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飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

イギリスの皇太子と自称する人からの批判に応える

2018-10-05 08:33:20 | 日本論と宗教論
あるサイトで、私のコメントに対して、その人らしくない、幼稚ながらも激しい口調の、従ってその人間の触れて欲しくないことに私が触れたことを如実に表す、そんな罵倒を受けた。ソクラテスがその議論の果てに、ある政治家から受けた罵倒と同じような罵倒。同時にそのサイトにおける応答の投稿も禁ぜられた。禁ぜられた以上は、そこは人様のうちと同じであるから、こちらが紳士的に無言で受け入れなければいけないだろう。そこで、その罵倒に対する私の考えを、この場に記事として記しておきたい。

「エブス」は、このエブス達が現在に至るまでずっと勢力の中心に置いてきた東洋において使われてきた自称である。それに対して、「フェニキア」はギリシア人による他称で、この「フェニキア」が社会の陰に隠れたヨーロッパ世界では彼らの自称が忘れ去られてしまった(地名には残っている。スペイン沖の地中海に浮かぶエベサ島がそれ。クレジットカードのVISAもその名残でしょう)。「フェニキア」或いは「エブス」と称される人達は、地中海から黒海、紅海、アラビア海、インド洋、南シナ海、東シナ海、黄海、日本海という極めて広い範囲を勢力圏にした人達のことなのである。船の舳先に二つの目を印として描き、半島の水辺や、干拓事業を施した河川の河口部に集落を造る習慣のあった人たちのことである。

以上のことから、「エブス」が海洋民族であり、海の道の主役であったことは明らかである。「フェニキアとは全く別の農耕民族」とか「中東から陸路でシベリアに移動する方が、海路で東洋まで来て東アジアで陸に上がるのよりも合理的である」とか、「ハザールの起源は西突厥と学者の見解が固まっている」とかいった発言は、エブスのことをヨーロッパ人であると勘違いした上に、西突厥の起源が匈奴(フンナ)で、そのまた起源があの『魏志倭人伝』の狗奴(クナ)である可能性大であることに全く配慮が及んでいない、恐ろしいくらいの無知の表白となっている。

このエブス達は、世界各地において、農耕民を支配して文明圏を運営する支配層の陰のスポンサーとなってきた。専ら海上交易に当たる自分たちと同じように、専ら陸上交易に当たる部族(イスラエルやアラム、ソグド)とも協力関係にあった(ソロモン王のタルシッシ船や遊牧騎馬民族の列島への移動など、この協力関係の存在を証明する事象は枚挙にいとまがない)。

世界全体が氷期に入って遊牧民が南下し、世界各地の文明圏に波乱をもたらしてきたことは、よく言われることである。しかしそれは、物事の一面しか見ていない非常に偏った発言なのである。世界全体が温暖化して、元々人が住めなかったユーラシア北部に人が広がっていく過程が、12000年前から5000年前までに、北部遊牧民やシルクロードの発生以前にあったこと。土地神を祭って土地に執着する傾向が強く、移住という現象を起こしにくい農耕民が、陸路を辿って移住し、馬にまたがって遊牧民となったと考えるよりも、土地神に縛られず、自由に世界各地を移動して回ることを本分としてきたエブス達が、気候変動によって新しく拓けた地平線に、乗り物という点で船舶と共通している馬やラクダを新しい乗り物にして(砂漠の船という言い方はあっても海のラクダという言い方はない)乗り出し、そこで遊牧民になったと考えたり、更には、各地の文明圏でエブスと協力し合いながら陸上交易に当たっていた部族が、新しく拓けた北部の地平線を利用して文明圏と文明圏とを繋ぐ新しい交易路を開拓したと考えたりする方が、明らかに合理的であること。これらのことに対する視点が全く欠けている。

私はこれらの視点を、鹿島昇、松重楊江、八切止夫、喜田貞吉、柳田國男、小林やす子、落合莞爾、加治木義治をはじめとする多くの著者の書物を読む過程で、これら互いに異なる著述家達の隠れた共通点として獲得した。決して勝手な想像で手に入れたものではない。彼等が一部の派閥に偏っていないことは明らかで、従って、何者かによる意図的なフェイクに引っかかっている可能性も低いのである。

上に「恐ろしいくらいの無知の表白」と述べたが、その人の発言で無知の表白の極みとなっているのが、「ユダヤは弱小農耕民族に過ぎない」や「イスラエル?が交易に当たっていたことはない」である。ヘブルがイスラエルとなり、イスラエルの一部が「イェフダ(ユダヤ)」と言われるようになった歴史的過程のことを全く理解していないものと思われる。ソロモン王のタルシッシ船のことも知らなかったようである。

「海洋民族が陸上に上がり遊牧民化するという主張が本当なら、あの海洋国家イギリスがそうならなかったのは何故か」も、私が紀元前6000年くらいの話として語っていることを、紀元後1500年以降の歴史に馴染んだ思考で無理やり理解しようとして思考回路がショートしたことを示している。エブスが遊牧民化した時にはそこに先行遊牧民がいなかった。イギリスの時はいた。たかがそれだけのことではないか?

