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☆になったエンゼル君 (T△T)

2010-08-31 19:57:47 | 熱帯魚について

今日、仕事から帰宅すると子ども達が

“パパ、大変だよ!エンゼル君が水槽から飛び出して死んじゃったよ。”

と報告してきました。

 

奥さんの話によると、昼過ぎにエンゼル水槽が空になっている事に息子が気が付き水槽周辺を探したところ、水槽台の裏で既に☆になっていたという事でした。

 

このエンゼルフィッシュは、水槽を2つ維持していた頃からの数少ない生き残りでした。5年前にウチに来た時には5㎝足らずだったのですが、体長を測ってみたところ11.5cmにまで大きくなっていました。

 

60㎝水槽で飼っていた頃のエンゼル君。

 

 

大変な大食いで、一緒に入れていたネオンテトラを1匹残らず平らげてしまった事もありました。

餌をくれる人間を覚えているみたいで、私が近付くと私の方に大急ぎで寄って来て餌をねだるしぐさがとても可愛かったのです。

 

他の魚を食べてしまうので、昨年から空いたキューブ水槽に1匹だけ移していたのですが、先週の日曜日に水換えを行った際に余りにも窮屈そうだったので今度の週末にでも45センチ水槽に移してあげようと考えていた矢先の出来事でした。

 

奇しくも去年の8月30日に撮影したエンゼル君の姿。。。

これが最後の写真になってしまいました。

 

 

住人が居なくなってしまった水槽。

昨夜まで元気に餌をねだっていたエンゼル君の姿はありません。

 

 

他の魚を食べてしまった時には邪魔者扱いしてしまったこともあったけど、ゴメンな。。。

5年間の間、その可愛い姿で家族に安らぎを与えてくれてありがとう。

もう狭い水槽に我慢する事も、水換えの度にびっくりして逃げ回る事も無いからゆっくりとお休み。。。

 

さようなら、エンゼル君。。。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

ゆきchan [2010年8月31日 20:02]
こんばんわ。とても残念ですね。自分で飛び出てしまうくらい元気だったんですねぇ。そんなに一匹では小さすぎる水槽とは思えないんですが。。
まめ八 [2010年8月31日 21:25]
ゆきchanさん、こんばんわ。
続けてのコメント、有難うございます。

はい、今日はちょっと寂しいです。(T△T)
このエンゼル君、とても元気が良くて水槽掃除の時はかなり強い力で飛び跳ねていました。
ただ、5年間も飼って来てこんな事は一度も無かったし、水槽には蓋もしてあったのでまさかこんな事になってしまうとは夢にも思いませんでした。
多分、何かに驚いて飛び跳ねた弾みに蓋が開いている場所から飛び出してしまったのだと思います。魚とはいえ、5年間も一緒に生活していると、居なくなってしまうと寂しい物です。(T△T)
ぺね [2010年8月31日 22:38]
エンゼル君のご冥福をお祈りします。
ちょうど去年の今頃我が家の金魚くんも☆になったことを思い出しました。なくこともほえる事もない魚たちですが、いっぱい癒してくれますよね。
今はお寂しいと思いますが、思い出は消えませんよ!
宮ちゃんNO1 [2010年9月1日 1:00]
こんばんは 宮ちゃんで~す。

チョット可愛そうでしたね~
そう・・生き物を飼うとコレがつらいですネ!
自分の家でも、子供が小さい頃は犬、ネコ、鯉・・
一緒にいる時間が長いほど、悲しみも比例しますからね~
狭い水槽が原因かは判りませんが、残念でしたネ~
まめ八 [2010年9月1日 21:05]
ぺねさん、こんばんわ。
コメントを頂きまして有難うございます。
また温かい慰めのお言葉、傷み入ります。

エンゼル君がウチに居た5年間の間に、2本あった水槽を一つにまとめたり、水槽のリセットをやったり、底床の交換をやったりしましたが、いつもそこには元気なエンゼル君がいました。
また、そういった行為は魚にとってはとても負担を掛けることなのですが、何事も無かったかのように元気に泳いで回るほどタフなエンゼル君でした。魚でも5年間も一緒に居たら情が移るものなんですね
まめ八 [2010年9月1日 21:13]
宮ちゃんNO1さん、こんばんわ。
連日のコメント、有難うございます。

そうなんですよ。生き物を飼うとコレだから嫌なんですよね。私が子どもの頃はよく猫とか犬を飼っていたのですが、☆になった時にとても辛い思いをしたので大人になってからは、我が子がどんなにねだっても鳥類や哺乳類は飼わないことにしています。

水槽の大きさはともかく、蓋をしてあったのに飛び出していた事が信じられません。

EP82-SW20 [2010年9月1日 22:19]
こんばんは。
我が家もかつて5年程、金魚を飼った事があります。
金魚と言うよりはフナ並の大きさで長さは10cmくらいありましたね。
えさは金魚用えさとハエ(笑)
当時健在だった祖父がハエ叩きでハエを取るのが好きで、良くハエを与えていました。
そのうちにハエ叩きで水槽のふちを「トントン」と叩く音を覚えてしまい、えさをやる時にその音がすると水面に寄って来て、とてもかわいかったです。
落胆されるまめ八さんご一家の心境、良くわかりますよ(^^;)
まつまえ [2010年9月1日 23:34]
こんばんは。
いろいろと飼っていても、持て余したことがあっても、☆になってしまうとツライものがあります。
私も飼育していたスパイニーイールが、餌をあげようと蓋を開けたら、勢い良く飛び出して来たのですが、暴れるうえに体にトゲがあってすぐに救出できず、何とか網に押し込んで水槽に戻したのですが既に瀕死・・・翌朝☆になったことがあります。
すでに飽きた魚で、餌の時以外は姿を見せず、他種の魚を襲うので混泳も出来ず、邪魔に思っていたのですが、☆になってしまうと小さな魚体のころから10年以上も飼ってきた思い出や、この魚が好きであったことなどを思い出してとても悲しくなりました。
まして、飼い主を覚えてくれる可愛い奴なら、なおさら・・・しかも長年・・・とても寂しく感じていることと思いますが、元気を出してください。
まめ八 [2010年9月2日 18:36]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

金魚も可愛いですよね。
特にお爺さんが獲ったハエを喜んで食べてくれるならば尚更ですね。o(^▽^)o
金魚は雑食性で大食漢なので何でも食べてしまいますが、元々がフナなのでハエは好物なのかも知れません。
それにしてもハエ獲りの名人とは、宮本武蔵みたいなお爺さんですね。o(^▽^)o
まめ八 [2010年9月2日 18:58]
まつまえさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

まつまえさんにも同じような経験がおありなのですね。エンゼルが☆になった時の私の気持ちは将にその通りでした。
このエンゼルも大食漢で、他の小型魚やエビを片っ端から食べてしまうので混泳が出来ず、大きくなってからは水草をくわえて引き抜いてしまったり、体が大きい故に糞尿の量も多くて水質を悪化させる原因になったりとかなり迷惑な存在でした。ただ、かなり人懐っこい性格だったみたいで餌をやる時にはすぐに気配を感じて、尻尾を振って寄って来るなど憎めない奴でした。

エンゼルがいなくなった水槽をなかなか片付ける気持ちになれません。

地震雲・・・?

