読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

移動力と接続性 文明3.0の地政学

2022年03月12日 | 地理・地勢
移動力と接続性 文明3.0の地政学
 
パラグ・カンナ 訳:尼丁千津子
原書房
 
 なかなか壮大な本である。その内容を大胆にかいつまむと「これから世界は歴史で何度目かの人類大移動時代に入っていく」というものだ。
 
 これからのグローバル社会において、人々を移動させる原因となるものは目下2つ、「ガバナンス」と「気候変動」である。いやいや、前者においては昔からそうだった。もともと住んでいた土地の政治状況や治安状況が悪化し、住むに耐えられないゆえの移動である。本書によると今日においてもっとも移動者すなわち移民を多く生んでいるのは東ヨーロッパおよびロシアとの関係地域とのことで、シリアや旧ソ連諸国も含まれていく。地政学的な絶望を感じさせるに十分だが、本書を読んでいる間にロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。
 
 しかし、これからの移動時代、移動を促すものはこういった極端なガバナンス悪化だけではない。むしろ、こっちよりもあっちのほうが諸条件がよさそうであればさっと軽快に移動するーーそんなことになりそうであることを本書は予言する。コロナパンデミックによって各国各州の統治能力の差がずいぶん露わになった。自分の住んでいるところの行政能力は当たりだったのか外れだったのかが白日の下にさらされることとなった。
 一方で、リモートワークが一挙に促進された。必要なのはぶっとい通信環境、安定した電源環境、信頼できる物流環境である。それらがそろっていればよいのだ。テクノロジーの発達によって、もはやその土地に縛られなくても仕事はできる時代になっている。
 これらを踏まえて、いま自分が住んでいるところの雇用条件、税制、家賃や生活費の相場、社会慣習その他がそぐわなければ、もっと自分好みのところに移動して全くかまわない、そんな価値観が台頭してきている。選挙や陳情などの民主主義的手続きではなく、さっさとそこから出ていく。そこまで自分の住んでいる地域の行政に義理立てる必要はない。ある意味で前定住時代ーー狩猟採取時代のルネッサンスである。
 
 そしてこういった移動需要を加速させ、移動距離を長距離化させるものが気候変動だ。
 長期的にみれば沿岸都市は水位上昇による水没が必然だし、緯度帯によっては、今後のさらなる気温上昇で生活のクオリティQOLが下がる地域が出てくる。単に過ごしにくいだけではない。気温の上昇は食糧生産や疫病などともかかわってくる。上海をはじめとする東アジアの沿岸都市、バンコクやシンガポールも危ない。
 また、毎年おこる気象災害は、どうやらあのあたりは危ないらしい、という見立てを作り始めている。アメリカならばフロリダ、日本ならば九州あたりは要警戒地域ということになってしまっている。
 
 一方で、これまで住みにくかった高緯度帯や内陸部が住みよい土地となり、ここめがけての人口移動が始まる。本書では、一度は没落したデトロイトが、その緯度帯や内陸的位置により、地球温暖化に際してのレジリエンスが認められて復活の兆しがあるという。さらには、カナダやカザフスタンや北欧諸国はこれから住みよい土地として要注目とのことである。
 ロシアの広大な大地も、気温上昇によってツンドラの土地が溶ければ、そこは好条件の農作物地帯になりえる。北極海の氷も溶ければ航路が開ける。ロシアは地球温暖化を歓迎する国である。
 
 
 これら足元の揺らぎにおいて、いよいよ動き出すとされるのが世界中の「Z世代」だ。おおむね21世紀以降にうまれた世代である。
 
 日本ではなんとなくマスコミでもてはやされている「Z世代」だが、本質的には彼らは割を食っている世代である。
 というのは、現在の行政基盤や法律や税制といった諸制度、また都市装置や経済循環のありようは前の世代にとって最適化されたものである。(本書曰く、石油エネルギーを前提としたサプライチェーンを基礎とした都市分布であり、人口分布である。なるほど)。しかし現在のシステムができて数十年、人口バランスは変わり、資源エネルギー事情は変わり、地球の気温は変わり、国際関係は変わった。民主主義の制度も疲労してきた。いまの世の中の仕組みは、上の世代にとっては社会厚生的に妥当であっても、Z世代にとって好都合にはできていない。社会保障制度も選挙制度の仕組みも立法のプロセスも自動車社会のありようも、Z世代には不利不都合を押し付けられている。そのくせ、人新世とやらで地球環境は汚され、人類が生きていくためのリソースは極端に減らされた状態でZ世代に押し付けられているわけで、グレタさんが怒るのも一理ある。
 
 かつてなら、若者はそれでもその土地で我慢するか、頑張って抵抗するしかなかった。生まれ育ったその土地、せいぜいがその国の中で生きていかなければならなかったからだ。
 しかし、Z世代はかつての世代ほど国や企業に対しての帰属意識がない。不都合を感じれば、さっさと他に移動する。QOLの良いところを求めて移動するのがこれからの生き方だ。行政上の区分けはしょせん前世紀の遺物であり、Z世代を強権的にその枠にはめることはできないのである。ハーシュマンの「VOICE・EXIT」論でいえば、「EXIT」を攻めの戦略として使えるようになったのだ。
 なぜZ世代がそうなったのか。Z世代は、自分の国の違う世代よりも、他の地域の同じZ世代とのほうがシンパシーが強いという。情報環境の発達と、地球規模のイベント(9.11やBLMやMeToo、気象異常やコロナもそうだ)による共通の体験がそうさせたとも言われている。
 