この人は、海洋勢力と陸上勢力の相剋という基本概念を近現代史から取り出して、それに基づいて、現在の世界情勢を、海上勢力の凋落過程として具に描いている人である。基本概念がシンプルであるが故に分かりやすく、多くの知的な人を吸引して、非常に有益な詳細情報を提供している。それで私も読者の一人となり、時々コメントも入れてきた。基本概念が間違えていても、それによって多くの細かい情報を提供してくれる点では、関裕二の一連の著作とよく似ているとも言える。

このタイプの著述家は、いつか必ず、その基本概念の矛盾からの破綻を迎えるはずである。私のコメントはそこを婉曲的に衝いたものだった。かつて、リチャード・コシミズ氏やマヨさんの時に、あからさまな指摘ではよくないことを経験していたので、敢えて婉曲的なものに留めていた。彼はその頭脳の鋭敏さからそれが自分の理論に対する根本的な批判になっていることを感じ取ったようだ。だから「全体的な印象から言うと」の表現になったのだろう。そのような批判を受けた時にどのように応えるかにその品性が出るものだが、彼の場合は残念ながら「あなたは頭のおかしい人」という発言になってしまっている。私の批判が本当に頭のおかしい人からの批判であると感じたなら、私がこのブログでそのような場面に遭遇した時のように完全無視を貫けばいいのである。無視しきれなかったのは何故か?それは明らかだから言わないでおく。但し、私自身の場合、実は、自分に対して常に、頭がおかしいのではないかとの疑念を投げ掛ける習慣があることは、告白しておきたい。この人も本当はこのような習慣を持った方がいいと思う。

「狂信的なキリスト教徒」といった類のことも述べていた。私がそうでないことは、このブログを読んでくださっている方々には十分分かっていただけるだろう。


よくある話 その2

2018-10-03 18:59:57 | 日本論と宗教論
何年か前、石油本位制によって世界の経済を牛耳っていたアメリカの「金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤ」の没落の本格化が報告され始めた頃、実際にガソリン価格が大幅に安くなり、その報告を実感を持って受け留めたことがあった。石油利権の新しい主はロシアと中国ということだった。ところが、暫くすると、ガソリンの価格が上がり始め、あっという間に元の水準に戻ってしまった。

このことは、覇権の主が入れ替わっても、この世界の抱えている問題そのものが払拭されるわけでない事をよく示している。

私が伝えようとしたのはまさにこのようなことなのである。

支配者の立場に立つと、国の根本に関わる問題に直面した際に、国の全体に対する配慮が大幅に増大し、その分だけ我々国民一人ひとりの生活に対する配慮が減少していく(「あなた達国民」とも「彼ら国民」とも言っていない)。支配者の位置に誰が立ってもこれは同じことなのだ。その上、新しい支配者は、古い支配者の残像を隠れ蓑として利用し、古い支配者以上に冷淡になって躊躇なく大鉈を振るう傾向がある。伝えられる情報が正しければ、今はまさにそのような危険な時代の直前と解釈できる。

私はこのように述べたのである。

⑴ビサの神を信奉し、ヨーロッパではフェニキア人、東洋ではエブスと称された人々とイスラエルやユダヤとの間に何らかの浅からぬ関係があったこと(例えばソロモン王によるタルシッシ船交易にはエブスとハッティが大きく関わっている)。

⑵極東で陸に上がり遊牧民化したエブスの中からハザールが出てきて中東でユダヤ教に改宗し、ユダヤ人となったことがほぼ事実として確認できること。

⑶シルクロードのオアシス都市間の行程が何れも六日となっていて、安息日を設けるイスラエルのシルクロード交易に於ける影響の大きさをよく示していることから、イスラエルも、というよりイスラエルだからこそ、更にはイスラエルだけが、陸上交易に従事できたと考えられること(アケメネス朝ペルシャ社会に於けるイスラエル人の影響力の大きさを想起されたし。イスラエルはと古くからカナンの土地に縛られてはいなかった)。

⑷イスラエルから「十分の一の捧げもの」というイスラエルにとっては「主」に対してしかしてはいけないはずの行為がメルキツェデク という人物に何故か行われたことが聖書中に書いてあることから、イスラエルという人工的な民族が天の神ではなく地上のある特定の人間達の強力な指導の元で次第に形成されていったことが確実に認識できること。

今ここで述べた四つのことは、世界を太古から一貫して支配し続けているあるひとつの部族の存在を私が確信する根拠であり、その部族の正体を幾分かでも認識するための重要な手掛かりとなっているものである。皆さんにも知っておきたいと考え、ここに記した次第である。

よくある話

2018-10-03 05:11:57 | 日本論と宗教論
「アメリカの金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤが滅びる」という話だが、彼らが滅びても、彼らが覇権の主として取り組んでいた問題そのものは残る。彼らが計画として持っていることが盛んに喧伝されたが故に彼らが我々から憎まれることになった、そんな事案を、彼らが滅びた後も、彼らを滅ぼした者達が責任を持って実行しなければならない。このことに何の変わりもない。

義務とはいえ、新体制が自らそれを実行する姿が公に晒されれば、多くの人がショックと失望を受け、結果として、新体制の存続そのものが怪しくなってしまう。このことは、少し知恵の回る者には直ぐに分かることである。そこで、新体制が一部の人材を集めて旧体制残党の仮面を被せ、密かに指令を出して、突発的なテロを装いながらこの計画を実行させる。驚愕し、怒りに震えながら彼らと戦い、彼らを今度こそ滅ぼし尽くしてリベンジを果たす、そんな自分達の姿もちゃんと演出する。それを一般に見せ、絶大な信頼を集めることに役立てる。滅ぼし尽くしたと一般に思わせた旧体制残党役の者達には裏で親族もろとも十分な保護と相応の報酬を与える。その上で、目立たない社会の片隅でひっそりと、平穏な余生を過ごさせる。何も知らないのは、我々一般人だけである。この秘密を永遠に封印するための歴史も、伝統的な手法に則って即座に捏造される。

