読書の記録

評論・小説・ビジネス書・教養・コミックなどなんでも。書評、感想、分析、ただの思い出話など。ネタバレありもネタバレなしも。

マクニール世界史講義

2022年10月22日 | 歴史・考古学
マクニール世界史講義
 
ウイリアム・H・マクニール 訳:北川知子
筑摩書房
 
 東大生協の本屋で一番売れたとか宣伝されたマクニールの「世界史」も途中で挫折してしまった僕である。そもそも読むにあたって前提となる知識を持っていないのかもしれない。なんてことをボヤいていたら、読書好きの知人からこの「マクニール世界史講義」を勧められた。曰く、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」の元ネタであり、ユヴァル・ハラリの「サピエンス全史」でもそこかしこに引用や影響の痕跡があるらしい。上下巻で構成される「世界史」に比べれば、本書はぐっと量がコンパクトなので、マクニール史観をまず押さえるにはたいへん良い入門書であるとのことである。
 
 本書は全5講で構成されている。第1・2講は、欧州からフロンティアへの進出の経緯と、かの地での社会形成のありようをどう見るか、という話。フロンティアにおいては中央以上にアナーキズムと強力な法拘束(私法だが)が同時推進したという見立てを説明する。荒野の無法者がギャングの掟で縛られているような感じだろうか。
 
 世界史の俯瞰という意味では第3・4講が興味深い。世界史の変容を「ミクロ寄生」と「マクロ寄生」と「官僚支配VS市場原理」という3つのファクターで把握してみるというもの。
 
 「ミクロ寄生」というのは、そのものずばり病原菌である。病原菌が人類史において投げかけてきた影響というのはかねてから知識としては理解していても、そのダイナミズムはなかなか体感できなかった。しかし2年前(もうそんなになるのか!)に突如コロナによって世界のスタンダードが変わってしまったのを目の当たりにして、なるほどウィルスと人類というのは永遠に宿命のライバルなのだということを痛感した。
 世界史においては病原菌と感染症をめぐっては、単にかの地の人口が病で減ったというだけではなく、それによって集団の移動という現象ももたらしたし、一方の集団が免疫を持ち、他方が免疫を持たない異なる者同士の邂逅がもたらす影響なんていうのもあった。歴史的インパクトという点ではこちらのほうが大きいかもしれない。北南米の原住民はヨーロッパから持ち込まれた病原菌によって壊滅した。
 
 世界史というのは、このいつ何時現れるかわからない「ミクロ寄生」という外的要因リスクを常に抱えながら、「マクロ寄生」の変遷によって展開されてきた、というのが本書の史観である。「マクロ寄生」というのは要するに、支配する側とされる側、搾取する側とされる側、命令する側とされる側、の力学である。それは現代においても一企業の中にも存在するし、一国の中にも存在するし、国家同士の関係でも存在する。人間が2人以上存在すれば必然的に生じるものなのかもしれないが、これが案外に奥が深い。搾取の度がすぎては、されたほうが滅亡したり逃亡したりして搾取側も瀕する結果となる。かといって搾取を弱めすぎると、今度は搾取側が身を守るだけのリソースが足りなくなる。つまり「搾取量」には適切な水準があって、多すぎても少なすぎても持続可能ではなくなるのだ。徳川幕府では「百姓は生かさず殺さず」なんて言っていたそうだが、絶妙なコントロールが必要なのである。しかもよくしたもので、その最適一点を固定して維持することはかなり困難であり、常にどちらかに振り子のように揺れ動く。なぜかと言えば、その集団が常に内外からの変化にさらされ、そのたびに搾取量は調整を余儀なくされるからである。感染症の蔓延が理由のこともあれば、天候不順にやられることもある。他民族からの侵略にまみれたり、その対策にリソースを割かなければならないなんてこともある。「マクロ支配」を続けるには、常に動的均衡を試されるのである。
 
 この「マクロ寄生」は、かつては暴力を背景にした支配であった。暴力をちらつかせて強権的に言うことをきかせる官僚支配というものが指示系統として発明された。中世西洋でも東洋中国でもインカ帝国でも同様であったというから、官僚制というのは人間が持つ先天的な思考パターンなのかもしれない。しかし人口の増加、生産量の増加、人口に対して生産物の余剰発生がうまれてくると、ここに信用経済(貨幣経済)がうまれ、官僚支配で言うことをきかせるのとは違う力学の「市場原理」なるものが出てくる。強権的に官僚支配で押さえつけるより、信用を担保に市場原理にまかせたほうが「国力」そのものは強大になるという不思議なパラドックスが生じたりする。近代世界史において、官僚主義化しすぎた中国は、市場原理の西洋に負けた所以である。
 ただし、これもバランスなのであって、たしかに行き過ぎた官僚支配(それはおおむね独裁国家)は停滞や腐敗を招いてやがて自壊するわけだが、一方で、完全に市場原理に任せても社会は格差と抵抗が生じ、不安定になり、やがて無秩序になる。ほどほどの官僚支配とほどほどの市場原理の最適点というものが求められる。
 しかし「マクロ寄生」の場合と同じく、これも結局は長い歴史の中で、各国はそれぞれの事情で官僚支配と市場経済のあいだを振り子のように行ったり来たりして、一点でとどまることがない。振り子を動かすのは内的要因もあれば外的要因もある。そしてその瞬間にもっとも力を持った国や民族が覇権をつくるのだ。近代世界でもっともベストタイミングにあったのがイギリスである。
 
 最終講である第5講では、こういった「マクロ寄生」の振り子と、「官僚支配VS市場原理」の振り子、そして病原菌による「ミクロ寄生」が、あたかも三体問題のように干渉しあいながら世界の歴史は進んでいくということをマクニールは述べる。つまり、過去から現代だけでなく、これからもそうなのである。我々は中国の台頭やロシアの暴走をいま目の当たりにしているが、これも三体問題の経過のひとときなのだ。
 
 
 さて、本書の底本となる講義は1980年前後に行われたものだ。これを現代2020年代において考えてみる。
 
 まずあらためて整理すると、世界史において人類は「マクロ寄生」において、弱い集団、弱い民族、弱い国に寄生し、そのリソースを活用することで強い集団、強い民族、強い国が発達するという世界システムをつくってきた。
 やがて20世紀後半になって成熟と反省の中で「弱い集団、弱い民族、弱い国」はあってはならぬものという見解が育ってきた。SDGsもこの範疇になる。しかし人類というのは近代以降「マクロ寄生」をしないで経済活動を行うという経験していない。したがってこれがどう着地するかは「実験」の域になるし、むしろちょっとした見え方が変わるだけで本質的な「マクロ寄生」は引き続き存在するのではないかという気にもなる。
 
 そして、80年代はそこまで問題視されてなかったが、現在の世界においては「もうひとつのマクロ寄生」が破綻しかかっていることが自明である。
 人類の究極の寄生先、それは「弱い集団、弱い民族、弱い国」なのではなくて、けっきょくのところは地球資源なのである。森林であり石油であり水であり風であり、太陽である。人類が寄生していたのは地球資源である。これこそもうひとつの「マクロ寄生」と言えよう。
 本書第5講ではマクニールは「人類や地球での尺度で考えれば、これを一定の安定した均衡とみなすことができる」と述べているが、果たせるかな2022年。ここにきて二酸化炭素濃度の向上、平均気温の上昇、気象異常の頻発という「人新世」と呼ばれる地球規模の影響が出始めてきてしまった。
 
 と考えると、世界史においても現在はかなり大がかりな転回点にきているとみることもできるわけだ。そうなってくるとマクニールが講義で締めたように「人類はこれに学んで生きてきた」でオチをつけるわけにはいかなくなる。これをしても人類は未曾有のゾーンに突入したことを改めて考えてしまう。
 

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刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機

2021年09月26日 | 歴史・考古学

刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機
 
関幸彦
中公新書
 
 
 刀伊の入寇キター!
 
  最近の日本史をテーマにした新書は「観応の擾乱」とか「中先代の乱」とか渋いところをついたものが多くて興味深かったが、まさか「刀伊の入寇」が一冊の新書になってやってくるとは。
 
 「刀伊の入寇」は僕にとって謎に満ちていた事件だ。なにしろほとんど言及されたものを観たことがないのである、高校生のときに学校で使っていた山川の教科書でも欄外に注釈みたいな一文が書かれていただけで、情報量としてはほぼゼロであった。
 なので「刀伊の入寇」でまるまる新書一冊というのは僕にとってタイトルしか知らされてなかった謎の事件の全容をいよいよ知るということなのである。
 
 それにしても「刀伊の入寇」が、元寇のように語り継がれていないのははぜだろうか。本書を読むまでは史料がそれほど残ってないからかとも思っていたが、どうやらそれなりに記録は残っていたようである。むしろ日本があっさりと迎撃してしまい、元寇ほど歴史的インパクトを残さなかったことが理由としては大きいのかもしれない。
 たしかに元寇はその後の日本の歴史に作用した。北条政権すなわち鎌倉時代を追い詰める一因になったし、日蓮宗という新仏教の隆盛とも因果をつくった。元寇は歴史の流れに影響を与えた事件だったと言える。
 だけど「刀伊の入寇」が平安時代の流れに何がしかの影響を与えたかというとどうもそこまでは言えないようである。刀伊軍が対馬の地を襲撃してから最終的に朝鮮半島のほうに敗走するまでの期間はわずか半月程度で、全体的にみれば日本の完勝であった。海の反対側から女真族が攻めてくるという平安時代最大の対外危機でありながら歴史の教科書で軽視されてしまうのはこのあたりが背景だろう。
 
 むしろ平安時代というあの世に、刀伊軍をあっさり潰走させるだけの兵力をもった日本軍がいたという事実のほうが考察に値する。
 
 つまり、「刀伊の入寇(1019年)」の理解とは、平将門や藤原純友の反乱である「天慶の大乱(939年)」と、源頼義・義家親子の東北遠征である「前九年の役(1051年〜)」というミッシングリンクをつなぐことなのである。
 
