gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

電気工事 その1~コンセント・照明スイッチ配置~

2012-11-30 20:03:55 | 家作り

11月17日(土)。。。

いつもなら棟梁さんが一人でコツコツ工事をやっている我が家の現場ですが、この日は電気工事の方が2人来られていました。

いよいよ電気配線工事が始まりました。

これから数日間かけて、コンセントと照明スイッチの基部の取り付けを行うのだそうです。

 

コレが照明スイッチ基部です。

住友林業の標準では、床から照明スイッチカバー下端までの高さが110cmになっています。(勿論、施主からの要望があれば高さは変えられます)

 

 

そしてコチラがコンセント基部。。。

このコンセントは早くも通電されているみたいで、工事用の電源として使われていました。

住友林業の標準では、床からコンセントカバー下端までの高さは24cmになっているようです。(コチラの方も施主からの要望があれば高さを変えることが出来ます)

 

 

洗面室兼ランドリースペースに取り付けられていた器具です。

左は洗濯機に接続する専用水栓。

洗濯機に注水するための専用の水栓が標準で装備されています。

この専用水栓はなかなかの優れモノで、もし万が一、洗濯機のホースが外れた場合には自動で水が止まるようになっているそうです。

 

右は洗濯機用のコンセント。

 

 

グレーの太い配管には屋外から電気を引き込むケーブル(黒色)が通っています。

 

 

 

“コンセントはどれだけ付けてもお値段の方はサービスさせて頂きます”

 

・・・という、設計士さんの有難いお言葉に甘えて我が家では、“ココまで付けるか?”という程、沢山のコンセントを付けてしまいました。

 

“コンセントはなるべく沢山付けておいた方がいいよ”

 

という、同僚の家づくりの先達からの有り難いアドバイスを尊重しました。

ちなみに住友林業の場合、コンセントは三個口が標準になります。

 

 

左から、エアコンダクト、エアコン用コンセント基部、24時間換気システムのダクトです。

エアコンダクトと24時間換気システムのダクトは、透湿防水防風シートとの隙間が生じないようにパテでしっかりと隙間埋めされていました。

 

 

電気工事屋さんの手によって着々と配線工事が行われていきます。

施工ミスを防止するために、住友林業では配線系統ごとにケーブル被膜の色を変えてあります。

青のケーブルが照明スイッチ用。

黄色のケーブルが照明用。

赤が回路の電源用。

グレーがコンセント用

オレンジ色が電話・テレビ・LANなどのマルチメディアケーブルになるそうです。

 

 

 

 

このように複雑な配線作業でも間違えが無いようにするため、それぞれのケーブルには色分けだけでなく、種類や回路番号などが刻印されてあります。

 

 

少し手ブレていますが、コレは回路のジョイントボックスです。

 

 

配電盤が設置される洗面室兼ランドリースペースには色とりどりのケーブルがぶら下がっていました。

 

 

太陽光発電モニター、エネファーム発電モニター、ドアホンのモニター、給湯機の手動スイッチ、それに照明スイッチが集中するキッチン横壁の配線状況。

まるで蜘蛛の巣状態です。

 

 

ビックフレーム構法の利点であり、そして最大の欠点は内壁が少ない事です。

この欠点のために、モニター類やコンセント、照明スイッチが、このように使い勝手の良い壁に集中配置されてしまう事になります。

 

左上から、ドアホンモニターパネル基部、廊下の床暖のスイッチ基部、右上から、エネファームモニターパネル基部、下二つが床暖スイッチ基部になります。

この他、右のエネファームモニターの上には太陽光発電のモニターパネルが付く事になります。

 

 

 

最近の家は、コストダウンの為にケーブル類は最短距離で張られていきます。

電気工事屋さんに支給されるケーブルも0.1m単位の長さで決められていますから、少しの無駄も許されません。

その結果、配線はご覧のように蜘蛛の巣状態となる訳です。

 

まめ八個人としては、昔の家のようにキチンと梁や柱の沿わせて整然と配線して頂いた方が嬉しいのですが。。。

 

ただ、工事担当者さんの説明では、梁や柱に沿って配線するとケーブルを固定しなければならなくなり、その結果、断線などが生じた場合の修理が大変になるので、最近の家は、このように蜘蛛の巣状態で配線するのが主流なんだそうです。

まぁ、コチラとしては、最終的には天井板で見えなくなってしまうワケですから、そう拘る必要も無いのですが。。。

 

 

11月25日(日)には、コンセントと照明スイッチ、そして配電盤等の位置検分が行われました。

調子にのって取り付けて貰ったコンセントと照明スイッチの余りの多さに、検分は2時間30分もかかってしまいました。

 

無いよりはあった方が何かと便利なコンセントですが、余りに多いと位置確認の検分が大変ですから、コレから家を建てられる方は打ち合わせの段階で設計士さんとじっくり相談されて決めた方が良いと思います。

 

また、コンセントや照明スイッチの横方向の場所決めについては、打ち合わせ段階で設計士さんによる確認がありますが、縦位置(高さ)については確認がありません。(ひょっとしたらあったのかもしれませんが、まめ八は覚えていません

そのため、黙っていると、そのまま住友林業の標準位置に決まってしまうので、コンセントや照明スイッチの位置に拘りがある方(例えば、小さなお子さんがいる家庭)は、施主の方から積極的に意見を出していった方が良いと思います。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

宮ちゃんNO1 [2012年11月30日 22:40]
こんばんは~ 宮ちゃんで~す!

う~ん・・・色分けによる電気配線
コレは確かにイイですね~
そう・・・大断面構造で一番大変なのは電気屋さん
配線をどう廻すか?苦労するみたいデス!

確かに・・・コンセントは多いに越した事は有りませんが
家具や部屋の配置を考えた位置決定が重要かと?