これら一連の過程は、実際は、新体制の機運が高まってから仕組まれたわけではない。インターネットが普及して「アメリカの金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤが滅びる」という話を喧伝する者達が現れるずっと前から仕組まれたことなのである。「アメリカの金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤが滅びる」という話を盛んに喧伝する者達も、「アメリカの金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤ」そのものも、実は、この企みの一環として人為的に配置され、彼らの役割を果たしたに過ぎないのだ。種としての人類そのものの生き残りのために現存人類の大半を駆除することは、それほどの一大事業として、この企みの主に、はるか以前から強く自覚されていた。

「アメリカの金融ハザール悪魔崇拝偽ユダヤが滅びる」という話を盛んに喧伝する者達が役割を終え、暗殺されたことにされて闇に身を隠す時が、上の過程の何処かで必ず来る。それまでの何処かでいつ暗殺されてもおかしくないのに何故か暗殺されずにいたヒーロー達が、「このタイミングで何故?」というタイミングで突然、呆気なく暗殺される。こうなったら、いよいよ、計画実行開始の合図である。覚悟を固める必要がある。彼らの周囲で彼らの主張に乗っかって何も知らずに一緒に騒いでいた一般人達もこのタイミングで一斉に消される。リストはもう既にできている。監視役もちゃんと付けられている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

以上のようなことは、歴史を深く真剣に研究した者にはもう既に、色んな地域の色んな時代に普通に観察されるありふれた事例として把握されている。よくある話に過ぎない。

善と悪

2018-10-02 06:23:22 | 日本論と宗教論
若い時、関西に馴染んできて大阪のおばちゃんの存在に気づいた頃、大阪のおばちゃんに「あんたいい人ねえ。飴ちゃんあげるわ」と言われて幸せな気分になる時と、なんとも言えない嫌な気分になる時と、両方があることに気づいた。

「善」や「悪」という言葉の意味、言葉の心は、その言葉を使っている人の心と相関関係にあるのだ。言葉というものが一般的にそういうものだが、この「善」や「悪」、更には「神」や「悪魔」は特に、そうなっているようだ。

「悪魔崇拝者が....」は、かなり注意して使用しないといけない。自分の本質がそこには如実に現れる。

拭いきれない或る考え その2

2018-09-29 13:57:45 | 日本論と宗教論
何億年か前のこと。大気中にそれ以前は全く含まれていなかった酸素を大量に吐き出す生物が生まれ、地球の大気はこの酸素によってあっという間に汚染された。

地球環境の破壊には厳密には三つの意味がある。

⑴余りにも環境が変化し過ぎていかなる生物も住めなくなること

と、

⑵余りにも環境が変化し過ぎて環境破壊の原因を生み出す生物種を含む一部の生物種が住めなくなること、

それに、

⑶余りにも環境が変化し過ぎて環境破壊の原因を生み出す生物種以外の一部の生物種が住めなくなること、

この3つである。

私が先の記事で問題にしているのは⑵の環境破壊である。

私の思考は⑴の環境破壊をイメージする程に大雑把ではないし、⑶の環境破壊をイメージする程に感傷的でもない。

⑵の環境破壊とは要するに、この地球が人類のせいで他の誰でもない人類そのものの健全な生存に相応しくないものとなりつつあるということを意味している。

この環境変化に適応する者と適応できない者に人類が大きく別れ、適応できないものが滅び、適応する者が次の人類となるのか?(自然淘汰)

この環境変化の要因となるものをそのメリットもろとも放棄して、これまでのような我々の知っているような人類として、今後も暫くの間は存続できるようにするのか?

適応できない者の認定とその駆除を自然に任せず、人類の代表者が秘密裏に行うのか?(人口的な淘汰)

この環境変化の要因の中に、問題を認識できない者や、認識しても解決策を理解できない者、解決策まで分かっているのに実行しない者、即ち、状況改善に役立たない者達をも含めて考え、人類の代表者が、その者たち自身には自然で日常的な死と誤解させる形で、秘密裏に、彼らの駆除に当たるのか?

このように考えていくと、所謂「悪魔崇拝者」達を「悪魔崇拝者」と称して蔑み、憎悪し、排除するという、現在あちこちのサイトで普通に見られる考え方では到底解決できない問題に、彼ら「悪魔崇拝者」が取り組んでいたことに気づかされる。私が考えているのはこのようなことである。

拭いきれない或る考え

2018-09-29 10:44:24 | 日本論と宗教論
初めは二十年くらい前に突然、春の頃に野山を散策すると激しく咳き込み、その咳が止まらなくなるということが始まった。聞くと、黄砂とPM2.5のせいだと言う。大好きだった早春の頃の野山散策は、それ以来一度もできていない。

そうこうするうちに、その他の夏以外の季節にも、時には夏にも、同じことが起こるようになってきた。

中国の経済発展のせいだと思い込んでいたけど、実はPM2.5の大半が、公害に苦しんだかつての苦い経験を克服して環境技術を高度に進めていたはずの日本国内由来のものであると分かってきた。

人間の活動が巨大になりすぎて、人間が処理しきれずに廃棄する、生物としての人間自身の存在に反した物質の量が、自然の力によって希釈できないほどのものになったのは明らかである。上記のような個人的体験が、私にはこのことを明確に示している。他の人も、それぞれの体験を通して、同様のことを実感できているのではないか?

「PM2.5と言われているものの実態は、ある特定の人々が悪意を持って撒いているものだ」との解釈の存在は勿論知っているが、それでも上記のような明らかな事実を拭い去ることはできない。

こうなった以上、人類が自らの存在様式を全体として自覚的に大変革するか、それができない場合には、人工的でありながら自然現象を装った大災害や大戦争によって人口の大半を削減するか、どちらかしか方法はない。この考えに誰が反論できるのか?