 そして、大事なことは、Z世代をピークにしてこれから若い人の人口は世界で減っていくということだ。日本ではとっくに減っているが、世界でもこれからいよいよ減少に転じる。それは若い世代が生む子供の数が減ってきているからである。特にZ世代の次にくるアルファ世代は、コロナの影響もあってZ世代よりも世界人口が少ないことが確定している。
 ということはいずれ、世界で若い労働力の争奪戦というものが始まる。技能職やケアワークなどで若い力を必要とするところが売り手市場になっていく。移民を閉ざす日本ではなかなかピンとこないが、世界の人口動態を見通すと、そういう未来になるらしい。AIによって職の大部分が失われたとしても、若い力を借りなけっればならないことはまだまだ多いだろう。
 
 したがって、国や地域は「若い人に来てもらう」ガバナンスやまちづくりがより重要になってくる。それはもちろん気候変動やエネルギーの持続可能性や人権、いわゆるSDGs的な様々なに配慮された社会である。これができない国やエリアは、やがて必要な人がいなくなってすっからかんになる。日本の移民鎖国制度も遅かれ速かれ見直しの時期がくるだろう。
 
 
 このようにして移動が加速した世界の様相はどうなるのか。
 本書の予言では、一部の安全に囲われて経済循環が自立できる国、かつてのヨーロッパのハンザ同盟のように有機的なコミュニティによる緩やかな連帯(ただし共助関係を結べないコミュニティに対しては排他的)、そして北斗の拳の世界のような無法地帯といくつかの形に収れんされていく、という。
 
 興味深いことに、世界のこのような大移動時代目前という状況に際し、日本という国は本書ではずいぶんユートピアに描かれている。
 まあ確かに水ストレスはすくないし、大陸の気候変動影響に比べると日本のはまだ穏やかなほうだし、なんだかんだでインフラやテクノロジーはしっかりしているし、内戦もないし、コロナ対策もできているほうだし、万事が清潔で安全だ。
 ただ、本書で書かれる日本の事例はちょっと針小棒大である。一部のスタートアップ企業が始めた室内水稲栽培や、トヨタが富士山の裾野で行っている実験都市をあたかも日本全体がそっちにむかって次々と実現させているかのような書き方である。そういう意味ではこの本、調べが十分でないとも言えるが、なんと本書では日本は移民の異動先としてまぎれもない理想の地と書かれている。大航海時代がそうであったように、次の大移動時代も理想郷ジパングとして描かれてしまうのも、地政学上における日本の宿命かもしれない。
 

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地理マニアが教える旅とまち歩きの楽しみ方

2021年06月12日 | 地理・地勢
地理マニアが教える旅とまち歩きの楽しみ方
 
作田龍昭
ベレ出版
 
 
 なるほどたしかに地理マニアだ。ここまでやるか。
 
 真っ先に思い出したのが「高杉さんちのお弁当(柳原望:作)」」というマンガだ。
 オーバードクター(つまり院卒したもののその先が不安定)でうだつのあがらない主人公男性のところに、亡き義姉が残した女子中学生が突如現れて同居生活するという、設定だけきくとまたこのパターンかよ(「うさぎドロップ」「違国日記」「たーたん」など)というジャンルだが、むしろこのマンガで一貫した主題は「地理」であった。それもかなりガチなやつである。この主人公の専門は地理学であり、いきおい大学の研究室や教授や同僚やゼミ生が頻繁に登場する。もちろん彼らはみんな地理学の関係者で、くだんの食べ物に関してもやたらに地理学と絡められて描かれる。そして、地理学的ウンチクがわんさと語られる。
 作者の柳原望は少女漫画家出身だが、どうも地理学に通じているようで、別の作品でも地理学的センスをいかんなく発揮している。
 
 
 で、本書の「地理マニアが教える・・」だが、ここに書かれている著者の主張や書きぶりが、まるでこれらのマンガの登場人物とそん色なく重なるのである。さも主人公が語っている錯覚に陥る。地理学の人たちってみんなこんな言い方するのかなあと思うくらいだ。たしかに今尾恵介氏や今和泉隆行氏の著書もこんなところがある。
 
 その「こんなところ」というのがどんなところかというと、なんていうか、書き手の彼らが頭の中で浮かんでいる情景は、まるで細部までシャープにピントがあった大判の写真のようなんだろうなあということだ。山の色も道の傾斜も傍らの道祖神もそこに備えられた花の色もすれ違う主婦の自転車の籠に入っていた野菜も彼らにはとてもよく見えていて、で、そんな目の前の景色を一生懸命に伝えようと書いているのだけれど(「記述」というのは地理学用語にあるそうだ)、多分にそれは文章で描写できる限界を超えていて、したがって読んでいるほうは細かく冗長なわりにいまいちその描写内容を頭の中で再現できない、そんな文章なのである。
 それとも地理マニアならば、ここから緻密な光景を脳内に再現できるのだろうか。
 
 なんてまるで悪口みたいになってしまったが、著者の愛情と熱意はよくわかる。ここまで熱中できればたしかに楽しかろうと思う。
 
 
 僕も出かけるのは好きである。近所の散歩から半日や一日のおでかけ、国内旅行に海外旅行と外出一般が好きである。東京の五色不動尊(目黄不動尊・目赤不動尊・目青不動尊・目白不動尊・目黒不動尊)を鉄道と都バスを駆使して全部まわってみようとか、江戸時代の海産物流通の道であった木下街道(千葉県の木下から行徳まで)を徒歩で踏破してみようとか、江戸川と利根川が分岐する地点である千葉県最西北の関宿地区に行ってみるとか、興味の無い人からみれば奇行じみたことをたまにしている。もちろんこんなのに家族はつきあってくれないから、たまに訪れる一人きりの休日のときに敢行する。
 