一年生 [2012年11月30日 23:10]
こんばんは

コンセントは多い方が何かと便利とアドバイスしようと思ったら、もう聞いていたんですねー

特にリビングダイニングキッチンは多いに越したことありません。

廊下や階段なども掃除の時など多い方が

必要以上に付ける必要ははありませんが結構いるもんです。

しかし電線って結構多いもんですねー。


ビックなトトロ [2012年12月1日 9:00]
おはようございます。

屋内配線というか配線は出来るだけ短い方がいいですよ。
出来れば、プラス20cm~50cmいないがいいですよ。
あまり変わりないと言えばそうかも知れませんが線の電送ロスや間のトラブルを考えると短いにこした事有りません。
逆に長いのはそれだけの尺寸が曖昧なのか出来合いを使っているかです。
その場での作っている配線ならほぼ丁度で作ります(^_^)
屋内配線見ると良く出来た工事だと思いますよ(^_^)

一応、第1種電気施工管理技術者の資格持ってますので、この施工なら安心出来ますね。
職人技を感じます(^_-)-☆
しかしもう少し軽く束ねてもとは思いますけど・・・
これからですかね(^_^)
ヴェル24 [2012年12月1日 10:09]
おはようございます。

色とりどりの配線ですネ。コンセントは多い方が良いと私も思います。後は場所が問題になるでしょうね。エアコン用のコンセントなど微妙に届かなくて延長ケーブルが必要になったりしますので・・・。

まめ八 [2012年12月2日 18:08]
宮ちゃん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

今の家は廊下を作らない設計が多く、その結果壁も短くなってしまうのだそうです。
ただ、もう少し間取りに余裕があったのなら壁を少し増やして、住林お得意のスリットでも入れて・・・なんてできたのでしょうが、いかんせんショボリンなので。。。(;^_^A
私もコンセントを増やすよりも、配置をしっかり考えた方が見た目もスッキリして良いかな?なんて考えていましたが、設計士さんや現場担当者さんの話では、コレから先、部屋の模様替え等を行う場合にコンセント位置が制約となってしまうから一つの壁に二つ位(要するに部屋の対角線上に一つずつ)はつけておいた方が良いと言われてコンセントの数が増えてしまった次第です。(^0^*
まめ八 [2012年12月2日 18:15]
一年生さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

ハイ。。。40年前に建てられた旧宅はコンセントが少なくてパソコン周りやテレビ周辺は危険な位のタコ足になっていたので、設計の段階でコンセントの数と配置には結構気を遣ったつもりです。(^0^*
ただ、旧宅と比べてみて、40年前に比べて如何に今の生活がエネルギーを大量消費しているのかが実感として解りました。便利で快適な家電製品が増えた事は有難いのですが、ホント、コレで良いのかな?って思います。
究極のエコ・・・それは使わない事ですから。。。(;^_^A
まめ八 [2012年12月2日 18:56]
ビックなトトロさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

おぉ~っと!トトロさん、お詳しいですネ~。
電気関係のお仕事をされているのでしょうか?
とても参考になります。

さて、我が家の場合、間取りの打ち合わせでコンセントとスイッチ類の配置が決まった後、配電図は設計士さんがいつの間にか作成されていました。
また、コード類はその配電図に基づいて、「スイッチ~リビングのダウンライト用〇〇m」とか「玄関横屋外コンセント~ジョイントボックス用〇〇m」という具合に、0.1m単位で既にカットされたモノが梱包されて現場に送られてきて、電気工事屋さんはそれを繋いでいくだけなんだそうです。(;^_^A
その徹底した無駄削減には脱帽します。

それにしても第1種電気施工管理技術者のトトロさんから“この施工なら安心・・・”というお墨付きを頂いて安心しました。コレからもアドバイス、宜しくお願い致します!
まめ八 [2012年12月2日 19:10]
ヴェル24さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

天井からぶら下がったコード類・・・パッと見た目、本当にカラフルですよね~。
ただ現場がいきなりゴチャゴチャしてきたような印象を受けてしまいます。(;^_^A
なるべくタコ足配線はしたくないので、コンセントは大目につけておきました。
施主支給するエアコンは、外寸等の仕様データを設計士さんに既に連絡してありますので、それに合わせてコンセント位置も決められていると思います。(あくまで設計士さん任せです。(;^_^A)

あるカメラマンの目に映った50年前のインド、ネパール 後編~ネパール点描~

2012-11-28 10:00:00 | 戯言

前編に引き続き、50年前にまめ八の父親を初めとした若者が見たネパールの風景をご紹介していきたいと思います。

 

ネパールの首都カトマンズを発った登山隊は現地のポーターとともに目的の山に向かってひたすら歩き続けたようです。

この写真にあるような原生林の中の道を、熱帯の蒸し暑さと薄くなる空気にあえぎながら歩き続けた様子がこれ等の写真から伺えます。

 

 

今なら、バスをチャーターして移動出来る場所でも当時は自らの足で歩いていかなければならなかったそうです。

 

 

目的とする山まで数日かけての移動。。。

この写真には「キャラバン」という書き込みが為されていました。

登山隊の荷物を背中に背負って歩いてくれるポーターとともに、こうした野営を重ねて目的の山に向かった訳です。

真ん中の木を挟んで、左側の日本人と、右側のネパール人シェルパ(靴を履いている人)、ポーター(靴を履いていない人)の対比が面白いと思います。

また、設営されたテントがちょっとオシャレですネ。

 

 