人口削減を狙ってる人達は悪魔崇拝で狂信的な考えに凝り固まった人達だからなどと、彼らのことを貶めても、彼らをパージできても、この考えそのものの正当性が消えることはないのである。いつか誰かが実行しなければ ならないことなのだ。

一神教と多神教

2018-09-22 05:41:44 | 日本論と宗教論
多神教と一神教の対立が頻繁に語られますが、論理的に考えて両者が controversial とは私には思えませんね。いや、多神教と一神教のどちらも自分のものとして生きるのは controversial で極めて正しいことだと思いますね。多神教と一神教の対立と気軽に発言する人は、多神教と一神教が思想として対立すると、本気で考えているのでしょうか?

どこまでも論理を貫いた哲学者らしい哲学者でありながら「論理無視」との揶揄を受けることの多い西田幾多郎の「一即多。多即一」も、上に述べたような私の感覚と同じ感覚を論理的に表現したものでしょう。一神教の神が万物ひとつひとつにそのまま現れるのでなければそれは神としての資格を失う。故に一即多。多神教の神々がそれぞれ一神の現れ、みたまわけでなければ、それらもまた神としての資格を失う。故に多即一。これは極めて論理的なことです。

古代のナイル流域王国(エジプトとは彼ら自身は称していなかった)の歴史でナイル東岸から夕陽を信仰対象とする一神教のアテン信仰が、大気を信仰対象とする多神教のアメン信仰で満たされたナイル流域王国に入り込み、王室にも入り込み、神官団と対立して遷都や宗教改革を行ったという事実を踏まえて、多神教と一神教の対立ということが語られているようですが、あれは明らかに、支配階級として腐敗していた多神教の神官階級を政治の世界から切り離し、社会全体の風通しを良くしようとする動きの中で、論理的にではなく政治的に現れた現象以外の何物でもなかったと言うべきでしょう。その証拠に、神官側からアメンラーという新しい一神教の神が提示される局面に至ったのです。一神教と多神教は、論理としては全く対立していない。

人間の腐敗がある時、それをその人間が信奉している宗教のせいにしてはいけません。人間の腐敗はあくまでもその人間自身の責任です。人を人として内面から輝かせるのは芸術と宗教性以外にはなく、宗教性そのものに腐敗のタネは全くないのです。

腐敗したら、腐敗した自分の責任以外の何物でもないはずなのに、自分の信奉する神や自分の愛する親族、同僚、友人にまで不名誉や損害を及ぼすのが人の世というもの。この人の世の現実を踏まえれば、自分の人生は自分一人の人生ではなく、自分の使命は何が何でも果たさなければならないのです。それが人というものです。

ここで私が人間の腐敗と言っているのは、自分の領分において自分より弱い人間を守りつつ、自分が属するより高次の秩序体への敬意も絶対に失わないことが重要であることを忘れて、自分の領分において自分より弱い人間を守るためだからと言って自分が属するより高次の秩序体を無視したり、自分の属するより高次の秩序体を重んじるあまりに、自分の領分に暮らす自分より弱い人間たちの苦しみに無感覚になり、冷淡に振る舞ったりすることを言います。


プロテスタンティズムと西郷

2018-09-18 17:04:45 | 日本論と宗教論
西郷さんが明治に入ってから横浜でプロテスタントの洗礼を極秘に受けていたのが本当だったとしても、あの西郷さんまでもがキリスト教に支配されて...とは、私は実は全く考えていません。

プロテスタントとは、キリスト教に偽装してキリスト教社会の内部からの改革のためにキリスト教世界に入っていった実質神道なのです。清明心、即ち、清く明るい心こそ、神道の原理だと、こう言えば、キリストの言葉に慣れ親しんでいる人には、直感的にであれ十分に伝わる話ではないでしょうか?

そして実は、その神道の起源は、神道が始まった時にまだ存在してなどいない道教などではないのです。その起源は、エルサレムの原始キリスト教だったのです。景教ではありません。景教では、時代が合いません。イスラエルの宗教や原始キリスト教は、ペルシャやインド経由で、海の道を通って、定説よりも遥か以前に、この列島に入って来ていたのです。そしてイスラエルの宗教や原始キリスト教は、原理的に、ミトラス教やゾロアスター教との深い関係の中でミトラス教やゾロアスター教の「マギ」達によってその担い手である部族ごと作られ、指導されて来たに違いありません。

神道と原始キリスト教徒との上記のような結びつきがあったからこそ、15世紀になって、神道が逆にキリスト教を偽装してキリスト教社会に入って行く、などということも可能になったのだと思います。

西郷さんがプロテスタントに関わったのは、単純に聖書に記述されているイエスの言葉が優れていたからだと思います。自分の信念と同じだと感じて興味を持ったに違いありません。

西郷さんがプロテスタントの洗礼を極秘に受けていたということが本当だったとしても、だからと言って、西郷さんがキリスト教の覇権主義の手下になって操られていたということでは、全くないと考えるべきです。

西郷隆盛

2018-09-17 06:34:03 | 日本論と宗教論
西郷さんといえば「敬天愛人」。「人事を尽くして天命を待つ」。「西郷さんはクリスチャンだった。横浜で極秘に洗礼を受けていた。鹿児島隠棲時代には近所の村人を集めて聖書の講読をしていた」という証言を、西郷さんの子孫で陶芸家の人がテレビに出演して行なっていました。