 ただ、本書を読んで、僕がなるほどそうなのかと思ったのは、「大事なのは下調べ」ということなのであった。もちろん僕だって出かける前に多少は調べていたつもりだったが、所詮はスマホで検索する程度だ。本書の著者は、国土地理院の地図を確保する。そして図書館などに行って十二分に文献をあさるのだ。そこまでやるのかと思うが、ここまでして現地に赴くことで地理学の地平はひらけてくるのだろう。
 
 たしかにスマホで手繰れる情報はどうしても類型的になる。しかもピンポイントに深い(マニアックな)情報であったりすることが多い。
 しかし地理学というのは面が広くそれぞれの要素が複雑な因果関係で結ばれていてそこに人の営みをどう見るかという学問だ。こういう地形だからこういう気象条件になることが多く、したがってこういう植生が多くて、だから住宅の姿形がこうなって、したがってこういう生活史になって、結果として眼前にこういうまちの光景が展開される、なんてところまで理解しようとすると、広い地図やテーブルや床にぶちまけられた本や資料が欲しくなるだろう。スマホだとどうしても観光情報が中心で生活史にまで情報が及ぶことがない。そこまで調べた上で現地に赴けば、たしかに眼前の風景はハイパーリアルな細密画のようになることだろう。
 
 次はもうちょっと前調べして行ってみようかとも思う。そして超絶ハイパーリアリズムな情景をここに書いてやる。

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ユー・アー・ヒア あなたの住む「地球」の科学

2020年10月24日 | 地理・地勢

ユー・アー・ヒア あなたの住む「地球」の科学

ニコラス・クレイン 訳:白川貴子
早川書房


 なんとなく本のたたずまいや出版社から「地学ーgeoscience」の本を想像したが、その実際は「地理学―geography」であった。よくみれば、本の帯に著書のことを「英<王立地理協会>前会長」と書いてある。

 「地学」と「地理学」は何が違うのか。

 日本の学校教育課程では、この2つは歴然と区別されている。「地学」は理系科目として扱われ、「地理」は文系科目である。大学入試センター試験でも、「地学」は理系選択科目に属しているし、「地理」は文系選択科目のひとつである。


 英語をみると、どちらも「Geo」というコトバ、つまりこの地球を示しているが、それを「理系」の目で見るか「文系」の目で見るかの違いとも言える。
 もっというと、「地学」があくまで冷静に、あたかも神の視点でこの地球や宇宙の造作を学ぶのに対し、「地理」はここに人間というフィルターが介在する。これがもっとも大きな違いだ。「地理」とは地球を利用する人間を考察することである。

 したがって、「地学」は地球がこの宇宙に誕生した45億年前から学問の対象になるのに対し、「地理」は人類が地球上に誕生してその痕跡を残し始めてからの学問である。

 日本の限りでいうと、この「地学」と「地理」は中学高校の教育課程においては、近接はしていても合流はしない学問であった。「地理」の見立ては、「地学」的観点の母体があって、その上に人間社会様式が乗っかっているような具合であった。その地域特有の土壌や地形に由来する人間の生活様式の在り方というのが系統地理学というやつである。
 つまり、われわれ人間は地球によって与えられた環境の中で生活様式が規定されているのでいる。少なくとも20000年の人類史とはそういうものであった。

 ところが近年、そうも言ってられなくなってきた。
 人間の存在こそが、地球環境に軽視できない影響を及ぼすようになったからである。生態系への影響、海洋への影響、そして気候変動や地球温暖化と呼ばれる影響である。
 北極の氷が溶け、南洋の海抜が上昇しているのは紛れもない事実である。海水の温度が上昇してサンゴが石灰化しているのも現象として表れている。間違いなく、地球の平均気温はあがっている。また、アマゾンやボルネオの熱帯雨林が大面積で伐採され、地球の酸素供給量に影響を与えているのも事実である。世界各地では山火事が頻発するようになったのも確かである。地球上で放牧されている家畜が発するメタンガスの量は、有史以前には考えられなかったものであるのも確かである。空気中の窒素を採取する技術によって、肥料や土壌改良のために地表に窒素がとりこまれ、これが水中や海中に流れ込むのも有史以前にはなかった現象である。

 いわゆる地球温暖化、地球の気温が上がっている理由を人類の所作の影響とみるかみないかは相変わらず議論がある。もっと長期的なサイクルでみれば、地球は寒冷化にむかっている時期である、という説もあるくらいだから、この議論は収束しないだろう。
 しかし、そんな議論をよそに、現実の気候変動ははげしくなる一方である。「線状降水帯」なんてコトバ、10年くらいまではまず聞かなかった。6月や7月に振り続ける雨とはずっと「梅雨」であった。それは俳句にも詠まれる風物詩だった。年によってはたまに水害を発生することもあったが、毎年九州地区や西日本地区で河川が氾濫するようになったのはほんとうにここ数年のことである。夏の平均気温も上がっていく。かつて「夕立」だったものは「ゲリラ豪雨」になった。長いこと風物詩にとらえられていたこれらの気象現象は、もはや「詩」なんて牧歌的なものではないスケールになってしまった。
 この気候変動の理由に、いっさい人類の存在が関与していないとはやはり考えにくい。ヒートアイランド現象だって人類の生活に由来しておこった現象である。