この写真には「キャラバン・ポーター 足」という解説が付けられていました。

当時、ヒマラヤの峰々にアタックする登山隊を支えていたのが現地人のポーター達でした。

彼らは50㎏以上の荷物を自らの背中に背負って険しい山道を裸足で歩き続けていたそうです。

生まれてから靴というものを履いた事が無い彼らの足は、皮が分厚くなりひび割れています。

ただ、長距離を歩いたためでしょうか?その丈夫な彼らの足にも血が滲んでいる事が解ります。

 

 

小休止の一コマでしょうか。。。

ちょっと一服するポーター達です。

この写真に写っているポーターは靴を履いています。

それにしても背中に背負っている荷物の量の凄い事。。。

これで空気の薄い5,000m以上(富士山よりも高い!)場所まで荷物を運んで行くわけですから彼らの心肺機能は驚異的です。

 

 

これまでご覧頂いたように50年前のヒマラヤ登山は、目的の山の麓に辿り着くまでに相当な苦労があったようです。(コレは今も余り変わらないのかもしれません)

ただ、自らの足で歩いた事によって登山隊一行は当時のネパール人の素朴な生活や自然に触れる機会を得られたみたいです。

スライドフィルムには、その記録も残されていました。

 

この写真には「チャウバン風情」という解説がありました。

ヒマラヤの峰々をバックにたわわに実るバナナ。。。

手前にはヒマラヤの峰々を映す鏡のような湖。。。

当時の山男たちなら誰もが憧れるような世界が写し出されていました。

ちなみに“チャウバン”という地名を探してみましたが、結局解りませんでした。

恐らく、ネパールの小さな村落なのでしょう。

 

 

この写真には「マチャプチャリー」という解説が付いていました。

ヒマラヤの有名な秀峰“マチャプチャリ”をバックにしたネパールの農村風景です。

バックの山々は紛れもなくヒマラヤですが、手前の茅葺き屋根の家々、頭に捻り鉢巻きをして農作業に勤しむ農夫の姿は、昭和初期までの日本の農村風景と見紛わんばかりです。

 

 

路肩に座り込んで休憩する登山隊一行を物珍しそうに眺めながら過ぎ行くネパール人女性の一団。。。

毎日の生活に追われている彼女たちからすれば、ただ単なる山登りの為に遠く異国の地から遥々やって来たという、自分たちと同じ顔をした若い男たちは理解出来ない存在であったに違いありません。

 

 

川を渡る一行。

人里を離れるに従って橋が架かっていない川が増えてきたようです。

流れる川の水はヒマラヤの氷河から流れ出る水。。。

どれだけ冷たかった事でしょう。。。

 

 

上との連続写真だと思われます。

川を渡る登山隊一行を面白そうに眺める現地の若い女性たち。。。

「村の乙女ら」という解説が付いていました。

 

 

この後、一行は付近の村に立ち寄ったみたいで、当時のネパール人の生活の様子を撮影した写真が残っていました。

この写真には「糸をつむぐ」という解説が付けられていました。

ハンドメイドと思われる糸紡機もさることながら、女性が来ている着物の粗末な事に驚きました。

きっとこれらの着物も彼女たちが自分たちで糸を紡ぎ、機を織り、そして着物に仕立て上げたのでしょう。

 

 

一行が村を訪れた際、ちょうど村ではお祭りが行われていたようです。

「おまつり」という解説が付いたこの写真には民族楽器を手にして踊るネパールの人たちが写し出されていました。

その周りには一張羅を羽織った村の子どもたちの姿が見られます。

子どもたちは裸足ですネ。

ここに写っている子どもたちも今では50~70歳代になっているハズです。

 

 

現地で食料として調達した孔雀を手にする隊員。(親父ではありません)

今のようにレトルト食品が発達していなかった当時、日本から運んできた乾燥食品や缶詰には限りがあり、しかもそれらの食料は登頂アタック時の為に取っておく必要がありました。

そこで必然的に移動中の食料は現地の村々で調達することになります。

この孔雀も隊員たちの胃袋に収まったことでしょう。

ちなみに、ローマ帝国では孔雀の舌は珍味として珍重されていた事をご存知ですか?

 

 

まめ八の微かな記憶によれば、コレと同じものがかつて我が家にあったような。。。

その時の記憶によれば、この半円状の編み物はネパールの携帯用座布団であったと思われます。

材質は確か皮をひも状にしたものを編み合わせて作られていたような。。。(記憶があやふやなのでひょっとしたら間違っているかもしれません。。。)

 

 

石造りのこの建物はお寺でしょうか?

 

 

石に刻まれた文様。。。

チベット文字の可能性もあります。

 

 

ベースキャンプ地までの道のりの中で、カメラマンは路傍に咲く現地の植物にもカメラを向けています。

この写真には「グランスの花」という解説がありました。

葉だけをみると、ゴムの木に似ていますネ。

 

 

この写真には「やまざくら」という解説が付けられていました。

日本の「やまざくら」に似た花であったのでしょうか。。。

 

 

これは背景からすると少し高度が上がった場所で撮影された花でしょう。

白い水仙のような花です。

 

 

隊員たちが物珍しそうに囲んでいる石積み。。。

この写真には解説が無いので詳しい事が解りません。

恐らく、ネパールのお墓ではないかと推測します。

 

 

この写真が撮影された場所になると、かなり高度が上がります。

雪山へと続く原野にポツンと建てられたお墓?

