読書の記録

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死の貝

2024年05月13日 | ノンフィクション
死の貝
 
小林照幸
文藝春秋 (新潮文庫)
 
 
 20世紀も終わりころ。20代の僕はニフティの読書好きフォーラムのひとつをよく覗いていた。まだモデムを使ってピーガシャガシャと接続していた頃である。SNSも掲示板もロクな検索エンジンもなかった時代だから、本の評判をそういうところで得ていたわけだ。
 
 フォーラムの誰かが、文藝春秋からものすごいノンフィクションが出た、と投稿した。その名も「死の貝」。かつて日本の農村部で猖獗を極めた寄生虫病を根絶させる話という。無名の作家と地味なテーマに騙されるな、ぐいぐい読ませる、とその投稿主は興奮していた。
 
 この手のノンフィクションは当時から好きだったので、直観で面白そうと思い、行きつけの本屋に探しにいったが見当たらず、カウンターで予約してもらった。数日後に本が届いた旨の電話がかかってきた。
 
 読んでみて、その中身に圧倒された。日本住血吸虫という寄生虫の存在も、それが山梨県や広島県で猛威を振るっていたことも、慢性的な栄養失調におとしめてやがて肝臓や脾臓を破壊する恐ろしい感染病であることもこの本で初めて知った。医療関係者や該当地域の人以外には関心を得にくそうな硬派なテーマなのに、圧倒的なドラマツルギーを放つ筆力に飲みこまれた。けっして大言壮語を操るような文体ではない。愚直に何処某の誰某が何をした、その結果何々の成果があった、あるいは何々の壁にぶつかった、といった事実ベースの積み重ねである。かなりの資料にあたったと見られ、固有名詞や数字が次々と出てくる。むしろ報告書みたいな時系列の記述なのに、その事実が小説より奇なりというか、事実の重みに語らせてるというか、とにかく1日で読み切ってしまった。周囲の読書好きに薦めまくった。
 
 ところがなぜか、この本はその後それほど話題にはならなかった。なにか賞をとることもなく、文庫化もされなかった。
 
 そこから幾星霜。四半世紀もたって突如に新潮文庫で復刻されたのだった。
 
 
 新潮文庫版の帯をみると、Wikipedia三大文学のひとつ、とあった。Wikipediaの記述が面白すぎて思わずよみふけってしまうものの一つらしくて、そのスジには広く知られていたらしい。ちなみに残りの二つは八甲田山雪中行軍遭難事件と三毛別羆事件とのこと。前者は新田次郎、後者は吉村昭の小説が有名でどちらもロングセラーだが、なぜか日本住血吸虫を扱った本書だけが出版業界から見落とされていたわけだ。これだけ小説ではなくてドキュメンタリーだったからかもしれない。単行本が文藝春秋なのに文庫本が新潮社で出た事情もなにか背景があるのかもしれない。
 
 というわけで文庫化によって話題になっているのを知った僕は、文藝春秋の「死の貝」を書棚から改めて取り出して読む。なにより感動するのは、昔の医者は偉かったんだなーと思うことだ。
 
 罹患してしまうと腹が太鼓のように膨れてぼろぼろの栄養失調になって死に至る恐ろしい病である。感染源も治療法もわからない。それなのに、田んぼの中に素足で歩いていると罹るらしい、という農民の伝聞だけを頼りに、自ら素足で田んぼの中に立って事実関係を確かめる医者(そして実際に感染した)、とにかく何かがおかしいと村人の糞便を採取しまくって寄生虫の卵を探す医者、治療費もとらずに絶望的な患者を次々診ていく医者。自己犠牲というか未知の病を克服するためのがむしゃらな精神に舌を巻く。よくこの手のものはベテランの医者が誤った見立てをしてしまって業界全体をミスリードしたりするエピソードに事欠かないのだが、今どきのEBPMを彷彿させるような、かなり統計学的な手法を用いて原因を特定しようとする医者も登場する。
 
 医者だけではない。患者も挑戦する。近代医療の黎明期である明治時代にあって、みずからが自らの身体を後世のために解剖することを願い出たり、臨床実験結果も出ていない試薬に協力する。先ごろのコロナワクチンの狂騒とは隔世の感がある。それくらい藁をもすがりたくなるひどい病気だったのさということなのだろうが、自治体も国も、戦時中の一時期を除いて病因の特定と予防に躍起になる。ひとつの目的のために官民一体となるこの姿は現代の日本ではなかなか考えにくいことである。
 
 最終的には、ミヤイリ貝という小さな淡水貝が、この寄生虫の中間宿主であることが突き止められ、この貝を日本から絶滅させるという気宇壮大というか誇大妄想的な事業が開始される。溝渠の底をシャベルですくうと砂利のようにたんまり出てくる貝を、である。日本全国で数億匹は下らないはずだ。村人総出で箸を使って一匹ずつつまんで捨てたり、大量の石灰を撒き続けたり、火炎で燃やしたり、水路をコンクリートで覆うなど、あらゆる手を使う。せっかく効果が出ても川が氾濫して元の木阿弥になってしまったり、ちょっと手を抜いただけでたちまち貝は増殖するなど、この貝はなかなかしぶとい。
 
 悪戦苦闘の結果、貝の駆逐を開始して40年、謎の病の調査からは100年経ってミヤイリ貝はついに日本から姿を消した。宿主を失った日本住血吸虫という寄生虫は少なくとも日本ではいなくなった。山梨で地方病、広島で片山病とよばれたこの寄生虫によるおそろしい病は事実上消滅したのだ。
 
 人間が根絶させたウィルスというと我々は天然痘を思い浮かべるが、貝を根絶させるなんてすさまじいことを我が日本はかつてやってのけたのである(正確にいうと日本住血吸虫に侵されていないミヤイリ貝は日本にまだわずかだが生息しているそうだ)。
 
 
 生物多様性とか生態系バランスの今日からみると、ある固有種の貝を力技で絶滅させるというのはなかなか暴挙なようにも思える。水路をコンクリートで覆う(全長数百キロに及ぶそうである)のも、農村景観の保護とか自然の保水力の低減の観点で異議ありと言ってくるエコロジストは出てきそうだ。
 
 しかしそういう話は、なんだかんだで余裕の産物なんだな、と本書を読めば思ってしまう。日本住血吸虫は日本の農業史とほぼ併走していた寄生虫であり、村人を全滅させて廃村に追い込み、記録にも残らなかった例も過去にはあったであろうことを、他国の例などから類推している。自ら素足を田んぼに突っ込んでまで病の原因を解明しようとした医者がかつていたことを思えば、人類のウェルビーイングのための希求は、自然との泥縄の戦いの歴史だったのだなと感じ入る。
 
 とはいうものの、ミヤイリ貝と日本住血吸虫のしぶとさも本書の見どころのひとつだ。安全宣言が出て30年以上経っているが、本当に根絶したのだろうか。「ないこと」を証明するのは非常に難しい。昨今の異常気象や川の氾濫から、どこかでひっそりとミヤイリ貝のコロニーが育っているんじゃないかと思うとうすら寒いものを感じる(現代では治療薬のほうも揃っているようなので安心されたし)。
 
 
 というわけで、本作品の新潮文庫での復刻はご同慶の至りだ。消えるには惜しいノンフィクション名著は他にもある。「青函連絡船ものがたり」や「大列車衝突の夏」なんかは著者の執念の探索が見もので、個人的には名作だと思っている労作ノンフィクションだ。ぜひとも復刻してほしい。

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