西郷さんは東アジアに広く分布していて互いに連絡も取り合い、結社化もしていた真方衆(マガタンシ)のひとりだったそうです。真方衆とは、16世紀に東方で盛んに活動していたポルトガル船の鉄砲商人達とアジア各地の鍛冶屋の娘の間にできた子供達を起源とする集団のことです。西郷さんの身長は、大久保と同様、180cm以上あった。大久保も真方衆でした。奄美大島潜居時代には極秘でフィリピンに渡り、この真方衆ネットワークを利用して重要任務を遂行したそうです。現地には子孫もいたと言います。

西郷さんは、京都の皇統から血統ロンダリングによって島津分家に入り、その娘として世に披露された後、島津斉彬の養子となり、更には徳川将軍家に将軍の正室として嫁入りした、あの篤姫が首領を務めていた秘密結社の中心人物の一人でもあったと言われています。この秘密結社の流れが後に頭山満の玄洋社や黒龍会にも繋がり、更には北朝鮮の建国にも繋がっていきます。「薩摩といえば海軍、北朝鮮といえば陸軍」などと言われますが、陸軍と海軍の対立など、こうして考えると、深いところでは全くなかった、ということになります。

西郷さんは陥落の直前に城山を密かに抜け出し、私も子供の頃に住んでいたことのある、島津直轄領の甑島に渡り、そこに極秘に停泊して待機していたロシア船に搭乗。シベリア経由で渡欧。偽装死を実行した後ヨーロッパに渡り、京都裏皇統組織のエージャントとして任務遂行中だったかつての主君斉彬に再合流。その後はその側近として活動。長州の山県を籠絡した後は死ぬまで、彼を通して日本の政界を遠隔コントロールしていたと言います。西郷従道と大山巌は山県監視役だったそうです。この説からすると、明治天皇の後半生が実は西郷さんだったという風聞は虚偽だったということになります。

西郷さんの本名は西郷隆文。これは鹿児島では全小学生が授業で習う有名な話です。私も習いました。西郷隆盛は実は西郷さんの父の名前で、幕末の政界デビューの際に何かの手違いで西郷隆盛と紹介されたのを敢えてそのままに放置したのだそうです。生涯写真を撮影しなかったのも、秘密結社の重要人物に伝統的に課せられた義務の一貫だったそうです。これらのことだけ見ても、西郷さんの背後に大きな秘密が隠れていたのは真実であると、誰もが直感的に認めざるを得ないでしょう。


明治以降の日本は英米の植民地だった?

2018-09-15 09:09:38 | 日本論と宗教論
ヨーロッパの社会改革を通して近代を開き、それが時を経て世界中に広まって行く様子を具に観察していた列島の「秘密力」センターは、自分の開いた近代化の波が列島にまで及んだ時に、列島社会がその波に耐えられるように、多くの方策を綿密に組んでいた。維新後の帝国軍創設もその方策の中にあった。

表世界に於ける当時の覇権国イギリス(ロスチャイルド)と、次の覇権国として勃興しつつあったアメリカ(ロックフェラー)には三井三菱を介した海軍の創設と育成を、ドイツには〇〇を介した陸軍の創設と育成を、それぞれ委ねた。複数の外国勢力を互いに競わせながら同じ領域の異なる部門を委ねることで国の表層部全体がどこか一国の植民地になってしまうことを防いでいた。世界各国の根幹は秘密のうちに、列島に拠点を置く「秘密力」の影響下に完全に掌握されていたが、計画の下層部分しか知らされないまま本気で自分の使命を果たそうとする組織の中層に属する人々の努力の結果、計画の秘密の上層部分に反する結果が偶発的に出てくるかもしれない、こんなことまで念頭においての措置だったものと考えられます。戦後の列島に於ける駐留アメリカ軍と自衛隊の並存も似たような措置の結果でしょう。日中戦争に加えて日米開戦にまで敢えて及ぶという「愚行」も、陸海両軍の解消や、戦争の勝敗とは全く無関係な無差別絨毯爆撃による戦後の近代的開発に備えた主要都市の更地化、中国や東南アジア諸国の戦後における非植民地化などを巧妙に狙ったものだったと考えられます。

終戦の時点で「秘密力」のセンターが満州にあり、その存在に気づいたマッカーサーが満州に原爆を落とそうとしてトルーマンに制止されたという話も、列島にセンターを置く「秘密力」にとって満州は外国などではなく彼等自身の膝下みたいなところだったが故の出来事だったし、トルーマンは列島秘密力によって合衆国に配備されたエージェントだった可能性があると解すべきでしょう。

スーダンがイギリスの植民地になっていく過程を日本の明治維新の過程と比較対照することによって両者の酷似していることを示し、そうすることで明治以降の日本が紛れもない植民地であったことを論証しようとする文章を最近読みましたが、その論文は上に私が指摘したような列島勢力主導の所謂分断策のことについては全く目が及ばなかったようです。目が及んでいたらその人も、自説をさらに一歩深めて日本が植民地だったという主張とは全く逆のより真相に近い説に到達していたことでしょう。

超古代文明

2018-09-12 09:46:13 | 日本論と宗教論
『創世記』に「洪水後シナル(シュメール)に始めて住み着いた人々は東の海から来た」と書いてあります。

また、シュメールの遺跡に発掘された粘土板神話には、「オアンネス」と呼ばれる海からきた「半魚半人」の生物がシュメールに暮らす原住民に農業、都市や神殿の建設、文字、法律、数学、芸術、それに秩序などを、人間の言葉で伝授した。この生物は魚の身体を持ち、その頭の下には人間の頭があり、尾ひれとともに人間の足も持っていた。この生物は水陸両棲類で、昼間は人間とともに過ごし、太陽が沈むと、海へ帰った。...このように記述されています。