チベットからブータン、ネパールの山岳地帯の一部では“鳥葬”が有名ですが、石積みが為されている事から写真の地域は土葬が習慣のようです。

 

 

登山隊はいよいよ険しい山岳地帯に入ったようです。

氷河末端を行くポーター。

それにしても彼らが背負っている荷物の量には驚きです。

 

 

最後にご紹介する一枚の写真には「オンデー」と記されていました。

70枚を超える写真の中で唯一、ネパール人で個人名が書き添えられた写真です。

恐らく登山隊一行がお世話になったシェルパのリーダーでしょう。

ヒマラヤの詳しい地理情報がまだ無かった時代、彼らシェルパの力量によって登山隊の運命も大きく左右されたといいます。

親父達の登山隊は、人跡未踏の7,000m級の山にアタックしたそうですが、一人の遭難者を出す事も無く、無事、帰国することが出来ました。

 

 

さて、これまで2回にわたって、ある日本人カメラマンが50年前に撮影したインド・ネパールの写真をご紹介してきました。

 

これら、50年前の写真を眺めつつ、改めて考えた事。。。

 

今でこそ、旅行会社によってツァーが企画される程に身近になったヒマラヤ登山ですが、今から50年前は外貨留保の関係で日本人の海外渡航は自由に出来ませんでした。

しかも当時、ヒマラヤ登山といえば、まだ未知の領域が多く、名だたるプロ登山家や、国家や大企業の後援を受けたチームだけに許された聖域だったのです。

そうした時代に、アマチュア登山家の集まりであった職域山岳会の若者たちが、大きな後援団体もない中で、文字通り自分たちだけの力で夢を実現していったという事実は驚くべき事だと思います。

 

結局、親父たちのヒマラヤ遠征隊は、目的とした山の登頂には成功する事が出来ませんでした。

 

でも、“ヒマラヤの山に挑戦してみたい”というヒマラヤの山々と同じ位、高く厳しい目標を実現することが出来ました。

 

彼ら50年前の若者たちは、目的とした山頂に到達する事こそ出来ませんでしたが、個々の心の内なるヒマラヤの頂きに立ち、心の底から満足できたのではないでしょうか。


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

一年生 [2012年11月28日 11:56]
こんにちは

まめ八さんのお父さん、ほんとすごい経験をされてたんですね。

しかしネパールの人は日本人とよく似た顔してますね。

裸足であの石ころの凄いとこ歩くとは、高度が高くなるとしもやけや凍傷になりそう。

しかし古い映像ですがヒマラヤの澄み切った空気と山の白さを、なおいっそうの想像を駆り立てます。

うんヒマラヤも将来見てみたくなってしまった。
宮ちゃんNO1 [2012年11月28日 14:47]
こんにちは~ 宮ちゃんで~す!

交通・情報が乏しい中・・・まさに冒険!の文字に相応しい記録デスね~
ヒマラヤ登山・・・シェルパやポーターの力無くてはやはり無理な事を改めて認識させらました~
言葉や文化・風習の違いを乗り越え・・・一つの目的の為に
向かって行く姿・・・何となく感動を覚えますネ!
ホント・・・素晴らしい記録写真だと思います!

まめ八 [2012年11月28日 19:26]
一年生さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

ポーターの足。。。凄いですよね。
まるで象の足の裏みたいです。
人間も鍛えればココまでなっちゃうんですネ~。
多分、この写真を見る限り、角質層が厚くなって爪のようになってしまっていると思われるので、足の裏に関しては霜焼けや凍傷にはならなかったと思いますよ。!(^O^)
ネパール人は確かに日本人そっくりですよね。明らかにインド人(アーリヤ人)より日本人に近い顔や体型だと思います。
ネパールの隣国がブータンになりますが、ブータンは民族衣装まで日本の着物そっくりですよ。
まめ八 [2012年11月28日 19:34]
宮ちゃん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

この頃の日本人って、今と違って物や情報が少なかった分、好奇心と行動力に富んでいたのではないでしょうか?
クリック一つで、世界各地の画像や情報が瞬時に見られる今の時代に生きる私たちは便利さによって、却って退屈で窮屈な面白くない人生を送っているのかもしれませんね。

上から7枚目のマチャプチャリの山をバックにした茅葺き屋根の村落の写真。。。
宮ちゃんの故郷、信州の古い記憶と被るのではないでしょうか?!(^O^)
ビックなトトロ [2012年11月28日 23:29]
こんばんは~。

本当に尊敬できる御父様ですね(^_^)
現在なら気軽に出来る海外旅行ですが、たった50年前ではとてつもない旅行だった事を今回教えて頂けました。
また50年後はどうなっているのでしょうか?

是非とも良き未来にしたいですね(^_-)-☆
ヴェル24 [2012年11月29日 21:27]
こんばんは。

今じゃ気軽に行ける海外旅行も50年前はかなりハードルが高く、持ち出せる金額も制約が有ったと思います。
それらを克服し、更に現地でも全てが大変な状態なのに、コレだけの情熱が有る方達じゃないととても実現できませんね。これってヤッパリドキュメンタリーにするとか、執筆して記録に残して欲しい気がしますね。
まめ八 [2012年12月2日 17:53]
ビックなトトロさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

いえいえ。。。この歳になるまで、そして今回ご紹介した写真を見るまでは、父親としての顔しか知らなかったので、私にとっては反面教師的存在の親父でしたよ。(;^_^A
でも、私自身がこの写真に写っている親父よりも年上になってしまった今、自分の歩んできた人生と比較して、本当に凄い事をやってのけてきたんだな。。。って思います。
さて、我が息子は私の人生をどう評価するのでしょうか?(;^_^A
まめ八 [2012年12月2日 17:58]
ヴェル24さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

実は、絶版(・・・というか限定発行)なんですが、このヒマラヤ遠征について親父は本にまとめてあるんですよ。
先日、これらの写真を届けた際に知ったのですが、来年、このメンバーの生き残りで“ヒマラヤ遠征50周年”の記念式典(集まって飲むだけみたいですが。。。)を行うと言っていました。この写真がその式典に間に合って本当に良かったと思います。(*^-゚)v

屋根工事 その4~屋根不具合の顛末~

2012-11-27 20:27:44 | 家作り

11月16日付の記事で指摘していた屋根工事の不可解な場所。。。

その顛末を報告します。

 

25日(日)に行われたコンセントと照明スイッチの位置確認検分の際に、住友林業の現場担当者さんから屋根工事についての詳細な説明がありました。

それによると・・・

 

①屋根工事が途中で止まっていたのは、不足した部材があり、その部材が届くのを待っていた。

②現在は指摘された部分の工事も終了して検査も終わっている。

 

という事でした。

 

早速、足場に上がって施主自ら点検。。。

 

コレが前回指摘した、スレートの貼り間違いと、軒換気金具が軒端まで届いていない状態です。

 

 

施工途中の部材なのか?

