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広島旅行記~その2 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)前編

2010-08-26 23:31:02 | 放浪記

原爆ドームを後にしたまめ八一行は次の目的地である『呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)』(以下、大和ミュージアム)のある呉市に向かいました。

この『大和ミュージアム』は、奥さんのお父さんとまめ八が最も楽しみにしていた場所です。

広島市街地の国道2号線で多少の渋滞はあったものの、広島・呉道路(クレアライン)を使って約30分で呉市に到着することが出来ました。

『大和ミュージアム』自体は、呉中央桟橋のすぐ左、ゆめタウン呉の向かいにあるので迷うことはまずないと思います。

 

博物館左にある駐車場に車を停めてまず度肝を抜かれるのが、道を挟んだ向かいにある海上自衛隊呉資料館 『てつのくじら館』です。

なんとここには本物の潜水艦が陸揚げされて展示されているのです。

この潜水艦は1983~2004年の間、実際に海上自衛隊で使われていた「ゆうしお型」潜水艦の「あきしお」です。

 

 

今回は、時間の都合上、残念ながら見学することが出来ませんでしたが、この「てつのくじら館」は、この本物の潜水艦の内部を見学することが出来る世界的にも珍しい施設なんだそうです。

次回は一人ででも見学に訪れたいと思いました。

 

さて、お目当ての『大和ミュージアム』の入り口には、1943年に柱島沖で謎の爆沈を遂げた戦艦『陸奥』の引き上げられたパーツが展示されていました。

 

戦艦『陸奥』の舵とスクリュー。

傍の男性と比べてもかなり大きいことがお解りだと思います。

戦艦『陸奥』には、この舵とスクリューがそれぞれ4つ付いていました。

 

 

戦艦『陸奥』は、大和型戦艦が登場するまで旧日本海軍最大・最強の戦艦として同型艦『長門』と共に長く国民から親しまれていました。

イギリスやアメリカの同クラスの戦艦と比べてもかなりの高性能艦で、その後の世界の戦艦建造に大きな影響を与えたと言われています。太平洋戦争を生き残った同型艦の『長門』は、戦後、アメリカ海軍によって原爆実験の標的艦として使われましたが、原爆の直撃を受けても数日間浮いていたほどの堅牢な防御力を備えていました。

 

戦艦『陸奥』の41cm主砲身。『大和』型戦艦が登場するまでは世界最大の艦載砲でした。

 

 

戦艦『陸奥』のアンカー。

これもでかいです。

 

 

さて、いよいよ『大和ミュージアム』の館内に入ります。

入り口で入場券を買って中に入ると、1/:10スケールで正確に再現された巨大な戦艦『大和』の模型が展示してありました。

 

まずは左舷前方から見た姿。

1/10とはいえ、とにかくでかい!

周囲の人間と比べて頂くと、その迫力がお解りになると思います。

 

 

右舷後方からのショット。

艦尾に設けられたカタパルト上には、これまた正確に再現された零式水上観測機が載せられています。

 

 

艦橋、煙突部分を右舷から見たところ。

甲板上に置いてある人形を比べるとその巨大さが解ります。

 

 

二階に上がって上後方から見た『大和』。

映画『男達の大和』の影響でしょうか?

この日は女性の見学者もたくさん訪れていました。

 

 

戦艦『大和』をじっくり見たあと、展示室「呉の歴史」を見学しました。

ここでは、旧日本海軍の歩みと共に、かつて旧帝国海軍の本拠地が置かれ、海軍の町として発展してきた呉市の歴史が、写真、資料、実物、模型などを使って解り易く説明されてありました。

また、呉海軍工廠で建造された旧帝国海軍の艦艇についても説明や展示が行われています。

 

まず、前にご紹介した戦艦『陸奥』の同型艦である戦艦『長門』。

上から3枚目の写真の41cm砲身は、前方と後方にある砲塔に2門ずつ、計8門搭載されていました。

 

 

航空母艦『赤城』です。

巡洋戦艦として建造されましたが、ワシントン海軍軍縮条約により航空母艦に改装されました。

太平洋戦争の初期に、日本の空母機動部隊の旗艦として活躍しますが、1942年6月のミッドウェー海戦でアメリカ海軍の攻撃を受けて沈没しました。

 

 

航空巡洋艦『最上』。

重巡洋艦として建造されましたが、後に後甲板を水上機用の航空甲板に改修して世界でも類を見ない航空巡洋艦となりました。航空甲板には水上機11機を搭載する事が出来ました。