2010-08-30 20:05:04 | 戯言

昨日の18:15の事です。

外出先から帰宅する途中の車の中で奥さんが“何だろう?あの雲、変っているよね?”と問いかけてきました。

奥さんが指差す西の空を見ると、上空の雲から地上に向かって竜巻のような雲が二つ見えました。

 

写真中央にその雲が写っていますがお解りでしょうか?

 

 

山の左側と倉庫の右側に見える雲です。

 

 

“何だろうね?竜巻って感じじゃないし、ひょっとして地震雲かもよ。

それを聞いていた子ども達。。。

“ええっ・・・今日、地震が起こるの?コワイ・・・”と脅えていました。

“冗談だよ。 阪神・淡路大震災や中越地震の時の地震雲を写真で見た事あるけど、こんなんじゃなかったから大丈夫。大丈夫。。。”

子ども達を笑って慰めたまめ八だったのですが。。。

 

 

昨夜の21時30分頃、熊本市を震源地とする震度3の地震があったのです。

その後、今朝の午前6時頃に震度1、17時頃には震源地は阿蘇山に移ったのですがやはり震度1地震がありました。

幸い小規模な地震であったので被害は全く発生していませんが、奥さんと顔を見合わせて“やっぱり昨日の雲は・・・”と話し、薄気味悪くなりました。

 

ただ、昨日の震度3の地震が発生した時に、我が家でそれに気が付いた者は誰もいませんでした。

鈍いと言うか、危機感が無いと言うか・・・ウチみたいな所が一家全滅になるのでしょうね。(笑い事じゃないのですが。。。)

 

明後日は防災の日。良い機会ですから災害が発生した際の行動について家族で話し合ってみようと思います。

 

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

宮ちゃんNO1 [2010年8月30日 21:44]
こんばんは 初めまして

突然スイマセンm(__)m
『地震雲』のフレーズでコメントしちゃいました(笑)
先日(27日)のお気に入りのブログで
変な雲・・・とコメントが有り
チョット気になり・・今日の話・・・
ウ~ンやっぱり有るのかな~
ま~地震国なんで、キット何処かで有るんでしょう~
な~んて良いながら、ビクビクしている宮ちゃんで~す(爆)

そう・・家族で有事の際に備えて、準備は必要ですネ!
ゆきchan [2010年8月31日 20:05]
こんばんわ。震度1は気付かないこと多いですが、3はさすがに気付くかなぁ。地震雲ってあるんですねぇ。実際の地震と因果関係はあまりないって思ってましたぁ。
まめ八 [2010年8月31日 20:52]
宮ちゃんNO1さん、こんばんわ。
初めまして!o(^▽^)o
リコメが遅くなりまして申し訳ございません。
昨夜、凄まじい睡魔との闘いに敢え無く敗北してしまいました。(;^_^A
これからもヨロシクお願い致します。m(._.)m

ところで地震雲と地震の因果関係はまだ良く解っていないみたいですねぇ。
それどころか地震予知すら不可能と言い切っている科学者も居るみたいですし。。。
なにはともあれ、やっぱり地震って怖いですよね。“備えあれば憂い無し”とも言いますから災害に対する備えはきちんとやっておこうと思います。

まめ八 [2010年8月31日 20:59]
ゆきchanさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

そうですねぇ。。。
地震雲と地震の関係もまだ研究中の領域ですから、因果関係ははっきりと解っていませんね。
ただ、阪神淡路や中越、福岡や岩手などの大規模な地震の前にはある特定のパターンの雲が観測されています。
雲頼みでも良いですから、地震予知技術が進歩してくれる事を、地震が苦手な私としては祈りたいです。!(^O^)
EP82-SW20 [2010年8月31日 21:22]
こんばんは。
妙な雲ですね。
私もいつだったか飛行機雲ではないのですが約20km近く一直線に続いていた雲を見た事があります。
飛行機雲で無い理由は、幅が広すぎるからで・・・。
20kmがわかるのは、自宅から会社まで走ってまだ続いていたから・・・。
気にはなりますね(^^;)
yut666 [2010年8月31日 23:29]
地震雲は色々と報告があるようですね。
科学的根拠は今一つですが、今回も偶然にしては出来過ぎているような気がします。
やっぱり、何か関係があるんじゃないかなと思ってしまいます。
でも、大地震でなくてよかったですね。
まめ八 [2010年9月1日 20:53]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

EP82-SW20さんがご覧になった雲こそ地震雲と呼ばれている雲の一般的な形です。
地震雲は近くで大きな地震があっても見られるみたいですから本物の地震雲だったかも知れませんね。普段見かけないような自然現象を見ると、何か得体の知れない薄気味悪さがありますよね。(;^_^A
まめ八 [2010年9月1日 20:58]
yut666さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

そうなんですよねぇ~。偶然にしては余りにも出来すぎているんですよ。(;^_^A
あれからもうまる3日経っているので、心配ないとは思いますが取敢えず大きな地震でなくて良かったです。
突然やってくる地震って本当に怖いですね。

にーなな [2010年9月2日 23:11]
こんばんは。
地震雲ですか。。以前もどこかで耳にしたことがあります。。
なにか因果関係はあるように思います。今後もっと科学的裏付けも進んで、地震予知の材料になると素晴らしいですね。
まめ八 [2010年9月3日 22:10]
にーななさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

この雲が地震雲とは言い切れませんが、変った雲でしょう?
こんな変な雲を見かけると何事が無くても気持ち悪いですよね?さらにその上に地震まで起こったものですから地震雲じゃなかったのかと思いました。!(^O^)
地震雲について科学的な研究が進み、予知が可能になれば地震による被害も減って助かりますね。!(^O^)

広島旅行記~最終回 錦帯橋と厳島神社

2010-08-29 14:30:31 | 放浪記

“大和ミュージアム”の見学を終え、ちょっと遅い昼食を済ませた後、次の見学地である山口県岩国市にある錦帯橋に向かいました。

ナビでは、広島呉道路(クレアライン)を仁保ICで降り、国道2号線を通るルートを案内していましたが、広島市街地を抜ける国道2号線は渋滞が予想されたので、ここは広島呉道路→仁保JCT→広島高速2号線(府中仁保道路)→広島高速1号線(安芸府中道路)→東広島JCT→山陽自動車道、というルートをとる事にしました。

 

岩国ICで山陽自動車道を降りると、約10分で錦帯橋に到着です

 

 

まめ八は、20年程前にココを訪れたことがありますが、何度見ても美しい橋だと思います。

錦帯橋を訪れたのは、子ども達は勿論、奥さんの両親が訪れたことがなかった事、そして娘の国語の教科書に、この錦帯橋で使われている釘を作った鍛冶の話が載っているという事を聞いていたからです

 

 

橋のたもとで通行料(往復)大人300円、子ども150円を払って渡ります。

この時に受け取る半券は戻りの際に使うので捨てないように。。。

橋を渡った対岸から絵葉書風に一枚。

 

 

錦帯橋が架かる錦川の清流。

水が澄んでいて、とても綺麗な川でした。

水遊びに興じる家族もいました。

 

 

ところで、この広島旅行の期間は全国的に猛暑が続き熱中症で倒れる人が多数出た時期と重なっていました。

ここ広島、山口も例外ではありませんでした。

特にこの錦帯橋を見学している時には沖縄や熊本でさえ経験した事の無いような暑さで、ちょっと歩いただけでも体中から汗が噴出してまるで水を被ったかのような状態になってしまいました。

“一体、何℃位になっているんだろう?”