氷河期には、赤道直下の、現在では海の底に沈んでいる平原地帯が常夏ならぬ常春になっていて、そこに超古代文明が繁栄していたものと考えられます。現在は温帯になっていて文明が栄えている北緯30度以北の高緯度地帯ですが、そこは氷河期には寒冷地で、文明が栄えるような場所ではなく、せいぜい探検隊による組織的探索の場所しかなっていませんでした。

赤道直下の、現在では海の底に沈んでいる平原地帯は、グーグルアースで調べれば誰にでも直ぐに分かりますが、東南アジアのスンダ陸棚しかありません。一気に50メートルも海面上昇したことが分かっている大洪水を避けて、このスンダ陸棚から、タイのバンチェンに移った人々がいたのです。彼らは後に東は長江流域から雲南、タイ、インド東部にかけて分布していたことが一般の歴史学において認定され、シュメール語や日本語との言語学的な類同性が盛んに指摘されている(大野説)所謂「ドラビタ」の根源支配層のルーツでもあると考えられます。彼等は現在、天皇家として列島にその拠点を置いている。

そもそも、文明の最も不可欠な要素は、一般に言われているような大規模農業の広がりによる富の集約と階級分化なのではありません。そうではなく、海上交易ネットワークによる遥かに大規模な富の集約をベースとして、洪水前から既に存在していたハイテクの世界単一支配部族が各地に定住民を育て組織化し支配したことこそ、文明の最も不可欠な要素だったのです。階級は分化してできたのではなく、初めから厳然としてあったということです。上に引用したふたつの古い伝承はそのことをよく反映していると思います。

上記のシュメール粘土板神話に半人半魚の怪物が出てくることを訝しむ人がいると思いますが、これは所謂「讖緯説」として理解すべきでしょう。例えば、遙か後世の12世紀に纏め上げられた『百済本紀』や『新羅本紀』『高句麗本紀』にすら「大きなツノの生えた魚が東の海から現れ龍になった」などという讖緯説が頻出してくるのですが、これらの書物をまとめた人々はシュメールの粘土板神話を書いた人々をルーツとする人々だったのです。讖緯説とは古今東西の文献群の記述を全て踏まえた上で、直接的な表記をして多くの人々の理解するところとなっては何かと不都合だが、それでもある理由から記述しないわけにもいかず、上記のような前提を共有する極一部の人々には何としても伝わるようにしないといけないような事件の記述を行う際に、伝統的に用いられてきた歴史記述法のことです。

以上のように考えると、世界四大文明説どころか、シュメール最古文明説もまた、間違いだったことが明らかになります。

因みに、西方の地中海は、氷河期には、大きな湖をいくつか抱えた大きな平原地帯になっていました。比較的高緯度ながら偏西風の影響で寒冷度がある程度緩和されていたこともあり、ここにも、スンダ陸棚ほどの規模ではないにしろ、恐らくはネアンデルタール人による超古代文明が栄えていたものと考えられます。トルコのギョべクリテぺ遺跡やエジプトの大ピラミッドは、その文明圏の周縁部にある高台にその文明の担い手が建設したものでしょう。この文明のその後の行方も調べていかなければいけなりません。

「偽皇統」の本当の意味

2018-08-24 20:42:24 | 日本論と宗教論
「偽皇統」と言えば、日本の皇統は、善悪にかかわることなく、実力のある勢力が自分の膝元に出てきた際にもまた、ごく早い段階での資金提供やエージャント送り込み、婚姻などを手段にして懐柔し、自らの下部構造として受け入れるということを繰り返してきました。これは、懐柔される側の意識ではまさに、皇統への参入となります。懐柔された側も皇統に含まれることに違いはないのです。

古くは、イスラエル十氏族や秦氏、東日本のサンカ勢力、平家に対して、近くは欧米の勢力に対して、そのような関わりが持たれていた。

日本の皇統は更に、懐柔し自らの下部構造として受け入れた勢力が時を経て力を失った時に、何のためらいもなく切り離すこともしてきました。最も分かりやすい例が「平家の滅亡」として世間で認知されている出来事でしょう。平家も権力掌握の過程で皇統に所属させられ、時機が来た時に皇統から排除されたのです。「藤原氏のように娘を入内させ、中宮にし、生まれた皇子を天皇にすることで外孫としての権力を手中に入れた」というのが一般的な説明ですが、そして確かにそのように表現できる側面を持っていた訳ですが、実は、表面に於けるこのような形の権力掌握過程を可能にする条件として、裏では密かに、皇統からの先述したような形での懐柔を受けていたのです。清盛が白河院の種を宿した上で忠盛に下賜された祇園女御から生まれた人物であることや、安徳天皇とその配下組織が、全国に派遣された複数の琵琶法師によって流布された「壇ノ浦での滅亡」という創作物語を隠れ蓑に土佐に入り、定着して、配下組織の集落や安徳天皇の古墳など確固とした物証まで残されていることなどは、最早よく知られた話にすらなっています。

皇統がこのような切り離しを行なう場合、通常は、計画を提示した上での退場勧告の形を取り、勧告を受けた側は多くの場合、何の抵抗もなく従順に振る舞うことになっています。但し、時々それに抵抗する者が出て一悶着に発展することがある。

今述べたような種類の一悶着を、ある時期から現在に至るまでずっと起こし続けている者たちが現在も存在している。「偽皇統」とは、その者たちを退場させようとする者たちからその者たちに向けてある程度の敵意を込めて投げかけられた呼称に違いありません。彼等は、「偽皇統」と称されているだけで、皇統に所属していない訳ではなく、紛れもなく皇統の一部なのです。