1944年10月のスリガオ海峡海戦でアメリカ海軍の攻撃を受け大破。

味方による海没処分により失われました。

 

 

伊57潜水艦。

この潜水艦は、1944年に同盟国であったドイツに派遣されましたが、大西洋上でアメリカ海軍機の攻撃を受けて沈没。

後に水深5000mの海底で船体が発見され遺品等が回収されました。

その遺品の一部は『大和ミュージアム』に展示してあります。

 

 

伊37潜水艦(上)と伊400潜水艦。

日本海軍の潜水艦の特徴に水上機を搭載していたことが挙げられます。

 

伊37潜水艦は後に特攻兵器である人間魚雷『回天』の母艦に改修され、1944年に行われた最初の『回天』を使用した攻撃時にアメリカ海軍の駆逐艦の攻撃を受けて戦没。

伊400潜水艦は、当時世界最大の潜水艦で、3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載することが出来た潜水空母でした。地球を1周半することが出来る長大な航続距離を持ちパナマ運河を攻撃する予定でしたが、戦局の悪化に伴って攻撃目標をアメリカ海軍の前進基地であるウルシー泊地に変更、その作戦遂行中に終戦となりアメリカ軍に降伏しました。

戦後、この伊400潜水艦の思想はアメリカ海軍のSLBM搭載原子力潜水艦に影響を与えたと言われています。

 

 

最後にご紹介するのは、ブーゲンビル島上空で撃墜された山本五十六連合艦隊長官搭乗機の破片です。

『大和ミュージアム』にはこのような貴重な展示物も多数目にすることが出来ます。

 

 

さて、何となく旧海軍軍艦の解説みたいになってきましたが、次回は『大和ミュージアム後編』と称して、零戦の実機を初めとしたその他の展示物をご紹介したいと思います。

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

ゆきchan [2010年8月27日 1:59]
こんばんわぁ。すごいミュージアムですね!興味あります~行ってみたいです!ひとつひとつのパーツが大きくて、そのスケールがわかりますね!
まめ八 [2010年8月27日 9:44]
ゆきchanさん、おはようございます。
コメントを頂きまして有難うございます。

う~ン!ゆきchanさんなら凄く楽しんで頂ける博物館だと思いますよ。
次回の後編では、大型展示物をご紹介する予定なのでご笑覧下さいね。
呉市には、この“大和ミュージアム”の他、その向かいには“てつのくじら館”もあり、さらに海軍カレーや海軍カツレツなどのグルメもありますので、メカに興味がある方には一日中楽しめる場所だと思いますよ。
ちなみに、ゆきchanさんの地元、佐世保にも海上自衛隊の資料館があるので訪ねてみられては如何でしょう?
デコちゃん [2010年8月27日 9:59]
こんにちは!
こんなミュージアムがあるとは知りませんでした!スゴイ!
戦艦にはそんなに興味がなかったですが、こうして実物大の潜水艦や精巧な模型を間近で目にすると、こんなスケールの大きいものが海に沈んだり浮かんだりしているのかと思うと壮大ですね。
まめ八 [2010年8月27日 19:47]
デコちゃんさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。
戦艦大和といえば、かの宇宙戦艦ヤマトの元になった旧日本海軍の戦艦です。
潜水艦は軍事機密の塊のような物なので、普通は一般に公開されることはまずありません。
もちろん展示してある『あきしお』も軍事機密や武器類は全て外してあるのですが、それでも普段滅多に見られないものなので私自身、絶対に見学に行きたいと考えています。
それにしても潜水艦ってクジラのように見えませんか? (^O^)
おぺ [2010年8月28日 9:26]
こんにちは。
行ってきましたか、大和ミュージアム。自分も一昨年の夏に行きました。(記事にもしましたよ)。大和の装備や技術力の展示がとても印象に残りましたね。ちなみに"超弩級"という言葉の語源を説明展示で初めて知りましたw。
それにしても、まめ八さんが展示に熱心に見入る姿が目に浮かぶようですw。
まめ八 [2010年8月28日 19:06]
おぺさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。
おぺさんの過去記事拝見させて頂きましたよ。!(^O^)
おぺさんは“てつのくじら館”にもいかれたのですね。いいなぁ~。私は時間がなくて行けませんでした。
それにしても“大和ミュージアム”の艦船模型、良く出来ていましたね。おぺさんの御想像通り、ショウケースに額をくっつけるようにして見入ってしまいました。予定では1時間の見学時間でしたが、2時間以上費やしてしまいましたよ。!(^O^)
でも旧軍の艦船や飛行機は博物館などで大切に保管されていますが、戦車の方は靖国神社の九七式戦車と自衛隊土浦駐屯地の三式戦車位しか残っていないのが残念です。これ以外にも九五式軽戦車が嵐山美術館→ゼロパークと、“大和ミュージアム”の零戦と同じ経緯で存在していたのですが、ゼロパーク閉館後、イギリスの博物館に売られてしまい、現在は国内に残っていません。
同じ旧軍の兵器なのに、どうしてこうも待遇が違うのか?。。。戦車モデラーとしては不満の残る所です。!(^O^)
EP82-SW20 [2010年8月28日 22:22]
こんばんは。
そうですね、私も確かおぺさんの記事で一度ここを拝見していますw
多分私もここに行ったら引き込まれてしまっていますね。
山本五十六長官の一式陸攻の破片・・・。
山本長官、暗号が解読されて待ち伏せされているのを知っていて搭乗したらしいですね。
まめ八 [2010年8月28日 23:37]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂きまして有難うございます。

山本長官機の撃墜事件について、アメリカの凄さについてのエピソードを一つ紹介しておきましょう。
アメリカは日本の暗号を解読して山本長官機の撃墜作戦を実行したことは良く知られています。ただ、その際に、山本長官を暗殺することについての是非について議論が行われていたことは余り知られていません。アメリカ軍は、山本長官を暗殺することによって、山本長官以上に能力のある人物が後任の連合艦隊長官に就任する可能性まで議論していたのだそうです。つまり狼を倒したはいいが、その後に虎が出て来ることを恐れたのです。ただ綿密な調査の結果、日本海軍には山本長官以上の人物は存在せず、あとは凡将ばかりである、との結論に達したそうです。実際、山本長官以降の日本海軍の戦争指導者は年功序列による凡将ばかりで戦局をますます悪化させていったわけですね。
これだけシビアに科学的な思考が出来る国家を相手に戦争したわけですから負けても仕方ないどころか3年9ヶ月もよく持ち堪えたな、と思います。

きなこ [2010年8月29日 8:31]
こんなミュージアムがあるんですね~。
それこそ宇宙戦艦ヤマトを思い出しました。
また記事にあるようにまめ八さんの知識にも脱帽です。
まめ八さんのようにこういったものが好きな方と一緒に行ったら
いろいろ教えてもらえて楽しめそうですね♪
でないと、するするっとみて終わってしまいそうです(笑)
まめ八 [2010年8月30日 21:34]
きなこさん、こんばんわ。
連続コメント、有難うございます。
長文にお付き合い頂き、本当に感謝申し上げます。!(^O^)

以前、この“大和ミュージアム”には併設展示として宇宙戦艦ヤマトのコーナーがあったそうですよ。!(^O^)
ただ、“この施設にはふさわしくない”との批判から、私達が行った時には撤去されていました。
旧海軍艦艇についての知識は、昔読んだ本の受け売りです。(;^_^A
私達が子どもの頃は、男の子の憧れと言えば戦艦大和と零戦でしたから。。。
こちらの博物館には腕章をつけた御年配のボランティアの方々が各コーナーに数名ずついらして、質問をすれば、それはそれは詳しく色々と教えてくれるんですよ。!(^O^)
でも、私でよければいつでも呼び出して下さい。
!(^O^)

にーなな [2010年8月30日 22:54]
こんばんは。
うわぁ。。リアルな戦艦が一斉に。。圧巻です。
私はほとんど知識を持ち合わせてはいないのですが、当時、実際にこれらの戦艦が佇んでいる光景は一体どのような感じだったのだろうと、ふと、考えていました。
まめ八さんの引き出しの多さにはいつも脱帽です。
まめ八 [2010年8月31日 21:17]
にーななさん、こんばんわ。
続けてのコメント、有難うございます。

私も出来ることならば戦艦大和の実物を見てみたい気がします。(海底に沈んでいるので無理な話ですが。。。)
『男達の大和』の撮影中、その撮影用に製作されたセットが福山の造船所で暫くの間、一般公開されていました。セット自体は艦橋を中心に艦の前の部分だけだったそうですが、観に行った友人の話によると凄まじく巨大で威圧感があったそうです。まさに海の城ですね。
核兵器が搭乗するまで、人類が持つ最強の兵器が戦艦でした。
古い時代を象徴する大和が造られた呉と同じ広島県の広島市に、新しい時代の象徴となる核兵器が落とされた事は歴史の皮肉と言ってもいいのかもしれません。