 「人間の存在が地球環境に影響を与えている」という見立ては紛れもないように思う。実のところ人類史とは乱獲による絶滅危惧種の増大や、海岸線の埋め立てによる生態系の破壊、ダム建設や森林伐採による局地的な気象条件の変化を伴った歴史である。この延長上に今日のマイクロプラスチックによる海洋汚染もある。


 だからといって人類など絶滅してしまえ、と思っているわけではない。窒素固定技術がなければとっくに人類は飢餓にみまわれていたかもしれない。グレタさんのように、いますぐ生産活動を縮小して、2050年に二酸化炭素使用量を半分にと叫ぶほどの気概もない。どうにも宙ぶらりんに日々の生活を送ってしまっていることを白状する。

 「地学」の本だと思って読んだ本書が「地理学」の本だと知ったとき、いまこの両者は著しくクロスオーバーする時代になっていることに気づいた。地学ーGeoscienceと呼ばれる領域に、いま相当な勢いで人間の影響が及ぶようになっているということだ。学校教育において、地理が「地球が与えた環境を人間がどう利用するか」という教育科目だとすれば、地学には「人間が与えた作用を地球がどう影響するか」という観点をもっと重視したほうがいいと思う。「地学」をまるで人間不在のように、すました顔で地球や宇宙を観測する教育科目にしておくのは片手落ちじゃないかと思うのである。

 かつての人類はこの地球を「観念的」には捕捉していた(いろいろな世界認識や地図がつくられた)が、実際には地球の上の脆く儚い存在だった。いまや、人類の想定以上に、地球に作用を与えていることを自覚したい。

 


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江戸東京を支えた舟運の路 内川廻しの記憶を探る

2019年07月30日 | 地理・地勢

江戸東京を支えた舟運の路 内川廻しの記憶を探る

難波匡甫
法政大学出版局

 今回は地理や歴史でのマニアック話である。ブラタモリ的とでもいおうか。

 ぼくの趣味のひとつに「内川廻し」にゆかりがあるところをめぐる、というのがある。

 「内川廻し」というのは、江戸時代における江戸城への舟運ルートである。
 この時代、人間の移動は陸路による徒歩によるものだった。いっぽう、物流は船が主流だった。全国から徴収される年貢米は最終的には船によって江戸城に運ばれた。
 江戸城にむかう船のなかで、東北方面からくるもの、これを「東廻り航路」といった。これは中学校あたりの歴史の教科書にも出てくる。日本海に面した秋田県や山形県の港から積まれた年貢米はそのまま日本海を北上し、津軽海峡を通って太平洋に抜け、江戸にむかって南下する。これが東回り航路である。
 教科書ではそれ以上のことは書かれないのだが、実はこの「東回り航路」。太平洋を使って江戸方面に南下してくるのはいいのだが、容易に江戸城に接近できないのである。そこには当時の航海技術や造船技術の限界があった。結論だけ述べると、千葉県沖から房総半島をまわって東京湾に入るというのが至難の技なのである。

 そこで、東回り航路が開設された当初は、茨城県の那珂湊というところで船荷は陸揚げされた。
 そこからはなんと陸路を通って内陸の湖である霞ケ浦(正確にいうと北浦も含む)まで運ぶのである。

 湖というのはそこに流れ込む川がある。霞ケ浦の場合は利根川である。
 江戸時代における利根川事情というのはけっこう複雑なのだがそこは端折るとして、利根川というのは群馬県の山奥を源流として埼玉県や千葉県の北部を通り、最後は千葉県銚子市で太平洋にそそぐ延長距離日本第2位の河川である。
 那珂湊から陸送された荷物は霞ケ浦でふたたび船に積まれ、凪いだ湖を安全に通って利根川に出る。

 利根川に出た船は川上にむかって遡上する。遡上した先に関宿という地がある。千葉県の北端に位置する。
 関宿は利根川から江戸川が分岐する地なのである。いまはだだっっぴろい農村地帯だが、かつては水運における要地だった。船はここから江戸川に入り、東京湾にむかって川を下るのである。

 江戸川は千葉県市川市の行徳付近で東京湾に出るのだが、実は船は東京湾には出ない。浅瀬で干満もあるのでうまく航行ができないのである。東京湾に入る手前から江戸城の方角にむかっていくつか運河がつくられた。新川、小名木川、道三堀と運河を通ってようやく江戸城のお堀に到着するのだった。

 このルートを「内川廻し」といった。東北地方の米だけでなく、千葉県の内陸を通る過程でかの地の野菜や調味料や肥料なども運ばれるようになった。野田市の醤油もその一つである。キッコーマンは江戸時代から続く会社だったのだ。

 やがて、那珂湊の陸揚げを経ずとも、銚子まで太平洋を南下し、そこから利根川に入って関宿まで遡上するルートが開拓された。また、関宿まで遡るのは効率悪いということで、途中で利根川と江戸川を結ぶバイパス運河である「利根運河」が造成された。また、鮮度を要求する海産物は利根川の途中で陸揚げされ、馬をつかって行徳まで運ぶ「鮮魚街道」なんてものができたりもした。

 

 つまり「内川廻し」というのは、江戸の物流事情そのものなのである。
 この「内川廻し」は明治時代になって鉄道が開通することによって消滅した。現代の地図を眺めても、鉄道や主要道路の回路をみても、内側廻しを想像させる痕跡はほとんどない。利根川も江戸川も利根運河も新川も小名木川も残っているが(さすがに道三堀は消滅していまは碑がたっているだけである)、我々の日々の生活に関する物流とは縁がないものになっている。