 「天慶の大乱」と「前九年の役」という武士が関わる二つの争乱の間には藤原摂関政治の頂点時代がすっぽりとはまる。「刀伊の入寇」があったときの京都はあの藤原道長の時代なのだ。どうもこの時代の印象は王朝文学とか国風文化であったり朝廷内の内ゲバ的な権力争いだったりして、なんとなく生ぬるい平和な印象がある。一方で浄土思想なんかも芽生えていて決して煌びやかなだけではないけれど、その前後の時代に比べるとどうも緊張感がないなというのが僕のイメージであった。本書によると朝廷や京の貴族たちは海外情勢もよくわかっていなかったようである。
 
 だけど中央部がふやけているということは、地方への行政指導力が弱まったということでもあり、地方はそのぶん自治が強まっていった。税制としての班田制が廃れて荘園制が台頭し、治安を確保するための警察力として武士(兵)なるものが育っていくのである。教科書では武士についての記述は「天慶の大乱」の後は「前九年の役」まですっとばされてしまってこの間のことがわからなくなってしまっているが、刀伊の入寇があったとき九州北部には兵団と兵力があったのだ。中世への序章はすでに始まっていたのである。
 
 この地方におけるガバナンスのあり方は100年近く時間をかけて完成されていったようだ。律令制が緩み、由緒ある出自の国司崩れや在庁官人(桓武平氏、清和源氏、藤原傍流など)と地元の有力豪族の虚々実々なバーターがあって利害の一致と協力関係の仕組みとして整えられた。「天慶の大乱」の頃は枷が外れた地方での坊っちゃん貴族の火遊びみたいな面が無きにしも非ずですぐに鎮圧されてしまったが、「前九年の役」では蝦夷サイドの安倍氏がなかなか強く、朝廷が派遣した源頼義も手を焼いた。結局、源頼義が勝利したのは安倍氏と同じ俘囚の清原氏(後の奥州藤原氏)が源氏側に加担したことが大きい。それでも安倍氏を討ち破るまでには11年を要することになった。「刀伊の入寇」はこの両者の過渡期に起こっているのだ。
 
 刀伊が入寇してきたときの日本側の総司令官的立場にあったのが藤原隆家だ。この人は藤原道長の甥に当たり、前半生は宮廷内で権力争いをしていた。有名な花山法王誤射事件なんかにも関わっていて、藤原伊周と一緒に左遷させられたりしている。道長にとってかなり煙たい存在であったようだ。いろいろあっての太宰府への赴任は隆家本人の希望であったとされるが、道長は九州勢力と結託するのを恐れて妨害しようともしたらしい。
 しかし、結果的には隆家が太宰府にいたことは刀伊の入寇において日本側の僥倖と言えるだろう。彼はなかなか気骨ある貴族だったようである(もともと荒っぽい性格だったようだ。枕草子にも登場する)。地元の豪族もよく管掌していた。刀伊との戦闘においては戦略戦術ともによく機能し、刀伊軍を蹴散らしたのは彼の統帥が優れていたからでもある。太宰府は国防上の要所だからそれなりの人物を配していたとは思うが、もしも紀貫之のような人間がこの時の太宰府権帥だったら目も当てられなかっただろう。
 
 
 ところで善戦したとはいっても刀伊軍の経由地であった対馬・壱岐の犠牲は甚だしい。元寇のときもそうだが、この二つの島は地政学上の宿命として悲惨な歴史を負っている。日本人はもう少しこの二つの島に関心を持ってよいのではないかと思う。

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われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略

2021年03月13日 | 歴史・考古学

われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略

ウィリアム・フォン・ヒッペル 訳:濱野大道
ハーパーコリンズ・ジャパン


 原題は「THE SOCIAL LEAP」である。直訳すると「社会的跳躍」となる。
 翻訳本の中には原題のニュアンスに沿わない邦題をもつものが多く、本書も原題とはまるで異なる。原題のほうが人類史のスケールと奇蹟を感じさせる。では、この邦題がダメかというと実はそうでもなく、内容を端的に言い表してはいる。この「社会跳躍」とはどんな本かと問われると、たしかに回答としてはこの邦題ということになるのだ。
 つまり、われわれ人類が、嘘をついたり、自信過剰になったり、お人好しになるのは、脳みそがそう働くからである。そして、なぜ脳みそがそう働くのかというと、20000年の人類史の中で、そうしたほうが生存確率が上がる時代が長く、そのように脳みそが最適化されたたから、というのが本書の主題である。
 さらに、特にそのような心理を生んだのが本書よれば原題である「社会的跳躍」となったエポック、すなわちジャングルから離れて草原地帯に立ったとき、それから狩猟生活から農耕生活にシフトしたときであった。生活環境の激変の中で生き残らなければならなくなったとき、我々の心理において嘘をついたり、自信過剰になったり、お人好しになることが生存上有利になることが働いたのである。
 要するにこの本は、ハラリの「サピエンス全史」の心理版と言えるだろう。

 本書の仮説として面白いのは、人間が動物と異なるのは「社会の中で行動する」というところだ。いや、蜂だって狼だって猿だって「社会」なんではないかと問いたくなる。が、人間のそれが決定的に違うのは、ここに「駆け引き」が存在することだと本書は主張する。
 つまり、集団の中で自分がいかに安全で得があるポジションをとるかというのを企てるのが人間の特徴なのである。
 たとえば集団で狩りを行うとする。狩りは労力を使うし、危険も多い。したがって怠けたくなる。どうせ一人くらい抜けても多勢に影響はないし、個人的には楽で安全である。だが、もちろんこれは良くない結果を迎える。集団からはあいつは協力的でないとして獲物の分け前をもらえない。これはすなわち得ではない。
 だからといって率先的に狩りの先頭にたつと、今度は危険である。したがってほどほどのところでほどほどの活躍にしようという気持ちがはたらく。ここに絶妙なバランスがある。
 しかし、狩りの先頭に立つことは、自分は他人よりも「強い」ということを周囲に誇示することができる。仮にその人が「男」だとすると、そういう強い「男」は、「女」から「モテる」。「女」からすると、強い男のほうがDNAを継ぐ子孫の生存率が高いからである。その意味では少々危険でも狩りの先頭に立つことはDNA的には「得」になる。
 では、体躯も筋肉も明らかに他と比べて劣った「男」はどうすればいいか。狩りの先頭に立つわけにはいかない。でもそんなポジションでは「モテない」。モテるかモテないかというのは「性淘汰」という観点で厳しい生存競争なのである。
 そこでその小さな男は、狩りでは後塵を拝しても他の「男」の誰もができない罠づくりの技術を磨くことにした。その結果、彼は罠づくりの「専門家」として、集団から一定のリスペクトを集め、それなりに「モテる」ようになる。
 ほかにも、力も指先の器用さも持ち合わせないけど、その人柄でやたらに他人から支援の手を差し伸べられるのもひとつの生存戦略である、いくら腕っぷしが強くても、他人に危害ばかり加えていれば、集団からは嫌われ疎まれ、ある日目覚めたときに自分ひとり荒野の真ん中に取り残されて仲間はみんな彼を見捨てることだってありえる。いくら彼が強くても、独りでは荒野では生きていけない。この、一人一人は弱くても徒党を組んで強いやつを駆逐するという連携プレーも人間に顕著なことらしい。
 
 つまり、役割分担やなにがしかのヒエラルキーがある集団、しかもその中でポジションをめぐって生存をかけた相互の駆け引きがある。こんな集団の中でのかけひきをやる動物は人間の他にはない。
 こういった人類史の中で、集団の中で自分はどう見えているかに対してのアンテナは敏感になり、それをつかさどる脳みそが発達していった。農耕社会になると、狩猟社会にくらべてより集団規模と役割分担が大掛かりになり、ますます社会の中でいかに立ち振る舞うかの生存戦略はシビアになっていった。
 そうなってくると、より自分がまわりよりも優秀であるかを誇示するために嘘をついたり、あるいは自分を優秀と信じたいために自信過剰になっていたり、他人の好感を得ようとしてお人好しになっていったりもする。これらはもちろん行き過ぎると仲間から総スカンをくらって報復されるが、生存上有利になる一定の効果はあったのである。

 これがわれわれがなぜぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのかの理由である。そのほうがモテて、安全で、余得のあることが多かったからなのだ。

 
 こうしてみると、どの組織や地域にもいる「イヤなやつ」。嘘つきだったり傲慢だったりケチだったり他人を踏み台にするやつも、彼らなりの生存本能なんだなと思う。「社会」というからみんな規律正しくて合理的で公正的な動きと結果を期待されるが、人間の脳みそにとってはこの世の中は社会Societyではなく、20000年このかた世界Worldのままなのだ。生態系であり、生存競争なのだ。したがって誰もが自分と自分のDNAのための生存のために直接間接ウオの目タカの目で駆け引きをやっているのだと思うほうがよっぽどこの世の眺めとしてしっくりいくなという気がする。


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ガリア戦記

2020年08月27日 | 歴史・考古学
ガリア戦記
 
カエサル 訳:國原吉之助
講談社学術文庫
 
 
 「ガリア」とは紀元前の西ヨーロッパ一帯を示す。この地域を10年近く時間をかけて平定したのがローマの名将カエサルである。「ガリア戦記」はローマ政庁への年次報告として記したものだ。カエサル自身の手による、その簡潔にして要を得た文章は名高いが、本来の性質からすれば、けっこう「盛って」る報告なんだろうなとは思う。敵であるガリア人を完膚なきまでやっつけたような記述が多いが本当はどうだったんだろう。華々しい勝利の記述の割には早々に敵は回復してくるというか、むしろどんどん強大に膨れ上がっていく。ほんとにこれ征討できてるのかななんて思えてくる。
 それに、ガリア人からすれば、カエサルこそが侵略者であって、実にはた迷惑な存在であったことだろう。ブリタンニア(今のイギリスのこと)なんかの立場に立てば、カエサル軍はわざわざドーバー海峡を渡ってまで侵略しに来ているわけで、元寇における蒙古軍のようなものだったのではないか。
 
 というわけで、古代の覇権争いと闘争記録であって正義もなにもあったものではないとは言え、このガリア戦記が教養書になったり、ビジネス書の一貫としてとりあげられたりするのは、カエサルの言動(盛ってあるとしても)から学びがあることと、プリミティブな時代ゆえの本質的な闘争の真理がここにあるからだろう。
 
