一昨日の赤井川源流域探索は、私の記憶力との勝負たっだ。
ナビの地図上の道路は途切れて表示されず、元々狭い山道は似たような分岐が沢山あった。
記憶の中で、相方と訪れた33箇所巡りの「観音堂」と、廃校になった「小・中学校跡」が目標となった。
車での移動を諦めて、徒歩で記憶を辿りながら歩いた。
もっと有った筈の民家は、空き家ばかりになり観音堂への道も接近すら出来ないほど荒廃していた。
正に登山道のような登り道をひたすら歩くと、山道の中腹に覚えのある建物が見え始めた。
(体育館跡)
木造の校舎などは取り壊されたが、比較的新しい小さな体育館は残されていた。
以前訪れた際には、地域の行事などに活用されている様子だったが、今回はそれさえも途絶えた感じだった。
(掲示板)
廃校当時の掲示板が、そのまま残されていた。
最後の月の行事予定や、最後の卒業生らしい写真付きの文章などが並んで貼られていた。
その貼られた写真も剥げ落ちたものもあって、往時の卒業生は今どこでどうしているのだろう。
最後の、「注意しながら、さっさと帰りましょう」が微笑ましい。
高台にある学校への往復路は、文字通りの道草が豊富で遊びながら帰るには手頃な佇まいである。
(校庭跡)
棚田のように二段になった土地は、上部が校舎跡で下部が運動場跡である。
誰かが跡地に作物を植え付けた跡はあるが、それさえも放棄された感じになっていた。
以前訪れた時は、駐車場として数台なら駐められていたのだが・・・。
かつて学んだ小学校等を訪れると、その校庭の狭さに驚くことがあるが、山間の学校跡は尚更である。
ただ、人との距離は狭い分濃密で、先生と生徒との心の繋がりも強かった筈である。
学校や集落との繋がりも、やがて人々の思い出の中でしか存在しなくなってしまう。
「幸せを競い合ってる勘違い」・・・しろ猫
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