と言うお母さんがいました。
私が社会を教え,他の人が国語を教えていました。
中学の入試問題をやっていた時。
母と子の,気持ちのふれあいが主題の物語文。子供が母を思いやる記述の問題。
ところが,その国語の先生の記述の答えは,「豚カツが食べたかったから」。
お母さんは,J大学卒。その家庭教師はC大学卒。
そのお母さんが私に言った言葉は,タイトルのようになりました。第1志望の学校。その問題を間違うと,続けて3問間違えることになってしまう,鍵となる問題。
お母さんも必死。生徒も,なぜ自分の答えが違うのか分からない。。。。。
その先生も,自分の間違いは分かっていたはずです。しかし,成り行き上,自分の答えを通すしかない精神状態に追い込まれてしまったのでしょう。
お母さんの大学より偏差値が高い大学を出ていると,素直に,自分の間違いを認めることができる,と思います。
講師の学歴は,素直に間違いを認める,生徒により正解に近い答えをちゅうちょすることなく示すことが出来る,という点で,大事かな,と思います。
私が社会を教え,他の人が国語を教えていました。
中学の入試問題をやっていた時。
母と子の,気持ちのふれあいが主題の物語文。子供が母を思いやる記述の問題。
ところが,その国語の先生の記述の答えは,「豚カツが食べたかったから」。
お母さんは,J大学卒。その家庭教師はC大学卒。
そのお母さんが私に言った言葉は,タイトルのようになりました。第1志望の学校。その問題を間違うと,続けて3問間違えることになってしまう,鍵となる問題。
お母さんも必死。生徒も,なぜ自分の答えが違うのか分からない。。。。。
その先生も,自分の間違いは分かっていたはずです。しかし,成り行き上,自分の答えを通すしかない精神状態に追い込まれてしまったのでしょう。
お母さんの大学より偏差値が高い大学を出ていると,素直に,自分の間違いを認めることができる,と思います。
講師の学歴は,素直に間違いを認める,生徒により正解に近い答えをちゅうちょすることなく示すことが出来る,という点で,大事かな,と思います。