 前者に関しては良く知られている。カエサルは百戦錬磨の強い武将でありながら、きわめて寛大であった。部下のモチベーションを努めて維持し、彼らの承認欲求を認めてあげるかに相当腐心している。このあたりはリーダーシップ論として注目されるところだろう。部下がへまをしても、まずは部下の努力を誉めるところから始める。このあたりの機敏は2000年前でも現代も変わらないマネジメント術の要諦といえよう。
 また、降伏した敵の部族に対しての渡り合い方も興味深い。カエサルのこれは要するに「連続囚人のジレンマ」というゲーム理論を地で行っている。カエサル自身が先手をうって強硬手段に出ることはなく、まずは相手の出方を待つ。相手が従順ならばこちらも寛大にいく。しかし、相手が敵対してくれればこちらも徹底的に戦う。しかし、相手が降参して下手に出れば、カエサルもふたたび寛大になるのだ。
 こんな生温さだから、カエサルがローマにもどるとまた反逆の狼煙をあげられていつまでも平定しないんじゃないかともいぶかりたくなるが、しかしこれはゲーム理論上「最強の戦略」と言われているやり方である。
 
 また、古代のプリミティブさゆえに、人間性が露骨に戦闘の行方を左右する。これも面白い。退路をたたれた切迫感ゆえに出される火事場のバカ力で戦闘に勝ったり、恐怖心と懐疑心が本来のパフォーマンスを失ったり、功名心や羞恥心という束縛が自ら敗走を許さずにかくもひとを前に前にと駆り立てるのかと思ったり。そしてこんなのが勝敗の行方を決める理由としてバカにならない。
 もちろん、戦略・戦術として興味深い点もある。プリミティブさゆえに、とにかく「兵站と補給」を重視しているということがガリア戦記を読むとよくわかる。食料調達と燃料調達、道路や橋梁の造成が遠征における基本で、これがちゃんとできない限り戦闘態勢にはならないのである。むしろ直接的な戦闘よりも、食糧や燃料調達をいかに断ち切らせ、人や物の流通経路を見方に有利に、敵に不利にさせるかというところにカエサルの戦略の本質はある。この一点だけでも、2000年前の記録とあなどれない普遍的な戦略の要諦をみる思いがする。
 また、そのために「情報戦」が重視される。敵の状況を知るために諜報を張り巡らせ、商人や逃亡者や捕虜からとにかく情報をとって判断する。また、敵への攪乱のために偽の情報を流す。
 要するに、極端な言い方をすると戦う前に勝敗を決めているのだ。このあたりは孫子も似たようなことを言っている。
 
 なお、カエサルのガリア遠征中に中央ローマで政変があり、カエサルは一転して国賊の立場となる。ここから名誉の復権をかけてカエサルは中央ローマに戦いを挑む。かの有名な「賽は投げられた」のはこの部分で、ここから先は「ガリア戦記」ではなくて「内乱記」という別の書物になる。
 
 
 ところで、スティーブ・ジョブズが座右の本の1冊としてこの「ガリア戦記」を挙げていた。
 ジョブズに限らず、西欧においては教養のひとつとしてこのガリア戦記の読書経験は挙げられることが多い。
 
 ということでこの「ガリア戦記」を読んでみようという気はずいぶん以前から僕の中であった。が、挫折していた。
 というのは、地名と人名と部族名がやたらに出てくるのにどれもよく似たカタカナで、いずれもなじみがなく、なにがなんだかよくわからなくなってしまうからである。
 
 たとえば、部族だとこんな感じである。
 
 ・ピクトネス族
 ・ビゲッリオネス族
 ・ビトゥリゲス族
 ・ビブロキ族
 
 人名だとこんなのが出てくる。
 ・ドゥムナクス
 ・ドゥムノリクス
 ・ドゥラティウス
 ・ドミティウス
 
 地名は
 ・ヒスパニア
 ・ビブラクス
 ・ビブラクテ
 ・ヒベルニア
 
 こんな感じの部族名・人名・地名が100個以上も出てきて、敵味方にわかれたり、裏切りあったりするのだから、間違い探しか記憶力クイズみたいなのである。これみんなちゃんと本当に読めてるのか?
 
 この夏に再チャレンジということで、講談社学術文庫版に手を出した。岩波文庫版よりは文体としてまだ読みやすいだろうと思ったのである。けっきょく名称の記憶はあやふやなまま強引に読み進めてしまったが、巻末の地図をなんども繰り返し確認しながら読むことで今回は最後まで到達することができた。
 逆に言えば、この名称ややこしい問題さえすっきり整理できれば「ガリア戦記」はたいそう面白いのである。紀元前のヨーロッパにおける部族間の闘争の物語、その舞台はまだまだ自然が豊かで広大な森林地帯や沼沢地帯があり、その中にぽつぽつと城塞都市があったりして、そこをスペクタクル映画にでも出てきそうな(って話が逆だが)木組みや石づくりの兵器が登場するこの感じは、「指輪物語」とか「ナルニア国物語」とか、あるいは「風の谷のナウシカ」のようなイメージさえ彷彿させる。
 
 なので、ガイドがあれば「ガリア戦記」はたいそう読みやすくなるのではないかと思うのである。各章の巻頭に、この章で出てくる部族はこれとこれである、主要人物は彼と彼で、舞台はこことここである、なんてのがイラスト付でわかりやすく示されるだけでだいぶ読みやすくなると思うのだけれど、そんな編集をする出版社はないだろうか。(イーストプレスの「まんがで読破」版は、ガリア戦だけでなく、ローマの内政問題にも触れていて概要をつかむにはいいのだけど、ちょっと省略し過ぎなところがある)
 
 

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大戦略論

2020年06月17日 | 歴史・考古学
大戦略論
 
ジョン・ルイス・ギャディス 訳:村井章子
早川書房
 
 
 何度か書いているけど、僕は世界史が鬼門である。ここ最近になって一生懸命おさらいしようとしているけれど、日本史と比べて圧倒的に基礎知識が足りない。山川の世界史教科書を斜め読みしてみたこともあったが、大きな流れはともかく細部の知識は1回読むくらいでは全く身につかない。
 
 本書は世界史上のいくつかの偉人を例にとり、彼らの戦略的決断の是非を検証したものだ。その名も「大戦略論(グランド・ストラテジー)」。
 古代ペルシャ時代、ギリシャ・ローマ時代から、ナポレオン、アメリカ合衆国独立、そして第1次世界大戦と第2次世界大戦という時間軸の中で、クセルクスから、アウグスティヌスから、マキャベリ、フェリペ2世、リンカーン、ルーズベルトなどの業績を俯瞰していく。
 これらの人物や当時の世界史の基礎知識が頭にあれば、もっとするする頭にはいるのだろうが、僕はあまりおぼつかないのでどうにも読むのに苦労した。アメリカへの移民史や建国史ももうちょっとちゃんと知っていれば、本書は面白い記述だっただろうに、と思う。
 
 さて、そんな心持たない状態で読んだ本書であるが、「人は長じるにつけどこかで己を過信して失敗する」というのが教訓である。若いころに鋭い判断をこなして困難な課題を突破してきた人物がやがて現実的制約を軽視して理想に挑み、破滅するのである。
 これはよっぽどの自己制御力がない限り、そうなってしまうという自己破壊プログラムみたいなものだ。歴史上の偉人に限らない。身近にもいっぱい心当たりがある。
 
 
 己を過信するとどうなるかというと、手段と目的が逆転するのである。なぜその「手段」をとっているのか。当初は、当座の目的に対しての慎重な検証と取捨選択を経て選んだはずの手段が、やがて「その手段さえとっておけば間違いない」という判断になるのである。脳のショートカットが行われる。こうして手段は徐々に目的化していく。兵站と補給を軽視して強気の進軍をしたりするのはこのパターンである。
 そして、やがては「なぜそれをやっているんだっけ?」という、目的がないまま、手段だけが肥大化していく不気味な現象にもなる。第1次世界大戦にはおよそそのようなところがある。
 
 真にグランド・ストラテジーが描ける人は、目的がしっかりしている。しかもその目的を達成するための手段の柔軟さが幅広い。そしてここが大事だが、目的を達成するための手段は、往々にして清濁併せ呑むことを求められることが多い。本書の表現を借りれば、目的達成のためには矛盾を恐れてはならない、のである。
 マキャベリには、目的達成のためには手段を択ばない、という有名なテーゼがある。しかし、あらためて冷静にみると、マキャベリの思想は目的達成のためには何をしてもいいのだ、という矮小なものではない。矛盾を克服するような目的こそが、大戦略の名にふさわしい「時間と空間とスケールを持った目的」ということになるだろう。すなわち、矛盾をともなわない手段で達成できる目的というのは、しょぼい目的なのだともいえる。小利口な人はしょうもない目的の達成やつじつま合わせで甘んじてしまうことが多い。できない理由をならびたててやらない人タイプもこれに当たる。
 小目的ではない。時間と空間とスケールを見据えた大目的こそが、グランドストラテジーが持つ目的である。そして、そんな大目的を達成するための手段は当然一筋縄ではいかないのだ。
 
 本書によれば、清濁併せのみながら手段を駆使し、常に目的を北極星のごとく見定めてスケールでかくやりとげたグランドストラテジストとして、オクタヴィアヌス、アウグスティヌス、エリザベス一世、リンカーンを挙げている。最初はよかったのにやがて己を過信して破滅した例としてペリクレスやナポレオンを。小利口に徹してしまった例としてフェリペ2世やウィルソンを挙げている。
 
 まあ、それにしても。孫子やクラウゼヴィッツやマキャベリも巻き込みながら、歴史上の偉人をなで斬りにしていくこの本。もともとは大学の講義だというが、その場で聞いていたらこれはさぞかし血沸き肉躍る講義ではあったんだろうとは思う。世界史の基礎知識がおぼつかない僕は各章各章なかなか読むのに骨が折れるのだが、どの章も後半にいくにしたがってのめり込んでいくものがあったのは確かだ。
 

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反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー

