇抜さが妖怪そのもののようにも思う。歴史的にも民俗的にも大脳生理的にも宗教的にも文芸的にも少しずつ関りながら、しかしそのどれでもなく、分類しようとすればするほど、するりと逃げていく。分類という籠につかまった瞬間、「妖怪」はもう「妖怪」ではなくなっている。

 逆に言えば、所属あいまいでふわふわしているからこそ、妖怪の魅惑は健在ということだ。先に挙げた本も、書店でうろついて探すからこそますます魅力的なのであって、amazonで1本釣りしては、期待値も半減なのである(わらうところです)。

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完全復刻 妖怪馬鹿

2008年08月07日 | サブカルチャー・現代芸能
完全復刻 妖怪馬鹿---京極夏彦・多田克己・村上健司

 一言で言えば、深夜に果てしなく盛り上がる妖怪オタクの妖怪馬鹿話である。たとえネタが妖怪でなくても、学生時分なんかの、このような延々に話が話を呼んで盛り上がることのカタルシスは誰もが持つだろう。
 逆に言えば、近年、こんな具合に「話がもりあがる」ことって少なくなったなあ。
 
 おしゃべりのもりあがりで思い出したが、昔、学校の教室での休み時間かなんか、めいめいが勝手に騒いだりおしゃべりしているとき、たまたま偶然で全員が発声をやめたタイミングが一致し、瞬間的に静寂が訪れることがあった。これなんかも、妖怪の名前がついていそうなものだけれどなあ。

 話は前後するのだけれど、京極夏彦によれば、現象や観念がキャラクターとして形象を与えられたとき、妖怪は完成するのだそうである。だから、この「教室での一瞬の静寂」のような姿形のない現象に「名前」がついて、それをどこかの誰かが形象化すれば妖怪になるわけだ。

 ただ、妖怪の形成にあたっては「都市伝説」と違って、なんらかの民俗的記憶というか同時代的かつ同地域な背景もまた必要なのだそうで、つまりは「瞬間の静寂」とアナロジーになりそうな「日本の文化」があることが必要らしい。言っていれば妖怪生成のための触媒といったところか。
 たとえば(いわゆるKYの)「空気」なんてのが使えそうだ。「教室での一瞬の静寂」は「空気を入れ替える妖怪」の仕業なのである。「空気を入れ替える」といえば、換気扇だ。転じ転じていけば「その場の気運を入れ替える換気扇」となって、だいぶ妖怪っぽくなってきた。

 「教室での一瞬の静寂」の前後で、何かの気運が入れ替わっているのである。「教室での一瞬の静寂」前にいたはずの誰かがいなくなっているとか、立場が逆転しているとか。セオリーが真逆になっているとか・・

 ・・ライトノベルくらいにはならんかな。

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オタクは既に死んでいる

2008年04月18日 | サブカルチャー・現代芸能
オタクは既に死んでいる----岡田斗司夫----新書

 オタキングによるオタク族への鎮魂歌だ。
 昭和から平成にかけて社会集団カテゴリーとして昇華した「オタク」は、いま、再び個人単位に還元された。同時に、社会集団としての「オタク」の共通様式は喪失した。ただ、便宜的に「萌え」という符牒だけが亡霊のように跋扈している。

 以下私見。
 オタクという用語に、肯定も否定もないという前提で書きますが、僕自身は今から12年前、今年はオタクがブレイクした年だなーと思った。今から12年前というのは、例の「エヴァンゲリオン」の年である。前後してサイバーな「甲殻機動隊」とか、変貌した宮崎駿アニメ「もののけ姫」も登場、オタクが、オルタナティブカルチャーとかなんとか呼ばれ、アカデミズムに語られ、なんだか時代を動かすキーワードになっていた。当時NTT出版の季刊誌「Intercommunication」という情報と文化をテーマにしたような雑誌があって、そこにまだ無名の東浩紀がエヴァンゲリオンのレビューを記号論とか社会哲学の見解から述べていて、それを読んだのが、僕が始めてこの世にエヴァンゲリオンという興味深いアニメがあるんだな、というのを知った最初だった。ちょうどテレビ東京で再放送をやっていて観てみたら、えらく面白かった。

 そして僕が思うに、2006年。「オタク」は消失した。カウンターカルチャーである「オタク文化」に辛酸をなめさせられていたマスコミ業界が、おそらく意識せずに、奇手を放った。「電車男」の映画化ドラマ化である。映画、ドラマ、メジャー誌コミック、舞台で「電車男」は祭り上げられたわけだが、知ってか知らずか、要するにあれは「オタク」の褒め殺しであり、「オタク」というブランドの社会消費だったと思う。そして、記号化と類型の中に安住する快楽の誘惑に、さしもの「オタク」も抗えなかった。かくして、「オタク」はもはやサブでもカウンターでもオルタナティブでもなく、メインカルチャーを構成する一要素に収斂され、居場所とふるまいを規定されてしまい、自己模倣の域になっていった。

 もちろん、「電車男」はひとつの結果的な現象であって、「電車男」のエネルギーが「オタク」を消失させたわけではない。様々な要因で「メインカルチャー」の「メイン」なるものが希薄化し、社会風俗がモザイク化しつつある土壌があった。「モザイク」であることが「メインカルチャー」なのだ。だから、「オタク」もサブとかカウンターとか対立軸を必要とせずに、すぽっと一要素におさまってしまった。「電車男」はそのタイミングに見事なほどきれいにはまった。あと1年早かったら、「電車男」はあそこまでフジテレビのドラマとして成功はしなかっただろう。

 岡田斗司夫氏の主張と被るが、僕は「オタク」とはカウンターカルチャーとしての「知の構築」だったと思う。1996年はそれが市民権を得た年だった。そして、それがもはや対立軸を失ってカウンターではなくなり、メジャーカルチャーの一員として取り込まれ、構築ではなくて消費や追体験になったのが2006年だ。「オタク」の顔をした、単なるメインカルチャーの消費経済に移行した年なのだった。

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