それとも単なるゴミなのか?

屋根の上に置きっぱなしでした。

 

 

 

そしてコチラが施工後の状態。。。

 

 

きちんと施工してありました。

ひとまず安心。。。

 

それにしても住友林業の説明・・・未だに納得できません。

部材不足が工事中断の理由なら、部材発注をかけるのは屋根の施工業者ではなく住友林業であるわけですから、住友林業の社員たる工事責任者さんが、まめ八が最初に確認をした時に“屋根工事終わっています”なんて事報告をするはずがありません。

しかも、コレまでの経緯を振り返ると、屋根工事が中断していた事さえ工事担当者さんは把握していなかった可能性が極めて高いのです。

 

恐らく、工事途中で部材が不足している事が解り、工事を中断した屋根の施工業者が住友林業に部材発注依頼を忘れていたか、もしくは、報告を受けていた住友林業社内の連絡ミスで工事担当者さんに部材不足の連絡が入っておらず、発注されていなかった。。。という事ではないか?と、まめ八は想像しています。(それを裏付けるかのように、指摘した3日後には施工が終わっています)

まぁ、ココで事の真相を追求したトコロで、コチラとしては何ら得るものはありませんから、この問題は“大人の対応”で終わらせておきたいと思います。

 

さて、良く見るとスレートの所々には、“ルーフマモラー”が設置してありました。

 

 

実を言うと、住友林業から渡された屋根の施工図面に“ルーフマモラー”って表記してある場所が数ヶ所あったので気になっていたのです。

工事担当者さんに聞いたトコロ、何のことはない、屋根のメンテナンスなどを行う際に作業員が高所作業帯のフックを引っかける金具なんだそうです。(期待して損した。。。

 

 

この“ルーフマモラー”・・・

我が家では屋根の東斜面と南斜面には太陽光パネルが載る予定なので、北斜面と西斜面に集中的に取り付けられています。

 

それにしても“ルーフマモラー”って。。。

ネーミング、もう少し何とかならなかったモノなんでしょうかネ~

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

一年生 [2012年11月29日 17:18]
こんにちは

とりあえず一件落着ということでもうたぶんこんなことは2度とないでしょうから。

“ルーフマモラー”って住友林業だけの名前なんですかね、

これまた初耳です。わかりやすいと言えばわかりやすい。

しかしこれがあるといいですね、傾斜も少ないみたいなので

自分でも登れそうなのかも?


ヴェル24 [2012年11月29日 21:22]
こんばんは。

今回も大人の対応なんですネ。(笑)

ルーフマモラーって屋根を守っているのではなく、屋根のメンテする人を支援するものなんですネ?ちょっと命名がズレてる?(笑)
ビックなトトロ [2012年12月2日 15:46]
こんにちは~。

すみません。遅コメ失礼します。
今回は無事終了ですかね。
私が気になったのは工事責任者の対応ですね。
自分の目で確認はしていないようで・・・
報告の鵜呑みはダメな対応と思いますよ。

責任者は最低1日数回は現場視察と状況を判断し、工程の組み込み修正を都度行わないといけないはずです(~_~;)
こういった事が続くようでしたらチェンジのクレームもやむおえないかと・・・

ここではやんわり理由つけて住林に大人の対応を申し出てもいいのでは無いでしょうかσ(^_^;)
まめ八 [2012年12月2日 17:25]
一年生さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

家を建てる際に色々なトラブルは付き物である事は覚悟していたのですが、今回の一件はちょっと?って感じでしたネ。
このようなトラブルが二度と無い事を願っていますが、まだ記事にはしていませんが、既にもう発生しちゃっいました。(;^_^A
ルーフマモラーは、エバー商会という会社の製品らしいです。商品のネーミングも?ですが、会社の名前も?ですね。!(^O^)
まめ八 [2012年12月2日 17:36]
ヴェル24さん、こんばんんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

ハイ、結果オーライで今回も大人の対応で済ませました。

・・・というのも、住林の工事担当者さん、誠実を絵に描いた様な人の良さそうな感じなんですが、とにかくコミュニケーションが下手な人で、余り厳しくやっちゃうと却って逆効果になってしまうような気がするからなんですよ。
でも、屋根の件でチクリとやったおかげでしょうか?
最近は、何かちょっとしたトラブルがあると直ぐに電話してくれるようになりました。(;^_^A
まめ八 [2012年12月2日 17:47]
ビックなトトロさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

遅コメなんてとんでもない!
私の方が、遅レスに連コメでご迷惑をおかけしております。<(_ _)>

そうなんです!私が気に入らないのもご指摘の件なんです。
ハウスメーカー選びの時から、“住林は工事が始まると現場任せ”という評判を耳にしていたのですが、この工事担当者さんは一日一回は必ず現場に顔を出されていたので安心していましたが、屋根に関しては完全に見落としていたみたいですネ~(;^_^A
棟梁さんの話では、消費税増税前の駆け込み需要で住宅着工件数が激増し、人手が足りないそうで、この現場責任者さんも何件もの現場を駆け回っているのでしょう。その証拠に、連絡を入れてくるのはいつも夜8時過ぎです。
まぁ、その辺の事情も察しての“大人の対応”ってワケです。
ただ、だからと言って手を抜いて貰っては困るので、コレから先の状況次第では「併せ技一本!」という秘技が出るかもしれません。(;^_^A