 そういう意味では「内川廻し」は幻の物流ルートと言える。というわけでその幻の道を探訪してきたのである。
 会社を半日休んで小名木川を端から端まで歩いたり、鉄道とバスを乗り継いで千葉県の先っぽ(チーバ君の鼻の先っぽ)関宿に行ってみたり、東武野田線その名も「運河駅」で降りて利根運河を見にいったり。観光地として名高い佐原や潮来にも行ってみた。かつて水運の中継地としてにぎわった街である。銚子まで行って利根川河口を臨んだりもした。

 ぼくの「内川廻し」めぐりはまだまだぜんぜん終わっていない。那珂湊や流山や小見川の訪問がまだだし、できれば、那珂湊から霞ケ浦までの陸路は踏破してみたい、鮮魚街道を歩いてみたいなどと目論んでいる。

 「内川廻し」に限らず、なにかこういうテーマをみつけて、そのゆかりの地を時間かけて訪問する、というのは老後の趣味にいいかもな、なんて思っている。こんな感じで幕末の風雲ゆかりの地を訪れる、とか、平家物語の地を訪ねるとかテーマをきめれば、けっこうおもしろそうだ。

 問題は、一緒に面白がってくれる人がいないことだ。この「内川廻し」も基本的に一人である。たまたま家族が全員べつの用事で不在なんてときに決行している。そういうチャンス(?)はなかなか訪れない。かれこれ4年くらいかけながらぽつりぽつりとやっている状況だが、このペースでいくとまだ2,3年はかかりそうだ。当面楽しめると思うことにする。

 

 ところで本書であるが、さいきん古本屋で発見してゲットした。出版社からも推察できるように、基本的には学術書の範疇でである。一般啓発むけの類ではあるが、お値段もいささか高い。だが「内川廻し」巡りを趣味とする僕にとってなんともうらやましいことは、著者たち一行は内川廻しを船でたどっているのだ(全ルートではないが)。先にもかいたように内川廻しは、現代の交通インフラでは痕跡さえ残っていないルートである。僕みたいな一般人はつどつど鉄道やバスをつかってかの地を点ごとにアクセスするしかないのだが、船をチャーターして追体験する本書は、ぼくにとっては羨望の的だ。

 今回はマニアックな話の終始で失礼。

 


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世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

2018年01月07日 | 地理・地勢

世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語

 

著:エドワード・ブルック=ヒッチング 訳:関谷冬華

ナショナルジオグラフィック

「地図」が好きである。

酒の肴に学校用の社会科地図帳をなんともなしに眺めたりする。ロシアやカナダの北極圏に、ぽつんと町のありかを示す〇マークと地名がかいてあったりすると、いったいどんなところかとわくわくしてしまう。地図を見たうえでは近隣に町はなく、鉄道線路なども見えない。しかし、〇がついていて地名がついているからには町があって人が住んでいるのだろう。

バスや電車に乗ったときも、なんとなく車内に掲示されている路線図を眺める。知らない駅名や、検討もつかない方向に延びていく路線をみると、急に日常生活空間からの脱出口を見つけたような気分になり、旅情みたいなものまでかきたてられる。

リアルな地図だけではない。冒険小説などで、巻頭に架空の地図があったりするともう虜になる。トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズは、巻頭に作者直筆のムーミン谷の地図があって、これが本編に勝るとも劣らないファンタジーに満ちている。「一枚の絵は千語に勝る」という英語のことわざがあるが、まさしくそれである。

ほかにも、映画や人気マンガの副読本で舞台となった世界の地図が描かれているものも好きだし、観光地のパンフレットに載っている案内地図だって想像力をかきたてられる。

つまり、「地図」というのは完全に実用的なブツでありながら、実は、人の想像力や好奇心を多分に掻き立てられる性格を持つのだ。

たぶん、そんな「地図」の魔力に魅せられるのは僕だけではなくて、それなりの市民権を得ているのだと思う。さいきん古地図がブームというが、古地図というのは実用性はとっくに失っているにも関わらず、そのかわりに無限の想像性を得たことになる。病気が進行しすぎてしまって、架空の地図づくりに全身全霊をささげてしまった人もいる

 

そんな人間の性につけこんだ「あやしい地図」というものは、古今東西から存在した。本書に紹介されているのは、多くの人間たちに夢と欲望にたきつけ、そして絶望と破滅に導いたような罪深い地図の数々である。アメリカ大陸からアジア大陸に抜け出る海峡、奇々怪々の怪物たちがひしめく海域、アフリカ大陸を横断する山脈、日本列島の東にあるとされた幻の島、嵐の中で垣間見た謎の島影、砂漠の中の古代都市、原住民から聞くこの先にあるとされる内海。女性ばかりの島、悪魔の島、長方形の島。そしてアトランティス、レムリア、エルドラド。

冒険家たちはその地図を頼りに、大航海に出で、大氷原に足を踏み入れる。そして多大な犠牲と浪費を経て徒労となって終わる。それならまだよいほうでそのまま帰ってこなかった例もある。

「地図」というのは、本来はそこに「ある」から紙の上に描かれる。

しかし中世の地図はそうではなかった。そこに「ある」から描かれるのではなく、むしろそこに「ありたい」がたために描かれたようなところがある。

つまり、「地図」は、人々の夢と欲望の産物でもあった。

したがって、ここで紹介される「あやしい地図」の数々は、人々のフロンティアへの勇み足にも似た好奇心の可視化でもある。

 