「偽皇統」という言葉は、上記のような裏事情が分かっていないと、それを耳にした時に「皇統って偽物が簡単に入れる程の安いものなの?」といった感じの疑問が湧いて来てしまうような、そんな危うい言葉なのではないでしょうか?偽物の存在だけが意識され、偽物の存在の意味が意識されない。そうである限り、どこまでも曖昧で奇妙な感じを帯び続ける。そんな言葉なのです。

現在一悶着を起こしているこの「偽皇統」の組織の末端にアメリカの金融ハザール偽ユダヤも含まれているようです。ですから、「アメリカの金融ハザール偽ユダヤが隠れたところで世界を支配し、日本でも、天皇家を裏から操ることで日本を隠れ植民地として密かに支配して来た」という最近よく聞かれる説明は実は、表面だけを見てその裏面に認識が及んでいない典型的な間違いなのです。或いは、あるものによって意図的に捏造され流布されたプロパガンダかも知れません。

そもそもハザールとは、確認される最も古い時期にシベリアにいたのが、ある時期に中央アジアに降りてきて帝国を起こした、そんな遊牧騎馬民族を指す言葉です。彼等の本質を理解するためには、彼等のシベリア以前が意識されなければなりません。彼等はシベリア以前は東アジアにいて、列島の皇統と密接に繋がっていたに違いない。そもそもユーラシアの北方ステップロードそのものが太古より、列島の皇統組織がその活動を密かに展開させる大動脈だったのであり、そこを行き交う「北方遊牧騎馬民族」とは、列島の皇統配下の諸部族を呼称する言葉だったのです。ハザールもその「北方遊牧騎馬民族」のひとつでした。ハザール帝国は、政治制度として列島の天皇制に典型的に見られるような所謂「双分制」を取っていたとされますが、それも、ハザールが列島の皇統組織の一員だったことを如実に表しているのです。

メッセージ

2018-07-29 12:15:31 | 日本論と宗教論
国内の中枢部の要所要所に売国奴スパイがいる。ということは、外部から彼らを育てた者の敵意や悪意も当然想定しなければなりません。が、同時にまた、我々日本人がもう随分と長いこと生き方も教育も間違ってきたことにもなると思うのです。

「頑張らないとやばいよ。何のために頑張らないといけないのかとか、そんなことはどうでもいい。この社会から除け者、邪魔者扱いされないように、自分を守るために頑張れ。家族や友人が弱って困っていても、本人の責任だから、放っておけ。甘やかしてはいけない。ましてや、他人はなおのことだ」と、こんな感じの人生を日本人はもう随分と長いこと送ってきてはいないか。だからこそ売国スパイにこの社会の中枢を乗っ取られた。これぞまさしく自業自得でしょう。

「自分を磨き続けろ。そしていつかは大義のために死ね。そうすればより高い次元で生きていける。自分のなすべきことをして、そうやって多くの人を生かしても、彼らからの感謝や崇拝を受け入れてはいけない。静かに慎ましくその場を立ち去れ」という教えがかつて確かに存在し、その元で生活して教育する人々が特定の階級に限らず、ある程度数存在していた。これが日本の美しい一面だったようです。このことは、例えば映画『殿、利息でござる』を観ても分かります。こんな人達の一定数存在している社会に売国奴スパイなど入って来れないものです。

皆さんが盛んに嘆いて見せている日本国の現状は、そのほとんど全てが、我々自身の責任です。要するに、問題解決のためには、自分の身を正し、整えて、本当の自分として生きていくしかないということです。ひとりひとりが、役所や会社、マスコミ、学校など、それぞれの場所で、自分の裁量の中で、不正や欺瞞を見逃さないよう、妥協しないように奮闘するしかない。弱い者の味方になり続けるしかない。そうすれば、社会の隅々に巣食っている売国奴スパイも自然と消えていくのです。

大洪水後の世界のあり方を決めた者達

2018-07-23 21:49:54 | 日本論と宗教論
現生人類は氷河期氷期の初期に生まれました。世界各地に明瞭な痕跡を数多く残しながら主流の歴史家からはこぞって無視されている超古代文明。これは従って、氷河期氷期に栄えていたことになります。氷河期氷期は赤道周辺の低緯度地帯以外は全て氷に覆われ、赤道地方は今のような常夏ではなくむしろ常春であり、海面は現在よりも100メートル低く、人類の多くが文明生活を送る諸々の都市は現在は海底に沈む当時の平野部にあったものと考えられます。カリブ海、地中海、スンダ湾をはじめとする多くの海の海底がその候補地であり、大規模に調査したらきっと何かが出てくるに違いないのです。

これら超古代文明の構成員の内、庶民平民ではない支配種族には、氷に厚く覆われたユーラシアの高緯度地域を鉱物資源や植物資源の調査目的で組織的に巡回する一群や、商団を組んで紅海、インド洋、南シナ海、東シナ海などの世界中の海を往復し続ける一群を、その内部の不可欠な組織として持っていたはずです。列島は当時はそのような調査の対象地域でしかなかった。ただし、沖縄の、今は東シナ海に沈む地域には超古代文明の都市もいくつかあったようですが。その場所はスンダ陸棚から徒歩で辿り着ける大陸の一部でした。