あるカメラマンの目に映った50年前のインド、ネパール 前編~カルカッタからカトマンズへ~

2012-11-27 10:30:00 | 戯言

先般、天袋の奥から出てきた古いスライドフィルムについての記事をアップしましたが、思いのほか好評でした。

そこで、これから2回に分けて、前回ご紹介できなかった写真のウチから50年前のインド、ネパールの風景、風俗、建物などが写ったモノをご紹介したいと思います。

 

50年前、親父たちヒマラヤ遠征隊は横浜港を出港。

途中、幾つかの港に寄港しながら、インド東部の港町カルカッタ(現コルカタ)で下船。インドに入国しました。

コレからご紹介するのは、この時に同行したカメラマンが撮った50年前のカルカッタの街並みです。

 

「カルカッタ」という表題が付いた写真。ヒンドゥー教の寺院と思われます。

 

 

この写真には「寺(カルカッタ)」と書き込まれていました。

上の写真の寺院と同一の建物だと思われますがかなり壮大な寺院のようです。

有名な寺院なのでしょうか?

 

 

上の写真と同じく「寺(カルカッタ)」と記入されていた写真です。

上の写真を別の角度からアングルを下げて撮ったものだと思われます。

 

 

こちらの写真にも「寺(カルカッタ)」という書き込みが付されていました。

同一の寺院を手前に花を配して別の角度から撮影したモノでしょう。

手前の花は、今でこそ日本でも普通に観られるようになった“ノウゼンカスラ”に似ています。

 

 

この写真には解説がありません。

建物の形と写っている人の服装からカルカッタで撮影されたものだと思われます。

 

 

この写真には「空路、カトマンズへ」という書き込みがありました。

遠征隊一行は、カルカッタから空路ネパール入りしたようです。

 

 

「カトマンズ」という解説が付いた写真です。

飛行機上、もしくは高台から見たネパールの首都カトマンズの50年前の街並み。50年後の現在はどのような姿に変貌しているのでしょうか?

 

 

この写真には「カトマンズ 寺」という解説がついていました。

ネパール国民の8割はヒンドゥー教徒ですが、仏教徒も約1割を占めています。

 

 

コチラの写真には解説が付いていませんでした。

王族の廟、もしくはお寺ではないかと推測されます。

写真の順番と建物の形からカトマンズで摂られた写真だと思われますが、カルカッタの可能性もあります。

 

 

この写真にも解説が付いていませんでした。

手前に写っている僧侶からカトマンズ市内で撮影された一葉だと思われます。

 

 

この写真にも解説がありません。

ただ、建物の形状からカトマンズ市内である事は間違いないでしょう。

周囲を高い城壁で囲まれているトコロから、ひょっとしたら王宮かもしれません。

ちなみに、現在のネパールは共和制ですが、まめ八の父親たちが訪れた当時は王国でした。

 

 

これも解説無しの写真。。。

お寺のステンドグラスのようです。

中央の神はシヴァ神でしょうか?

ステンドグラスが取り付けられているのはキリスト教会だけではないみたいですネ。

 

 

この写真には「バザール」という解説が付いていました。

カトマンズ市内のバザールの様子を撮影したモノでしょう。

ネパールは国連の後発発展途上国(所謂、最貧国)に分類されています。

ネパールのGDP(国内総生産)額は185億ドルで、鳥取県の経済規模よりも小さいのだそうです。

現在でもこのようなバザールが開かれているのでしょうか?

 

 

この写真には「軍隊」という解説が付いていました。

何かの記念日だったのでしょう。

礼装したネパール軍兵士たちが競技場の様な場所を行軍していることろです。

ネパールと言えば、精強で知られるグルカ兵が有名ですよね。

 

 

この写真にも「軍隊」という解説が付いていました。

カトマンズ市内をパレードするネパール軍の騎兵隊でしょう。

 

 

この後、遠征隊一行は目的地であるヒマラヤ山中に向かいます。

 

次回は、カトマンズからヒマラヤ山中で撮られたと思われる写真を中心にご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

一年生 [2012年11月27日 15:34]
こんにちは

お父さんが50年前に見られたところがスライドフィルムのデジタル化によってよみがえる。

お父さんの青春時代に見た風景を見ることができるとは。

きっといつか時間がとれるようになったら、写ってるところを探しに行ってお父さんが50年前に見たのと同じ風景みたくなるんじゃないでしょうか?

DNAのどこかに残っていて懐かしさを感じたりして。
宮ちゃんNO1 [2012年11月27日 15:41]
こんにちは~ 宮ちゃんで~す!