2020年05月02日 | 歴史・考古学

反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー

ジェームズ・C・スコット 訳:立木勝
みすず書房


 ハラリの「サピエンス全史」には、「農業革命」のことが出てくる。興味深いのは、狩猟文化から農耕文化に移行したことで、人間は不幸になったというものだ。労働時間は長くなり、摂取カロリーは減った。天災リスクも増えた、というものである。
 それなのに、なぜ人間は農耕文化に移行したのか。最終的に誰が得したかという観点から逆算すると、ヒト遺伝子の存在が浮かび上がる。つまり農耕文化によって狩猟時代よりも人口増加度がふくれあがったからである(定住生活をすること、人手を要することから出生頻度が増えたのである)。ヒト遺伝子は子孫を増やすのに成功した、というわけだ。
 
 おもしれーと思った。
 その後、穀物遺伝子が、手先の器用なサルをうまく取り込んだのさという説もみた。この世界の覇者は穀物遺伝子説である。

 というわけで、狩猟文化から農耕文化の移行は、かつてのマルクス主義的な進化論ではなく、もう少し複雑な事情があったのではないかというのが昨今の見立てである。

 

 で、本書はタイトルの通り、まさにそこにフォーカスをあてたものだ。実にまことに知的興奮を味わえる本であった。

 本書の前半は、狩猟文化から農耕文化に移行するための諸条件を考察するとともに、その結論として「みんながみんな農耕文化に一方的にうつったわけではない」と結論する。そう。狩猟文化を続けた人間も相当数いたのである。また、農耕文化に移行した人がその後ずっと農耕を続けたかというとそういうわけでもない。狩猟のほうに戻る力も多いに働くのである。初期の人類史は、農耕文化と狩猟採集文化は併存していたし、両方を組み合わせてやっていた人間も多かったし、農耕→狩猟にシフトした人間もいたのである。

 そして、農耕文化と切っても切れない関係として「定住集団生活文化」というのがある。農耕と定住集団生活はニワトリとタマゴの関係だが、どちらが先だったのかは結論が出せないとした上で、しかし人類史として大きな影響を与えたこととして「定住集団生活」に注目している。
 つまり、生態学的には不自然な人口密度で定住集団生活をするようになったことが、さまざまな影響を人類史に与えたのだった。

 たとえば、狭い定住空間での集団の増加は、モノカルチャーの依存度を高めることを本書では示唆している。これが農耕依存度を助長させる。(穀物がもっとも施政者にとっては税管理をしやすいという指摘はおもしろい)。
 結論としては、狭い空間における高い人口密度とモノカルチャーな農耕異存は、そのコミュニティの存続にとってはきわめてリスクが高いのである。著者は、初期の都市や国家はたびたび消滅や崩壊にさらされたとみている。疫病は流行りやすく、天災には弱く、労働はきつくて人々は荒野や森林地帯に逃げ出す。
 したがって、「そもそも集団でモノカルチャー」なのが不自然なのだから、定住集団生活を捨てて荒野や森林地帯に分散して狩猟に戻るのはむしろ自然な流れではないかと著者は指摘する。狩猟→農耕の進化論は、農耕文化を善とする前提からくるバイアスでしかないのだ。「崩壊」という言い方にへんなミスリードがあるだけで、要はヒトは集まったり散ったりしていたのである。

 また、はじめから狩猟採集で生活が十分に営める人は、好きこのんで農耕文化の集団に加わりはしない。それどころか農耕文化集団も、狩猟民からしてみれば狩猟の対象のひとつ、すなわち収奪の対象とみなすようになるのはまったく不自然ではない。

 ということで、定住集団生活=都市には、収奪の力学が必然的に備わる。それは都市内における強制的な農耕労働とそこからの収奪(すなわち租税や賦役のこと。農業従事者の多くは蓋然的に「どこかから収奪されてきた人」になる)であり、そうやって積み上げられた収穫物や労働者は、都市外の狩猟採集民からの収奪の対象となる。
 本書の後半は、この「収奪」にフォーカスし、農耕というよりは、そのような都市国家(自らを「文明人」と称す)と、その周辺に存在する狩猟採集民コミュニティ(都市国家からは「野蛮人」と称される)の関係性をみていく。破壊的な収奪はそれなりにエネルギーとリスクを伴うので、やがて「交易」や「取引(みかじめ料みたいなもの)」という手段がハバを利かすようになる。いつしか、あたかも共依存のように農耕民と狩猟採集民、「文明人」と「野蛮人」は相互関係しあっていくのだ。「野蛮人」も「文明人」が収奪の対象である以上「文明人」の存在なしでは生きていけなくなる。「文明人」は「野蛮人」と取引することで国家を維持できるようになる。


 全書を通して示唆していることは、「農耕」が登場することによって「非農耕」すなわち狩猟採取文化が対の生活文化として浮上し、農耕と関連づく定住集団生活すなわち「都市国家」に対し、やはり対の関係として狩猟採取や牧畜による移動分散型生活の「野蛮人」が浮上することだ。すべては相対的というか、この生態学的な関係性こそが人類史の歩んできた道ということである。どちらにも脆弱性があり、どちらにも頑強性があって、相互に関連しあってポートフォリオとして人類史をつくってきたのである。

 それにしても原書の初版は2017年。すでに「中国南東部、具体的には広東省が、新型の鳥インフルエンザや豚インフルエンザの世界最大の培養皿となってきたことも、さして驚きではない。あの地域にはホモ・サピエンス、ブタ、ニワトリ、ガチョウ、アヒル、そして世界の野生動物の市場がどこよりも大規模に、どこよりも高い密度で、しかも歴史的に集中してきた地域なのだ」と指摘していることは興味深い。

 近世以降の人類史は、農耕文化と都市国家があまりにもハバを利かせているが、人類史の時間軸的には末端のほんのわずかな期間に過ぎない。本来的なフィードバックを考えると、都市人口集中のアンチテーゼとしての荒野への分散と狩猟採集文化の存在が必要という見方もできよう。コロナ禍によって、都市集中生活の脆弱性やデメリットがかなりクローズアップされている。都市を捨て、モノカルチャーに依存しないしたたかな狩猟採集文化、異動分散型生活の「野蛮人」視点も必要なのではないかと思う。「収奪」される側にだけはならないようにしたい。

 


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日本通史の旅―古代史紀行・平安鎌倉史紀行・室町戦国史紀行

2020年01月06日 | 歴史・考古学
日本通史の旅―古代史紀行・平安鎌倉史紀行・室町戦国史紀行
 
宮脇俊三
講談社
 
 
 この年末年始にずっと読んでいた。
 
 僕はもともと学生時代から日本史が好きで大学入試センター試験も日本史を選んでいた。愛読書は小学館の「まんが日本の歴史」全21巻であった。
 しかし、ここ数年は世界史のほうに関心がうつっていた。ぼくは世界史の知識があまりにもお粗末だったのでちょっと補強しようと思ったのである。そんなわけでしばらく歴史関係の本は世界史にちなむものが多かった。
 
    一方で、中学生の長女が中間試験だ期末試験だといって日本史の質問をしてくる。最近の歴史の授業はよくしたもので、年号や人物の暗記で済まさせず、鎌倉時代に新仏教が成立する背景とか、江戸時代における米価安の諸色高の理由とか問題に出してくる。適当な答えで済ますわけにはいかない。
 
 そんなわけで久々に日本史をトレースしようと思った。
 とはいえ、いまさら教科書みたいなものを読んでもつまらないので、本書を手にしたのである。
 
 著者の宮脇俊三氏は17年前に亡くなった紀行作家である。鉄道旅行作家として有名だったが、彼の場合、単なる鉄道マニアではなくて、地理や歴史に対する深い教養があった。
 その代表的なものがこの「日本通史の旅」である。単行本としては「古代史紀行」「平安鎌倉史紀行」「室町戦国史紀行」の3巻がある。
 
 この「日本通史の旅」は歴史の時系列順にゆかりの地を旅するというものだった。それもかなり細かく刻んでいる。第1章は日本海の島である対馬の訪問から始まる。日本史をどこから始めるかはいろいろ議論があるが文献上で最初に現れるのは対馬である。第2章は壱岐の訪問、第3章は出雲の旅行記となる。第7章くらいでようやく魏志倭人伝に出てくる国々となる。そこからしばらくは大和朝廷の時代となって、大和や飛鳥地方の訪問記となる。奈良時代には奈良が中心、平安時代には京都が中心になるが、地方になにかエピソードがあればそこまでとんでいく。たんなる名所名跡めぐりではない。学術調査にしか訪れないような場所にも足を運び、碑が一本立っているような場所でもそのエピソードが歴史上重要であればそこまで行く。公共の交通機関がないところなければタクシーを使い、そうでなければ歩きに歩く。大化の改新で有名な藤原鎌足の痕跡をたどるために群馬県の多胡碑まで赴いたりする。平将門ゆかりの地をめぐるために常総地区の湿原地帯を彷徨するし、楠木正成ならば千早城の険しい山を登る。大海人皇子や後醍醐天皇が吉野にこもるので、この旅でも何度も吉野に出向く。日本だけでなくて韓国(百済や高句麗との関係で)にも訪れる徹底ぶりだ。そんな進行速度だから、連載開始は1987年1月、最後の連載となった関ケ原の章は1999年8月だった。10年以上費やして江戸時代に行きつかなかったのである。
 もともとは明治維新くらいまで行く予定ではあったらしいのだが、そのあいだに著者も高齢になり、体調も崩し気味となって体力の限界ということで関ケ原までで終了となったのだ。著者が亡くなったのは2003年、77才であった。
 
 そんな内容だから、文献や遺跡をたよりに日本の歴史をトレースするならば本書の通読で十分おつりがくる。単なる旅行見聞記ではなくて、その時代についての概説もつどつどしてくれるから、史実としてなにがあったのかもわかる。学校の勉強用にするにはちょっと向かないが(文科省の学習指導要領に入っていない話も多いので)、日本史をぞんぶんに味わえる異色の本と言えよう。関ケ原で終わってしまったのが本当に惜しまれる。
 
 
 しばらく世界史の本ばかり読んでいたので、改めての日本史どっぷりは新鮮だった。
 
 世界史の面白さは、地政学的なものの見方やシステム的な因果関係のゆえに事態が進行していくさま、国家と宗教と民族と人種という様々なレイヤーがうごめくところである。それは全般的にマクロな視野である。
 