ちょうど錦帯橋の欄干に温度計がかけてあったので覗いてみたらなんと38℃!を指していました。

発熱時の体温より高いじゃん!

いっそのこと錦川の流れに頭から飛び込みたくなりました。(熱中症でイカれたと思われたくないので辞めましたが。。。

 

そんな暑さの中、繁盛していたのがアイスクリーム屋さんでした。

しかもこのアイスクリーム屋さん、ただのアイスクリーム屋さんじゃないんです。

TVの“なにこれ珍百景”でも紹介された100種類のアイスクリームがあるお店なのです。

 

 

勿論、お店に飛び込んでアイスクリームを注文しました。

が・・・余りの暑さで頭がボ~ッとしていたせいか、はたまた、見る見るうちに溶けて行くアイスクリームを食べる事で精一杯だったためか、写真を撮っていませんでした。

でも、極暑の中で食べたアイスクリームは例えようのない美味しさ(というか、食べていて気持ち良かった)でした。

 

この錦帯橋でこの日の観光予定はおしまい。この日の宿がある廿日市市に向かいました。

 

翌日、楽しかった広島旅行も最後の日を迎えました。

この日は、この旅行二つ目の世界文化遺産、厳島神社を観光しました。

本州と厳島の間には橋が架かっていないので連絡船で島に渡ります。

ただ10分おきに連絡船が出ているので待たされることはありません。

 

連絡船が出航して暫くすると、厳島神社のシンボル、大鳥居が見えてきました。

 

 

厳島に上陸して最初に出迎えてくれたのは野生の鹿たち(もっとも、かなり観光客慣れしていましたが・・・)でした。

まめ八は、以前行った奈良公園を思い出してしまいました。

 

この雄鹿、背中にまだ斑点が残っているのでバンビーノですね。

 

 

この日も前日以上に極暑でした。

海の傍だから少しは涼しかろう、と思っていたのが甘かった!

この時は全くの無風状態。強烈な日射に海からの湿気が加わってサウナの中のような状態でした。

ちょっと歩いただけで汗が滝のように流れる落ちる中、やっと厳島神社が見えてきました。

ただ、ツイていない事にこの時間は干潮で、まめ八が持っていた“海上に佇む厳島”というイメージとは程遠い物でした。せっかく極暑の中、大汗かいてやってきてのにガックリ。。。

 

 

でも一歩社殿に足を踏み入れたら、さすがに“日本三景”、“世界文化遺産”の厳島神社です。朱色の柱が続く渡り廊下は厳島神社ならではの光景ですね。

 

 

島神社は、大和朝廷時代の593年(聖徳太子の時代ですよ!)に創建されて以来、1400年の歴史を持つ神社で、古くから“日本三景”の一つとして広く知られてきました。最近では、世界文化遺産にも登録されていますネ。

 

それにしても・・・やっぱり干潮時の景色はイマイチだなぁ。。。

 

 

厳島神社を現在のような姿に整備したのは、平安時代末期の平清盛だったと言われています。

その後、衰勢した時期も一時あったようですが、毛利氏や豊臣秀吉らの保護を受けるようになると再び隆盛し、現在に至っているそうです。

海上に浮かぶその姿は極楽浄土を模したと言われており、日本を代表する景色の一つになっています。

 

 

柱と壁の朱色を緑、空の青さがいいですね。

 

 

菅原道真公を祀った“天神社”

学問の神様という事で、娘と一緒にしっかりとお参りして来ました。

掛けられていた絵馬を見ると“今年こそは司法試験に受かりますように”“東大に現役合格しますように”等など。。。なんとまぁ贅沢なお願いなんでしょう。

それだけ頭いいなら十分だと思うんですが。。。

神頼みは、神様にすがらないとどうしようもないウチのお子様のような凡庸な者が行ってこそご利益があるってものですゼ!

 

 

海上に浮かぶ厳島神社の姿を拝む事は出来ませんでしたので、せっかくの干潮なので大鳥居まで歩いてみました。

それにしても暑い!

 

 

大鳥居の根元ってこんなになっていたのですね!

製材していない自然のままの木の根元を利用してありました。

この事実を知ることが出来ただけでも良しとしましょう。

それにしても立派な木を使ってありますね。

 

 

神社といえばやっぱりおみくじは外せないでしょう。

特に厳島神社と言えば、1400年以上の歴史を持つ由緒正しいお宮です。しかも、日本三景に世界文化遺産と来れば、霊験あらたか、神様の御加護もそこいらの神社とは別格なハズ。。。

 

早速、本殿でお参りを済ませます。

お賽銭は、天下の厳島神社ということで今回は大奮発して10円(まめ八はお賽銭は5円と決めています。)あげました。

お賽銭で運勢が決まるわけではありませんが、昔から“魚心あれば水心”とも言いますからね。

神様だって少ないよりはたくさん貰った方が嬉しいハズですし。。。

さぁ~て、これでもうこれからの運勢アップは間違いなし。

私の未来には燦然と輝くサクセスストーリーが続いているんだぁ~!

“何でもかかって来やがれ!こっちには、世界文化遺産の厳島神社様が付いているだゼェ~!”

 

能書きはこれ位にしておいて、さてそろそろおみくじでも引こうかな。。。どれどれ・・・どれにしようかな。。。よし!これだ!大吉、だいきち~ぃ、待っててねぇ~

 

ところが、おもむろに開けたおみくじに書かれていた文字は。。。

 

『凶』・・・

 

えっえええ・・・何ですと? 

 

凶?、キョウ?、きょう?、kyou?.........

まめ八人生初の「凶」です。

 

“なんで?お賽銭奮発して10円もあげたじゃないか!

まさか、世界文化遺産だからってお高く留まって10円じゃ足りないなんて仰るのじゃありませんよね?大体、お賽銭の金額で運勢決めて貰ったんじゃこちとら堪りませんゼ!(・・・って、さっきまで“魚心あれば水心”なんて罰当たりな事言っていたくせに。。。

 

凶と解った瞬間、まめ八はおみくじを閉じて一緒におみくじを引いた奥さんや子ども達の様子を横目で観察。

 

“まさか、俺だけが凶なのか?俺だけが凶だったらカッコ付かないな・・・ここは様子を見て、この忌まわしきおみくじを誰にも気が付かれないうちに可急的かつ速やかに処分せねば。。。” と、その時、

 

“あ~ん! 凶を引いちゃったぁ~”という娘の声が。。。

 

“よし!娘よ、よくやった! やっぱりお前だけは俺の味方だったな!前々から解っていたんだよ。。。。ただ、お前の凶を喜ぶお父さんを許してくれ!”

すると、奥さんのお母さんまで“ありゃ~私も凶だった・・・”と言う声が。。。

この時のまめ八の感想は、一家離散になるといけないのでカットさせて頂きます。

 

落ち込む娘に、“どうした?いやぁ~実を言うとパパも凶だったんだよ。こんな物は良い時だけ信じればいいんだから気にするな!”と白々しい声をかけてやるまめ八でした。。。

 

結局、おみくじの結果は、私と娘、奥さんのお母さんが凶。くじ運のいい息子と奥さんは“吉”(こいつら、煩悩の塊のような生活しているクセに。。。神様も何処みてやがんだ!)。奥さんのお父さんは不明。。。ひょっとして・・・お父さんも私達と同じですかぁ~?