最終氷期の今から12000年前における突然の終焉とそれに伴う急激で大規模な海面上昇が起こった時に、上のような超古代文明のどの部分が生き残ったのでしょうか。それは、ユーラシア大陸内陸の辺境各地を組織的に巡回していた組織と、船で世界中を回っていた商団であり、それに災害を予知して予め避難していた王族をはじめとする支配層だったはずです。以上のことは、世界で最も古い宗教のひとつであるゾロアスター教の主神のひとつであるミトラスが友愛を基本理念としていたことによっても納得できます。大洪水を生き残った三系統の支配種族の内、ユーラシア大陸内陸の辺境各地を組織的に巡回していた組織は、事柄の性質上女性を含むことがなく、男だけで構成されていたに違いないからです。

これら三つの系統の支配部族が生き残る一方で、低地の都市に暮らす庶民平民は一瞬で全滅したことでしょう。ということは即ち、現在の我々の文明は、今ここで述べたような支配層の一族によって12000年前に一から意識的にやり直しされたものだったということになります。

現在もこの人類社会を丸ごと裏から支配する種族は、その時、何万年も積み重ねた統治経験に基づいて、文明の勃興と衰退の本質を十分に認識していたはずです。今度こそは失敗しないようにといくつかの策を予め定めておいたはずだし、今でもそれを維持していることでしょう。

以上のことから、支配種族は、①王族とそれに仕える諸部族、②鉱物や薬草に、更には人体構造と外科技術に詳しい山岳種族、③船での交易に携わる種族が、各地の文明圏において一定の協力関係を結び、その時代のひとつの意向に沿ってそれぞれの役割を果たすといった具合に構成され、動いていることが分かります。このことは、騎馬民族征服説が具体的な考古資料によって裏付けされ、説の隅から隅までとは行かずともある程度は事実として首肯されなければならないことによっても納得することができます。何故なら、彼らは騎馬民族ですから、彼らが海を越えてこの列島に入ってくるには船舶と航海技術が欠落していた訳で、ということは、海の民による全面的な協力があったことを実証することにもなるからです。山人と海人が間違いなく協力し合っていたのです。

彼らが洪水後の世界を構想する時、洪水以前から継承されたテクノロジーの上下二元化と、上位テクノロジーの支配層上層部による独占も掟として定められたことでしょう。この上位テクノロジーは我々の想像、常識を遥かに超えた高度なものであったに違いないし、今でもそうであるに違いありません。

そんな大洪水後の世界において戦争は、支配種族内の部族間競争の一環として一定のルールのもとで認められていたのが、ある時から、武器の製造販売における経営上の必要から定期的に企画実行される、まるでお祭りのような意味合いも付加された、そんな一種のイベントとなりました。

悪魔崇拝は、支配種族の諸々の団体のこの世的な隠れ蓑のひとつとしての宗教団体内で、一般信者による団体を維持管理する立場の人間たちによる裏の集団が、この裏の集団に一般信者が恐怖嫌悪し、決して近づくことがないように、一般信者向けに捏造した単なるイメージに過ぎないものと考えられます。


氷河期を調ぶべし

2018-07-23 01:48:24 | 日本論と宗教論
「〇〇ルーツの種族がこの列島に」という言い方があります。この言い方が正確になるためには、先ず、その種族がその〇〇を、その〇〇から遠く離れたこの列島においても、この列島に至るまでの途中の経路においても、強く意識して活動してきたし、していることが必要になってきます。

また、かの〇〇において関係を結んでいたいくつかの別の種族との関係性も、この列島内で維持できていなくてはなりません。更には、その種族としてのそれ程に強力なアイデンティティの発生したのがかの〇〇の地であるということも実証されなければなりません。

「エジブト起源」のタカスも、「メソポタミア起源」のウバイドも、「メソポタミア起源」なのか「エジプト起源」なのか「紅海を西に臨むアラビア半島南西部起源」なのかはっきりしないイスラエルやイェフダーも、「長江上流域或いは江南起源」の弥生人も、更には「朝鮮や満州起源」の現天皇家も、どの「起源」も、上に挙げた条件には全く合っていないと思います。

彼らはいずれも、かつてそこにいたことがあるだけのことなのに、比較的認知度の高いいくつかの古い史書や地誌の中でその土地での活躍が言及されたことを短絡的に捉えて、間違えて〇〇起源と認知されてしまっている可能性が高い。要するに、いずれの種族も、結局は、どこの起源であるか現段階でははっきりしない訳です。

ただし、彼らがそのアイデンティティを何百年、何千年、何万年も維持していることは極めてはっきりしています。であるが故の勢力の保持ですから。彼らにおいて種族のアイデンティティをかくも強くしている根源は何なのでしょうか?我々平民庶民の多くが種族としてのアイデンティティを喪失し、それ故に見えないところから、未だに種族としての強力なアイデンティティを維持しているいくつかの勢力によって支配されているという現状の起源は一体何なのでしょうか?

これらの謎を解くためには、庶民平民をcivilとして内包する、我々庶民平民が人類社会の全てと錯覚して理解しているcivilizationsの成立までに、支配種族の多くが既に何万年か或いは何千年かに渡って種族としての存続を経験していた。つまり、人類一般よりも支配諸種族の方が遥かに古い起源を持ち、それ故に彼らが人類一般と自分達とを同一視することなど今に至るまで一度もなかった、と捉えた方がいいでしょう。

現在は氷河期であり、氷河期の中の間氷期に当たります。現生人類そのものはこの氷河期の初めに始まり、civilizationsはこの間氷期の始まりの時期に始まった訳です。この間氷期が始まる以前の長い氷期において、彼ら支配種族がどれくらいの規模でどのような気候のどの辺りにどのような存在として存在していたのか。これを探ることが彼ら支配種族のことを理解する為の不可欠の条件になるでしょう。