 一方で、日本史は日本にクローズアップされるぶん対象がミクロになる。一人一人の登場人物の足取りや思考に思いをよせることになる。時代は違えど同じ日本人同士ということで少なからず共感したり同情したりする部分も出てくる。著者もところどころに著者ならではの人物評や世評を挟んでいて、それが面白い。古事記における武烈天皇が残忍な人として書かれているのを指して「容赦なく悪しざまに記述できるということは、どう書いても罰せられる心配がないからであろう。これは政権の交代を意味する。社史の類にしても同様である。」と書いていて思わず笑ってしまう。長岡京跡を訪ねた章では、桓武天皇が弟の早良親王を処刑したことを「よき協力者で実弟の早良親王を断罪するのは辛かったろうが、やむをえなかった。この非情と忍耐は徳川家康に似通うものがあるように思われる。二人とも長期安定政権の創設者である。」と述べている。なるほどとうなづく。後醍醐天皇については「諸芸に秀でた傑出した人物だったようで、こういう人が紆余曲折をへて天皇の地位につけば権力志向が強くなる。中世の帝王の心境をおしはかるのは無理だが、私の社会経験からすると、そう見える。」となんとも興味深い感想を述べている。著者は作家になる前は中央公論社の名編集者だった。
 
 それにしても歴史を知るというのは盛者必衰の理をみるということなんだなとつくづく思う。これは世界史も日本史も変わらない。
 天皇家も蘇我氏も藤原氏も平家も源氏も北条氏も足利氏も織田氏も豊臣氏も、ほんの短い栄華と長い長い低迷や凋落の繰り返しである。飛鳥時代以降権力闘争にあけくれる藤原氏も内外の政敵を駆逐してようやく平安時代に藤原道長で頂点にたつが、次の代では男子が生まれなかったために天皇の外祖父になれず、あっという間に凋落する。まことにあっけない。足利氏なんて一五代続くが、三代目義満のときだけが栄華でのこりの一四人はめちゃくちゃである。そもそもこの日本という国、飛鳥時代に大宝律令が制定されて租庸調制度とか口分田とか整備されたが、本質的には江戸時代までは日本というところは無政府状態だったといってもいいのかもしれない。
 そして、文献や遺跡遺物のはざまから垣間見られる庶民の暮らし。それこそはどこまでいっても悲惨なものだ。貴族の没落なんて所詮は程度の問題である。庶民こそは重税や使役を課され、戦さに巻き込まれ、燃料替わりに家を燃やされ、飢餓や疫病に晒された人びとたった。何度も遷都を繰り返した聖武天皇を指して、そのたび造営に駆り出される庶民にとっては大迷惑以外の何物でもなかっただろうと述べている。まったくそうだろうなと思う。
 

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クーデターの技術

2019年10月13日 | 歴史・考古学

クーデターの技術

クルツィオ・マラパルテ 訳:手塚和彰・鈴木純
中央公論新社

 衝撃的なタイトルに思わず手にとってしまったが、そうとうに20世紀前半のヨーロッパ史に精通していないと読みこなせない内容だ。というのは著者マラパルテがヨーロッパの激動のさなかに経験し、その場で考察していることが書かれているからだ。つまり、その時代の空気をある程度知っているしかもそれなりに情勢に通じている人むけに書かれている。それもロシア革命、第1次世界大戦後のヨーロッパ、イタリアのファシズム台頭、そしてヒットラーの登場という、不穏なヨーロッパである。登場人物も各種勢力も僕にとってはあまりなじみがない。

 とはいえ頑張って読んでいくと、タイトルにある「クーデターの技術」にはある種の法則性が確かにあるのは見て取れる。この本が書かれたのは1931年とのことだが、発刊当時において施政者側からも革命勢力側からも教科書にされたのは分かる気がする。いわばクーデターのケーススタディだ。そして21世紀現代において過去に行われた大小の「クーデター」のやり方というのを省みると、たしかにそうだなと思える。近代的なクーデターのやり方の元祖はトロツキーにあったのかなどと納得する。

 ①クーデターにおいてまず抑えるのは官邸とか宮城ではなく、電信局・発電所・交通上のジャンクション・放送局であるということ
 ②よって、まず必要な要因は軍隊的なものではなく、技術員であるということ
 ③決起までいっさい市内で目立つ示威行動はせず、水面下でコトは進行させる
 ④議会的(法律的)手続きと暴力的行為の両側面から進める
 ⑤「労働者」がキャスティングボードであるということ

 興味深いのは、政権を転覆させて新しい政権を樹立させても、それを維持させるのはまた別のエネルギーがいるということだ。⑤の存在はそれをうかがわせる。
 また、今日的社会においては⑥外部からの承認、というのも必要そうである。

 1936年におこった2.26事件は、①③あたりはおさえたが、②の要員が不足し、④の事前工作をやっておらず、そして⑤の根回しもしていないということになる。
 1996年にオウム真理教は地下鉄サリン事件というクーデターを起こそうとした。しかし上記の多くが守られていない。せいぜい③くらいではないか。放送局(TBS)と渡りをつけたり、④で国政に参加しようとして失敗はしている。むしろ状況証拠的には創価学会のほうがいいセン行っているようにに思う。(ていうか公明党がもう与党になっているではないか)。

 で、これはクーデターを起こさせない、盤石な基盤をつくるための指針でもある。電力会社や放送局を抑え、表面上は平和裏を装い、実は議会だけでなく警察や軍隊もおさえ、国民の支持をとりつけておくのである。自民党というのはやっぱり狡猾なんだなあ。


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歴史入門

2019年10月06日 | 歴史・考古学

歴史入門

フェルナン・ブローデル 訳:金塚貞文
中央公論新社


 ウォーラーステインの近代世界システム論を追いかけるとブローデルに行き着く。大著「地中海」の存在は前から認識していて教養人必読書みたいに神格化されているのも知っている。しかし、現代なお、文庫化も電子書籍化もしておらず、大判で高価でしかも複数巻ものである。とてもモビリティに耐えられず、僕は未読である。実は第1巻だけ実家の書棚にあらせられたりするのだが、その質量の重厚感には手にとるだけで圧倒される。

 そんなわけでウォーラーステインの近代世界システム論同様、ブローデルの歴史観についても浅い聞きかじりでしか知らない。歴史には長波と中波と短波がある。政治的な社会的な史事は「短波」に属し、とるにたらないつまらないものであって、人間社会の歴史をみるには地勢・環境・風土的要因である「長波」、そこでの人間の生活活動における「中波」を観なければならないーーーーというのだけはかろうじて何かから聞き及んでいたわけだが、ぼくのブローデルに関する知っていることといえばそれだけである。

 そうしたら、中公文庫にブローデルから「歴史入門」という文庫本が出ていることを知った。「近代世界システム分析入門」に引き続きこちらも読んでみることにした。さいきん入門続きである。


 で、読んでみて。

   なるほど。ブローデルによると人間社会の3階層というのがさらにある。「物質社会」「経済社会」「資本主義社会」である。物質社会というのは生産と消費の社会、経済社会というのは分担と交換の社会である。ここで貨幣が意味を持ってくる。で、資本主義社会というのは経済社会の発展の末に登場するエージェント社会だ。エージェントというのは物事を支配するのである。

 また、この本でも近代世界システム論の「中心」「半中心」「周縁」が出てくる。ウォーラーステインはブローデルの弟子(?)みたいな関係になるようだが、ブローデルの歴史観にもこの3層が出てくる。

 したがって、歴史俯瞰としては

 ①時間軸としての「長波・中波・短波」
 ②社会軸としての「物質社会・経済社会・資本主義社会」
 ③依存関係軸でいうところの「中心・半中心・周縁」

という3つの次元があってそれの掛け合わせである。これで世界の歴史が俯瞰できちゃうのである。すごいなあ。
で、本当はそれぞれの軸について膨大な研究と著作があるわけで文庫本1冊で済むわけではないのだけれど、この「歴史入門」ではまずはその見取り図みたいなことを教えてくれる。なるほど「歴史入門」である。

 訳者金塚氏による巻末の解説によると、時間軸「長波」に対応する社会軸が「物質社会」であり、「中波」に対応するのが「経済社会・資本主義社会」とのことだ。また「資本主義社会」が「中心・半中心・周縁」という共時型のシステムを強固にしたということである。

 地中海都市国家からアムステルダムへ。それからロンドンへ。そしてニューヨークへと覇権の中心が移動し、今しばらくはニューヨークすなわちアメリカが覇権の時代ではあろう。とはいえ、しょせんは「中波」。また中心が移動する可能性は十二分にあるし、資本を生み出す元が何になるかも変わっていく。


 この歴史観から思うのはやはり現代の中国だ。
 いずれ必ずアメリカを抜くと言われる中国のGDP。金融や情報におけるハイテクの極みを中国は国家戦略的に進めていて、その最終的ねらいは世界を動かす「ドル通貨軸」からの解放、そして「元通貨軸」の成立である。中国は西洋諸国に比べて時間軸に対しての捕らえ方が長期スパンとされている。西洋諸国が10年単位でものごとの推移や段取りをとらえるとしたら中国は100年単位で決着をつけようとする(香港と中国本土の問題ももともとをたどるとこのあたりまで話が及ぶ)。本書によれば、中国は社会軸でいうところの経済社会で完結してしまって資本主義社会が発生しなかったことを指摘しているが、いまから見れば国家そのもの(中国共産党)が資本を蓄積して覇権に乗り出しているわけである。
 
 
 それにしても、中学・高校時代の世界史という授業。ぼくはまったく興味が持てなかった。日本史の授業のほうが最近はやりのコトバでいうとナラティブ性があってがぜん面白かったのである。これは小学校時代にぼくが小学館のまんが日本の歴史全20巻を愛読していたからだ。(この小学館まんが日本の歴史は「ビリギャル」でもおすすめされていた良企画である)
 世界史のほうが断片的で全体的な潮流がつかめず、僕にとっては暗記科目に堕してしまったのだった。まんが世界史というのも存在していたけれど、どうしてもエジプト・ギリシャ・ローマとエリアを渡り歩いたり、キリストが出てきたりと情報が散逸的になりやすく、物語に入りこむ機会がない。
 ブローデルやウォーラ―ステインのようなイントロで歴史の授業に入ったら、世界史ももう少しおもしろくとっかかれたのかもしれないななどと思う。