 

こんな罰当たりみたいな事考えているから凶なんでしょう。。。

でも、このおみくじの凶が何を意味しているのかを、この時のまめ八はまだ知らなかったのです。

その真の意味とは。。。

知りたい方は過去記事をご覧下さい。

過去記事:http://gazoo.com/G-blog/mamehachi/237050/Article.aspx

 

 

厳島神社の観光も終わったところで時計を見ると午後1時過ぎになっていました。明日は仕事。そろそろ帰路につかなくてはなりません。

往路とは逆に山陽道、中国道とひたすら我が家目指して走り続けます。

本州最後のPAとなる壇ノ浦PAでトイレ休憩。

ここからは本州側からの関門橋と北九州の景色が楽しめます。

2日前対岸の九州から見た時にはこれから始まる旅行に心ときめかせていたのですが、楽しいことってあっという間に終わってしまうものですよね。

 

 

対岸は九州、門司の街並みです。

 

 

翌日からは、また日常が始まります。

頑張ろっと!(・・・実は“凶”のおみくじの予言的中で日常生活どころではなかったのですが。。。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

ぺね [2010年8月29日 15:34]
猛暑の中の旅行お疲れ様でしたぁ!
錦帯橋は行った事がないんですが、本当に見事ですね。今のようにコンピューターで製図ができない時代によく考えて作られたと思います。
凶の予言的中、ひどいことになってないですか・・・?心配です。
おぺ [2010年8月29日 23:43]
こんばんは。
対岸からの錦帯橋の1枚はまさに絵画か浮世絵。絵になる風景とはこのことですね。酷暑のなかでの観光で大変だったようですが、親御さんも含め家族旅行を満喫できたようですね。
厳島神社のおみくじ凶は珍しくないですw。自分もたしか凶でした。その時友人に言われたのが「大凶でなくてよかったね」…!そんな恐ろしいおみくじなんですw。
デコちゃん [2010年8月30日 9:44]
こんにちは!
すご~~~く綺麗な写真、ありがとうございます^^
月曜日の朝から気分が晴れやかになりました♪
「凶」は私も一度引いたことがあります。
しかし、神社マニアの友達に言わせると、お祓いとかをウリにしているところ(?厄除け大師とか)では、「凶」が出やすいらしい(友達曰く)です。
今が「凶」でよかったですよね^^あとは上がるばっかりですよ!
とはいえ、お体は本当にお大事になさってください!!!
EP82-SW20 [2010年8月30日 20:00]
こんばんは。
ものの見事に「凶」が当たっちゃいましたねぇ(^^;)
でも、デコちゃんさんもおっしゃっていましたが、地の底に落ちていれば、後は上がるだけですw
私は錦帯橋は「橋の構造」を勉強する本か何かで写真を見たのが初めてですね。
厳島神社は素晴らしい経験だと思いますよ。
確かに海に佇む姿ではありませんが、干潮の厳島神社なんて、地元の人間でもなければ滅多に見ることができないですよ。
干潮の時の厳島神社の様子を見る事ができて、逆に私はまめ八さんは運が良いと思いましたw
きなこ [2010年8月30日 20:15]
こんにちは。
皆さん凶だったんですね、さすがくじ運がいい息子さんは違う!
っておみくじってくじ運なのかな?
錦帯橋はやっぱり美しい橋ですねぇ、実際に見てみたいです。

まめ八 [2010年8月30日 21:44]
ぺねさん、こんばんわ。
コメントを頂きまして有難うございます。

ご心配頂きまして有難うございます。
大腸ポリープ騒ぎでどうやら凶運は終わったようです。(;^_^A
これからは行いを正してまっとうな人生を送りたいと思います。(多分、長続きしませんが。。。!(^O^))
錦帯橋は美しい橋だと思います。
今から約350年前に架けられた橋だとはとても思えませんよね。さすが日本三名橋と言われることはあります。
記事最後から2番目に掲載した関門橋と比べてみると面白いですよね。!(^O^)
まめ八 [2010年8月30日 23:23]
おぺさん、こんばんわ。
続けてのコメント、有難うございます。
錦帯橋の写真はブログをちょっと意識して撮りました。!(^O^)
お褒めに預かり嬉しいです。

厳島神社のおみくじは凶が多いんですね?
それを伺って安心しました。!(^O^)
以前、京都の清水寺に友人と行った時に、おみくじをひいた全員が凶が出て大笑いした事を思い出しました。(その時私はおみくじをひかなかったので凶は出ませんでした。!(^O^))
凶の下には大凶というのもあるのですね?
噂には聞いていたのですが本当に存在するとは思いませんでした。一度見てみたいものです。(勿論、自分以外の人間が引いたものですが。。。!(^O^))



まめ八 [2010年8月30日 23:37]
デコちゃんさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

いやぁ~。拙写真をソコまで褒めて頂きこちらの方がお礼を申し上げなければなりませんよ。
週初めの爽やかな出勤にお役に立ててこれ以上嬉しい事はありません。!(^O^)
凶のおみくじが出る所の裏事情、よく解りました。!(^O^)
やっぱり神様(・・・と言うか神社を運営している人間?)も“魚心あれば水心”、“渡る世間は金次第”、“金の切れ目は縁の切れ目”なんですね~。!(^O^)
私も娘に“凶”は却って幸運なんだと慰めましたが、おぺさんによると凶の下には大凶があるという事なのでまだまだ落ちる可能性があるみたいです。(;^_^A
でも、それならば神様からブービー賞を貰いたかったなぁ~。
まぁ、私自身、こういうチャランポランな人間ですから“ケ・セラセラ”の気持ちでやっていきます。!(^O^)
まめ八 [2010年8月30日 23:48]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

>干潮の時の厳島神社の様子を見る事ができて、逆に私はまめ八さんは運が良いと思いましたw
仰る通り、確かにそうした考え方もありますね。いえ、そう考えた方が良いと思いました。
余り他人が注目しない所を見ることが出来たということは貴重な経験だったのかもしれません。!(^O^)
どんな旅にもアクシデントや不満は付きもの。。。そんな事を気にするより、せっかくお金と時間、労力をかけて出かけた旅行ですから、旅で得られたものや楽しい思い出を大切にした方が良いですよね。o(^▽^)o
人間と言うものはやはり欲深い生き物ですね。
まめ八 [2010年8月30日 23:53]
きなこさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

おみくじってくじじゃないんですか?
くじがつくので私はてっきりくじかと・・・!(^O^)
でも良く考えたら、くじで自分の運勢を語られるのも余り気持ちの良いものではありませんね。
錦帯橋の美しさは、橋の姿も勿論ですが、錦川の清流と周囲の美しい自然の為せる業だと思いました。こちらも是非一度訪れて見られて下さい。

にーなな [2010年8月31日 22:59]
こんばんは。
息子様のくじ運の良さはここでも大当たりでしたね。素敵です。記事を拝見して、やるなあと思いました。笑。
厳島神社。。ここも是非とも訪ねたいスポットです。素敵なショットをありがとうございます。

まめ八 [2010年9月1日 21:36]
にーななさん、こんばんわ。
連続コメント、有難うございました。

本当に息子のくじ運の良さは、親である私でさえ驚きます。o(^▽^)o
今のうちからこんなに運を使っていると運を使い果たして、大人になってから困りはしないかと心配になります。(;^_^A
広島は世界文化遺産が2つもあるので、結構楽しめる所だと思います。
機会がありましたなら行かれてみて下さい。

