読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

最後はなぜかうまくいくイタリア人

2024年07月04日 | エッセイ・随筆・コラム
最後はなぜかうまくいくイタリア人
 
宮崎勲
日経ビジネス文庫
 
 
 タイトルが秀逸。裏を返せば「過程は問題ないはずなのに最後はなぜかうまくいかない日本人」という見立てが張りついている。くそー、なんであやつらはあんなにいい加減なのになんだかんだでうまくいってんだ! と思う日本人は多そうである。
 
 底本が2015年だから7年前の本だけど、コロナを経ても彼らのメンタリティは変わらない。コロナウィルスによって世界中で外出禁止になったときに、日本では自粛警察と買い占めで寒々としていたのに、イタリアにおいては道を挟んだアパートのベランダ越しにカンツォーネを歌い合う光景がニュースで取り上げられていて、なるはどイタリアらしいと思ったし、連中にはかなわんなと感じた次第である。ソーシャルディスタンスさえ楽しむのだ。
 
 もちろん「イタリア人とは」とひとくくりにするのは乱暴な話なのであって、そういう意味では本書は「面白い読み物」という感覚で接するべきであろう。とはいえ、なんとなく我々の生きるヒントみたいなものも感じさせる。たとえば、イタリアは社会運営がなにかと雑なので、そこで生活する彼らは予定を綿密にたてたところで実際は何がおきるかなんてわからないことを経験的に知っている。したがって先の段取りのことは気にせず、出たとこ勝負で繰り広げて、そして最後はなんとか辻褄合わせてしまうスキルが非常に鍛えられているのが著者の観察だ。この話、多いに考えさせられるものがある。
 なんとなく今の日本は、段取り力とかバックキャストとかTODOとかPDCAとかコスパタイパに頭をフル回転させて、最短距離で最大の成果を得るように周到に動くのが賢い人の条件のように言われがちだ。そのようなビジネス本や自己啓発本はたくさんある。
 日本はイタリアに比べればはるかに予定通りにコトが進む社会文化ではあるものの、とは言え想定外なことに見舞われることは大なり小なりよくあることだ。
 むしろ、時々刻々と変わる変化を感じながらその場のものにあやかりながら目的を達成する能力は、この日本でだって必要な能力であろう。
 まあ、最後はうまくいくさ、の行き当たりばったりで着地させる身体感覚(運動神経に近いものかもしれん)を持つこと。これはバックキャスト思考に負けず劣らず大事なサバイバル能力であることは肝に銘じようと思う。その肝は本書にもあるように経験主義(プラグマティズム)ということなのだ。
 
 ところで、本書を読んで気がついた。タモリの芸風ってこうだよな。彼の好きな言葉は「適当」で、座右の銘は「やる気のあるものは去れ」。しかしアドリブに優れ、手先が器用で、料理は玄人はだし、寄り道が大好きで、さりげなく様々なことに造詣が深く、やんちゃに事欠かない。短所を正すよりもそれを個性ととらえて長所を引き出す彼の審美眼によって世に出た芸人はたくさんいる。そういえば「日本ラテン化計画名誉会長」はタモリであった。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 傲慢と善良 (ややネタバレ) | トップ | 国道沿いで、だいじょうぶ1... »