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入門 世界システム分析

2019年09月30日 | 歴史・考古学

入門 世界システム分析

著:イマニュエル・ウォーラーステイン 訳:山下範久
藤原書店


 先月ウォーラーステインの訃報が流れた。まだ生きていたんだというのが正直な感想で、それくらい神話化された人物である。

 ウォーラーステインといえば「近代世界システム論」である。これまで山川の世界史の教科書とか、河北稔氏の著作などでその片鱗には触れていたが、ちゃんとこの理論を俯瞰したことはなかった。というより、専門家でもないのにあんな重厚長大な研究を知ろうというのは無謀である。

 ということでウォーラーステイン自身が晩年に記したという「入門」を読んでみることにした。
 
 しかし「入門」とはいってもなかなか骨のある内容だ。じっくり読んでいけばそれほど難解なことは言っておらず、むしろ論理は明快なのだけれど、なまじ「入門」であるだけにすべての範囲にわたって概要が語られている。しかもすべてが伏線がはられているかのごとく関係してくるので油断できない。まさしく「システム」である。ここでこんな切り口の話がでてくるのは、あとでここにつながるためだったのかという具合である。だから本当は短時間で集中的に読破するほうがよいのだが、仕事や生活の合間合間にメモもとらずに読み進めたため、どこまで把握できたのかは正直いって自信がない。以下はそんな僕の覚書である。


 「世界システム」というのは、地域の個別事情に根差した史事に拘るのではなく、この地球上の世界は大きなひとつの社会であると巨視的にみなし、その内部の力学の変遷・変容をとらえようとする世界観である。この見立ての背景には、世界の時空を、西洋・東洋・第3世界とみなす歴史学・東洋学・文化人類学というアカデミズムへの批判、さらにアメリカの世界戦略に利用されるアカデミズムへの批判などがある。ことアメリカにおける「開発論」、地域ごとの差異を段階論と見なし、「開発(development)」というビジョンで統合させたというウォーラーステイン氏の見解にはなんか納得するものがある。

 「世界システム」はシステムだから、どんなに複雑怪奇で多種多様な人間社会の歴史においても、システムの根幹を成すひとつの原則に帰するように考察する。それが「生産活動」と「余剰の分配」である。本質的に人間社会というのは「生産活動」と「余剰の分配」が経済活動におけるもっともコアなのだ。社会単位もこれに準じて構成される(ここに「家計世帯」というくくりも出てくる)。
 で、この経済活動が支配する社会での生存競争において必然的に帰結するのが「資本」を蓄積したものが勝つということである。

 ではいかして「資本」は蓄積されるか。それは世界システムの中に存在する、あるエネルギー源を用いる。そのエネルギー源とは「差」である。
 どの時空においても、水が上から下に必ず流れるように、不均衡とでもいうべき需要と供給の「差」があってこの傾斜をつかってモノ・カネ・ヒト・情報は流れていく。水力発電が水位の高低差を利用してタービンを回して発電するように、いずれの時空においても社会はこの「差」をつかって仕組みを維持しているのだ。近代世界システム論で最も有名な「中核」「半周辺」「周辺」という区分けは、この「差の仕組み」である。この「差」の維持と拡大と解消が、言わば作用と反作用が連鎖していくように推移して、これが歴史となる。よくしたもので、資本家が労働者から収奪しすぎると、労働者の購買力が衰えてモノが売れなくなり、資本家にとってダメージとなる。そこにフィードバックがある。これらをシステムと称す。この傾斜を最も有利に操ったものが「覇権(ヘゲモニー)」である。
 「資本」をめぐるゲームにおいてやがて一つの方向に収斂されたのが近代における「国家」という枠組みであり、それを構成する「国民」というとらえかたである。これが近代世界システムである。主権とか国境とか植民地などの概念もここから派生する。「国家」や「国民」は地域や人民の線引きを現すから、ここに包摂と排他の概念も誕生する。


 しかし、近代世界システムは永久機関ではないのである。システム内の「差」をエネルギー源として資本をつくりだす仕組みだから、エントロピーの法則と同じように最終的に「差」は均質化していく。廃棄物の処理、第1次原料の再生、インフラの整備維持を託せる空間、経済学でいうところの「外部コスト」を託せるところがこの世界から無くなっていく。そうすると動態は停滞する。

 1968年の「世界革命」をひとつの目安として、近代世界システムは終焉にむかっているというのがウォーラーステインの見解である。つまり「差」が維持できなくなったということだ。また、これによって「国家」や「国民」から排他ないし軽視されてきた存在が主張を始める。
 現状の世界は1968年以前のエネルギーの余熱で動いている、と言える。

 日本においては「1968年」というのは歴史のメルクマールとしてはあまり意識されない。全共闘の大学紛争があったのがだいたいこのあたりだが、その後に社会の在り方が変わったかというとそんな手ごたえもなく、高度経済成長は続いていたので歴史認識としては目立っていない。経済史的には石油ショックのあった1973年なんかのほうが大きくとりあげられる。
 しかし、1968年というのは、世界各地において「国家」や「国民」という枠組みに関係なく、いわば「100匹目の猿」のように同時多発的に同じようなイデオロギーが吹き荒れた節目であった。脱国家主義・脱資本主義・脱家父長主義とでもいうべきものだ。人種や民族差別の撤廃、性差別の撤廃、年齢主義の撤廃、地域差別の撤廃という、言わば今につながるSDGsの原点みたいなものがここで登場する。不均衡な「差」の中で役割を固定化されていた者たちである。

 ただし、現代の世界は本当に「近代世界システム」の余熱で動いているだけなのかどうかは議論を要する。そもそも「世界システム論」もこの世の中の「見立て」に過ぎないといえばそこまでであるし、今日的には「世界システム論」は旗色が悪いという解説を読んだこともある。
 ただまあ、ウォーラーステインの説を是としたとしても、「近代」世界システムをという資本を媒介としたゲームがたそがれているだけで、「世界システム」そのものは存在し続けると言える。この地球に生きる人間の数は近々100億人に達すると言われている。そしてこの100億人の生命を維持し、生存していくためには「生産」と「余剰の分配」はなくならない。「近代」はこれを司るのが資本というものだった。そうすると人間社会は今度は何を「差」としてエネルギー源にするのだろうか。

 

 


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歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史

2019年09月02日 | 歴史・考古学
歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史
 
ジャレド・ダイアモンド ジェイムズ・ロビンソン他  訳:小坂恵理
慶応義塾大学出版会
 
 
 「銃・病原菌・鉄」で一世を風靡したジャレド・ダイアモンドである。彼の他の本に比べると本書は専門色が強い。また、ダイアモンドの単書ではなくて研究者仲間のアンソロジーになっている。
 したがって彼の一般向け著作と比べると難解というか読みにくい。とはいえ、その多くは学問上の正しさを追求するゆえの検討プロセスの精緻化とか留保条件の説明であり、僕は専門の人でもなんでもないのでそこらへんはそういうもんだなとななめ読みしてもっぱら問題提起と結論のところを読んだ次第である。
 
 言うならば比較文明論の見本帳といったところだろうか。全部で7つの論文から構成されているが、前半4つは伝統的な手法、つまり文献的あるいは考古学的なエビデンスを集め、矛盾のないように定性的に論理をつないでいくアプローチだ。ナラティブ型と本書では表現している。対して後半3つは統計学的なアプローチだ。なんだかわからないけれど因果関係があるというのを定量的に演算してあぶりだすのだ。これはこれで人智の思いもよらぬところに因果を見つけ出す効果がある。当世のAI分析とかビッグデータ解析はこちらだが、それを比較文明論でやってみせるわけだ。
 題して「歴史は実験できるのか」。原書のタイトルは「Natural Experiments of History」。歴史における自然実験とでもいったところか。
 
 「自然実験」というのは言い方はなかなか絶妙だ。ほとんどの条件が同じ2つの地域なのに、たった1つの要素の違いでその後の歴史に大きな乖離を生じさせることになったものの考察で、それをあたかも神が「実験」しているように見立てているわけだ。専門的には「比較研究法」というそうだ。
 たとえば、中米カリブ海にイスパニョーラ島という島があって、島の東側がドミニカ共和国、西側がハイチという国で分割されて統治されている。
 この2つの国は地理的条件はほとんど同じなのに、現代においてのドミニカとハイチは、国としてのガバナンスがまるで異なってしまった。ドミニカは中米において比較的優等生な国であるのに対し、ハイチはかなりの底辺国といってよい。この極端な差はなぜついてしまったのか。
 似たような例として我々日本は朝鮮半島の北朝鮮と韓国を連想する。しかし、朝鮮半島に関してはそれぞれのエリアが背負った地政学的な要因がかなりあるのに対し、イスパニョーラ島はそこまでダイナミックな背景は本来はなかったのである。18世紀当時、西側ハイチをフランスが、東側のドミニカ共和国をスペインが植民地としていた。2つの宗主国の植民地経営の在り方、現地で采配をふるった2人の独裁者のタイプの違い、そしてちょっとした地形の差が、その後200年の決定的な乖離をつくった。この辺の話はとても興味深い。様々な因果の結果、ドミニカではスペイン語が通用したが、ハイチでは現地語であるハイチクレオール語しか通用せず、このことが決定的な差になった。なぜそうなったのかの経緯も面白いのだが、日本語が流通して英語がなかなか通じないとされるわが国において寒心に堪えない。
 
 しかも面白いのは、当初はハイチのほうが発展していたということだ。
 この示唆はエスパニョーラ島だけではない。本書でアンソロジーとなっている論文は、ポリネシア諸島の島々が島の地勢や気候風土によってその後の歴史の歩みが異なるわけ、特にアメリカに移民が増えたわけ、銀行制度が成立する国しない国、奴隷貿易がアフリカに与えた影響、イギリスのインド統治は何を残したか、ナポレオンによって制覇されたプロイセン各地のその後、などいろいろな自然実験の比較が行われているのだが「当初はよそより発展していたのにその後は衰退ないし破滅していった例」というのがたくさんあるのである。
 たとえば、アフリカの奴隷貿易。負の歴史として名高いが、奴隷をたくさん連れていかれた地域とそうでない地域があるのだ。そして奴隷を多く引き抜かれた地域というのは、21世紀の現在に至ってなお底辺国として苦しんでいる。かたや比較的奴隷引き抜きの憂き目がすくなかった地域というのは現在もそれなりにガバナンスが維持できている。つまり奴隷貿易というのはそれくらい地域に深刻なダメージを与えるということなのだが、興味深いのは奴隷を大量に抜かれた地域というのはかつてにあって他より繁栄していた地域なのである。その追求の考察はなかなか示唆に富んでいる。
 