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新版 もういちど読む山川地理

2017年06月07日 | 地理・地勢
新版 もういちど読む山川地理
 
田邊裕
山川出版社
 
 子供のころから地図を眺めたり旅行に行ったりするのが好きだった。
 しかし、「地理」という科目ないし学問にちゃんと接したことがあるかというと、ほとんど自覚がない。
 通っていた中学や高校では確かに「地理」という科目があったが、はてどんなことを習ったのか、自分の成績はよかったのか悪かったのか、まるで記憶がない。覚えているのは地理の教師が禿げ頭だったことくらいである。
 大学の一般教養にも「地理学」というのがあって、履修したこと自体は覚えているのだが、さてこれもどんな内容だったのか、露ほども覚えていない。
 きっといねむりばかりしてたんだろうななどと思う。
 
 というわけで、「地理」というもの、正体を知っているようで、実はぜんっぜん知らない。
 
 そんなわけで、おそまきながら、山川のもういちど読むシリーズ「地理」に新版が出てそこそこ売れているというので、手に取った次第である。
 
 で、「地理」には、「地誌」と「系統地理学」というのがあるのだ、なんて「もののみかた」から初めて知っちゃうのである。「地誌」というのは、アメリカとかアフリカといったような、エリア別の情報。「系統地理学」というのは、地球上にある国や都市を、農業の分布状況とか、都市スタイルの分類とかでひもといてみること。つまり、地誌が縦の糸、系統地理学が横の糸。
 
 とにかく、がんばって始めから終わりまで読んでみたが、次々に出てくる固有名詞を覚えるのはもはや無理で、そういうものなんだなという全体のイメージをつかむのがせいぜいである。地誌のほうはなんとなくビジュアルイメージなどもしやすいし、旅行気分も手伝って読みやすいが、系統地理学のほうはけっこう論理の世界だ。人の営みを左右する、その土地の産業、その産業を規定する地勢や地形や気候、その環境が与える文化的特徴、という風に、われわれの当たり前と思っている生活スタイルは、その地の地球環境と因果でつながっているわけで、それを系統別に分類していく。日本の話ならばまだ皮膚感覚があるが、日本にない属性の話になると、想像力をウンウンと働かせないと、ついつい字面だけを追うに終始してしまう。民族や宗教のように、日本人だとどうしても遠巻き感覚になってしまう要素も多い。

 
 僕の学生時代の「地理」の記憶はあいまいだが、小学生のときの「社会」はわりと覚えている。
 そのころ、ぼくは埼玉県の所沢市に住んでいた。昭和50年代である。
 小学4年生のときの社会は「自分の住んでいる市」が対象だった。教科書はモデルケースで神奈川県小田原市かなにかがとりあげられていたが、教科書は副読本のような扱いで、授業自体は自分たちの住む埼玉県所沢市のことをよくとりあげていた。所沢の特産品とか、駅や商業地の分布とか。日帰りの社会科見学では、バスを借りて、所沢市内の工場とか農地の見学にいった。
 小学5年生になるとこんどは「自分の住んでいる県」が対象になった。埼玉県の産業とか人口とか地形とかである。この年次の社会科見学は埼玉県の工場や河川などをみにいくものだった。小川町の伝統的な紙すきなんかも見学した記憶がある。
 そして小学6年生で対象は日本全体となった。〇〇山脈とか、××川とか、△△工業地帯とか。あるいは●●の名産地はどこかなんて話が出てくるのはこの段階だったように思う。
 つまり、自分の住んでいるところから出発してだんだんスケールが大きくなる。
 これが、当時の小学生の社会科の一般だったのか、自分の通っていた小学校だけの特殊なのか(公立である)は、もはやわからない。当時の小学校は日教組などイデオロギーの力も強かった
 ただ、このアプローチはよかったな、と思う。埼玉県所沢市に住む小学4年生にいきなり、縁もゆかりもない神奈川県小田原市を題材にされても、ちっとも面白くなかっただろう。いつも遊んだり出かけたりしている所沢市だからこそ、あの道はそんなところにつながっていたのか、とか、駅前の商業地しか知らなかったけれど、農業地帯がいっぱいあるんだ、とか。地理感覚としての未知の地平が広がったのである。

 せっかくいい出発を切ったのに、中学生以降は上記のとおりの体たらくで今に至ってしまった。
 おそらく、中学の「地理」は系統地理学の入り口だったのだろう。それまで地誌として面白くなってきたのに、系統地理学の入り口で、不幸にも僕は興味をもてず、いねむりタイムにあててしまったのかもしれない。
 
 

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原色 日本島図鑑 日本の島443

2016年02月06日 | 地理・地勢

原色 日本島図鑑 日本の島443

加藤庸二
新星出版社

 以前、日本の「一般人は上陸できない島」を集めた「秘島図鑑」を紹介したけど、こちらは「有人島全収録」である。その島の数443島。そのなかには佐渡島や淡路島のようなメジャー級から、相島や奥武島といったどこの島それ、といったものまで含む。人というのはどんな島にも住むものなんだなあ。(もっとも、聞いた話だが日本には島が6000島以上あるそうで、ということは有人島は十分の一にはるかに満たないということか)