まつまえ [2010年9月1日 22:49]
こんばんは~。
暑い日のアイスってサイコーですよね。
基本チョコ味しか食べないのですが、100種類もある~となると、冒険してみたくもなります。
どんな種類があるのか興味あります。
あと、私も神社のさい銭は基本5円です。
まめ八 [2010年9月2日 19:10]
まつまえさん、こんばんわ。
続けてのコメント、有難うございます。

今年の夏は特に暑かった(・・・って、今も十分暑いですが。。。)のでアイスクリームを食べる機会が多かった気がします。
まつまえさんはチョコ味ですか?
私は、ブルーシールのパイナップル味が一番気に入ってます。でも、アイスクリームは結構カロリー高いので食べた後に妙な罪悪感に襲われてしまいます。(;^_^A
神社でのお賽銭は5円と昔から決まっているのです。(キッパリ。。。o(^▽^)o)
ただ、気前良く一万円を賽銭箱に投げ込める位の身分になってみたいものです。(;^_^A

ビックなトトロ [2012年4月8日 23:20]
こんばんは~~。

他のコメ付ける前にやってきました~~。
と只今 家に帰ってきました。(笑)

ホントに同じ場所からの写真ですね。(笑)
でも青空が違います。
やはり夏の空ですね。
まあ私はこのレンズまだPLフィルター付けていませんので・・・(涙)
早くかいます~~。
このソフトクリーム屋さん道路挟んでお隣です。
そっか~~
こちらはTVで紹介されていましたか~~(笑)
次はこの店で食べます。
って行く気になってま~す(爆)
まめ八 [2012年4月9日 19:45]
ビックなトトロさん、こんばんわ。
仕事でお疲れのトコロ、コメントを頂き有難うございます。

いやぁ~。。。夏空は綺麗ですがこの写真を撮った時は、本当に頭がボォ~っとなる位に暑かったです。(;^_^A
やっぱり観光は春か秋が宜しいかと。。。

百種類のソフトクリームが置いてあるお店の名前が“むさし”、そしてトトロさんが立ち寄られたお店は“小次郎”。。。
二つのお店ってライバルなのかなぁ?

広島旅行記~その3 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)後編

2010-08-28 14:04:57 | 放浪記

前回に引き続き『大和ミュージアム』についてご紹介していきます。

今回は大型資料展示室の展示品を中心にご紹介します。

 

まず最初は、戦艦『長門』に掲揚してあった軍艦旗です。

この軍艦旗は、TV番組の『なんでも鑑定団』に出品された物を、石坂浩二氏が評価額の1000万円!で購入されてこの『大和ミュージアム』に寄贈された物なんだそうです。

石坂浩二氏の歴史的遺物に対する愛情とその財力には驚きました。

 

 

次は九五式二型魚雷です。

魚雷とは、水上艦艇や潜水艦、航空機などから発射され、水中を航走して艦船の喫水線下を攻撃する兵器です。

この九五式魚雷は、推進機関の燃料燃焼用気体に純粋酸素を使用した、当時、世界で最も優れたものでした。長射程、高速、大威力で、航跡を殆ど残さないという長所があり、連合軍兵士からは『ロングランス(長い槍)』と呼ばれて警戒されました。

写真の二型は、この九五式酸素魚雷を、潜水艦などに搭載するために小型化したものです。

 

 

この高性能の九五式酸素魚雷も、連合軍に制空権を奪われた太平洋戦争後半には殆ど活躍の場が無くなってしまいました。日本軍の艦艇が魚雷の射程距離まで連合軍の艦船に近付く前に連合軍の航空機によって沈められてしまうからです。

そこで生まれたのが人間魚雷“回天”です。

“回天”は、九五式酸素魚雷の中央部に操縦席を設けて人間の操縦によって敵艦に突っ込むという特攻兵器でした。

母艦となる大型潜水艦の甲板上に積んで敵の傍まで運び、敵艦船の近くで母艦から切り離されて攻撃する仕組みでした。しかし、元々魚雷であるがゆえに操縦が極めて難しく、しかも制空権、制海権共に失っていた大戦末期の状況下では母艦となる大型潜水艦が敵艦船に接触することすら困難で、その多くは母艦ごと撃沈されてしまい、期待された程の戦果を挙げる事は出来ませんでした。“回天”自体は一人乗りですが、一度母艦から切り離されてしまうと生還することが出来ない特攻兵器であり、作戦や訓練中の事故、更には母艦となった潜水艦の乗員も含めると、将来ある多くの若者がこの“回天”作戦により命を落としています。その悲惨な状況は映画“真夏のオリオン”にも描かれています。

 

こんな物に乗せられて出撃して行った当時の若者の悲壮な決意を思うと目頭が熱くなってきます。

 

 

次に紹介するのは特殊潜航艇(甲標的丁型)“蚊龍”です。

この“蚊龍”は、“回天”とは異なり、生還の可能性が残された小型潜水艇で、武装として船底に装備された2基の魚雷が装備されていました。

ただし、実際の運用では生還の可能性は殆ど無く、その内実は特攻兵器と何ら変わりないものでした。

“蚊龍”は日本本土における決戦兵器として戦争末期に大量生産が行われましたが、幸いなことに、実戦での運用は沖縄戦で少数が使用されただけに留まりました。

 

 

“蚊龍”を上から見たところ。

こんな小型潜航艇で、連合軍艦艇がひしめき合う海域に出撃すればまず間違いなく生きては帰れないでしょう。私には出撃することさえ絶対に無理でしょう。

 

“蚊龍”の向こうに見えるのは各種砲弾。左端の一番大きな砲弾が“大和”級戦艦が搭載していた46cm砲弾(弾頭部)です。

 

 

戦艦“大和”と並んで、旧海軍の象徴となっているのが零式艦上戦闘機(零戦・ゼロ戦)ですね。

『大和ミュージアム』には、零戦の最終生産型である62型が展示してあります。

 

 

ご存知の方も多いとは思いますが、零戦は大戦前半まで連合軍戦闘機に対して圧倒的な強さ(もっとも、これには零戦自体の性能だけでなくパイロットの技量が優れていたということもあり、異論もあるのですが・・・)を発揮した旧海軍を代表する戦闘機です。

零戦の前には、その栄二一型エンジンが展示してあります。

 

 

戦争中盤までは連合軍戦闘機相手に活躍した零戦ですが、連合軍が次々と圧倒的多数の新型戦闘機を投入してくると苦戦を強いられるようになり、戦争末期には特攻機として使用されています。まさに旧日本海軍の栄光と没落を象徴するような戦闘機でした。

 

 

この零戦62型は、愛知県明治基地の第210航空隊の所属機で、大戦末期の1945年8月6日夕刻、訓練飛行中にエンジン不調を起こして琵琶湖に不時着、水没していた物を京都・嵐山博物館が1978年に引き上げ、かつて零戦の整備士・搭乗員だった有志の手によって復元された物です。長く嵐山博物館に展示してありましたが、嵐山博物館が閉館されると和歌山の「ゼロパーク」に引き取られ、野ざらしの状態で展示してあったそうです。しかし、「ゼロパーク」も閉館に追い込まれるに至って、この『大和ミュージアム』に引き取られることになったのだそうです。数奇な運命を辿った零戦なのですね。