う~ん・・・かなり歴史的価値を感じる写真デスね~
今現在はこれらの寺院は残って居るんでしょうか?
確かに・・・ネパール・・・以前は王国でしたネ!
フイルムが色あせて居ないのがチョット驚きでした~(笑)

ヴェル24 [2012年11月27日 17:19]
こんにちは。

このフィルムって色々な意味で貴重な記録だと思います。個人的にはまめ八さんの父上の思い出ですし、世界的には民族的にも歴史的にもその時代の生の映像ですから。

NHKなどから歴史映像としての提供を求められたりするかも知れませんね?
ビックなトトロ [2012年11月27日 23:10]
こんばんは~。

凄いフィルムばかりですね(^_^)
これは貴重なフィルムって言うかまめ八様の御父様凄い方ですね(>_<)

偉人っていうレベルじゃ~ないですか(^_^)
まめ八 [2012年11月28日 19:02]
一年生さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

そうですねぇ。
定年退職したら、親父たちが目指した山の姿位は遠くからでも構わないので、この目で見てみたいと思います。
ちなみに、親父がこのヒマラヤ遠征に出かけている最中に私は生まれました。!(^O^)
まめ八 [2012年11月28日 19:07]
宮ちゃん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

写真に写っている寺院や村落などについての名前等の記録が一切残されていないので、現存するかどうか確認のしようがありません。親父に聞いても多分忘れているでしょうし。。。
まぁ、コレだけの寺院ですから間違いなく残ってはいるでしょうけど。。。
フィルムの保管状態が良くなかったので、デジタル画像として取り込んだ状態ではまともに見れる状態ではありませんでした。フォトショップで画像処理してやっとココまでの状態に復旧することが出来ました。(;^_^A
まめ八 [2012年11月28日 19:11]
ヴェル24さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

50年前と言えば、まだカラーフィルム自体がそんなに普及していなかった時代ですから、その意味では貴重なモノなのかもしれませんね。
もし、画像の使用を求められれば、親父に相談の上で前向きに検討するつもりです。
まめ八 [2012年11月28日 19:17]
ビックなトトロさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

う~ん。。。自分の親父を評価する事はとても難しいので何ともお答えしようがないのですが、ただ50年前に、情熱だけを糧に、仲間たちとコレだけの事をやってのけたヴァイタリティーと勇気には感服しています。
ただ、家庭人としては、無口で、自己中で、我がままで、頑固で、休みの日は寝てばかりいる怖い親父でした。(;^_^A
EP82-SW20 [2012年12月15日 21:21]
こんばんは。

うわぁ、こちらも年代物の写真がw

カラーというのもすごいw

お父さん、なかなか「先駆者」的な方みたいですねw
まめ八 [2012年12月16日 22:53]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

いやぁ~。。。子どもから言わせれば、この頃から無茶ぶりと、言い出したら引かない頑固な性格だったんだなぁ~って思います。(;^_^A
それより、度々、コメントを頂いておりながらソチラの方へお伺い出来ない事に対して深くお詫び申し上げます。
ヴェルファイヤ、ご契約されたそうでおめでとうございます。!(^O^)
ホント、良い車に巡り合えて良かったですネ。
コチラの方が、もう少し余裕が出ていたらお伺い出来ると思います。
本当に申し訳ございません。<(_ _)>

マッチのマーチが走った橋!

2012-11-26 10:00:00 | 放浪記

25日(日)は久しぶりに晴れの休日でした。

でも、23日(金)の夜に上司から電話が。。。

 

“休みのトコロ、スマンばってん、25日(日)にちょっと天草まで行ってくれんかい?”

 

え~っ・・・どうせ代休もくれないんでしょう?

えっ?暇そうなのがお前しかいない?

ヘイヘイ・・・分かりましたよ。行けばいいんでしょ、行けば・・・

 

という訳で、折角の晴れの休日もお仕事で潰れてしまいました。

でも、せっかく天草まで行くんだからカメラ持って行こっと。。。

 

計算通り、予定の時間より1時間早く上天草市大矢野島に到着!

コンビニでお弁当をお茶を買い込んで向かったのが維和島です。

 

この島は、とても景色が綺麗な所で、まめ八が釣りに熱中していた頃によく訪れていた場所なんです。

この維和島へは、西維和橋(全長238m)と東維和橋(全長380m)という二つの橋を渡って行きます。

 

まず、大矢野島から野牛島を結ぶ西維和橋。

大矢野島側から撮影。

 

 

西維和橋と東維和橋は幅員が一車線分しかありません。

橋の中ほどに離合が出来るスペースが設けられていますが、対向車が来た場合には基本的に橋のたもとで対向車が通り過ぎるまで待っておかなければなりません。

また、天候が悪い場合には通行止めになる事があります。

 

 

橋を渡り終え、野牛島から見た西維和橋。

 

 

野牛島を暫らく走ると次に優美な姿の東維和橋が見えてきます。

 

 

橋を渡って維和島から眺めた東維和橋。

 

 

この東維和橋周辺は大矢野島と維和島との間に沢山の無人島が点在する風光明媚な場所です。

今日は久しぶりの快晴で遠くに雲仙岳が見えていました。

 

 

波静かで潮の流れがあるこの水域は、日本で初めてクルマエビの蓄養(養殖の前身)が行われた場所でもあります。

現在でもこの辺りではクルマエビの養殖が盛んに行われています。

 

 

島の間からは対岸の三角の街が見通せました。

ココで車を停め、窓を全開にしてコンビニで買ってきたお弁当を食べました。

 

 

この場所。。。訪れる人も殆どなく穴場的な景勝地です。

晩秋の真っ青な空と静かな海を眺めながら久しぶりにのんびりとした気分に浸ることが出来ました。

 

 

そろそろ仕事の時間が迫ってきました。

腹ごしらえも終わったので本来の目的地に向かって、再び東維和橋を渡って野牛島へと戻ります。

 

今から20年ほど前に日産マーチのCM(“マッチのマーチ”ってキャッチコピーが使われていた時代です)にも使われた橋で、その際には近藤雅彦さんが来られたとか。。。

 

 

野牛島から西維和橋を渡って大矢野島へ。。。

 

 

 

西維和橋は長さは東維和橋よりも短いのですが、橋の真ん中に岩礁を利用した橋脚があり、その部分を境にして二つのアーチからなる珍しい形をした橋です。

 

 

今日のドライブ・・・じゃなくて出張におけるソニカの燃費。

出発前に給油し、トリップメーターと燃費計をリセットしておきました。

行きは渋滞なしの快適ドライブ。

帰路は大矢野島で約2kmの渋滞がありました。

エアコンを切った状態とはいえなかなかの好燃費

 

 

背が低くて、走りが良くて、軽とは思えない静粛性、そしてCVTでこの好燃費!