 要するに、環境条件や制約条件がその後に与える影響というのはまったくバカにならないということである。しかも当初は好条件下だと思って油断しているがためにかえって憂き目にあうのだから歴史というのは残酷だ。これは我々の日々でも心しなければならないことだろう。
 たとえば、いくつか事例をみて思うに、ある地域の市場や行政を「保護」してそこの運営を任官なり地主なり、あるいは封建制にして任せると「現状維持バイアス」と「既得権益」を社会に生み出す。これは人間の、というか生命の本能みたいなものだけれど、現地の統治者の物事への視線が現世利益型になって持続可能の観点を失ってしまうということなのだろう。そうすると時間の変化や外からの環境の変化に弱くなるということらしい。
 ほかにも、いろいろな地勢地理的条件で初期の段階から市場や経済にうまみがあるところはとうぜん時間軸的には先に手をつけられているということでもある。「先に手をつけられている」ということはそのぶん既得権益や仕組みができあがっていて「規制」や「保護」ができあがる。そういうところはなかなか改革や改良の手が入りにくい。しかもそうやって「規制」や「保護」があるところは”うまみのある市場”になっているから、外圧からは真っ先に狙われやすいのだ。積み重なっているものが大きければ大きいほど崩れたときのダメージも大きい。このへんの一連の話はタレブの反脆弱性の話にも通じる。
 
 封建制社会はうまくいかないというのはなんとなく歴史が証明しているが、本書ではそのダメージが現代まで引きずるほど大きな後遺症を残すことを暴いている。今の社会のありようは100年前200年前の因果に端を発しているのである。
 

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教養としての世界史の学び方

2019年08月03日 | 歴史・考古学

教養としての世界史の学び方

山下範久 編著
東洋経済新報社

 

 本書は大学初年次の学生にむけての「世界史のリテラシー」を身に着けるための本とのことだが、なかなか骨のある内容だった。「大学初年次」ではなかなか難しいかもなあ。とくに後半部分。国公立大学やセンター試験の受験科目で「世界史」をとった人ならばなんとなく言わんとすることはわかる、くらいかもしれない。

 本書の主旨は、世に流通している「世界史」の多くは「西洋史観」であるということへの批判と検証だ。「西洋史観」というのは、日本も含むアジアは西洋すなわちヨーロッパと相対的に位置するものとして認識され、評価されているということである。これが意味するのは、スタンダードなのはヨーロッパの歴史の歩み方であり、それとは違うアジアの歴史は「遅れている」とか「亜流のもの」という見立てである。これは偏った世界の歴史のとらえ方であることを本書は指摘する。

 もっとも、世界史の見立てが西洋史観に毒されたものだという指摘は、決して目新しいものではない。近代以後の思想界におけるメインストリートのひとつといってもいいくらいだ。

 にもかかわらず、文部科学省が認定する中学や高校の世界史の教科書はヨーロッパ史が中心である。
 文明の登場こそ四大文明から始まるが、その後はおおむねヨーロッパを中心とした歴史が記述され、大航海時代になってアジアやアフリカに進出していく。やがてアメリカ大陸への移住となる。第一次世界大戦後にロシア革命がおきて、共産主義のソビエト連邦が成立し、第二次世界大戦が終わると米ソによる東西冷戦という形をとるようになってヨーロッパの影はうすくなるが、これも経緯を逆算するとヨーロッパに端を発しているわけで、世界史というのはヨーロッパを軸に語ると整理できるという編集方針になっている。

 厳密に言うとは中国の歴史については別途ページを割いている。近代以前においては中国の歴史は、ヨーロッパの歴史とは別章として編集され、シルクロードなどの相互影響については部分的にしか触れられない。近代以降は列強によって進出、支配、抵抗という歴史として描かれる。つまり、中国は欧州とは別途独立した歴史を歩んでいたが近代に入って欧州に飲みこまれたという流れとなる。

 ざっくり言うと、ヨーロッパのセオリーがいかに独自文化を持っていたアジアやアメリカに波及し、現地の抵抗や変容のすえ、ついには現代のグローバルスタンダードになったかというのが教科書のメインストーリーである。

 

 近代以降のヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米アメリカ、オーストラリアもふくめた歴史の流れをどうつかむことが適切か、ヨーロッパを中軸とした見方で本当によいのか、さらにはそういった世界の動きに日本はどう位置付けるべきかなども含め、世界史をどう学ぶかについての文科省学習指導要綱は、2022年度に「歴史総合」として大改訂されることが決定している。「歴史総合」の中には「日本史」も含まれる。
 ややいまさら感があるとはいえ、このことは評価されていいと思う。

 他の国ではどうなっているのかわからないが、現時点での日本における中学と高校の社会科は、「日本史」「世界史」「地理」「公民」と分かれている。科目が別だから教科書も別であり、多くは指導教員も別であり、それぞれに何単位必要かということが文科省から指定されている。

 しかし、この4科目は相互に関連している。それどころか、関連している接点こそが実はこの社会を知る上で肝要だと思うが、大学受験の事情などからどうしてもそれぞれごとにバーチカルに学びがちだ。2022年度の「歴史総合」によって、近代史以降の世界史と日本史が共通化するのはいいことだと思うが、ぼくは「地理」と「世界史」も分かちがたく結びついていると考えており、中学や高校の時点でこの観点を持っておくことも大事なのではないかと思う。地理的な気候風土が歴史に与える影響はバカにならない。梅棹忠夫の文明の生態史観などもうだいぶ古い仮説になってしまったが現在でも一定の説得力があるし、直観的にわかりやすいからか中学生に説明すると目を輝かす。

 また「世界史」における各国の行動原理には「公民」で扱う「倫理」が大きく関係している。そもそも「西洋史観」の正体とは、ヨーロッパにはびこった「西洋倫理」にほかならない。ここらへんのダイナミズムも学生のうちに是非知ってほしいところである。

 つまり「社会」という科目の領域をメタで眺める目線である。

 

 小学校までは「社会」の名で統一され、具体的にはそのなかで地理的なテーマと日本史的なテーマが扱われる。これが中学生以降になると科目ごとに細分化していく。だけれど、中学や高校でも、日本史ー世界史ー地理ー公民を俯瞰するような科目があれば、この「社会」を見つめるリテラシーはだいぶ深みが増すのではないかと思うのである。個別の「日本史」「世界史」「地理」「公民」についても理解が早くなると思う。

 オトナになって池上彰の解説でそうだったのかと目ウロコするのはもったいない。


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世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界

2018年12月19日 | 歴史・考古学

世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界

川北稔
筑摩書房

 山川出版社の「もう一度読む山川世界史現代編」は、「世界システム論」に準拠した見立てになっている。

 「世界システム論」というのは、アメリカの歴史社会学者ウォーラーステインが提唱した歴史観で、とくに近代以降の西洋史を、英仏を中心とした中核地域・半周辺地域・周辺地域と3層に区分した相互作用による歴史とみる史観である。

 従来の史観は国ごとや地域ごとにそれぞれの速度で歴史の歩みがあるとしていた。たとえば、国は開発後進国→発展途上国→工業先進国と成長していくものであり、イギリスが先進的でインドが後進的だったのは、イギリスのほうが歩みが速かったからであり、インドもいずれ先進国に仲間入りするというのが従来の歴史観である。

 それに対し、「世界システム論」では、イギリスが先進的になるためにインドは後進的でならねばならなかった、あるいはインドが後進的だったのはイギリスが先進的だったからだ、という見立てになる。つまりイギリスとインドは同時に先進的になることはできなかった、という解釈である。

 

 ちょっとでも世界史をかじった者なら、世界システム論は自明の理なのかもしれないが、僕がこれを知ったのはずいぶん最近のこと、つまり「もう一度読む山川世界史現代編」を読んだからなのであって、なるほどなあと納得したのだった。

 というわけで、「世界システム論」についてもう少し知ってみたいと思ったのだが、本家のウォーラーステインのは分量も多く、とても手におえそうな気がしない。もともと僕は日本史ばっかり好きで、世界史はほとんど触らなかったのである。

 そんなところを書店にてちくま学芸文庫になった本書を見つけた。放送大学用のテキストをアレンジしたものとのことなので手ごろだと思い、購入した次第である。

 

 本書のグレードは、情報の深度という点では「もう一度読む山川世界史現代編」と同レベルと感じたが、いろいろな角度から要領よくまとめられているのでわかりやすかった。

 たしかに紅茶に砂糖を入れて飲む「イギリス式紅茶の飲み方」は、世界システムで中核を成した大英帝国ならではの荒業なのであった(茶はアジア、砂糖は中米のもの)。また、イギリスの前にオランダがその地位にあったこと、産業革命がイギリスでは興ったのにフランスでは市民革命のほうに至ってしまったのはなぜかというと民衆への重税「感」の違いがあったということ、アメリカへの移民はピューリタンなのではなくてアイルランドやイギリスのを食い詰めた人が流れ込んだなど、世界システムゆえの因果でもろもろ起こったというのは、単純視しすぎるのは危険だとは思うが、それなりに説得力がある。

 そして、イギリスの産業革命が逆にすぐに技術革新の頭打ちになり(労働者に事欠かなかったので生産性を挙げる必要がなかった)、アメリカが資源のわりに労働者数が少ないためにひとりあたりの生産性を挙げざるをえず、技術革新に至ったなんて説も、歴史の教訓を感じさせる。抑制のあるところに進化の芽は生まれる。

 

 歴史観というのは複合的に見ていかなければならないし、なんでも単純視してしまうと危険思想や原理主義に陥りやすいから気をつけなければならないわけだけど、それを承知の上で思うことは、世界システムすなわち誰かの繁栄は誰かの犠牲の上で成り立つというのはじつに頑強な方程式である。

