飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

西郷隆盛

2018-09-17 06:34:03 | 日本論と宗教論
西郷さんといえば「敬天愛人」。「人事を尽くして天命を待つ」。「西郷さんはクリスチャンだった。横浜で極秘に洗礼を受けていた。鹿児島隠棲時代には近所の村人を集めて聖書の講読をしていた」という証言を、西郷さんの子孫で陶芸家の人がテレビに出演して行なっていました。

西郷さんは東アジアに広く分布していて互いに連絡も取り合い、結社化もしていた真方衆(マガタンシ)のひとりだったそうです。真方衆とは、16世紀に東方で盛んに活動していたポルトガル船の鉄砲商人達とアジア各地の鍛冶屋の娘の間にできた子供達を起源とする集団のことです。西郷さんの身長は、大久保と同様、180cm以上あった。大久保も真方衆でした。奄美大島潜居時代には極秘でフィリピンに渡り、この真方衆ネットワークを利用して重要任務を遂行したそうです。現地には子孫もいたと言います。

西郷さんは、京都の皇統から血統ロンダリングによって島津分家に入り、その娘として世に披露された後、島津斉彬の養子となり、更には徳川将軍家に将軍の正室として嫁入りした、あの篤姫が首領を務めていた秘密結社の中心人物の一人でもあったと言われています。この秘密結社の流れが後に頭山満の玄洋社や黒龍会にも繋がり、更には北朝鮮の建国にも繋がっていきます。「薩摩といえば海軍、北朝鮮といえば陸軍」などと言われますが、陸軍と海軍の対立など、こうして考えると、深いところでは全くなかった、ということになります。

西郷さんは陥落の直前に城山を密かに抜け出し、私も子供の頃に住んでいたことのある、島津直轄領の甑島に渡り、そこに極秘に停泊して待機していたロシア船に搭乗。シベリア経由で渡欧。偽装死を実行した後ヨーロッパに渡り、京都裏皇統組織のエージャントとして任務遂行中だったかつての主君斉彬に再合流。その後はその側近として活動。長州の山県を籠絡した後は死ぬまで、彼を通して日本の政界を遠隔コントロールしていたと言います。西郷従道と大山巌は山県監視役だったそうです。この説からすると、明治天皇の後半生が実は西郷さんだったという風聞は虚偽だったということになります。

西郷さんの本名は西郷隆文。これは鹿児島では全小学生が授業で習う有名な話です。私も習いました。西郷隆盛は実は西郷さんの父の名前で、幕末の政界デビューの際に何かの手違いで西郷隆盛と紹介されたのを敢えてそのままに放置したのだそうです。生涯写真を撮影しなかったのも、秘密結社の重要人物に伝統的に課せられた義務の一貫だったそうです。これらのことだけ見ても、西郷さんの背後に大きな秘密が隠れていたのは真実であると、誰もが直感的に認めざるを得ないでしょう。


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2 コメント

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Unknown (海が好き)
2018-09-17 18:55:37
西郷さんに関する記事、ありがとうございます。

偽装死説はどこかで読んだことがありますが、クリスチャンだったというには初耳です。
なんだか結局、クリスチャンが世界を動かしているのでしょうか。
西郷さんが玄洋社にも繋がるのですね。

歴史はほんと、嘘ばかりなんですね。今まで習ってきた歴史、偉人のエピソードはお伽噺として捉えるようになりました。

https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/8a906525300fbfe4eb3ad2a44ac7ecb9/?cid=0318c410bbdd70bf6a0cca0c4efb53a3&st=0

なぜ真実が意図的に隠されるのか、というよりなぜ歴史フィクションが作られ伝えられるのか、私にはわからないです。

あっと驚く、真実の歴史ストーリーを知りたいものです。
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日本の黒い霧は、、、 (アルト)
2021-04-20 22:15:40
ディスインフォメイションですね。倭国藤原北家カナン人結社の。
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