 

零戦の操縦席です。

かなり狭く、大柄な私なら長時間の操縦は無理だと思われました。

ソロモン諸島上空では、こんな狭い操縦席に閉じ込められて3時間もの飛行の後、米軍機との熾烈な空中戦を行い、さらに3時間かけて帰還するという過酷な任務を毎日こなしていたというのですから、当時の日本軍パイロットの超人的な気力と体力には驚きを禁じえません。

 

 

零戦52型から装備されるようになった九七式7.7㎜機銃(奥)と三式13㎜機銃(手前)。

零戦は開発当初20㎜機銃と7.7㎜機銃をそれぞれ二門ずつ搭載していました。しかし、戦争中盤以降、連合軍新型機が重装甲となった事に加えて、戦闘機の戦術がそれまでのドッグファイトから一撃離脱法に変り、火力不足が指摘されるようになった事から、7.7㎜機銃に替えてこの13㎜機銃が1~3丁装備されるようになりました。

ちなみに、九七式7.7㎜機銃はイギリスのヴィッカースE型機関銃、三式13㎜機銃は、アメリカ軍のM2ブローニング機関銃のコピーと言われています。

一時期流行った“架空戦記”の多くは、日本がアメリカと互角以上に戦うという設定になっていましたが、笑止千万、全く馬鹿げた妄想だと思います。

機関銃すら自国で開発することが出来なかった当時の日本が、多くの家庭に自動車、冷蔵庫が普及していたというアメリカ相手に戦争するなんて実に無謀な事だったということがこの事実だけでも解りますよね。

 

 

最初は戦艦『大和』と零戦見たさに好奇心から見学を始めた『大和ミュージアム』でしたが、展示品の数々と、その説明を読み進めるうちに先の大戦が如何に無謀な戦争であったのか、この無謀な戦争を始めてしまった政治的判断の誤り、そしてその政治的判断の過ちの代償として死地に赴かなければならなかった将兵の悲壮な運命を考えずにはいられませんでした。

 

敗戦から今年で65年の歳月が過ぎました。

戦争を経験した世代が年々減る一方、日本の核武装化を始めとして勇ましい事を唱える人たちが現在の日本に増えつつあるように思います。

しかし、世界最強と言われた戦艦『大和』も、精強なベテランパイロットが乗る無敵と謳われた零戦も結局日本を守ることは出来ず、最後は両方とも特攻という形で多くの人命と共に消えて行きました。

このことは、軍事力だけでは国や国民は守れないという事を後世の私達に教えてくれているのではないでしょうか?

一番大切なことは、国が政治を誤らない様に平時から国民が政府・政治家をしっかりと監視・監督して行くことだいう事を『大和ミュージアム』の見学を終えて、思いました。

 

先の大戦でお亡くなりになられた350万人とも言われる戦没者の方々に合掌。。。

皆様方のお陰で、日本はこのように繁栄し、私達は豊かで自由な生活を楽しむ事が出来ています。どうか安らかにお休み下さい。。。

 

 

次回は最終回、錦帯橋と厳島神社をご紹介する予定です。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

まつまえ [2010年8月28日 23:31]
こんばんは~。
前編で「大和ミュージアム」面白そう!行ってみたい!!なんて思ってましたが、この後編で、そんな気持ちで行ってはいけない場所だな~と感じました。
でも、やっぱり行ってみたい所です。
行く機会があれば是非と思うのですが、展示品と説明を見てまわって、どのくらい時間が必要な施設なのでしょうか?
まめ八「 [2010年8月29日 7:44]
まつまえさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。
 
あ~・・・変なプレッシャーをかけてしまったみたいですね。申し訳ございません。m(._.)m
でも、“大和ミュージアム”は、難しいこと抜きで十分楽しめますし、真ん前には“てつのくじら館”、市内では海軍カレーや海軍カツレツなどのグルメも楽しめますから機会があれば是非いかれてみて下さい。
見学時間については、ざっと見れば1時間半。説明やDVDなどをしっかりと観て回るのであれば3時間、子ども達を体験コーナーで遊ばせるなら4時間を見ておけば充分だと思います。
なお、“大和ミュージアム”のHPに見学のお勧め時間配分なるものがありますのでそちらも参考にして下さい。o(^▽^)o
http://www.yamato-museum.com/access/course.html
EP82-SW20 [2010年8月29日 22:27]
こんばんは。
「真夏のオリオン」は先日TVでやっていましたね。
録画したと思いますが、まだ見ていません。
それ以前に、「出口の無い海」を見ています。
一言で言えば、戦争で人が死ぬ事の無意味さを実感させてくれる映画でしたね。
それ以前に「魚住少尉命中」というドラマを見た事があります。
タイトルからして「一人の人間が散っていった」事を思わせる悲惨さが伺えると思います。
このドラマも、まさに「無情」を思わせてくれました。
この二つの作品、ネットで検索すればヒットしてくれましたよw
おぺ [2010年8月29日 23:32]
こんばんは。
回天や特攻前の手紙などの展示は重いものがあり、まめ八さん同様、自分も目頭を熱くしてしまったことを思出しました。(自分はミュージアムに入るまでそのような心の準備をしていなかったのもありまして…)
まめ八さんのシメの言葉にもあるように、多くの犠牲者の方々の礎のもと今の平和があると感じます。そう考えると恥ずかしい国のあり方や生き方はできませんね。
まめ八 [2010年8月30日 23:03]
EP82-SW20さん、こんばんわ
いつもコメントを頂き、有難うございます。

『出口の無い海』はまだ観た事がありません。
機会を見つけて鑑賞したいと思います。
魚住姓は熊本県の北部に多い姓ですから多分、魚住少尉も熊本県出身者ではないかと推測します。
ただ、『男達の大和』や『俺は君のためにこそ死にに行く』など、戦争を美化する映画が増えてきている事には少し危機感を持っています。
こうした映画を作る人たちの意図は、必ずしも特攻で命を落とした人たちの遺志とは違うような気がします。それは知覧の特攻記念館に大量に残された遺書を見れば解ります。
以前、某東京都知事が“特攻と自爆テロを一緒にするな!”と言って激怒した事がありますが、私は同じだと思います。何故なら、自分の大切な者を守りたいが故の最後の手段であると同時に、純粋な若者の命を自らの目的遂行のために利用している人間がその後ろに控えているところが共通しているからです。
まめ八 [2010年8月30日 23:15]
おぺさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

そうなんですよ。あの遺書を書いた時の当人の気持ちを考えると何も言えなくなってしまうんですよね。(T△T)
EP82-SW20さんのコメントにも書きましたが、某東京都知事のように、特攻を美化してはならないと思います。実際に特攻で亡くなった方々はそれを望んでいたのでしょうか?
私は違うと思います。私が特攻に行かなければならなくなったら、こうした行為が今後二度と再び繰返されない事を望んで死地に旅立ったと思います。それを後世の人間が、何を意図してかわかりませんが映画にし、ことさら美化して描く事は特攻でお亡くなりになられた方々への冒涜だとさえ思います。
もし、某知事がそこまで戦没者への哀悼の気持ちが強いと言うのであれば、政治家としての自らの行いや発言、及びタカ派的とも受け取れる信条を改めるべきでしょう。
にーなな [2010年8月31日 22:52]
こんばんは。
先日に引き続き拝見させていただきました。
回天。。なぜこのような兵器が開発されてしまったのでしょう。。なにか納得のいかない気持ちが・・
零戦のプラモデルを少年の時に組み立てたことがありましたが、だんだんと時を経て大戦の事実を知ってから、複雑な心境になったことがありました。