 したがって犠牲者がいなくなれば繁栄者もいなくなる。犠牲者の数が足りなければ、繁栄者同士の争奪となる。また、いちど犠牲者の地位に組み込まれるとそこからなかなか繁栄者のほうには入れない。それこそ革命的なエネルギーを必要とする。しかも、犠牲者の地位に甘んじてしまうとその後遺症はかなり後まで残る。もしかしたら永遠に消えないかもしれない。現在のアフリカの状況をみるに本当にそう思う。

 一方でアヘン戦争で列強に踏み荒らされた中国がGDP世界第2位に返り咲くまで150年。これを長いとみるか短いとみるかは意見がわかれそうだが、ヘゲモニー国家がいよいよ中国になろうとしているとき、日本が中国にとて「辺境」の地位に引きずり込まれることだけは何としても阻止したいものである。


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もういちど読む山川日本戦後史

2016年06月26日 | 歴史・考古学

もういちど読む山川日本戦後史

老川慶喜

山川出版社

 

 歴史に「もしも・・」は意味のない考え、というのは百も承知だが、しかしこのたびのイギリスのEU離脱はいろいろ思わずにはいられない。

 ・・もしも、投票日の午後、エリート層が多く住むといわれたロンドン界隈に土砂降りの大雨が降らなかったら(家を出れないくらい凄まじかったらしい)。
 ・・もしも、前日に「残留派優勢」という報道がされていなかったら。(あれで残留派に油断、離脱派に危機感が生まれた)
 ・・もしも、スコットランド独立の住民投票というものを体験していなかったら。(住民直接投票のカタルシスをあれで覚えたのは確かだ)
 

 このさき、スコットランドが独立するのか、ギリシャがEUから離脱するのか、勢いかってアメリカ大統領選でトランプ氏が勢いをますのか。そしてグローバル経済はリーマンショック以来の衝撃をうけるのか。それにしても安倍政権が消費税増税を延期しておいたのは僥倖と言わざるを得ない。


 そんなわけで、戦後日本史である。

 戦後日本史にもいくつか「もしも・・」と言いたくなるようないくつかがある。もちろん、阪神大震災や東日本大震災が起きなければなどとも思うのだが、政治経済史をふりかえると、

 ・朝鮮戦争が起こらなかったら。あるいは起きたとしてもあんなに激戦にならなければ。(GHQの日本政策方針の大転換)
 ・田中角栄が総理大臣にならなかったら。(列島改造論)
 ・橋本龍太郎時代の自民党が選挙制度改革で分裂しなければ。(小選挙区制の導入)

 あたりは思考実験として面白いと思う。

 ただ、戦後の日本の政治経済を根底で支えていたものは「原子力エネルギー」と「低い社会保障費」だ。

 前者はアメリカの後押しもあって、おそるおそる動かしてみたところ、案外うまくいって、その後の放射性廃棄物をどうするかとかはとりあえずフタをしてしまい、次々と原子力発電所がつくられた。極東のエネルギー自給率3%の島国が、世界有数の工業生産国になったのはこれのおかげである。2011年3月11日まで大きなアクシデントはなかったのだ。

 そして社会保障費。日本の社会保障が低かったのは、「社会保障を必要とする人口がそれほど多くなかった」「そのぶん企業の給料がよかった」から、である。前者はつまり高齢者層のことであり、後者は「その分まで見越した給与」ということだ。
 この給料の安定性は、終身雇用や企業内組合といった日本式経営文化をつくったし、これが「お父さんが家族全員分の生活費を稼ぐ」モデルとなった。お父さんが残業常連で働いている間、家のことは専業主婦の領域になった。子育ても介護もだ。しかも年金は賦課制度、つまり「次の世代が負担する」である。上の世代の生活コストを負担するのである。
 これは当時の人口ピラミッドのカタチでの発想である。日本の社会保障制度は、当時の人口ピラミッドモデルでつくられている。

 しかし、経済成長が80年代後半についにバブルという形で終わり、雇用や給与の安定性に陰りが出て、そのうちに「超・少子高齢化」という「低い社会保障費」をやっていく上ではあまりにも世代別人口の割合がそれを支えられないようになってきた。そしてついに3.11で原子力エネルギーも禁じ手になった。再稼働はされ始めているが、もはや新造はできないだろう。

 原子力エネルギーの問題も大きいが、なんといっても超・少子高齢化は大問題である。世界の中でも最速のスピードで突き進む日本の超・少子高齢化は、高齢者の寿命が延びていることによる医療福祉の負担増に注目が集まりやすいが、長期的にヤバいのは、子どもの数が激減していることだ。

 子どもの数が減るということは、これからの長期に渡って生産人口が減るということだ。究極的には日本という国は自国民だけでは成り立たなくなる。自国民で生産人口を賄えないのなら、移民に頼るしかない。
 移民の受け入れも国の有識者で検討が始まっているらしいが、先のEUの例のように、移民は移民でまた日本人の経験したことがないさまざまな課題をつきつけてくるだろう。

 

 だが、改めて日本の戦後史を思うと、「子どもをつくりたくなくなる」歴史なのである。

 戦後の日本がつくろうとしていた社会は、子どもの面倒をみる人が少なくなるように力学が働く歴史であり、子どもを(何人も)生んで面倒をみることのメリットがみつけにくい(社会を生きていく上で優先されにくい)歴史なのである。
 なぜ子どもを産まないか、と問われれば「あなたがそうさせたのでしょう」と国にいいたくなる歴史である。

 日本の戦後史は、経済成長を第一に置いた戦後史だ。(軍事第一でも王制第一でもイデオロギー第一なかったことは良しと言えるだろう。ここは大事なところである)。また、戦後の貧困にあえぎ、そこから抜け出すためになりふり構わず働かなくてはならなかったのも事実であり、国も何がなんでも経済をまわさなければならなかった。それこそが正義だった。

だから、経済成長第一主義は必然的な結実ではある。しかも内戦もクーデターも起こらず、それを全うできたのだ。
  そして経済成長主義という「うんと働いてうんと稼いでうんと使う」循環をもって第一となす社会と生き方が、高度成長期を経ているあいだに、まるでそれ以外になにがあるかのように定着してしまった(長じて、働かずに投資と運用で稼ぐようになってしまったが)。

ところが、この経済循環をぐるぐるまわしていくことをもって至上とすると、この中に「子どもを生み、子どもを育てる」ことの価値観が入りにくくなるのだ。女性の社会進出と晩婚化、男性側の経済力確保(そのための残業常連的な働き方要請)、養育費の増大(むかしと比べて「いい加減」に育てられなくなった)。こういったものが経済循環の中で、「短期的には経済的成果の見えにくい」子育て関係は、政策においても企業経営においても、はたまた個人のキャリアプランの中でも後回しにされるようになった。
 子どもを育てるところの規範や美意識だけが戦前と変わらず、あとは戦後の経済成長主義の中で、万事において子育ての優先順位が後回しの社会になっていくのは必然ともいえる。 

 つまり、「原子力エネルギー」も「低い社会保障費」も担保できないなか、生産人口がどんどん減っていくのがこれからの日本である。

 そんな日本の国政も、原則的には選挙を通じた議会制民主主義で行われる。

 しかし、超少子高齢化の人口バランスにおける議会制民主主義ってどんなもんだろう。
 日本も「世代間闘争」が広がりつつある(「家の近所に保育園ができる」問題もそのひとつ)。18才から選挙権が認められるようになったのも、肥大化する高齢層へのバランスを考慮してのことだが、ほとんど焼け石に水である。イギリスのEUに関しての国民投票もそうだが、「残っている未来は少ないのに、数だけはやたら多い」年代が、数の論理で選挙を行うのはたいへん危険であることにほんと気をつけてほしい。

 


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もういちど読む山川世界史

2016年02月10日 | 歴史・考古学

もういちど読む山川世界史

「世界の歴史」編集委員会編
山川出版社


 というわけで、前回の「現代史編」に続き、こちらの「通史」を読み終える。

 学生の頃ならいちいち人名とか年号とか覚えなきゃいけなかったが、こちらはとりあえず筋を追いかければいいだけだから楽である。

 とはいえ、やはり中世から近世にかけてのヨーロッパ事情が はアタマに入りにくい。宗教のレイヤーと、行政基盤としての国家のレイヤーと、王朝のレイヤーと民族のレイヤーが同期せずにそれぞれ伸縮するところが、どうにも感覚的にわかりにくいのである。

 ただ、1848年が、ヨーロッパ史ひいては世界史の分水嶺で、これより以前は前史なんだなとは思った。西洋の文化や価値観を成すルーツやルールはこの前史の時代に培われたものだけれど、現代の世界からみればフランス二月革命をはじめとする「諸国民の春」と産業革命以降の諸要因が、西洋現代社会の端を発しているように思える。

 この19世紀中頃からヨーロッパは現代へと続くベクトルに動き出し、そのもつれが、第一次世界大戦につながる。この大戦でオスマン帝国とハプスブルク家が消滅し、いよいよ前近代のものはなくなって、そして現在なお尾をひく社会主義や中東問題やアメリカの台頭がここに端を発し、さらにはこのとき既に第二次世界対戦の原因の芽もでてきている。

 1848年がターニングポイントと思える所以である。

 

 とはいえ、ひとつ大きく思うのは、教科書の「世界史」というのはやはりヨーロッパ史であるということである。もちろんアジア史やラテンアメリカ史も出てくるし、20世紀後半はアメリカが主役級になるけれど、教科書の殆どを割いているのはヨーロッパだ。

 だけど、これからの世界の歴史をヨーロッパがイノベーションをつくりながら進めていくという感じはほとんどしない。これから経済成長率が高いのは中国はじめ非西欧圏だし、これから若い人口がどんどん増えて世界人口のメジャーになっていくのはイスラム圏だし、なんだかんたで存在感あるのはアメリカだ。ヨーロッパがこれからの世界史の主役になる予感はあまりない。

 そうすると今後はヨーロッパ中心の世界史を学ぶことの意味は、むしろ平家物語みたいな、挽歌めいたテイストが及んでくるような気もする。実は今回この本をずっとよんでいて、ものすごく「もののあはれ」を感じてしまったのである。歴史観としてはそういうのもあっていいと思うけれど、学校の教材としては果たしてどうなのかな。20年後の世界史の教科書は、もっとアジアやイスラム圏の記述に面積を割いて、前史時代の、ヨーロッパ史は、もっと簡素化しているのかもしれない。


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