飛鷹満随想録

哲学者、宗教者、教育者であり、社会改革者たらんとする者です。横レス自由。

超古代文明

2018-09-12 09:46:13 | 日本論と宗教論
『創世記』に「洪水後シナル(シュメール)に始めて住み着いた人々は東の海から来た」と書いてあります。

また、シュメールの遺跡に発掘された粘土板神話には、「オアンネス」と呼ばれる海からきた「半魚半人」の生物がシュメールに暮らす原住民に農業、都市や神殿の建設、文字、法律、数学、芸術、それに秩序などを、人間の言葉で伝授した。この生物は魚の身体を持ち、その頭の下には人間の頭があり、尾ひれとともに人間の足も持っていた。この生物は水陸両棲類で、昼間は人間とともに過ごし、太陽が沈むと、海へ帰った。...このように記述されています。

氷河期には、赤道直下の、現在では海の底に沈んでいる平原地帯が常夏ならぬ常春になっていて、そこに超古代文明が繁栄していたものと考えられます。現在は温帯になっていて文明が栄えている北緯30度以北の高緯度地帯ですが、そこは氷河期には寒冷地で、文明が栄えるような場所ではなく、せいぜい探検隊による組織的探索の場所しかなっていませんでした。

赤道直下の、現在では海の底に沈んでいる平原地帯は、グーグルアースで調べれば誰にでも直ぐに分かりますが、東南アジアのスンダ陸棚しかありません。一気に50メートルも海面上昇したことが分かっている大洪水を避けて、このスンダ陸棚から、タイのバンチェンに移った人々がいたのです。彼らは後に東は長江流域から雲南、タイ、インド東部にかけて分布していたことが一般の歴史学において認定され、シュメール語や日本語との言語学的な類同性が盛んに指摘されている(大野説)所謂「ドラビタ」の根源支配層のルーツでもあると考えられます。彼等は現在、天皇家として列島にその拠点を置いている。

そもそも、文明の最も不可欠な要素は、一般に言われているような大規模農業の広がりによる富の集約と階級分化なのではありません。そうではなく、海上交易ネットワークによる遥かに大規模な富の集約をベースとして、洪水前から既に存在していたハイテクの世界単一支配部族が各地に定住民を育て組織化し支配したことこそ、文明の最も不可欠な要素だったのです。階級は分化してできたのではなく、初めから厳然としてあったということです。上に引用したふたつの古い伝承はそのことをよく反映していると思います。

上記のシュメール粘土板神話に半人半魚の怪物が出てくることを訝しむ人がいると思いますが、これは所謂「讖緯説」として理解すべきでしょう。例えば、遙か後世の12世紀に纏め上げられた『百済本紀』や『新羅本紀』『高句麗本紀』にすら「大きなツノの生えた魚が東の海から現れ龍になった」などという讖緯説が頻出してくるのですが、これらの書物をまとめた人々はシュメールの粘土板神話を書いた人々をルーツとする人々だったのです。讖緯説とは古今東西の文献群の記述を全て踏まえた上で、直接的な表記をして多くの人々の理解するところとなっては何かと不都合だが、それでもある理由から記述しないわけにもいかず、上記のような前提を共有する極一部の人々には何としても伝わるようにしないといけないような事件の記述を行う際に、伝統的に用いられてきた歴史記述法のことです。

以上のように考えると、世界四大文明説どころか、シュメール最古文明説もまた、間違いだったことが明らかになります。

因みに、西方の地中海は、氷河期には、大きな湖をいくつか抱えた大きな平原地帯になっていました。比較的高緯度ながら偏西風の影響で寒冷度がある程度緩和されていたこともあり、ここにも、スンダ陸棚ほどの規模ではないにしろ、恐らくはネアンデルタール人による超古代文明が栄えていたものと考えられます。トルコのギョべクリテぺ遺跡やエジプトの大ピラミッドは、その文明圏の周縁部にある高台にその文明の担い手が建設したものでしょう。この文明のその後の行方も調べていかなければいけなりません。

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