機会を見つけて、是非とも訪れたいスポットですね。
まめ八 [2010年9月1日 21:30]
にーななさん、こんばんわ。
連日のコメント、有難うございます。

回天という兵器は、戦局が激しさを増した1942年のガダルカナル島を巡る戦いの頃から前線の下級将校から提案されていたらしいです。けれどもその頃は前線が日本本土から離れていた事もあり、その提案は却下されたそうです。ところが、日本軍が連戦連敗するようになり、アメリカ軍の本土上陸が避けられなくなってくると、前線の将校から再び上申があり認められることになったそうです。回天の生みの親、黒木博司大尉、仁科関夫中尉はそれぞれ黒木大尉が訓練中に殉職、仁科中尉は最初の回天攻撃で出撃し戦死しています。
終戦までに148基の回天が出撃しましたが当然全ての搭乗者が戦死されています。
なお、回天という名前は、“天を回らせ、戦局を挽回する”ということで付けられた名前なんだそうです。
人命よりも大義という得体の知れないものが大切にされた時代の産物なんでしょうね。

広島旅行記~その2 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)前編

2010-08-26 23:31:02 | 放浪記

原爆ドームを後にしたまめ八一行は次の目的地である『呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)』(以下、大和ミュージアム)のある呉市に向かいました。

この『大和ミュージアム』は、奥さんのお父さんとまめ八が最も楽しみにしていた場所です。

広島市街地の国道2号線で多少の渋滞はあったものの、広島・呉道路(クレアライン)を使って約30分で呉市に到着することが出来ました。

『大和ミュージアム』自体は、呉中央桟橋のすぐ左、ゆめタウン呉の向かいにあるので迷うことはまずないと思います。

 

博物館左にある駐車場に車を停めてまず度肝を抜かれるのが、道を挟んだ向かいにある海上自衛隊呉資料館 『てつのくじら館』です。

なんとここには本物の潜水艦が陸揚げされて展示されているのです。

この潜水艦は1983~2004年の間、実際に海上自衛隊で使われていた「ゆうしお型」潜水艦の「あきしお」です。

 

 

今回は、時間の都合上、残念ながら見学することが出来ませんでしたが、この「てつのくじら館」は、この本物の潜水艦の内部を見学することが出来る世界的にも珍しい施設なんだそうです。

次回は一人ででも見学に訪れたいと思いました。

 

さて、お目当ての『大和ミュージアム』の入り口には、1943年に柱島沖で謎の爆沈を遂げた戦艦『陸奥』の引き上げられたパーツが展示されていました。

 

戦艦『陸奥』の舵とスクリュー。

傍の男性と比べてもかなり大きいことがお解りだと思います。

戦艦『陸奥』には、この舵とスクリューがそれぞれ4つ付いていました。

 

 

戦艦『陸奥』は、大和型戦艦が登場するまで旧日本海軍最大・最強の戦艦として同型艦『長門』と共に長く国民から親しまれていました。

イギリスやアメリカの同クラスの戦艦と比べてもかなりの高性能艦で、その後の世界の戦艦建造に大きな影響を与えたと言われています。太平洋戦争を生き残った同型艦の『長門』は、戦後、アメリカ海軍によって原爆実験の標的艦として使われましたが、原爆の直撃を受けても数日間浮いていたほどの堅牢な防御力を備えていました。

 

戦艦『陸奥』の41cm主砲身。『大和』型戦艦が登場するまでは世界最大の艦載砲でした。

 

 

戦艦『陸奥』のアンカー。

これもでかいです。

 

 

さて、いよいよ『大和ミュージアム』の館内に入ります。

入り口で入場券を買って中に入ると、1/:10スケールで正確に再現された巨大な戦艦『大和』の模型が展示してありました。

 

まずは左舷前方から見た姿。

1/10とはいえ、とにかくでかい!

周囲の人間と比べて頂くと、その迫力がお解りになると思います。

 

 

右舷後方からのショット。

艦尾に設けられたカタパルト上には、これまた正確に再現された零式水上観測機が載せられています。

 

 

艦橋、煙突部分を右舷から見たところ。

甲板上に置いてある人形を比べるとその巨大さが解ります。

 

 

二階に上がって上後方から見た『大和』。

映画『男達の大和』の影響でしょうか?

この日は女性の見学者もたくさん訪れていました。

 

 

戦艦『大和』をじっくり見たあと、展示室「呉の歴史」を見学しました。

ここでは、旧日本海軍の歩みと共に、かつて旧帝国海軍の本拠地が置かれ、海軍の町として発展してきた呉市の歴史が、写真、資料、実物、模型などを使って解り易く説明されてありました。

また、呉海軍工廠で建造された旧帝国海軍の艦艇についても説明や展示が行われています。

 

まず、前にご紹介した戦艦『陸奥』の同型艦である戦艦『長門』。

上から3枚目の写真の41cm砲身は、前方と後方にある砲塔に2門ずつ、計8門搭載されていました。

 

 

航空母艦『赤城』です。

巡洋戦艦として建造されましたが、ワシントン海軍軍縮条約により航空母艦に改装されました。

太平洋戦争の初期に、日本の空母機動部隊の旗艦として活躍しますが、1942年6月のミッドウェー海戦でアメリカ海軍の攻撃を受けて沈没しました。

 

 

航空巡洋艦『最上』。

重巡洋艦として建造されましたが、後に後甲板を水上機用の航空甲板に改修して世界でも類を見ない航空巡洋艦となりました。航空甲板には水上機11機を搭載する事が出来ました。

1944年10月のスリガオ海峡海戦でアメリカ海軍の攻撃を受け大破。

味方による海没処分により失われました。

 

 

伊57潜水艦。

この潜水艦は、1944年に同盟国であったドイツに派遣されましたが、大西洋上でアメリカ海軍機の攻撃を受けて沈没。

後に水深5000mの海底で船体が発見され遺品等が回収されました。

その遺品の一部は『大和ミュージアム』に展示してあります。

 

 

伊37潜水艦(上)と伊400潜水艦。

日本海軍の潜水艦の特徴に水上機を搭載していたことが挙げられます。

 

伊37潜水艦は後に特攻兵器である人間魚雷『回天』の母艦に改修され、1944年に行われた最初の『回天』を使用した攻撃時にアメリカ海軍の駆逐艦の攻撃を受けて戦没。

伊400潜水艦は、当時世界最大の潜水艦で、3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載することが出来た潜水空母でした。地球を1周半することが出来る長大な航続距離を持ちパナマ運河を攻撃する予定でしたが、戦局の悪化に伴って攻撃目標をアメリカ海軍の前進基地であるウルシー泊地に変更、その作戦遂行中に終戦となりアメリカ軍に降伏しました。

戦後、この伊400潜水艦の思想はアメリカ海軍のSLBM搭載原子力潜水艦に影響を与えたと言われています。

 

 

最後にご紹介するのは、ブーゲンビル島上空で撃墜された山本五十六連合艦隊長官搭乗機の破片です。

『大和ミュージアム』にはこのような貴重な展示物も多数目にすることが出来ます。

 

