飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

拭いきれない或る考え

2018-09-29 10:44:24 | 日本論と宗教論
初めは二十年くらい前に突然、春の頃に野山を散策すると激しく咳き込み、その咳が止まらなくなるということが始まった。聞くと、黄砂とPM2.5のせいだと言う。大好きだった早春の頃の野山散策は、それ以来一度もできていない。

そうこうするうちに、その他の夏以外の季節にも、時には夏にも、同じことが起こるようになってきた。

中国の経済発展のせいだと思い込んでいたけど、実はPM2.5の大半が、公害に苦しんだかつての苦い経験を克服して環境技術を高度に進めていたはずの日本国内由来のものであると分かってきた。

人間の活動が巨大になりすぎて、人間が処理しきれずに廃棄する、生物としての人間自身の存在に反した物質の量が、自然の力によって希釈できないほどのものになったのは明らかである。上記のような個人的体験が、私にはこのことを明確に示している。他の人も、それぞれの体験を通して、同様のことを実感できているのではないか?

「PM2.5と言われているものの実態は、ある特定の人々が悪意を持って撒いているものだ」との解釈の存在は勿論知っているが、それでも上記のような明らかな事実を拭い去ることはできない。

こうなった以上、人類が自らの存在様式を全体として自覚的に大変革するか、それができない場合には、人工的でありながら自然現象を装った大災害や大戦争によって人口の大半を削減するか、どちらかしか方法はない。この考えに誰が反論できるのか?

人口削減を狙ってる人達は悪魔崇拝で狂信的な考えに凝り固まった人達だからなどと、彼らのことを貶めても、彼らをパージできても、この考えそのものの正当性が消えることはないのである。いつか誰かが実行しなければ ならないことなのだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