生産中止になって早や3年。。。

でもソニカってやっぱり凄い車です。

 

 

“マッチのマーチで~す” ならぬ “まめ八のソニカで~す

 

・・・って、キャッチコピーにも何にもなってませんなぁ~


コメント

--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。

一年生 [2012年11月26日 12:48]
こんにちは

いい天気でしたね。

天草のこっち側は行ったこと無い様な?

こちらも天草らしいいい景色なんですね。

生産中止と言うのは悲しいようなな気もしますが、ある意味

ラッキイ? 長く乗りたい気がします。

シティーターボⅡに乗ってた時 次の次の型で生産中止になったので。乗りつぶす気でいたのですが
(その時は父が乗っていたんですが)
コンピューターが壊れて手放しました。
まめ八 [2012年11月26日 19:01]
一年生さん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

天草と言ったら、雲仙が見える有明海側、もしくは東シナ海に面する西海岸が観光地として有名ですが、実は不知火海側も隠れた名所なんですよ。!(^O^)

生産中止って、ちょっと屈折した優越感に浸れるので、私にとっては悪い気分ではありません。!(^O^)
一年生さんはシティターボに乗れられていたのですネ~
結婚した当初、ウチの奥さんがノンターボのシティに乗っていたので2年間位は乗っていましたよ。!(^O^)
宮ちゃんNO1 [2012年11月26日 20:44]
こんばんは~ 宮ちゃんで~す!

休日出勤・・・お疲れ様でした~って自分も日曜日に仕事だった~(笑)
ま~・・・コレも中間管理職の定めかな~(涙)
でも・・・タダでは転ばないのがこの年代!
有効に時間を使わないとネ!
しかし・・・こんな長い橋・・・一車線ってあり得ない
よく皆さん待って居られますね~

う~ん・・・ソニカ素晴らしい燃費デスね!

ヴェル24 [2012年11月26日 22:07]
こんばんは。

休日出勤お疲れ様でした。

休日出勤じゃなければ楽しいドライブでしたね。

結構長い橋なのに、対向車が有ると手前で待たなければいけないって、たもとでは気をつけないとダメですネ。

ソニカの燃費良いですネ。
ビックなトトロ [2012年11月27日 0:01]
こんばんは~。

とてもいい天気ですね~
仕事してるのが勿体無いですね(~_~;)
休日勤務お疲れ様でした。

相棒ソニカの写真かっこいいですね(^_-)-☆


まめ八 [2012年11月27日 8:43]
宮ちゃん、おはようございます。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

宮ちゃんも休日出勤でしたか?
お互い辛い立場ですネ~。
そうそう・・・私たち位のおじさん世代は転んでもタダで済ませませんからねぇ。。。!(^O^)

熊本県は貧乏県なので、離島を繋ぐ橋にはこうした一車線規格が多いんですよ。(^_^;)
でも、そこは田舎の事ですから、皆さん譲り合いの精神で、のんびり、ゆったりと時間を過ごしているのでトラブルはないみたいです。!(^O^)
まめ八 [2012年11月27日 8:50]
ヴェル24さん、お早うございます。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

西維和橋は橋がほぼ水平なので見通しが効き待機もやりやすいのですが、東維和橋の場合には吊り橋なので橋の中央が高くなっている分、前方の確認が難しくなります。
でも、途中で対向車を見つけたら先に橋に差し掛かった方が待避線で待ってくれるので問題はありません。
熊本⇔天草間は、ほぼ平坦なので燃費実験をするには最適です。(ただし、渋滞が無ければの話ですが・・・)
ダイハツが軽自動車の事を“第三のエコカー”と呼んでいるようですが、面目躍如というところですかネ。!(^O^)
まめ八 [2012年11月27日 9:45]
ビックなトトロさん、こんにちわ。
いつもコメントを頂き、有難うございます。

ハイ、この日はとても良いお天気でしたよ~。o(^-^)o
今年は、週末の天気に恵まれず、しかもやっと晴れたと思ったら、家の事とか仕事が入って遠出が出来ずにフラストレーション溜まりっ放しです。(--,)

ソニカ、カッコいいですか?嬉しいなぁ~
こんなことだったら洗車位しておけばよかった。(^_^;)
EP82-SW20 [2012年12月9日 20:08]
こんばんは。

おお、マッチの宣伝撮影した橋ですかw
この手の場所って、わかっていれば一度は寄ってみたい場所ですよねw

22km/L 
やりますねぇ(^^)
今は冬場なので我がKeiワークスも、さすがに19km/L~20km/Lの間です。
出勤時が下りなので外気温が低くても20近くいくのですが、帰りは登りなので19km/L切る事がありますね。
もっとも16kmの間なので、信号一つ止められたら、一気に燃費落ちちゃいますが・・・(><)
まめ八 [2012年12月16日 23:03]
EP82-SW20さん、こんばんわ。
コチラのもコメントを頂き、有難うございます。

マッチのマーチ・・・知らない人の方が多いかもしれませんネ~。!(^O^)
ソニカの燃費ですが、条件に恵まれればかなりいい数値をたたき出します。
ただ、普段の街乗りでは12~13㎞/l位です。
特に先週の寒波襲来の際にはかなり悪い数値になってしまいました。(T△T)
今度は、仕事と外構関係の打ち合わせ、それに住宅工事が一気に進捗してその記事アップに追われてなかなかソチラにお伺い出来ない状況が続いています。
本当に申し訳ありません。<(_ _)>