 

さて、何となく旧海軍軍艦の解説みたいになってきましたが、次回は『大和ミュージアム後編』と称して、零戦の実機を初めとしたその他の展示物をご紹介したいと思います。

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

ゆきchan [2010年8月27日 1:59]
こんばんわぁ。すごいミュージアムですね!興味あります~行ってみたいです!ひとつひとつのパーツが大きくて、そのスケールがわかりますね!
まめ八 [2010年8月27日 9:44]
ゆきchanさん、おはようございます。
コメントを頂きまして有難うございます。

う~ン!ゆきchanさんなら凄く楽しんで頂ける博物館だと思いますよ。
次回の後編では、大型展示物をご紹介する予定なのでご笑覧下さいね。
呉市には、この“大和ミュージアム”の他、その向かいには“てつのくじら館”もあり、さらに海軍カレーや海軍カツレツなどのグルメもありますので、メカに興味がある方には一日中楽しめる場所だと思いますよ。
ちなみに、ゆきchanさんの地元、佐世保にも海上自衛隊の資料館があるので訪ねてみられては如何でしょう?
デコちゃん [2010年8月27日 9:59]
こんにちは!
こんなミュージアムがあるとは知りませんでした!スゴイ!
戦艦にはそんなに興味がなかったですが、こうして実物大の潜水艦や精巧な模型を間近で目にすると、こんなスケールの大きいものが海に沈んだり浮かんだりしているのかと思うと壮大ですね。
まめ八 [2010年8月27日 19:47]
デコちゃんさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。
戦艦大和といえば、かの宇宙戦艦ヤマトの元になった旧日本海軍の戦艦です。
潜水艦は軍事機密の塊のような物なので、普通は一般に公開されることはまずありません。
もちろん展示してある『あきしお』も軍事機密や武器類は全て外してあるのですが、それでも普段滅多に見られないものなので私自身、絶対に見学に行きたいと考えています。
それにしても潜水艦ってクジラのように見えませんか? (^O^)
おぺ [2010年8月28日 9:26]
こんにちは。
行ってきましたか、大和ミュージアム。自分も一昨年の夏に行きました。(記事にもしましたよ)。大和の装備や技術力の展示がとても印象に残りましたね。ちなみに"超弩級"という言葉の語源を説明展示で初めて知りましたw。
それにしても、まめ八さんが展示に熱心に見入る姿が目に浮かぶようですw。
まめ八 [2010年8月28日 19:06]
おぺさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。
おぺさんの過去記事拝見させて頂きましたよ。!(^O^)
おぺさんは“てつのくじら館”にもいかれたのですね。いいなぁ~。私は時間がなくて行けませんでした。
それにしても“大和ミュージアム”の艦船模型、良く出来ていましたね。おぺさんの御想像通り、ショウケースに額をくっつけるようにして見入ってしまいました。予定では1時間の見学時間でしたが、2時間以上費やしてしまいましたよ。!(^O^)
でも旧軍の艦船や飛行機は博物館などで大切に保管されていますが、戦車の方は靖国神社の九七式戦車と自衛隊土浦駐屯地の三式戦車位しか残っていないのが残念です。これ以外にも九五式軽戦車が嵐山美術館→ゼロパークと、“大和ミュージアム”の零戦と同じ経緯で存在していたのですが、ゼロパーク閉館後、イギリスの博物館に売られてしまい、現在は国内に残っていません。
同じ旧軍の兵器なのに、どうしてこうも待遇が違うのか?。。。戦車モデラーとしては不満の残る所です。!(^O^)
EP82-SW20 [2010年8月28日 22:22]
こんばんは。
そうですね、私も確かおぺさんの記事で一度ここを拝見していますw
多分私もここに行ったら引き込まれてしまっていますね。
山本五十六長官の一式陸攻の破片・・・。
山本長官、暗号が解読されて待ち伏せされているのを知っていて搭乗したらしいですね。
まめ八 [2010年8月28日 23:37]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

山本長官機の撃墜事件について、アメリカの凄さについてのエピソードを一つ紹介しておきましょう。
アメリカは日本の暗号を解読して山本長官機の撃墜作戦を実行したことは良く知られています。ただ、その際に、山本長官を暗殺することについての是非について議論が行われていたことは余り知られていません。アメリカ軍は、山本長官を暗殺することによって、山本長官以上に能力のある人物が後任の連合艦隊長官に就任する可能性まで議論していたのだそうです。つまり狼を倒したはいいが、その後に虎が出て来ることを恐れたのです。ただ綿密な調査の結果、日本海軍には山本長官以上の人物は存在せず、あとは凡将ばかりである、との結論に達したそうです。実際、山本長官以降の日本海軍の戦争指導者は年功序列による凡将ばかりで戦局をますます悪化させていったわけですね。
これだけシビアに科学的な思考が出来る国家を相手に戦争したわけですから負けても仕方ないどころか3年9ヶ月もよく持ち堪えたな、と思います。

きなこ [2010年8月29日 8:31]
こんなミュージアムがあるんですね~。
それこそ宇宙戦艦ヤマトを思い出しました。
また記事にあるようにまめ八さんの知識にも脱帽です。
まめ八さんのようにこういったものが好きな方と一緒に行ったら
いろいろ教えてもらえて楽しめそうですね♪
でないと、するするっとみて終わってしまいそうです(笑)
まめ八 [2010年8月30日 21:34]
きなこさん、こんばんわ。
連続コメント、有難うございます。
長文にお付き合い頂き、本当に感謝申し上げます。!(^O^)

以前、この“大和ミュージアム”には併設展示として宇宙戦艦ヤマトのコーナーがあったそうですよ。!(^O^)
ただ、“この施設にはふさわしくない”との批判から、私達が行った時には撤去されていました。
旧海軍艦艇についての知識は、昔読んだ本の受け売りです。(;^_^A
私達が子どもの頃は、男の子の憧れと言えば戦艦大和と零戦でしたから。。。
こちらの博物館には腕章をつけた御年配のボランティアの方々が各コーナーに数名ずついらして、質問をすれば、それはそれは詳しく色々と教えてくれるんですよ。!(^O^)
でも、私でよければいつでも呼び出して下さい。
!(^O^)

にーなな [2010年8月30日 22:54]
こんばんは。
うわぁ。。リアルな戦艦が一斉に。。圧巻です。
私はほとんど知識を持ち合わせてはいないのですが、当時、実際にこれらの戦艦が佇んでいる光景は一体どのような感じだったのだろうと、ふと、考えていました。
まめ八さんの引き出しの多さにはいつも脱帽です。
まめ八 [2010年8月31日 21:17]
にーななさん、こんばんわ。
続けてのコメント、有難うございます。

私も出来ることならば戦艦大和の実物を見てみたい気がします。(海底に沈んでいるので無理な話ですが。。。)
『男達の大和』の撮影中、その撮影用に製作されたセットが福山の造船所で暫くの間、一般公開されていました。セット自体は艦橋を中心に艦の前の部分だけだったそうですが、観に行った友人の話によると凄まじく巨大で威圧感があったそうです。まさに海の城ですね。
核兵器が搭乗するまで、人類が持つ最強の兵器が戦艦でした。
古い時代を象徴する大和が造られた呉と同じ広島県の広島市に、新しい時代の象徴となる核兵器が落とされた事は歴史の皮肉と言ってもいいのかもしれません。