井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

令和5年9月議会最終日 反対討論原稿 思想信条・信教の自由について

2023年10月03日 | 本会議質問

令和59月議会最終日・反対討論原稿           令和5103


井上しんごです。私は議員提出議案第40号・旧統一教会の解散命令請求を求める意見書に反対して討論します。


安倍元総理への卑劣な言論テロである銃撃事件の後、政権と旧統一教会の関係がマスコミ等でクローズアップされました。

過去に、旧統一教会関係者による生活の質に影響を与えるような高額献金などが問題になっていたにも関わらず、権力への忖度からマスコミは黙殺し、今広く知られるような、生活苦などで苦しむ、宗教2世、3世などの被害が広がった側面があります。


こうした被害を訴える当事者を救済しようと、国会において救済法が成立し、現状では不安を煽るような形での献金や、個人の収入をこるような借金などをしての献金は規制されています。

そもそも政治や宗教は、どの党派や、仏教・キリスト教に限らず、支持者や信者の寄付で、その政治活動や宗教活動が保障されています。なぜならば、基本的性質として営利ではないからです。


先の見えないストレスフルな社会において、個人の生き方の軸としての信仰や、またその社会の現実的な課題解決のための政治は、より良い市民社会として必要なものです。当然、無宗教もありであり、どの宗派、宗教、政党、政治団体を支持し、その活動を支えるためのあらゆる行動も、個人の自由意志の範疇で、何人も犯すことのできない、個人の権利です。


日本国憲法に一番大切な理念として個人の尊重が明記されています。


旧統一教会の問題については、被害を訴えられる元信者の方については、行政がその声を聞き、法に基づいて、速やかに救済することが政治の務めであり、

また一方、今でも信仰を捨てずに守っている、信者の方に対しては、その信仰が守られ、市民としての日常的な生活が保障されるようにするのが行政や政治の務めであると考えます。


現状でいうならば、安倍元総理への事件以降、報道による旧統一教会憎しの世論の中で、信者の方が職場を追われたり、学校現場でも2世、3世に対しする、いじめや、または、ささやかな信者さん同士の、クリスマス会の会場が借りられなくなったり、事務所に爆弾を仕掛けたとする脅迫があったりと、むしろ、今、政治がすべきは、今でも信仰を守っている方の、その排除、差別されているその苦しい胸の内を聞き、彼らが、等しく市民として、穏やかに暮らせるようにするのが近代政治の務めではないでしょうか。


自分が信仰してないからといって、自分とは関係ないからといって、そうした人たちの苦しみや、悲しみをどうでもいいやと吐き捨てることはできないと考えます。


政治はバランスが必要です。これまで、被害者の側の立場で、ことを勧めてきたのはいいことです。次は、その結果、一方で苦しんできた人たちの側に立ち、その救済を行うことが政治の優しさではないでしょうか。


坊主憎けりゃ、袈裟まで憎しで、徹底して追い込んで、差別し、排除することが正しことでしょうか。正義を振り翳して、いじめられている人を関係ないと無視することが正義でしょうか。


それは自分たちの考えを正義とし、振り翳し、悪と認定された個人や団体を丸ごと排除するその考えこそ危険であると思います。

関東大震災や戦争での虐殺も、社会におけるあらゆるパッシングも、その独りよがりな正義を絶対視する考えが原因ではないでしょうか。


宗教法人の解散命令は、日本国憲法で保障されている思想信条の自由、信教の自由に関わる問題であり、より慎重な判断が必要です。政府による解釈変更で、なし崩し的に、憲法が保障した人権が制限することを許せば、今後、気に入らな政党の非合法化や、第二、第三の宗教法人への介入に繋がるのではないかと危惧しています。


私は、どの宗教を信仰し、またはしない、どの政党を支持者し、またはしない、あらゆる考えや生き方をもつ、市民が、同じ住民として、力を合わせて、より良い社会へ進んでいけるそんな多様性のある北九州市がいいなと思います。


私はそうした地域社会に楔を打ち込むような提案に反対します。

議場の皆様のご賛同をお願いし申し上げ、反対討論を終わります。


最新の画像もっと見る