 たとえば皆既日食観測で一躍有名になった吐噶喇列島の島々。いちばん遠い宝島へは鹿児島から船で13時間20分。週2便。

 時間距離で言えば東京は竹芝桟橋から25時間30分かけていく小笠原諸島の父島のほうが遠いけれども、観光地小笠原諸島の中心として知られる父島の人口は2000人強。かたや、この宝島は人口117人である。吐噶喇列島の島々はみんな人口100人前後ばかりで、そんな島にはあたかもベトナムやインドネシアで見たような祭事や習俗が残っている。

 とはいえ、吐噶喇列島はそのスジには知られた島である。地図をみると日本にはこんなところに島があって人が住んでいるのか、と思うところがいっぱある。

 北海道の日本海側をみると、最北に利尻島と礼文島がある。このふたつの島はそこそこおおきく、観光地にもなっている。
そこからしばらく南に下がると焼尻島と天売島という2つの島がある。利尻や礼文に比べるとかなり小さい。地図でみている限りでは日本海の荒波に沈みそうな心もとなさを感じる小ささだが、ちゃんと人の営みがある。焼尻は人口254人。天売は人口362人。海鳥が多く集うそうで、鳥マニアには知られた島らしい。この島へのアクセスは北海道側の羽幌港という港から船にのるのだが、この羽幌というところが札幌からも旭川からも遠い陸の孤島のようなところだ。地図を眺めていると旅情をかきたてられて、会社も家庭の些事も投げ出して行ってしまいたいたくなる。

 東京都にある島といえば、伊豆諸島と小笠原諸島かと思いきやほかにもあることが記されている。なんと佃島。

 キョトンとしてしまうが、地図をみれば確かに島だ。人口2654人というのが笑ってしまう。何度もいったことのある界隈だが、今度行くときは島のつもりで訪れよう。いつもとちがった感慨を味わえるかもしれない。

 ほかにも瀬戸内海や長崎県の細かすぎる島々の徹底収録は作者の意地と偏執ぶりを物語る。かなり分厚い本だが、なんと北海道を含む東日本で全体の厚みの7分の1に満たないというのが最大の目ウロコ。日本の島のほとんどは西日本に集中しているのである。

 


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秘島図鑑

2016年01月02日 | 地理・地勢

秘島図鑑

清水浩史

河出書房新社

 

 離島や孤島を特集した本はあるけれど、こちらは秘島図鑑である。

 秘島とは何かというと、「かんたんに上陸できない島」である。

 簡単に上陸できない島、というと、北方四島とか、尖閣諸島とか、竹島を連想する。または上陸しようもない政治絡みの島、沖ノ鳥島を想像する。

 が、それ以外にも上陸できない島はある。

 

 上陸できない島というのは、定期航路がない、ということである。定期航路がない、ということは人が住んでいない、ということかというと実はそうでもない。

 たとえば、日本最東端の島、南鳥島には自衛隊と気象庁の人が滞在している。太平洋戦争の激戦地、硫黄島も自衛隊が駐屯している。福岡県沖にある沖ノ島は、宗像大社の沖津宮の宮司が一人住んでいる。これらは有人島だが一般人が上陸できない島の例である。

 

 とは言え、もちろん人が住んでいない島のほうが圧倒的に多い。

 様々な島が紹介されているが、異彩を放つのは沖大東島であろう。

 沖大東島は、南大東島の南方沖合にあるのだが、だいたい南大東島からして秘島である。南大東島は行政区分的には沖縄県に属するが、文化的には八丈島の方角らしい。以前は東京都のテレビ局電波が入っていたそうである。

 南大東島の位置は沖縄本島から東方向に400キロ。地図をみるとまさに絶海の孤島である。にもかかわらず、島の中には大小の湖沼が散在している。しかもこの島は昭和のかなり終わりのほうまで鉄道線路があってサトウキビ運搬を行っていた。中学生の頃、興味本位で国土地理院の25000分の1の南大東島の地図を勝ったことがある。島中に沼や洞窟があって鉄道線路が張り巡らされている不思議な島だった。

 南大東島はそれでも那覇からエアコミューターが飛んでおり、宿泊施設もあるので、行こうと思えば行ける島、である。

 

 沖大東島は、その南大東島の南方150キロのところにある。

 この島は上陸できない。なぜかというと私有地だからである。所有しているのはラサ工業という化学工業の企業である。本社は東京都八重洲にある。この企業はかつては南方でリンや銅の採掘事業を展開し、南沙諸島やパラオのほうまで進出していたらしい。

 沖大東島は、アホウドリの生地だったらしく、鳥の糞と石灰岩が化学反応した燐鉱石の産地だった。この燐鉱石は化学肥料の原料となる。ラサ工業はこの燐鉱石を採取するため、国から島ごと払下げされたそうだ。

 この島での労働者の生活は、行政の外にあるため、完全にラサ工業のガバナンスの下にあったとのことである。したがってその真相は完全に闇の中なのだが、戦前の鉱山労働環境を他の例から想像するになかなかなものだっただろうと思う。生活物資は社の用意する購買部から購入するということだから、完全に企業が生殺与奪を握っていたことは想像に難くない。労働争議などもあったようだ。後に待遇改善されて実は沖縄本土よりも好待遇だったなんて話もあるが、現代日本では考えられない「企業自治区」がそこにあったということになる。長崎県の軍艦島(端島)のようにわかりやすい可視化がない分だけ、不気味な歴史をもった島に思える。

 その沖大東島は太平洋戦争のさなかに島民が全て撤退し、戦後は米軍が空対地爆撃射撃場に用いた。上空写真をみると、燐鉱石の採掘と米軍の射撃場利用で島は荒廃の極みにある。しかも所有権自体はいまだにラサ工業にあるそうで、米軍はラサ工業に使用料を払っているそうだ。この使用料がいくらなのかは非公表とのことである。

 

 この沖大東島も国土地理院の地図が発行されていて25000分の1の地図を中学生の僕は持っていた。買ってはみたものの、あまりにも味気ない島で地図上の見どころはほとんど無く、沼沢や線路のある南大東島のほうに夢中になってしまった。だから沖大東島がどんなだったかぼんやりとしか覚えていない。上記の知識があれば、もっといろいろ想像しながら地図を眺めていただろうにと思う。


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100年予測

2014年09月14日 | 地理・地勢

100年予測

著:ジョージ・フリードマン
訳:櫻井祐子

 むこう100年の間に、中国とロシアは空中分解し、日本とトルコとポーランドが台頭して、日本とトルコが手を組んでポーランドを挫こうとし、それをいやがったアメリカがポーランドを支援し、ついには日本・トルコと戦争を起こす。結果、日本トルコ連合は負けるが、そうこうしている間にメキシコが力をつけて、ついにはアメリカとメキシコが戦争を起こす。

 誰がどうあがいても、環境と条件がそうさせる。

 見どころはこの「地政学」のロジックの重ね方にあるのだけれど、ここらへん「銃・病原菌・鉄」とか「文明の生態史観」も彷彿させる。こういうの流行りそうだな。



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世界の奇妙な国境線

2008年05月14日 | 地理・地勢
世界の奇妙な国境線---世界地図探求会---新書

 雑学本の域を出ていないような気もするのだけれど、ひとつ示唆的というか考えさせられるのはアフリカ大陸。大戦前の民族分布と、戦後の先進国が勝手にひいた国境線のありかたを左右の地図で対比して見せている。後者のヨーロッパ諸国による人間社会や地勢を無視した直線的な国境の引き方は、有名だが、前者の“ここまでアフリカの民族は群雄割拠しているのか”という状況にびっくりする。特に、中央アフリカエリアや大西洋岸エリアあたりの民族分布の目の細かさは凄まじい。

 ジャレド ダイアモンドの「銃・鉄・病原菌」を読んだときに、緯度の違いによる交流の妨げは、経度のそれと比べてはるかに大きい、という話があり、なるほどなあと思ったのだが、緯度の違いは、植生や家畜の成育に違いをもたらす。要するに、緯度の違いは気候風土の決定的な断絶をもたらすのだ。
 この緯度と似たような効果を出すのが、高地と低地の関係で、つまりアフリカ大陸のように、南北に伸びてしかも地勢も険しいところはどうしても少数民族が群雄割拠しやすい。その宿命的な“まとまりにくさ”が、西洋諸国の台頭を許し、あまつさえ直線的な国境線を大胆に引かれ、今日の内戦や貧困問題にも関係しているように思う。

 ところで、縦に長い国といえばチリで本書にも紹介されている。チリは逆に「緯度の多様性」を上手に活かして、様々な資源のポートフォリオを組むことができた。地勢に行政が勝った例として、むしろ珍しいほうだと思う。

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日本の国境

2008年01月11日 | 地理・地勢
日本の国境---山田吉彦---新書

国境とか離島とか、独特な響きがあってなんだか惹かれる・・・・が、本書でいう国境はそんな旅情的なものではなくて、もっと政治的、軍事的な意味合いを帯びている。国境とは要するに領土問題に直結しているからだ。
日本の国境で特にセンシティブなところといえば、北方領土、竹島、沖ノ鳥島あたりだが、僕が思うに国境線の主張というのに客観的とか中立公平というのは結局のところは有り得なくて、もともと自然の風土・地勢に、人間社会が勝手にあれこれ理由をつけて線を引くんだから、どんなに自然の地形地勢に即しているようでも、やっぱり人為的な所作や意思決定の結果である。つまり国境線の確保とは戦略課題であり、となればこれは強い方が勝ちなのである。
問題はどうやって「強さ」をつくるかだ。国際世論を味方につけるのも「強さ」、武力で実効支配するのも「強さ」、あの手この手で古今東西の歴史書を探し出してくるのも「強さ」である。
学研の地球儀が中国本土生産であったために、台湾が中華人民共和国の一部の「台湾島」と表記され、南樺太や千島列島がロシア領土として表記されていたために(話の珍奇さも手伝って)大騒ぎになっているが、これだって「強さ」だ。今回たまたま注目されたが、中国製地球儀なんていまや世界中にばらまかれているはずだ。ということは、それらの地球儀は全部「台湾島」で、南樺太はロシア領ということだ。すごい影響力だ。

ところで本書によれば、沖ノ鳥島の面積を人口的でなく拡張するため(埋め立てなどの人口拡張は領土として認められない)、珊瑚を人為的に繁殖させて島の面積を拡げるという、一見荒唐無稽なプランがあるそうだ。しかしこういった技術を使うのも「強さ」ではある。そして、日本の「強さ」を発揮しやすいのは、もしかしたらこういうやり方かもしれない。

いずれにせよ殺伐とした話で、旅情もへったくれもないが、さて、日本は島国だから、日本の国境とは即ち、島嶼のその先の海の上である。が、実際にその地に国境ではなくても事実上国境のテイストを持つ都市はいくつかある。根室ではロシア語表記の店が多いとか、博多ではハングル表記が多いとか、そういった都市を取材したものも読んでみたい(ハワイに行けば日本語だらけ、というのもそういうことなのか?)。

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